セレンディピティ日記

読んでいる本、見たドラマなどからちょっと脱線して思いついたことを記録します。

東郷哲也氏の落選

2014-12-16 22:23:25 | 社会経済

僕の住んでいる名古屋市守山区は愛知3区で、小選挙区の当選者は民主党の古川元久氏だ。実は愛知3区を地盤とする前職の代議士は2人いて、1人は古川氏で前回のときも小選挙区の当選だ。もう一人は自民党の東郷哲也氏だが前回は比例で復活当選したが、今回は比例での当選はなかった。何と自民党の比例での当選者は東郷氏の前までで終わった。古川氏と票差がつきすぎて惜敗率がよくなかったのだろう。

東郷氏のことをよく注目していたのは単に僕が愛知3区に住んでいるからだけだはない。東郷氏は国会議員になる前は守山区選出の名古屋市議会議員だったのだ。それも議場で河村市長を罵倒して、河村市長から「こんな失礼な発言は初めて聞いた」と言わしめた戦闘的な議員だった。とは言うものの市議会に関係もない自分には東郷氏が本当はどんな人物なのかはわからない。河村市長批判の著書もあり僕も買ったが、字が詰まっていて読みにくい本だった。良い編集者がつかなかったとも、東郷氏はあまり本を読んでいないとも思える。ただ河村市長と東郷氏とのやりとりは、ひたすら政治家という職業を目指してきた東郷氏が自己の利益に関わることなので激しく反発したように思えた。

東郷氏は市議会議員になろうと、無所属で立候補したり、小沢自由党で立候補したりしていたが当選には及ばなかった。僕は市議会議員選挙では共産党を除くオール与党なので政策対立がないうえに投票率が低いから、後援会組織をつかんでいるものが常に勝つので新人が割込めないから東郷氏はいつまで望みのない戦いをするのかと思った。ところが守山区の定数が大幅に増えたために印数合わせで自民党の市会議員になれたのは以前に書いたとおりだ。http://blog.goo.ne.jp/kyujiu/m/201211 その幸運児の東郷氏が、前回の総選挙では市議会の長老議員の推薦で愛知3区の自民党候補となり代議士となった。僕は職業として政治家になりたがる人間に不審を持っている。もちろん彼らが良い政治をしたいという言葉を信じないわけではない。本当にそう思っているだろう。でも自分の利益が関わってくると躊躇なく自己の利益を取ると思っている。つまり生活の確保が最優先でそのうえで良い政治家との名声も得たいというわけだ。街で東郷代議士の「強い日本を」というポスターを見る度に「愛国主義は卑怯者の最後の逃げ場」と言う言葉は本当だな」と思ってしまう。

そんなわけで僕は東郷氏に注目はしていたが落選を望んでいた。しかし古川氏が相手では小選挙区の当選は不可能でも比例での当選は間違いないだろうと思っていた。ところが何と比例でも落選したのだ。

選挙期間中に守山区内では古川氏の選挙カーをみたし。駅やスーパーの前でも古川氏をみた。東郷氏は一度選挙カーがすれ違っただけ。ブログをみると繁華街で応援の人と演説している写真が多いが、繁華街は応援の人を見にきた他の選挙区の人ばかりかもしれない。ありがた迷惑だったのでは。

僕は東郷氏のブログを見た。http://sky.ap.teacup.com/togotetuya すると複雑な心境になってきた。妻子があるから生活に困るだろうなというのは思うけど脇に置こう。政治家なら当たり前のことだもの。気になるのは選挙期間中の写真の表情がこわばっているのだ。苦しい戦いで必死というのでもない。表情が硬い。不思議なのは、そこで終わっている12月13日の「最後のごあいさつ」だ。え「最後のお願い」ではないの。題名をみたとき遺言のように思えた。でも内容は通り一遍の選挙戦最後のお願いで挨拶だ。でも呼びかけてくる熱意もまた愛嬌もない。ひょっとしたら選挙の重圧から心身症の状態になっているのではないか。落選したから心身症ではなく選挙期間中から心身症の症状が写真から読み取れる。早くブログを更新して敗戦の弁を述べないといけない。


