セレンディピティ日記

読んでいる本、見たドラマなどからちょっと脱線して思いついたことを記録します。

読書ノート:河村たかし「おい河村!おみゃあ、いつになったら総理になるんだ」

2006-09-30 21:37:34 | 文化
民主党の河村たかし代議士の本。この河村代議士、うちの会社(?)では評判がよくない。地元なのだけど。それはテレビで不自然なほど露骨な名古屋弁で話すためだけではない。それはこの前名古屋市長選に出馬しようとした時に職員の給料を2割下げるといったからだろう。制度上可能かどうかは別としても。地元の民主党県連からも推薦が得られず出馬は断念した。でも僕は河村たかしのファンだよ。
この本を読んで河村代議士の経歴がわかった。僕の記憶ではずっと前、「河村たかしです。宮澤派です」などといって選挙活動をしていた。経歴は春日一幸の元秘書ということだった。春日一幸という人は民社党の委員長もうやった民社党のドン。名古屋の中小企業者にたいしては一種のカリスマ性があった。民社党委員長だった塚本三郎氏も春日一幸の秘書出身で、名古屋市の衆議院選挙区が1区と6区に分かれたときに春日氏の地盤を分けてもらい衆議院議員になり春日氏の後押しで民社党の委員長にもなった。でも春日一幸氏が亡くなると、中小企業事業者は、これで民社党とのお付き合いは終わりと自民党に走ったため、塚本氏は落選した。その後塚本氏は自民党に入党したけど再び代議士にはなれなかった。
まあその後民社党は解党して新進党に合流していったから、もと春日一幸秘書だった河村たかし氏が宮沢派から出馬してもあんまり不思議ではなかったが、その後日本新党になり代議士になったのはオヤオヤと思った。でもこの本を読むとその経過がおもしろすぎるな。
春日一幸氏の私設秘書のとき、春日氏に春日氏の後継者になりたいと言ったところ、春日氏は、自分はあと1期で引退するから、自分の娘と結婚しろといったそうだ。でも河村氏はこのときすでに妻も子もあるので、丁重に断ったところ春日氏は憮然としたそうだ。その後あるとき春日氏と昼食をしているとき突然春日氏から「次の選挙は婿がやるので、お前は迷惑になったから、やめてくれ。秘書の辞職願と民社党の離党届をだせ」といわれた。晴天の霹靂で河村氏は唖然としたそうだ。ちなみにこの婿というのは春日氏の娘と結婚して名古屋市会議員をやっていた安井という人だ。この人も気の毒だったな。というのはこの人は国会議員になりたくないのに春日氏が亡くなったときに無理やり周りから衆議院選挙に出馬させられて落選した。その後市議会議員に復帰した。
さて秘書をクビになり民社党を追い出された河村氏は、たまたまそのころある名古屋市長選に出ることにした。そうすると、春日一幸氏から呼び出され、市長選挙にでるなといわれた。断ると、「民社党は河村たかしを除名した」という文書が千通以上も各政党マスコミに流された。民社党の記者会見の新聞記事では「河村たかしは民社党の裏切り者」とデカデカとでた。
その後、自民党に入党して宏池会(宮澤派)に入会した。しかし党公認はえられないので保守系無所属で宮澤派をうたい文句に衆議院に立候補したが落選。安井氏も落選した同じ選挙。その後宮澤派のあるひとから貴重なアドバイスをいただいて日本新党へ移ることになった。
そのアドバイスを本のまま書くと、「河村君、正直うちの派閥は保守本流、二世と役人の立派なところだ。はっきり言って、河村君ではやりにくいかもわからん。細川が新しい党をつくるらしいじゃないか。どうだ、あそこで心機一転、闘ってみたらどうかね」
うーむ、河村さん、昔から持て余されていたみたいだね。

読書ノート:小島毅「近代日本の陽明学」(講談社選書メチエ)

