セレンディピティ日記

読んでいる本、見たドラマなどからちょっと脱線して思いついたことを記録します。

一つの歴史が終わる投票日

2012-06-11 22:23:01 | 社会経済

あと数日で一つの投票が行われ、それで一つの歴史が終わる。感慨深いものがある。え?!17日のギリシャの再選挙ではないよ。14日の東京大学教養学部学生自治会の全学連都学連脱退議案の投票(議決)のことだよ。東京大学に縁もゆかりもない僕が東京大学とはいえ1学生自治会の全学連(全日本学生自治会総連合)脱退に注目するのは、これが象徴的にも物理的にも全学連(新左翼の人には異論があるだろうが)の終焉を意味するし、また戦前戦後を通じて一定あった日本共産党の影響力の学生運動からの完全な退場を意味するからだ。

基本的な内容はインターネットのJBpressの代々木小夜「ついにとどめを刺される『全学連』」http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/35255  と東京大学教養学部学生自治会のホームページ http://www.geocities.jp/todaijichikai/ を見てもらうとよいが、ここでは僕なりに咀嚼して考えて見よう。なおJBpressの佐々木小夜氏の記事は東京大学教養学部学生自治会の議案に参考資料として挙げられているので教養学部学生自治会からも正確とみられていると思う。

最初に佐々木小夜氏の文章のタイトルを見た時は「とどめを刺される」という表現は、左翼党派の機関紙によく見られるものと同じ過剰な表現に思えた。しかし代々木氏の文章を読みそして他の関連ウェブを検索すると、決して過剰ではなくまさにその通りだと実感した。全学連はすでにその名称の全日本学生自治会総連合が表す全国的団体としての実態からは程遠くその意味ではすでに死んでいるが、東京大学教養学部学生自治会というマンモス団体が抜けれは、有名大学の加盟自治会は立命館大学のみとなること以上に、財政的に四分の一から三分の一の分担金収入を失い事務所の維持も困難になる。

全学連で継続的に参加しているのは、東京大学教養学部・東京農工大・東京学芸大・信州大学・日本福祉大学・名城大学・立命館大学・京都橘大学の8大学にすぎない。これは全学連中央執行委員を出していた東京大学教養学部学生自治会の言であるから間違いないであろう。長い間全学連は100以上の自治会(公称170)が結集する思想信条の違いを超えて要求で団結する学生の全国的な組織で、暴力学生(新左翼のこと)の「ニセ全学連」とは全く違うと言ってきた。でも公称の170といっても脱退届けを正式に出してないだけですでに存在さえしないものもあるだろう。だから現実の組織実態としては「ニセ全学連」と大差なくなっている。いや革マル派全学連のほうが凌駕しているという見方もある。しかし新左翼の場合は自治会連合ならあり得ない個人参加の全学連メンバーや大学非公認の自称自治会もあるから、いまさら絶滅危惧種同士で比較しても仕方が無い気がする。

新左翼の全学連が生き残っているなら、全学連もこれからも生き残って行くのではと思うかもしれない。でもそれは違う。代々木氏の言うように、なりふり構わない方針はとれないからだ。財政的に事務所が維持できなくても共産党や民青同盟の建物に間借りできない。共産党員や民青同盟員の学生でも加盟自治会員でないと全学連の行事に参加はできても全学連の代議員や役員になれないからだ。新左翼にできるこれらのことが全学連にはできない。背に腹はかえられない潰れるよりましだからとそれやったら共産党や民青同盟の評判が大きく傷つく。共産党も民青同盟も名のみで実体のなくなったものの為に自分の評判を傷つけたく ないないだろう、たとえそれが長い伝統の棄てるに惜しい看板だとしても。

財政的に致命的なのは全学連予算の加盟分担金収入357万円のうち100万円以上が東京大学教養学部学生自治会のものだからだ。でも以前立命館大学の自治会が全学連の財政の半分以上支えていると読んだことがあるから、残りのほとんどは立命館大学かというとそうではないらしい。Wikipediaの「全日本学生自治会総連合」をみると「現在は立命館大学の加盟自治会も加盟分担金を払っていない」そうだ。忠実な立命館大学の自治会が代議員権停止や除名になりかねないことをするとはいかなることだろうか。全学連の財政の半分以上を負担していたことが学内の批判を浴びたからだろうが、正当な分担金額なら批判をかわすことができるし全く払わなくなる理由にならない。だから僕の推測だか、財政危機の全学連に立命館大学の自治会が分担金以外に闇か貸付金という形で資金援助していたものと思われる。貸付金としても返済される可能性の極めて低いものであるから当然批判される。だから多分貸付金を加盟分担金の前払いとして当分の間加盟分担金を支払わないということになったのだろう。