近ごろこんなことを考えた

2014-11-03 18:38:13 | 社会経済

さて久しぶりに書こう。アトピーは相変わらずだし、自炊はいつ終わるともなく続いている。だから気分に余裕がなく書き込む意欲もなかなかわかない。映画は週に2回ぐらい観ているがアトピーで夜中に目がさめるため映画の途中でウトウトすると途中経過がわからないことが多いので映画の感想は書きづらい。

名古屋市のことももう昔のことなので他人事みたいだ。現役職員とマージャンで会っても、聞こえる話題は異動できなくて休職している知人、逆にノイローゼ気味で頻繁に異動になるが異動先でもうまくいかない知人のことばかり。今は違う職場にいてそれぞれ役職者になっていると共通する話題は共通する知人の病気の話題になりがち。こんなに鬱病が増えたのかと思ってみても、昔にも何人もそうした人がいたことを思いだす。若いころはそうした人は年の離れた年配の人だし、自分も役職者でないのであまり気にならなかっただけかもしれない。ところが退職してみると昔は元気だった後輩の人たちがそうなっているので鬱病が増えたと感じるのかもしれない。

アトピーのことの報告。アトピーの本に「アトピーは体内の毒を排出する体の緊急措置だからステロイド剤で排出口を塞いではいけない」と書いてあったのはすでに書いた通りだ。毒の実態はなんだろう?掻き傷からの体液や剥がれる皮脂にそれが含まれるとしたらどんな物質か特定できるのかな?とも思ったがそこはあまり突っ込まない。特定できてなくてもそれはまだ特定できないだけと思い。特定できるまで待ってはいられないので、仮設を一旦信じて突き進むことにした。とはいえあの本には、その他に生活にチェック項目が多数のっているがそれは面倒だから無視した。だからステロイドを塗らないだけがあの本から実行したことの全てだ。もっとも以前から通っている漢方医の処方する漢方薬と保湿剤は使っている。あの本では「保湿剤も体がそれになれたみずからの保湿する力が弱くなるからできれば避けたほうがよい」のようなこと書いてあったが、もともと乾燥しやすい肌なので使うことにした。

だからステロイド剤を使わないこと以外は昔のままだが一向に症状が改善しない。正確に言うと症状に波があるので軽くなったり悪くなったりだ。昔はステロイド剤を使うとしばらく休戦みたいに症状がなくなる時があったが、今はそれもない。ではなぜ脱ステロイド剤方法を続けかというと、ひとつは「ステロイド剤を抜くには使った期間の倍の時間がかかる」と書いてあったこと。もう一つのわけは漢方では良くなる直前には一旦症状が重くなる陽転現象があるとのことだ。だから今ステロイド剤を使ったらこれまでの苦労が水となると思えるからだ。でも一番の理由は、対処療法は決して治療ではないという、オーストリア学派的あるいは陽明学的な性向からだろう。

つぎは自炊つまり蔵書のPDF化について書こう。最近メモリー容量について2つも壁にぶちあった。ひとつは読むツールとしてのiPadの容量がいっぱいになってきたこと。正確にはずっと前から限界に達したのだが、その時はパソコンの中にすでにPDF化してある本の半分以下しかiPadに移さないことでしのいだ。すでに読んだ本や全く興味を失った本までiPadで持ち歩く必要はないからね。じつはこの解決策は偶然におとずれた。突然にiPad内のPDFが全て消えたのだ。原因は不明。このため再度iPadに移すときに「ああ、全ての本を持ち歩く必要はないのだ」と気づいたのだ。人は怪我の功名というかもしれないが、僕はこうしたことを「天使が教えてくれた」と呼んでいる。よくあることだもの。ところが、最近になって再びiPadがいっぱいになってきた。購入した本や雑誌は全てPDF化してiPadに移しているから早晩こうなる。しかも最近PDFにしたものはまだ読んでいなかったり興味を失っていないものばかりだからどうしてもiPadに入れておきたい。僕のiPadは128GBでそれ以上の大容量のものはないから機種変更もできない。頭を抱えているとソフトバンクからiPhoneの機種変更を勧めるチラシが届いた。それをみると期間中に旧式のiPhoneを下取りに出せばほぼ無料でiPhone6に機種変更できるとかいてある。今のiPhoneに不自由はないと思いながらチラシをさらにみるとなんとiPhone6Plusには128GMがあるではないか。iPhonr6Plusといえば普通のiPhoneよりも大きな画面だ。そこでひらめいた。iPhone6Plusに小説類と図鑑類を移すことによってiPadとPDFを分け合えばこの問題は解決する。と言うわけで今はiPhone6Plusで小説を読んでいる。もちろん字は小さい。でも老眼ではまだない僕にはなんとか読める。視界に入る文の範囲が広いせいか読む速度も速くなった気がする。

