セレンディピティ日記

読んでいる本、見たドラマなどからちょっと脱線して思いついたことを記録します。

喪脚記 最後

2022-10-08 17:51:00 | 文化

先週の木曜日929日に退院して自宅に戻った。退院したのはメイトウホスピタルと言うリハビリテーション病院 だが、429日に救急車で運ばれてその後右足切断の手術を受けたのは第二赤十字病院だ。リハビリテーションのためメイトウホスピタルに614日に転院した。当初から義足を希望したので義足を製作してそれを操る体力を作るためにかなり時間がかかった。義足の作成費用は90万円ほどだ。健康保険でその7割か8割が戻ってきて、高額療養費もあるので、それほどはかからはずだ。しかし一度に90万円払うには貯蓄のない世帯が多いことを考えれば、義足作製に踏み切れない人も多いはずだ。それに入院期間も長くなるので入院費用も多くなる。僕の場合は5月以上かかったが、現役の人はそんなに休めないはずだ。だからメイトホスピタルで義足の人はほとんど見かけない。補装具の人がいっぱいいたが義足の人は誰もいない。お金と時間のせいかなぁと思ったが、107日に第二赤十字病院へ退院後初めて受診に行ったが、その時恐ろしことを聞いた。

107日の受診は退院後もっと早く受診に行くはずだったがメイトウホスピタルの入院が長引いて当初の受診予定日に行けなくてメイトウホスピタルから電話連絡して受診日を107日に変えてもらった。

第二赤十字病院の整形外科外来で応対したのは入院時の僕の主治医だった先生だ。そこで聞いた話は恐ろしい話だった。足を切断した人で義足にした人で杖で歩行してきたのは大変珍しく驚いた。ほとんどの人は義足にもならない場合が多い。足を切断した人はその他にも病気を抱えているので足を切っただけではその後の予後はよくない。ましてや70を超えているのだから大部分が亡くなられている可能性が多い。

なるほど、足を切断するにあって、深く切った方が良いので義足は諦めろと第二赤十字の医師が強く主張したわけだ。どうせ長くない命と思われたのかもしれない。

とにかく僕は生き残った。今要介護4度の認定を受け、障害者の認定を待っている。7月半ばに申請したのにまだ連絡が来ない。


喪脚記 その10

2022-07-04 22:58:00 | 文化

メイトウホスピタルはリハビリテーションが主要な業務だが、リハビリ室でリハビリの施術を受けメイトウホスピタルはリハビリテーションが主要な業務だが、リハビリ室でリハビリの施術を受けている人を見ても義足の人はいない。それ以前に片脚を失った人は見かけない。歩行訓練を受けている人はいっぱいいるが、そうしたひとでも足の外部に器具をつけているだけだ。
そんなわけで義足が珍しいのか6月29日に僕の義足の原型が届いて僕が取り付けをするときは、何人もの実習生が見学にきた。あまり見る機会がないのでよく見とくように、ということだろう。
リハビリの施術者に義足の人は他にいるのと聞いたところ、片脚をなくした人はいたが、その人は義足を拒否して家の中でも歩行器で暮らすと言うことである。その原因はたぶん義足の制作費が(僕の場合は)891,301円と高額な事だろう。もちろん健康保険の対象だから実際の負担はその3割あるいは2割と言ったところだろう。もちろん高額療養費の還付もある。しかし、全額を現金で業者に支払って後で健康保険に自己負担分以外を請求することになる。2割3割でも高額の出費なのに、891,301円をすぐに用意できる世帯は必ずしも多くない。僕の場合は危うく兄弟や親戚に借金するか家を売る契約をしなければならないところだった。
しかし僕は入院費用は余裕があった。というのは救急車で病院に運ばれた翌々日には証券会社に電話して、中日本興業の株200株を売り払って190万円という金を作っていたのだ。僕の趣味の一つは車に乗ってミッドランドシネマ名古屋空港で映画を見ること。でも片脚をうしなってはもう運転を出来ない。障害者用の車もあるかもしれないが、70歳の僕は運転免許証の返納がふさわしい。いる人を見ても義足の人はいない。それ以前に片脚を失った人は見かけない。歩行訓練を受けている人はいっぱいいるが、そうしたひとでも足の外部に器具をつけているだけだ。
そんなわけで義足が珍しいのか6月29日に僕の義足の原型が届いて僕が取り付けをするときは、何人もの実習生が見学にきた。あまり見る機会がないのでよく見とくように、ということだろう。
リハビリの施術者に義足の人は他にいるのと聞いたところ、片脚をなくした人はいたが、その人は義足を拒否して家の中でも歩行器で暮らすと言うことである。その原因はたぶん義足の制作費が(僕の場合は)891,301円と高額な事だろう。もちろん健康保険の対象だから実際の負担はその3割あるいは2割と言ったところだろう。もちろん高額療養費の還付もある。しかし、全額を現金で業者に支払って後で健康保険に自己負担分以外を請求することになる。2割3割でも高額の出費なのに、891,301円をすぐに用意できる世帯は必ずしも多くない。僕の場合は危うく兄弟や親戚に借金するか家を売る契約をしなければならないところだった。
しかし僕は入院費用は余裕があった。というのは救急車で病院に運ばれた翌々日には証券会社に電話して、中日本興業の株200株を売り払って190万円という金を作っていたのだ。僕の趣味の一つは車に乗ってミッドランドシネマ名古屋空港で映画を見ること。でも片脚をうしなってはもう運転を出来ない。障害者用の車もあるかもしれないが、70歳の僕は運転免許証の返納がふさわしい。