2006-09-18 17:51:40 | 思想
このノートを書く前にこの本についての他の人のブログを検索してみた。本の種類のためか読者家の人が読んでいるみたいだ。宮崎哲弥氏が書評で推薦していたらしい。これらのブログではその主張がかなり好意的に受け止められている。でも僕の意見はちがうな。
この本が面白くないというのではない。その文章にはいろんなトリビアが混ぜられていて、また文体にも一人突っ込みみたいな軽妙な部分もありおもしろい。
あらかじめ反・陽明学と公言する著者によるこの本には、王陽明自身の主張や論と日本の陽明学者の論との詳細な対比分析はない。
この本の主張は、水戸学の大義名分論と陽明学の純粋動機主義が結合したものが靖国神社の英霊観にあるとのこと。でもさ、著者だってわかっているはずなのだが、まったく朱子学的な大義名分論は、心外の義つまり外部的なイデオロギーとして、陽明学が本質的に拒絶するものだ。また陽明学はいわゆる過激な行動の「動機」を讃えるわけではない。第一に心の本性に従ったならば中庸な点で行動が定まるとしている。第二に陽明学では心に不純なものが入っていないかを常に追求する。そのためパフォーマンスとしての過激な言動や破滅願望的な動機は排除される。
だから結論を言うと、幕末において水戸学的朱子学的大義名分論を奉じた人物と、陽明学を尊んだ人物とは重ならない。ただ国学が2つのグループを結びつけたことはあるだろう。
なお三島由紀夫が陽明学者を演じている朱子学者だという著者の意見には賛成だ。

人生で必要なことは柳沢教授から学べる

2006-09-09 22:31:57 | 文化
マンガ喫茶でマンガ週刊誌の「モーニング」を見ると、なんとあの「天才柳沢教授の生活」が載っていた。これから1月に1回載るらしい。柳沢教授は5時半に起きて、何年も寝ていたような気がするがいつものとおりの睡眠時間だ、とおっしゃる。そう何年も寝ていたのだよ。でも柳沢教授は5時起きだと思っていたけど5時半起き立ったのだね。
あとから起きた妻や娘から、テレビで流された彼女たちの星座や血液型の占い内容を聞かれた柳沢教授は淡々とそれを伝える。
おや柳沢教授は第1級の知識人なのに、親鸞上人が嘆くように「かなしきかなや 道俗の良時・吉日えらばしめ 天神・地祇をあがめつつ 卜占祭祀つとめとす」とは嘆かない。
また経済学者だったはずだが、占いなんて非科学的なものを信じるなんてとなじらない。
これでよいのである。柳沢教授は他人の行動を批判しない。もちろん柳沢教授は占いを精神分析やマルクス主義と同じように科学とは認めないはずだ(たぶん)。でも科学ではないゆえに人生にとって大切なものもあることは柳沢教授もポパー教授も知っている。
だが柳沢教授はここで考える。なぜ人は占いに惹かれるのか?占いは当たるものなのか?なかでも不思議なのは妻も娘も夕方には占いの内容も忘れてしまって、当たったかどうかの検証をしないことだ。
そこで柳沢教授は自分にかんする占いをあたるかどうか検証する。しかし占いの内容自体には柳沢教授野の理解しにくいものがあった。
「人の言葉に傷つく」という予言があった。しかし柳沢教授は人の言葉で何かを発見こそすれ傷ついたことなどなかったのだ。そう柳沢教授は自分自身が自分の主人公の自立した人間であり、裏表のない人間だ。必要な忠告は取り入れ、ためにする罵倒や的外れの批判は無視するだけである。
「年下の言うことを素直に聞くと幸福がくる」という予言があった。しかし柳沢教授は「幸福がくる」という意味がわからない。柳沢教授にとって全て自分の行動の結果であってくるものではないからだ。さすが柳沢教授だ。全てを自分が受けとめている。ただ僕の意見では、行動と幸福は別物だと思う。白取春彦さんが「頭がよくなる思考術」で書いているように、行動の結果得られるのは「満足」で「幸せ」は偶然にしかえられない。また王陽明は良知による行いが全てで結果は重要ではない。もちろん正しい結果を目指すことが良知に叶っていることはいうまでもないが。
とにかく柳沢教授は検証のため占いの指示に従って行動する。そして路上で今夜に日本が沈没すると言う占いを信じたヒロミツという娘の彼氏と出会ったのをきっかけに自分にとって最高の瞬間とは何だろうと考える。それは何かを発見したときだ。
その夜、柳沢教授は妻から星占いによると妻と教授の相性は1000組に1つのよい相性だとうれしそうに言われた。柳沢教授もそのとき最高にうれしさを感じた。そのとき柳沢教授は発見した、人類は数千年にわたって太陽や星に意味を持たせることによってこうしたうれしさを感じようとしてきたのだ。