さてもう一つはパソコンの容量の問題だ。最近自炊していても「容量不足のため全部保存できませんでした」という表示が大きな本では出るようになった。パソコンの「コンピューター」「ハードディスクドライブ」みるとローカルディスク(C:)が空き領域がほとんどなくなっていた。それでどう対処すべきか?よくみるとローカルディスク(D:)がほとんど使われていない。ではデスクトップのPDF用のファイルをローカルディスク(D:)に異動させたらと考えたが、デスクトップのファイルをローカルディスク(D:)に持っていってもコピーができるだけ。もとのデスクトップのものは変わらず存在して、ローカルディスク(C:)の空き領域は変わらない。つまりローカルディスク(D:)は外付けハードディスクと同じでコピーができるだけ。それでもコピー元のデスクトップのファイルを消せば空き領域は増えるかもしれないが、それでiTunesと連動できるかははなはだ疑問だ。じつは解決策はある。ローカルディスク(C:)と(D:)のメモリーの配分割合を変えればよい。つまりいまそれぞれ455GBずつあるのを例えば655GBと255GBに変えればよい。ところがこれは難しそうなのでやめた。次に良い解決策は容量大きなパソコンとの買い換えだが金がない。そこで考えたのは読んでしまって読み返すことのなさそうな本と雑誌のバックナンバーのPDFを外付ハードディスクにコピーしてからデスクトップのファイルから抹消することだ。この分は外付ハードディスクだけになりバックアップがないことになるので不安があるが当面はこれで行くことにした。どうしても不安ならローカルディスク(D:)にさらにコピーすれば良い。

さて世間の話題も書いておこう。いま世界の危機的大問題で先行きがわからないものが2つある。エボラ出血熱とイスラム国だ。エボラ出血熱はともかくイスラム国は遠い地域のことだしあちらの戦闘に参加していない日本は報復を受けることもないのであまり興味はないと思われるかもしれないが。でも異教徒は奴隷にしてもよいだなんて堂々と宣言するなんて人類の普遍的価値観の否定で許されない。 でもこのイスラム国の動きは新しいインターナショナリズムだね。なぜなら参加者の国籍は問われなくてイスラム原理主義と言うイデオロギーに基づいている。共産主義のコミュニスト・インターナショナル(コミンテルン)が世界中に支部ができたように。もちろんイスラム国という国家らしきものも形成されつつある。コミンテルンもソビエト連邦があり「ソ連は労働者の祖国」というスローガンもあった。だからイスラム国はイスラム教徒の祖国だと思うイスラム教徒もいるかもしれない。でもやがて共産主義とおなじように逆転して民族主義的イスラム原理主義に変質してくるかも。一国社会主義論と世界革命の関係と似ている。

おっととりとめのない話をしてしまった。警告すべきは、エボラ出血熱を利用した自爆テロだ。つまり殉教志願のイスラム教徒のうち、ヨーロッパ的風貌を持つ者を、エボラ出血熱の流行国に行かせてわざと患者に接触させ、発病する前に第三国を経由して足跡をくらましアメリカに入国させる。そして発病し始めたら人出の多い場所に行って不特定多数と接触させる。もちろん感染してない可能性もあるから十数人を同時に様々な経路でアメリカに潜入させる。そのうち数人でも発病したらアメリカはパニックになる。アメリカに数百名の感染者が出たらアメリカと人の行き来の多い日本もパニックとなる。もっともアメリカの安全保障担当者はそのくらいのことを見越して対策を立てていると思う。だが日本の役人はその場にならないと動かないから危険だ。