喪脚記 その9日 義足の作製

2022-07-04 22:55:00 | 文化

6月22日水曜日に義足のかたどりをした。その1週間前の15日にも右脚の残った部分の採寸をしていったがそれはかたどりの準備をするためのもののようだ。義足の業者は毎週水曜日がメイトウホスピタルを訪れる日としてるようで、次週の水曜日6月29日が義足の原型をもってくる日だ。

義足のかたどりは石膏を使う。でも石膏の水槽に脚の残った部分を沈めるわけではなくて、石膏を含んだ包帯みたいなものを脚と腰にぐるぐる巻きにする。まるでミイラのようだ。乾いて固まってからハサミで縦に切り切り目を入れて取り外す。言うのを忘れたが最初にサランラップ(みたいなもの)を巻いてからその上に石膏の包帯を巻くので石膏は直接は肌に触れない。義足の原型はソケットと呼ばれる。きっと残った脚の部分を差しこむからだろう。

この病院のリハビリは毎日180分土日も休みなく行っている。体の失われた機能を回復というリハビリではなく、新たな能力を鍛えるという感じ。片脚のない状態の平衡感覚や、義足を使う筋力をつけること。

義足は85万円、カバーを含めると90万円になるそうだ。国民健康保険が使えるが、いったんは全額支払ってから、あとで区役所に請求することになりそうだ。


2022/06/20

2022-06-20 05:25:00 | 文化

喪脚記 その8  メイトウホスピタル


6月14日火曜日に転院した。新しい病院は名東区のメイトウホスピタルだ。一応第二日赤病院で治療は終わっているのでこの病院ではリハビリが中心となる。第二日赤でもリハビリの訓練はしたが1日1時間だった。ここでは1日に4回20分から60分のリハビリの時間がある。土日も休みなしでリハビリの時間ごとに理学療法士とか作業療法士とか担当が違っている。

食事は第二日赤ではうす味だが、メイトウホスピタルでは街の食堂のような味。

第二日赤では看護師は白色だがメイトウホスピタルではカラーである。まるでスタートレックの宇宙船の乗組員の制服のようだ。

転院した翌日に義肢を作るための採寸をした。来週つまり20日から始まる週に義肢の元型ができてそれから調整がはじまる。

うまくフィットするものができても使いこなすにはまだまだ時間がかかりそうだ。ひとつには右脚のあった時の感覚が抜けきらず身体の重心が取りづらいことと、義肢を使いこなす新たな筋力ができないといけない。また今右脚の残っている太もものむくみが減ってしまらなければならない。7月10日の参議院選挙までには家に帰れないなあ。でも第二赤十字病院から7月27日に第二赤十字病院に受信するように言われているので、その頃には自宅に帰っていると医者もみているのだろう


喪脚記 その7

2022-06-05 15:50:00 | 文化



僕の1ヶ月を超える入院は同室の患者に比べてもだいぶ長いようだ。でも僕が重篤というわけでなく退院する人々よりも確実に元気だ。僕の入院期間が長くなるのは僕の病状(?)に特長があると思われる。よく手や足を失った人が、無いはずの手や足や足があるような感覚がするという。僕の場合がそれで、切り取った足がまだあって地に足が付いている感覚がすることがある。こ無い脚の部分が傷んだりしびれたりするのはいつものことだ。

問題なのは右脚が今でもある感覚があるので、うっかりその感覚に基づいた行動をしてしまうことである。ある時寝ぼけていたので車椅子に移る特、右脚が地面を踏んでいるように思い込み左脚を出してひっくり返ってしまった。右脚の切り口が地面に触れた気がしたが、さいわい出血もなにもなかった。こんなわけで僕が車椅子に乗るときは必ず介護がいる。だから偽の感覚がなくなるまで僕の退院は無いかもしれない。

ただ医療処置はもうないので、リハビリのための次の施設が空き次第そちらに移されそうだ。義肢ができて、それに慣れて日常生活に支障なく暮らせるようになるのはいつか。