セレンディピティ日記

読んでいる本、見たドラマなどからちょっと脱線して思いついたことを記録します。

伝説の助役、伝説の副市長

2013-02-28 22:50:11 | 名古屋

住田副市長が市長選にでないことになったね。実は僕はこうなることを予想していたと言えば信じるかな。つまり住田副市長は市長選に色気は持っていたが、自公民の3党こぞっての推薦が条件だが結局公明党がまとまらなくてボツになることさ。まあ書いておかなかったので証拠はないが、とにかく当然の理屈としてでも後付けの解釈にしてでも解説しよう。

住田副市長が市長選に色気を持っていたのは副市長を3月31日で辞任すると表明した時にわかる。市長選に出るのかという記者の質問に「今は副市長の職務を果たしたい」とはっきりと否定しなかったことだ。市長選に出る気がないのなら「その気はありません」ときっぱり否定したはずだ。おっと同じ否定でも「○○%ない」と言うのは信じられない。「○○%」というのは客観的予測の形だから嘘をついた罪悪感が消せる。想定外のことはよくあるからね。でも「その気はない」とか「その意志なない」というのは嘘をつくという罪を犯す覚悟がいる。だから嘘をつけない実直(意外に公務員に少ないけど)な公務員の住田副市長は否定できなかったのだ。

それから3月31日の退職も市長選出馬に可能性を残している。つまり市長任期まで副市長を勤めると、市長任期満了前30日以内に施行される市長選に出られなくなる。副市長は辞職する20日前までに市長に辞職願を出して市長の承認を受けなければならないから、市長が承認しなかったなら困ったことになる。もちろん立候補の権利はあるので市長選に出場して副市長失職ということも可能かもしれないが、そんなゴタゴタは絶対に避けたいだろう。だから市長任期まで副市長をやる姿勢なら市長選に出馬はないとみられる。

3月31日は市役所の定期人事異動に合わせたという。替わりの副市長を局長クラスの定年退職者から任命できるというもの。もっともな配慮にみえるがあまり意味のない気がする。あまり意味がないと言う理由は、一つは選挙後に市長が外郭団体の役員になっている者から副市長を指名しても良いと思うし新しい人が市長になる可能性も考えるならばそのほうが合理的だ。また住田氏自身の場合と同じように定年前の人の抜擢だって可能だ。

二つ目は、政令市の副市長は3人までおけるが今は2人いるだけ。民間人枠にした1人分が空いている。だから退職者から1人副市長を補充しながら住田氏もしばらく副市長のままでも支障がない。むしろ引継ぎを考えれば暫定的に3人体制のほうがよい。

では市長選に色気があった住田氏はなぜ出馬しなくなったのか。それは新聞報道どおり公明党が推薦しないからだ。信じるか信じないかは勝手だけどここまで僕の予測どおりだ。自民党は言い出しっぺだから当然推薦する。民主党は以前には自民党と首長選挙で相乗りしないと言う方針があったがそんなのは霧散したので推薦する。しかし公明党は市会議員個々人では市役所共同体に巻きこまれているから反河村で住田氏を支持したいが、影響力の極めて強い地元の創価学会が「河村さんでもええがや」と言ったら住田氏を支持できない。

だいたい名古屋市役所幹部は伝統的に「(共産党は別として)全ての会派の推薦があれば市長選に出るが、そうでないならダメ」の人がほとんど。これは名古屋市役所幹部にはほとんど調整型の受け身人間ばかりで政策発進型の人間はあまりいないからだ。言い換えれば口まで運んでくれれば食べるけど自ら火中の栗を拾うことはしたくないということだ。まあ何かやりたいことを出してこれを支持してくれる政党なら推薦を受けるというようなアクティブな人はそもそも役所組織で幹部になれない。あ!いや昔、大山とかいう公害対策局(今は環境局)長とか農政緑地局長をやった人がいたな。汚職で退職したけど、本人は雑誌に京大閥と名大閥の争いに巻きこまれたようなことを書いていたが、出る杭が打たれたようにもみえる。オット話が脱線した。

でも逆にこれがやりたいから出馬するので推薦してくれと各党に要求する市幹部がいたら各党は引いてしまうだろうね。とくに民主党は「何かやりたい人」は河村市長でだいぶ懲りているはずだ。歴史的に市幹部出身の名古屋市長が多いのは市役所共同体での(利害の)調整型が求められているせいだろう。住田氏は能吏でありながら、いや能吏だからこそイコール調整型で政治家型でない。だから調整困難な党派対決はもう嫌だろう。それで市長になりたいせいでなくても副市長を辞めるのだろうと思う。自公民三党まとまれば市長選に勝てる可能性があり勝てば市長を失った減税名古屋は失速するから問題でなくなる。だから公明党の支持は絶対不可欠だった。