近ごろこんなことを考えた

2014-11-03 18:33:48 | 社会経済

さて久しぶりに書こう。アトピーは相変わらずだし、自炊はいつ終わるともなく続いている。だから気分に余裕がなく書き込む意欲もなかなかわかない。映画は週に2回ぐらい観ているがアトピーで夜中に目がさめるため映画の途中でウトウトすると途中経過がわからないことが多いので映画の感想は書きづらい。

名古屋市のことももう昔のことなので他人事みたいだ。現役職員とマージャンで会っても、聞こえる話題は異動できなくて休職している知人、逆にノイローゼ気味で頻繁に異動になるが異動先でもうまくいかない知人のことばかり。今は違う職場にいてそれぞれ役職者になっていると共通する話題は共通する知人の病気の話題になりがち。こんなに鬱病が増えたのかと思ってみても、昔にも何人もそうした人がいたことを思いだす。若いころはそうした人は年の離れた年配の人だし、自分も役職者でないのであまり気にならなかっただけかもしれない。ところが退職してみると昔は元気だった後輩の人たちがそうなっているので鬱病が増えたと感じるのかもしれない。

アトピーのことの報告。アトピーの本に「アトピーは体内の毒を排出する体の緊急措置だからステロイド剤で排出口を塞いではいけない」と書いてあったのはすでに書いた通りだ。毒の実態はなんだろう?掻き傷からの体液や剥がれる皮脂にそれが含まれるとしたらどんな物質か特定できるのかな?とも思ったがそこはあまり突っ込まない。特定できてなくてもそれはまだ特定できないだけと思い。特定できるまで待ってはいられないので、仮設を一旦信じて突き進むことにした。とはいえあの本には、その他に生活にチェック項目が多数のっているがそれは面倒だから無視した。だからステロイドを塗らないだけがあの本から実行したことの全てだ。もっとも以前から通っている漢方医の処方する漢方薬と保湿剤は使っている。あの本では「保湿剤も体がそれになれたみずからの保湿する力が弱くなるからできれば避けたほうがよい」のようなこと書いてあったが、もともと乾燥しやすい肌なので使うことにした。

 

だからステロイド剤を使わないこと以外は昔のままだが一向に症状が改善しない。正確に言うと症状に波があるので軽くなったり悪くなったりだ。昔はステロイド剤を使うとしばらく休戦みたいに症状がなくなる時があったが、今はそれもない。ではなぜ脱ステロイド剤方法を続けかというと、ひとつは「ステロイド剤を抜くには使った期間の倍の時間がかかる」と書いてあったこと。もう一つのわけは漢方では良くなる直前には一旦症状が重くなる陽転現象があるとのことだ。だから今ステロイド剤を使ったらこれまでの苦労が水となると思えるからだ。でも一番の理由は、対処療法は決して治療ではないという、オーストリア学派的あるいは陽明学的な性向からだろう。

 

つぎは自炊つまり蔵書のPDF化について書こう。最近メモリー容量について2つも壁にぶちあった。ひとつは読むツールとしてのiPadの容量がいっぱいになってきたこと。正確にはずっと前から限界に達したのだが、その時はパソコンの中にすでにPDF化してある本の半分以下しかiPadに移さないことでしのいだ。すでに読んだ本や全く興味を失った本までiPadで持ち歩く必要はないからね。じつはこの解決策は偶然におとずれた。突然にiPad内のPDFが全て消えたのだ。原因は不明。このため再度iPadに移すときに「ああ、全ての本を持ち歩く必要はないのだ」と気づいたのだ。人は怪我の功名というかもしれないが、僕はこうしたことを「天使が教えてくれた」と呼んでいる。よくあることだもの。ところが、最近になって再びiPadがいっぱいになってきた。購入した本や雑誌は全てPDF化してiPadに移しているから早晩こうなる。しかも最近PDFにしたものはまだ読んでいなかったり興味を失っていないものばかりだからどうしてもiPadに入れておきたい。僕のiPadは128GBでそれ以上の大容量のものはないから機種変更もできない。頭を抱えているとソフトバンクからiPhoneの機種変更を勧めるチラシが届いた。それをみると期間中に旧式のiPhoneを下取りに出せばほぼ無料でiPhone6に機種変更できるとかいてある。今のiPhoneに不自由はないと思いながらチラシをさらにみるとなんとiPhone6Plusには128GMがあるではないか。iPhonr6Plusといえば普通のiPhoneよりも大きな画面だ。そこでひらめいた。iPhone6Plusに小説類と図鑑類を移すことによってiPadとPDFを分け合えばこの問題は解決する。と言うわけで今はiPhone6Plusで小説を読んでいる。もちろん字は小さい。でも老眼ではまだない僕にはなんとか読める。視界に入る文の範囲が広いせいか読む速度も速くなった気がする。