ところで愛知県で全学連に残っているのは日本福祉大学と名城大学だけだが、全学連の地方組織の愛知県学連はどうなっているのかと全学連のホームページのリンクから愛知県学連のホームページに行こうとしたら繋がらない。それでGoogleで検索したら愛知県学連のホームページがみつかったが最終更新は2010年3月だ。これは数日前のこと。今日はそのホームページも見つからなくて替わりにブログ形式の「愛知県学連ニュース」が見つかった。たしかに写真付きのホームページを見たからここ数日中になにかあったのかな。ブログ形式の「ニュース」のほうも内容はやはり2010月3月が最終だ。とすると愛知県学連は2010年3月末で消滅したかブログ又はホームページを更新する人材が卒業でいなくなったかである。多分消滅の方であろう。2010年3月以前には他の大学の学生自治会もあったが4月以降に2大学になったので「県・・連合」とは面映いということで解散したか、それ以前から2大学だが学外組織の県学連に出る人材がいなくて消滅したかだろう。大阪府学連も消滅しているようだからここ数年の内に地方組織が次々と消えている。全学連がそれに対して有効な対策をうてていないのなら全学連自体の消滅の予兆とみるしかない。これが終戦直後の全学連創成期なら全学連中央から学生オルグが次々と派遣されて強力なテコ入れがあっただろう。でも今は望むべくもない。全学連自体に活力がない上に、地域を超えた学生間のオルグなどは党指導部による統制を最優先事項とする共産党の最も嫌うところであるから共産党の影響下にある全学連活動家には何もできないしする気もないだろう。

全学連の消長は学生に対する日本共産党の影響とリンクしているといえるだろう。いくら「思想信条の違いを超えて」といったところでそうではないことがすぐに明らかになるので結局は日本共産党と民青同盟しか全学連を支える勢力たりえない。新左翼勢力の衰退の直接の原因は連合赤軍事件と内ゲバであろう。ライバルが後退したから日本共産党と民青同盟が前進したかというとそうではない。民青同盟も新日和見主義事件を契機に組織の大幅な後退もあった。ライバルが衰えると他方も衰えるという一般的な法則もあるが、結局は日本社会全体でのマルクス主義的イデオロギーの失墜ということに帰結するだろう。

僕の大学を卒業した1974年当時は退潮の兆しはあったにしてもまだまだマルクス主義も日本共産党も力を持っていた。それではいつ頃からどうなったかを素顔をでブログ書いている日本共産党員で会社員の伊賀篤氏の「伊賀篤の日記」http://d.hatena.ne.jp/atsushi_iga の記事から探ってみよう。そのブログの2012月4日28日付けの書き込み「過去の記憶」によると「・・・2年留年して、4回生の終わり(1989年)に・・・日本共産党に、Mさんに薦められるままに入党した」「入党してまず驚いたのは、私が1回生の時には外部から見て少なくとも千人は居たと思われていた学生党員が、私が入党した時には3〜4人にまで減っていた事だった」

伊賀氏のいた大学は静岡大学である。4回生という関西の大学的な表現があるが、これは関西系のテレビ番組「パンチでデート」の影響と思われる。さて伊賀氏が1回生と推定できる1984年は学内に千人居た共産党員が1989年には3〜4人になっていたという。する1984年から1989年の間にカタストロフィーが起こったことになる。ただ1984年の千人というのは外部からなので共産党員も民青同盟員も区別がつかなくて一緒くたにした印象を党員になった後も引きずって共産党員か千人と言っているのかもしれない。でも三桁はいただろうから3〜4に人なっていたのならやはりカタストロフィーだ。ベルリンの壁の崩壊は1989年11月でソビエト連邦解体が1991年だからどちらも伊賀氏の入党後なので国際情勢はあまり関係ないと思うに。カタストロフィーと言っても集団の脱党があった訳ではないだろう。党員が沢山いた学年が卒業しても新入生からは民青同盟員や共産党に入る者がバッタリいなくなったのだろう。僕には急激な減少がなぜかというより、1984年ごろに千人ほど居たという方が驚きだ。左翼の退潮はもっと前からの印象がある。時期的にバブル景気が1987年から1990年なのでバブル景気の中で消えっていったがバブルが弾けても回復しなかったということか。また伊賀氏の先の書き込みのなかに「壊滅した自治会」という表現があったので、共産党員の急激な減少が原因で自治会が壊滅したのだろう。静岡大学は民青同盟の拠点校なので共産党・民青同盟員が千人居た時もあっただろう。ちなみに東北大学も拠点校でノーベル賞の田中耕一氏も東北大学在学中は民青同盟員であってそのころ東北大学にはやはり千人の共産党・民青同盟員が居たらしい。田中氏は1983年卒業なので、静岡大学も東北大学も1980年代前半には千人もの共産党・民青同盟員がいたことになる。言うまでもないが静岡大学も東北大学も現在の全学連参加の8大学には入っていない。

