セレンディピティ日記

読んでいる本、見たドラマなどからちょっと脱線して思いついたことを記録します。

ここまでわかったこと

2005-04-30 23:20:09 | Weblog
「権力闘争の手段としての歴史認識」でロシアの10月革命のときにレーニンの武装蜂起に反対したのは、一人はジノビエフだが、他の一人はブハーリンではなくカーメネフであった。文の趣旨に影響しない事実関係だから直接訂正した。
しかしその前にも「吹かねども」の歌を蒲生氏郷の辞世の歌そのものと勘違いしている。おっと「魔邪」もあやまり、「魔」は摩擦の「摩」の「摩邪」であった。
書く前に調べて確かめるのが正しいのかもしれないが、資料を調べて確認とっていたら、書く時期を逸して日記で無くなる可能性がある。日記のようであり壁新聞のようであり、書いた責任もでてくるので、誤りが判明した段階で訂正することにしよう。
ついでに、この間まで、長い文章がいくつもこま切れで書き込んだが、それは新規投稿のサイトで長い文章を入れるとプレビューが消えるので、長い文章は一度に入れられないと思っていた。しかし最近プレビューが消えても投稿できることが判明した。

「やすくに神社」と「やすくに寺」

2005-04-26 22:59:00 | 社会経済
今まで書いてきたことをみると、僕が一方的に中国を批判しているように見えるけど、実はそうでもない。
問題は靖国神社についての小泉首相はじめ政治家の弁明。どうもおかしい。
役儀により言葉を改める。摩邪風で。
これ見よがしに靖国神社に参拝するチャラチャラした政治家ども、よく聞け。
ひとーつ!
「A級戦犯を祭っているというが、日本では悪いことした人も死んでしまえばもう追及されなく、みんな一緒に祭られる。靖国神社はそういう神社です。」ハア!?
靖国神社の前身は、長州出身の大村益次郎が創設した維新前の尊王攘夷活動の途中で死んだ志士たちを祭った招魂社だ。だが、孝明天皇からは忠臣と頼りにされた会津藩士は祭られていない。維新の功労者西郷隆盛も祭られていない。つまり、国のために亡くなった人はいい人も悪い人もといいながら、はっきりとした選択がされている。したがってA級戦犯が祭られていることはある価値観による選択の結果なのだ。もしも言葉どおり国を思ってそれぞれの立場で死んだ人を祭るのなら、会津藩士も、西南の役の反逆者も、浅沼稲次郎も山口一矢も、山本宣治も二二六の反乱将校も、幸徳秋水も三島由紀夫も祭るのが正しい。
「やすくに」は漢字では「安国」とも書ける。実は南北朝時代に、「やすくに神社」ならぬ「やすくに寺」が全国に建立された。それが安国寺。足利尊氏・直義兄弟によって南朝北朝双方の戦死者の祈祷場として立てられた。これを見習うがよい。

ひとーつ!
「靖国神社への参拝はもう二度と戦争をしてはいけないということを祈るためです。」ハア!?
東京自体通過ぐらいしか行ったこと無いけど、聞くところによると、靖国神社では兵器が飾ってある博物館があるそうではないか。それも戦争の悲惨を伝えるためではなく、きれいに飾られた兵器の大日本帝国戦争博物館みたいではないか。これは左翼雑誌からの受け売りではなく、「正論」等に載っている靖国神社の広告からだ。この博物館の展示意図と、小泉首相の言葉と整合するはずないじゃないの。

権力闘争の手段としての歴史認識

2005-04-26 21:58:42 | 社会経済
50年以上前の事の評価が何故現在の踏み絵になるのかと訝しがるあなた、あなたの感覚は健全だ。現在の問題はまず現在の問題として考えるのが当然である。
だが共産主義運動の歴史ではそうではない。敵と定められた人物、集団、国の過去の事績とその評価が、その敵についての攻撃手段になる。
1959年、保養地の盧山で数ヶ月にわたって行われた中国共産党の会議。毛沢東に個人的に面談できなかった彭徳懐国防相は、毛沢東に私信を書き、中国に多大な混乱と餓死者を出した大躍進政策への批判的意見を書いた。これに激怒した毛沢東は、この私信を印刷させ会議参加者に配布させ、批判するよう指示した。会議場において毛は、彭徳懐の過去数十年にわたる事績についてのべ、彭徳懐は3割は自分(毛)に同調してきたが、7割は自分に敵対してきた、革命運動に紛れ込んできた挑発分子だと批判した。他の会議参加者は、党歴の長い者ほど常に毛沢東と同調してきたわけではないのでわが身に矛先がこないよう彭徳懐の弁護をためらった。
かわってロシア。スターリンは党内闘争で、ジノビエフやカーメネフについては、10月革命の時にレーニンの武装蜂起に反対した過去を攻撃した。トロツキーについてはメンシェビキだった過去を攻撃した。
現在の問題に何故過去が穿り出されるのか。それは共産主義運動は一種の宗教運動で、敵対的な意見を持つのは、もともとから偽装した反革命分子だからという思考がある。民主社会では人々がそれぞれの問題にそれぞれの意見を持つのは普通のことなのだが、カルト的宗教運動では、意見が異なってきた人は、もともとサタン(敵対者)の手先が偽装して潜入していたということになる。

「吹かずとも」雑感・その結末(1)

2005-04-26 20:52:58 | 文化
山本一力さんのお世話になった社長の「詠み人しらず」の歌
吹かずとも 峰の桜は散るものを こころ短き 春の山嵐
を蒲生氏郷の辞世の歌だと書いたが、少し違うことに気付いた。
氏郷の辞世の歌は、
限りあれば 吹かねど花は 散るものを 心みじかき はるの山かぜ
してみると先の歌は、氏郷の歌を本歌取りして作った社長自身の歌だと思われる。