 

さてもう一つはパソコンの容量の問題だ。最近自炊していても「容量不足のため全部保存できませんでした」という表示が大きな本では出るようになった。パソコンの「コンピューター」「ハードディスクドライブ」みるとローカルディスク(C:)が空き領域がほとんどなくなっていた。それでどう対処すべきか?よくみるとローカルディスク(D:)がほとんど使われていない。ではデスクトップのPDF用のファイルをローカルディスク(D:)に異動させたらと考えたが、デスクトップのファイルをローカルディスク(D:)に持っていってもコピーができるだけ。もとのデスクトップのものは変わらず存在して、ローカルディスク(C:)の空き領域は変わらない。つまりローカルディスク(D:)は外付けハードディスクと同じでコピーができるだけ。それでもコピー元のデスクトップのファイルを消せば空き領域は増えるかもしれないが、それでiTunesと連動できるかははなはだ疑問だ。じつは解決策はある。ローカルディスク(C:)と(D:)のメモリーの配分割合を変えればよい。つまりいまそれぞれ455GBずつあるのを例えば655GBと255GBに変えればよい。ところがこれは難しそうなのでやめた。次に良い解決策は容量大きなパソコンとの買い換えだが金がない。そこで考えたのは読んでしまって読み返すことのなさそうな本と雑誌のバックナンバーのPDFを外付ハードディスクにコピーしてからデスクトップのファイルから抹消することだ。この分は外付ハードディスクだけになりバックアップがないことになるので不安があるが当面はこれで行くことにした。どうしても不安ならローカルディスク(D:)にさらにコピーすれば良い。

 

さて世間の話題も書いておこう。いま世界の危機的大問題で先行きがわからないものが2つある。エボラ出血熱とイスラム国だ。エボラ出血熱はともかくイスラム国は遠い地域のことだしあちらの戦闘に参加していない日本は報復を受けることもないのであまり興味はないと思われるかもしれないが。でも異教徒は奴隷にしてもよいだなんて堂々と宣言するなんて人類の普遍的価値観の否定で許されない。 でもこのイスラム国の動きは新しいインターナショナリズムだね。なぜなら参加者の国籍は問われなくてイスラム原理主義と言うイデオロギーに基づいている。共産主義のコミュニスト・インターナショナル(コミンテルン)が世界中に支部ができたように。もちろんイスラム国という国家らしきものも形成されつつある。コミンテルンもソビエト連邦があり「ソ連は労働者の祖国」というスローガンもあった。だからイスラム国はイスラム教徒の祖国だと思うイスラム教徒もいるかもしれない。でもやがて共産主義とおなじように逆転して民族主義的イスラム原理主義に変質してくるかも。一国社会主義論と世界革命の関係と似ている。

 

おっととりとめのない話をしてしまった。警告すべきは、エボラ出血熱を利用した自爆テロだ。つまり殉教志願のイスラム教徒のうち、ヨーロッパ的風貌を持つ者を、エボラ出血熱の流行国に行かせてわざと患者に接触させ、発病する前に第三国を経由して足跡をくらましアメリカに入国させる。そして発病し始めたら人手の多い場所に行って不特定多数と接触させる。もちろん感染してない可能性もあるから十数人を同時に様々な経路でアメリカに潜入させる。そのうち数人でも発病したらアメリカはパニックになる。アメリカに数百名の感染者が出たらアメリカと人の行き来の多い日本もパニックとなる。もっともアメリカの安全保障担当者はそのくらいのことを見越して対策を立てていると思う。だが日本の役人はその場にならないと動かないから危険だ。