ところで学生運動華やかなりし頃東北大学と並んで民青同盟の拠点校と言われたのは名古屋大学である。しかし名古屋大学も8大学にはない。おかしいのはWikipediaの「全日本学生自治会総連合」の記事だ。JBpressの代々木氏の記事から「2012年現在で実際に全学連の活動に参加している学生自治会のある大学は8にとどまる」と書きながら、そのすぐ後に「愛知県学連には日本福祉大学や名古屋大学などの自治会が加盟している」と書いている。名古屋大学は全学連に参加していないのだから当然に愛知県学連にも参加していない。もし今も愛知県学連が存在するなら「日本福祉大学や名城大学」でなければおかしい。名古屋大学は全学連に参加している自治会はないが、理学部自治会は革マル派全学連の影響下にあるという。革マル派全学連は愛知大学豊橋校舎と名大理学部、全学連は日本福祉大学と名城大学、コップの中の背比べとはいえ拮抗している。

革マル派がでたついでに、愛知大学豊橋校舎学生自治会の革マル派支配が何十年も続いているのは驚異的だがその理由が分かった。同じWikipediaの記事に「同全学連の活動家は『全学連フラクション(ZF)』に組織され、さらに5年以上ZFで活動したものはマル学同革マル派への加入が認められる」と書いてある。マル学同とはマルクス主義学生同盟のこと。これみて何かおかしく思うだろう。大学は普通4年で卒業だもの。だからまともに卒業するものばかりならマル学同に加盟する者はいないことになる。つまり革マル派の活動家は始めから4年で卒業するつもりはなくて、5年生6年生になっても大学のサークルに居座るわけである。そうすると各サークルの最年長の先輩はみんな革マル派となる。文化系サークルとはいえやはり先輩のいうことには逆らいにくいのでサークルの指導権を握り続けることになる。そしてサークルをテコにしてサークル連合をさらに学生自治会を支配することになる。これは革命政党とはいえ世俗社会で生活している人かほとんどの共産党には真似できないだろう。

いろいろ書いたけど僕の感慨の中心は、一つの歴史が終わりを目撃することだ。学生のときも公務員のときも自分がある時代の中に生きているという感覚はあるが一つの時代通り抜ける感覚は無かった。そのくせ大学の先生の中に戦前の弾圧事件の被害者がいることに驚きを感じていた。そうした人は弾圧事件のあと第二次世界大戦の勃発と日本の敗戦そして占領下の民主化と日本共産党の再建と分裂と再統一と国政選挙での躍進を見てきたという歴史の目撃者の見本なのにね。また10年程度前なのに60年安保闘争を古い昔の話のように感じていた。でも60歳間近でリタイアして見ると高校の時GDP(当時はGNP)で世界第二位になった日本は中国に抜かれて第三位となっている。ずっと続くと思えたJapan as No.1はもう昔の話。こうして僕は歴史の始めと終わりの目撃者たりうることを知った。もちろん学生時代も公務員時代も世界ではソ連の解体など大きな歴史の終わりもあったけどそれは外国のことでピントこなかった。今回予想される全学連の消滅は日本の戦後学生運動の歴史の終焉として感慨ぶかいものがある。もちろん全学連の結成は生まれる前のことだからrise and fallを見たとは言えないがそれでも末期を看取った感じ。しかし「見るべきほどのことは見つ」からといって「もって冥すべし」とはならない。さしせまる国債破綻後の日本の再生(オーストリア学派的だけど)の歴史を見とどけたいと思う。