ところで以前に「住田副市長は特例の人」と書いたけど40年近く前にも「特例の人」の助役がいた。僕が名古屋市に就職したのは1974年でその前年の1973年に革新の本山市長が誕生した。お!ご明察。革新市長の誕生で組合の人員要求から多く職員を採用したのだ。でも言っておくけど僕はギリギリの成績で入ったのではないよ。もちろんトップクラスではないけど。でその時の助役が浅井助役と今城助役だった。新規職員の研修の講演は今城助役だった。今城助役は革新市長に強い敵意を持っていて講演でそれをぶちまけておりビックリした。でも今城助役は関係ない。すぐやめたし。「特例の人」というのは浅井助役だ。住田副市長は定年前に下級の理事から副市長に抜擢されたという点で異例だが、浅井助役はたしか給仕の身分で名古屋市役所に入り在職中に高等文官試験に合格したという人だ。高等文官試験は後の国家公務員上級試験や一種試験で東京帝大法学部なら大概受かるがそれ以外はほとんど受からないというもの。

浅井助役は人望もあり本山市長の2期目の市長選挙のとき自民党から市長選挙出馬の要請があったが「助役として仕えた本山市長とは争えない」として固辞した。かわりに自民党から推薦をうけて出たのが教育長の日比野氏だ。本山氏と日比野氏。何れも 地下鉄の駅名とおなじ苗字だ。かくして当時は東山線と名港線(?ひょっとしたら当時は名城線かな)の対決と言われた。勝ったのはもちろん本山氏だ。

浅井助役も本当は勝ち目を考えての結論かもしれないが当時は美談と思われた。浅井氏は助役退任後に名古屋市博物館長を務めた。住田副市長は僕と同じ年齢だが途中採用だから助役時代の浅井氏は知らないかもしれないが市博物館長の浅井氏については元助役の大物館長として名前を聞いたかもしれない

浅井氏は「伝説の助役」。そうすると住田氏は「伝説の副市長」になるのか。住田副市長はこのあと市博物館長になったら面白いのに。


レジューム・チェンジ

2013-02-25 17:11:00 | 社会経済

くにさん、私の2012年2月16日のブログについて先日コメントで中国製品の日本についての他国におけるよりより強い影響力についての実証的有益な資料を教えてくれてありがとう。いわゆるデフレと中国国製品との関係は無職で週に何日もスーパーやホームセンター100円ショップに出かけている自分には実感できるものです。

さて今発売中のVoice3月号にはジム・ロジャーズの「日本は金融緩和をただちに止めよ」というインタビュー記事のタイトルの他にもうひとつ「そのとおりだなあ!」と感心したタイトルがついたコラムがある。それは飯田泰之氏の「『レジューム転換』としてのアベノミクス」だ。確かにアベノミクスにより財政破綻がくれば政官癒着と既得権益の戦後政治経済体制の体制変換(レジューム転換)が起きる。それこそ僕の待ち望むものだ。

もちろん飯田氏の言っている意味が違うことは百も承知している。飯田氏の言うレジュームとは経済政策体系のことだ。安部首相の発言にもこの「レジューム転換」という言葉がよく出てくる。多分もとは中野剛志氏(京大准教授から経産省に復帰)からだろう。中野氏の本には、今までデフレになる政策ばかりやっていた(デフレ・レジューム)からデフレから抜け出せなかった。だからレジューム・チェンジ(レジューム転換)してインフレ・レジュームにしなければならないというもの。

でもなあ、その後いろいろお説が出てくるのだけど、ここから入るのはマインドコントロールの手法で騙そうとしていると警戒してしまう。イヤイヤ中野氏には騙そうという意識はないだろうがそれはカルト教の信者の布教者も同じだ。

マインドコントロールとはこういうことだ。占い師なり教祖なりが病気か事故で不幸にみまわれて相談にきた人に「あなたは不幸になることばかりやってきたから不幸になったのです」と言ったらどうだろう。自己に原因があるのではと思うような罪悪感の強い人がたいていは納得してしまうのではないか。いや俺なら席をけって帰るとあなたは言うかもしれないが、そんな人はもともと相談にいかない。まあ占い師ではない僕なら「たまたま不幸な出来事が起こったがそれを現在未来に持ち運ぶのはあなたの心だ」とマインド・チェンジを勧めるね。