STAP細胞論文出現の謎解き

2014-03-17 23:00:03 | 社会経済

小保方さんの『Nature』に載せたSTAP細胞についての論文についての問題点がいろいろ指摘され論文の取り下げが噂されている。また小保方さんが早稲田大学に出した論文も無断引用が指摘されこれまた小保方氏は取り下げ意向があるとのことだ。

得意の絶頂からの転落とは猪瀬元都知事に限らずどこの世界でもあるみたいだ。まあ僕のような人間には得意の絶頂なんて来ないから転落もないけど。でも卑下しているわけではないよ。陽明学的人間には得意の絶頂なんて似合わない。つまり外的な評価や基準での得意だとか栄光は関係ない。並び大名の局長になるよりもオンリーワンのスーパー公務員がいいに決まっている。刑事ドラマの主人公はなぜみんなヒラなのか考えよう(太田肇『お金より名誉のモチベーション論』)。アレ?近頃キュアリアの刑事物が幾つかあるな。杉下右京と海月千波(『戦力外捜査官』)はキャリアの警部だけど部下がいないのも同じだからヒラみたいなものだけど、『隠蔽捜査』の主人公は警察署長だ。でも定年間近の杉下右京と大学出たての海月が同じ階級とは!普通の役所なら懲戒処分があったか自発的な降格申し出があったかだろうね。福家警部補もキャリアで自発的な降格のケースだね。とすると未亡人の面接官と科捜研の技官以外は皆キャリアか!いまの刑事ドラマキャリア信仰が過剰。ともかくいつまでも警部ぐらいの階級では中央官庁の東大出なら普通は外資へ転職しちゃうけどね。右京は陽明学徒か?陽明学者の山田方谷は明治政府の出仕の要請も断った。陽明学と同じ本質のオーストリア学派経済学的にはハイエクがノーベル賞について「自分だったらこのような賞の創設を推奨しなかった」と言ったのは理解できる。

さて博士論文も取り下げて博士でなくなると、小保方さんも理研からも追い出されて、ただのお姉さんになってしまう。そうなると東進ハイスクールの講師でもやるのかなあ。

無駄ばなしはここまでにして、ここではあの『Nature 』論文が出てきた謎解きをしよう。といってもぼくは『Nature』論文を読んではいない。読めないし読めても理解できないだろう。もちろん生物学や化学の専門知識もない。でもこの経過は想像できる。見当違いかどうかは何年か経って全体像の記録が出てきた時にわかることだ。

STAP細胞と名付けられた万能細胞は実在するかといえば実在したと思う。だから空想の産物でペテンではないと思う。これは共同研究者に万能細胞が提供されていることが最大の根拠だ。もちろんES細胞やiPS細胞を手に入れて提供したかもしれないので断言はできないけど、実在するから世界で誰かが追試に成功すれば強引な手法も結果オーライになると思ったのではないかと推測する。

コピぺや画像の使い回しなんてバレることが当然予想されるのになぜ行ったのか。早稲田の院生の間では博士論文ならあまり人目に触れなくてばれない確率が大きいので割と広く行われていのだろう。成果をだす強迫観念にとらわれて結末を想像できなかったのだろう。転落する人は都合の良い結果のみ想像して悪い方は見ようとしない傾向があるのかな。

論文の捏造以前の一番の問題点は、小保方氏が独断に陥り間違った方向に研究を進めたため袋小路に陥ったことだ。そのため無理な論説を強引な方法で論文にまとめてしまった。万能細胞が存在することは事実なのだから早く世界に広めたいと言う意気込みと、期限内に成果を出さないと理研の研究員の職を奪われ研究手段を失うという焦りもあったと思う。

