日経の「私の履歴書」、今月はヤクルトや阪神の監督を歴任した野村克也氏。土曜と今日のところでオヤ!と思うことが載っていた。
土曜日は、ヤクルト監督だった95年のオリックスとの日本シリーズでのイチロー対策。野村監督はテレビ出演した時にわざと嘘のイチロー対策を話した。それを見たか人づてに聞いたかしたイチローは日本シリーズで打率は2割台だった。ヤクルトは4勝1敗で優勝した。面白いと思ったのは、よい悪いは別として、賭博性の高い麻雀の世界で、桜井章一氏が「引っ掛けリーチは人を陥れる行為だから行うな」というのに対して、子供の憧れのプロ野球で、一種の謀略行為が自慢げに話されていることだ。
今日(月曜)の話は、阪神監督時のこと。野村氏は、ヤクルトの選手が「大人」なら阪神の選手は「子供」と書いて、その典型的な例は、今岡選手と実名をだして、本日の文書の半分を当時の今岡選手の無気力さの批判に当てている。
これで思い出すのは、星野監督になって躍進した阪神で、これも大活躍した今岡選手がテレビで、「野村監督からはお前たちは弱いと言いつづけられました」と言ったこと。今日の野村氏の文は、その時の仕返しか?それとも元々仲が悪かったのか?
今日の文章の最後は「結局、今岡については、最後まで理解できずじまい。今でこそチームの中心となって働いているが、私が監督のときは、ファンを裏切る無気力なプレーの連続に、泣かされ続けたのだった。」
でも結局、星野阪神で大活躍したのだから、野村氏の指導方法が間違っていて、星野監督の指導方法が正しかったと世間は思うだろう。僕としては、指導方法の正誤云々よりも、ただなんかのご縁でそうなったという意見だ。でも、野村監督のイチローに対する謀略のように、結果を求めて、あるいは物事を意のままにしようとする性向に危惧を持つ。人の世の法則の一つは、「努力逆転の法則」。あることを目指して、不自然に計略したり、闇雲に努力すると、必ず望んだことの反対の結果が出る。満州事変を起こした石原莞爾みたいにね。がんばりすぎるのは日蓮上人に親和性を感じる人の長所でもあり欠点でもある。親鸞ファンの私は自然法爾。
土曜日は、ヤクルト監督だった95年のオリックスとの日本シリーズでのイチロー対策。野村監督はテレビ出演した時にわざと嘘のイチロー対策を話した。それを見たか人づてに聞いたかしたイチローは日本シリーズで打率は2割台だった。ヤクルトは4勝1敗で優勝した。面白いと思ったのは、よい悪いは別として、賭博性の高い麻雀の世界で、桜井章一氏が「引っ掛けリーチは人を陥れる行為だから行うな」というのに対して、子供の憧れのプロ野球で、一種の謀略行為が自慢げに話されていることだ。
今日(月曜)の話は、阪神監督時のこと。野村氏は、ヤクルトの選手が「大人」なら阪神の選手は「子供」と書いて、その典型的な例は、今岡選手と実名をだして、本日の文書の半分を当時の今岡選手の無気力さの批判に当てている。
これで思い出すのは、星野監督になって躍進した阪神で、これも大活躍した今岡選手がテレビで、「野村監督からはお前たちは弱いと言いつづけられました」と言ったこと。今日の野村氏の文は、その時の仕返しか?それとも元々仲が悪かったのか?
今日の文章の最後は「結局、今岡については、最後まで理解できずじまい。今でこそチームの中心となって働いているが、私が監督のときは、ファンを裏切る無気力なプレーの連続に、泣かされ続けたのだった。」
でも結局、星野阪神で大活躍したのだから、野村氏の指導方法が間違っていて、星野監督の指導方法が正しかったと世間は思うだろう。僕としては、指導方法の正誤云々よりも、ただなんかのご縁でそうなったという意見だ。でも、野村監督のイチローに対する謀略のように、結果を求めて、あるいは物事を意のままにしようとする性向に危惧を持つ。人の世の法則の一つは、「努力逆転の法則」。あることを目指して、不自然に計略したり、闇雲に努力すると、必ず望んだことの反対の結果が出る。満州事変を起こした石原莞爾みたいにね。がんばりすぎるのは日蓮上人に親和性を感じる人の長所でもあり欠点でもある。親鸞ファンの私は自然法爾。