読書ノート:鯨統一郎「親鸞の不在証明」

2006-09-09 18:25:49 | 文化
この小説はちょっとした入れ子構造になっている。小説の大きな謎のストーリーの中に別の殺人事件のストーリーがあり、そこには別の探偵役がいる。
この本全体の主人公で探偵役は六郎太という陰陽師で時代は室町時代。彼は鎌倉時代の宗教者で浄土真宗の開祖の親鸞についてその実在を疑っている。師である法然の弟子達についての文献や当時の貴族の日記などにも親鸞の名前が出てこないからだ。蔵書の多いあるお寺を訪ねてそこにある文献を調べていると、偶然にも親鸞の子孫で浄土真宗の中興の祖である蓮如がそのお寺に立ち寄った。そこで六郎太はそのことを蓮如上人に問いただそうとするが、蓮如はそれよりもと、この寺に来る前に立ち寄った村での殺人事件の謎を自分が解決をした話を話し始めた。そんなわけでこの小説の大部分は蓮如が探偵となったある豪農の家での連続殺人に費やされる。それではこの本の書名はインチキではないかと言うとそうでもない。六郎太は蓮如がその連続殺人事件の謎を解けたのは、実は蓮如自身も同様な手口で親鸞像を創作したからだと断定する。
鎌倉時代の文献に親鸞についての記載がないことから、親鸞不在説は一時あった。だがこの小説の新趣向は蓮如が親鸞像を創作したということ。親鸞の著作も妻恵信尼の手紙も蓮如が作ったとのことだ。その説の前提として親鸞の名をよく聞くようになったのは最近になってからだということが小説中に話されている。
でもこの小説ではまったく忘れられているが、のちに東西にわかれる蓮如の本願寺だけでなく、親鸞の弟子を開祖とする浄土真宗系の宗派が蓮如が生まれる前からいくつもあったことだ。だから蓮如が親鸞像を作ったと言う説は大きなポカがあるわけだ。

読書ノート「秀吉の枷」の訂正

2006-09-05 21:18:49 | 文化
9月3日放映のNHK「功名が辻」を今日DVD録画で見ていたら、茶々がすでに秀吉の側室になっており鶴松という子をなしていたが、家康の息子の徳川秀忠は少年で茶々の妹のお江与とはまだ婚姻していなかった。だから先日の「秀吉の枷」についてのノートについての僕の思いつき間違いであった。でもたしかお江与は秀忠より年上で、しかも秀忠とは再婚だったとおもうから、浅井3姉妹の婚姻順序を確かめてみればまだまんざら全体として間違いではない可能性もある。。
今日の書きこみはこの訂正が目的。これ以上は、王陽明、カント、親鸞の3人についての本が待っているから。王陽明は芝豪「王陽明」上下の小説。大著で陽明の詩文などもふくめて読み甲斐がある。こんな伝記がほしかった。上巻を読み終えたが、ある事情でここ数日読む時間がなかった。
カントは「純粋理性批判殺人事件」。カントが探偵役となるらしい。
親鸞は鯨統一郎の「親鸞の不在証明」。タイトルを見て「さては?」と思った。今日少し読み始めて、やはり親鸞という人物は存在しなかったという江戸時代から明治・大正にもあった説と似ているみたいだ。なお言うまでもないけど「不在証明」とは犯罪学でいうところのアリバイのことだ。それをかけているのかな。