ある日突然に万能細胞が現れた。これはガラス管を通ってきたものの中からだ。再び同じことは起こらなかったが小久保さんはなぜかと考えた。そこでストレスということを思いついた。細胞が狭いガラス管を通る時にストレスを受けて初期化したのだと。かくして小久保さんは物理的ストレスのほかに化学的ストレスまであらゆるストレスを試してみた。するといろんな試行の後で弱酸性溶液の中で再び万能細胞が見つかった。おそらくここまでは事実だろう。でも再現性が確保されていないのに焦りから論文にしたててしまったのだ。

ストレスか!小保方さんは医学部出身でもないのに「ストレス」なんてヤブ医者が多用しそうな言葉を思いつくねえ。現代医学は「ストレス」が流行りだ。心の病から体調不良までストレスのせいにされる。ストレスの全くない人間はほとんどいないから患者は思い当たることになり先生は名医だと思ってしまう。でも以前はストレスが原因とされた第一の病気の胃潰瘍は今ではピロリ菌が原因とわかっている。ストレスの多用はご用心だ。

ストレスなんて言う医者にかかったら病気の真の原因の発見が遅れ死に至りかねない。小保方さんも同じ迷宮にはまり込んだ。

偉大な発明発見は偶然から見つかることが多い。偶然はいろんなところで起こる。でも凡庸な人間はその意味が解らず見逃してしまう。有能な人間だけがその意味を理解する。偶然とそこに居合わせる有能な人間の組み合わせが偉大な発明発見をする。ガラス管を通った細胞の中に万能細胞があった。なんかの間違いと思わずそこに重大な意味をみたのだから小保方さんは凡庸ではない。でもそこまで。秀才だけど単なる秀才だから独断の迷路に迷い込んで抜け出せない。

ストレス説が独断というのはまだ検討すべき可能性が幾つもあるからだ。再現性が確保できないのなら他の仮説も検討すべきだ。

例えば僕はこうも考えられる。細胞はストレスがなくても自然に万能細胞化したのではないかと。こう言うと小保方さんは「ガラス管を通る前にも細胞を見たがなにもなかったが、ガラス管を通った後にはあった。だからガラス管を通ったことが原因だ」と反論するだろう。でもたまたま万能細胞の発生とガラス管を通す実験の時期が一緒だったかもしれない。

ガラス管がなくてほっといても万能細胞が現れたかもしれない。こう言うとたぶん小保方さんは「ほっておいた細胞から万能細胞が現れたという事例は聞いたことがない」と言うな。でも見つかったものと存在するもの数値は比例も対応もしないことが多い。この場合は定常の状態の細胞から万能細胞を見つける試みをしていなかったためと言えるかもしれない。別の例えで話すと、鯨統一郎さんの小説『邪馬台国はどこですか?』では主人公(たぶん)が邪馬台国は岩手県の八幡平(はちまんたい)との説を述べた。すると他の登場人物は岩手県では古代の史跡があまり発見されていないからあり得ない、と言う。でも主人公は史跡の発見は道路や建物の建設工事に付随してみつけられたものが大部分だ。だから工事が多く行われてきた近畿や北九州に比べて史跡の発見が少ないのは当然だ。これから八幡平付近で工事が多く行われてくれば史跡がドンドン見つかるだろうと言った。僕はなるほどと思った。

では自然に万能細胞ができたのならどんな原因が考えられるかな?まず天然の放射能はどうだろう。地球上のどんな場所でも常に微量だが放射能にさらされている。宇宙からくる宇宙線もある。それが細胞の遺伝子に当たり初期化のスイッチを入れるかもしれない。放射能と言うのは閾値と言うものがなくここまでなら全く無害ということはない。少ないなら少ないなりに影響はあるのだ。

次は、もともと動物細胞の中では細胞分裂の過程で一定の万能細胞が生まれているとしたらどうだろう。ただそうした細胞はやがて周りに同化していって特定の機関細胞になってしまう。つまり時々「俺は誰だ。此処は何処だ」という細胞が現れるが、周りからお前は肝臓細胞だとさとされてアイデンティティを見つけ出す。ありえないなんて言うなよ。これはガン細胞からの類推。癌にならない人も時々は体内にガン細胞が発生する。すると白血球が飛んできて食べてしまうから大事に至らないだけ。ひょっとしたらガン細胞も万能細胞も初めは同じものかもしれない。周りに同化することを拒んだものがガン細胞か?いやいやガン細胞は徒党を組んで増えるから社会主義者だな。同化も徒党も嫌がった万能細胞は何処へ行く。

 


新年おめでとう

2014-01-03 18:42:33 | 社会経済

新年おめでとうございます。

さて新年最初に書くことは去年一番印象に残ったこと。ああ今年は予測をやめるよ。「いつか行く道」でも「昨日今日とは」言えないものだからね。なになに、金融緩和の効果を認めたくないからだって?あのさあ、リフレ派が自慢げに言う円安株高だって黒田日銀の金融緩和のせいと言うより海外情勢で全て説明がつく。かえってアベノミクスで説明しようとすると時系列的因果関係が合わないので期待などというどうとでも使えるあやふやなものを持ち出さざるをえない。5月26日の株の暴落もリフレ派の言う早すぎた株高の調整ではなくて、直前のアメリカの暴落を受けたもの。今の株高もアメリカの株高の影響だ。それより心配なのは103〜105円の円安が続きそうなことだ。輸出企業は実質で売り上げが増えてなくても為替のせいで海外からの収入がすぐに増える。でも円安の被害は遅効性でこれからキツく日本経済に響いてくる。

JKリフレつまりJAPAN BANK KURODA reflationは罪を問われるだろう。

おっと話がそれてしまった。それでは昨年一番印象に残ったことを書こう。それは猪瀬東京都知事の辞任騒動だ。それは別に東京都政や徳洲会に興味があるからではない。興味があるのは得意の絶頂から奈落の底に沈むという特異そうだが実によくある人間現象だ。つまり政治としてではなくて人間学として強く興味を惹かれる。数ある報道や評論でこの点に触れたものはあるのかな?

なにしろ数年前までは著名だけど一介のフリーランスのルポライターが、あれよあれよという間に日本でも有数のマンモス組織の長となったのだ。すぐに替わる省庁の大臣よりずっと重い権限を持っている。昨年の選挙では史上最多の得票で当選して、オリンピックの招致にも成功して得意満面だったのにその数か月後には無様すぎる形で辞任とは。お釈迦様でも予見できまいと言いたいけど、必然だったような気もするのはなぜだろう。ひょっとしたら安国寺恵瓊ならオリンピック招致成功の時に「猪瀬武蔵守、高ころびにあおのけに転ばれ候ずると見え申候」と言ったかも。

ことわざだとどう言うのかな。「一寸先は闇」「三日見ぬまの桜」ちょっと違うな。「山あれば谷あり」これも違う。「好事魔多し」これもしっくりこない。うまいことわざが見つからないが絶頂が滅びの前日というのはよくある話だ。人間は「今考えて見ると、あの頃が一番良かったのかな」という人生が一番いいのかな。でも同じような人に同意を求めても「全然」と言うかも。でも僕はこれからが最高のつもり。吉原の花魁が27歳で年季明けして自由になった気分。饅頭屋でもやろうかしら。定年後も嘱託や外郭団体で働く公務員なんて吉原で年季が明けたのに岡場所に行って客を取るみたい。

ところで昨年末の週刊誌の記事でヤクザのアンケート結果が載っていた。ヤクザの政治意識の傾向は保守よりだそうだ。それなら安部首相の支持が高いかと言うとそうではなくて8割のヤクザが安部首相を嫌いという。理由は信頼できない顔つきをしている。さもあらん。ヤクザの世界は完全実力本位。家系も学歴も関係ない。その上言葉が調子いいものは絶対に信頼できない。つまり役所とは反対の世界。政治家は富士山と一緒で遠くから見ると綺麗だが近くだと汚いところが目に付く人が多いとのことだが、安部首相は遠くからでも見る人が見ればその本性がよく分かる。かえって近くにいると相手に合わせて喜ぶ言葉を言うので騙される人が多い。でも潮目は一斉に変わる。第二の猪瀬か。いやいやこちらこそ本番。