話は戻って飯田氏のコラムの主旨は、安部内閣になってまだ具体的な経済政策は行われていないのに円安になり株価もあがった。飯田氏は口には出さないが、健全な判断力の人なら「何もやらないのに円安になったのだから経済金融政策は関係ないのでは」とか「今まで(前政権)の政策の効果が遅れて出てきたので政策変更は不要では」と考えるかもしれないことを念頭においてそれらを否定しようとする意図がある。ここで飯田氏は「期待」とか「予想」の重要性を強調する。「政策に関する基本姿勢(レジューム)が変わったと受け止められたならば、政策の実施を待たずして、実体経済は大きく変化する」と書いている。

飯田氏はどうか知らないがリフレ派の人は「インフレは貨幣現象」とか「為替は金融政策の違いの結果」とドグマを掲げるが実体と齟齬かでても「期待」とかを持ち出すので反証できないなあ。おっとこれって反論できないからまいったといっているのでないよ。リフレ理論は擬似科学で科学ではないから理屈での駆逐不能だと言っている。これは僕にとって不利ではない。そういう誤った考えの人たちがいるからこの世で相対的に自分が有利になれるもの。

ところで飯田氏は「1970年以降、経済学研究では、『期待』『予想』が重視されるようになった。現在の経済学では、足元の貨幣量や政策よりも、『将来どのような政策が採られるか』『金融緩和政策はどのくらいの期間継続されるのか』が資産価格や企業行動に決定的な影響を及ぼすと考えられている」と書いている。でもアメリカのアカデミズムの世界では1970年以降かもしれないが、世界の経済史ではそれ以前から「期待」や「予想」か非常に重視されることがあった。それはバブルの中でだ。チューリップの球根に馬車1台と同じ価値があると思うかい。もちろん大金持ちの園芸家が特定の球根に大金を払ってでも欲しいと云うケースはありうるがそれは市場価格ではない。ただバイヤーがより高い値で売れるという「期待と予測」で売買したのだ。しかしバイヤー間の「期待と予想」のキャッチボールは根拠のないものだ。やがてバブルは破裂する。日本の土地バブルもそうだ。土地は値下がりしないという「期待と予想」で土地は値上げした。でもその値段で買って建てたアパートの家賃で元が取れるのか。その土地の地代に見合う営業収益が出るかが本当の購買者の決め手となる。だからバブルの破裂は必然だ。だけどバブルの中にいるとこんな高いのはおかしいと思ってもバイヤーの「期待」と「予想」が有る限りまだいけると思のだ。

1970年以降アメリカのアカデミズムの経済学研究で「期待」と「予想」が重視されるようになったのは、アメリカがドルと金の交換を停止してドルを垂れ流すようになったため経済が金融経済化するとともにギャンブル化したため。

思えば株式投資もギャンブルだね。「期待」と「予想」に満ちている。ある企業が画期的な製品を計画しているという情報が流れる。そうすると株価は大きく上がるね。株を買う人がいるから上がるのだけど、その企業の将来の業績が上がるから今買おうというまともな人はホンの少数。多くは「業績を予測して買う人」が出てくることを予測して買う人と「『業績を予測して買う人』が出てくることを予測して買う人」が出てくることを予測して買う人ばかりだ。でも親亀こけたら皆こけるぞ。

バブルの中にいると「期待」と「予測」が重要と思えてくる。だから飯田氏は「あれ?いま俺は何を言っているのだ。千古不変のバブルの時の合言葉ではないか」と考えてみることだ。

なお円安が進んだのは前に書いたけどユーロ共同債で欧米経済が小康状態になりドルが避難先の円から回帰し始めたのと、もちろん安倍内閣への期待もある。もちろんその期待は日本が財政破綻に一歩踏み出すというもの。


僕が余分にお金をもてないわけ

2013-02-20 21:32:24 | チャングム

あ、そうそう14日の確定申告の内容報告が中途半端だな。結論からいうと源泉徴収税額の全額の59496円が戻ってくるはずだ。源泉徴収税額の内訳は、投資信託配当から27808円、株の配当から13657円、共済年金から18004円だ。

でも総所得金額より控除額が大きかったわけではない。課税所得金額が228000円ありそれに対する税額は11400円だが配当控除が39373円あり差し引き所得税額か0円になったためだ。今年は母親の配当所得が少ないため同居老親の扶養控除ができたことと母親と自分の医療費を合わせて医療費控除額を受けられたのもよかった。また母親の確定申告も同時に提出したがそれは16624円の還付になる。

ちなみに医療費の領収書の金額は僕のほうが大きい。毎月処方されるアトピーの漢方薬が高いからだ。オムツ代を含めると母親のほうが大きいかもしれないが医師の証明書がいるからその分は申告しなかった。でも還付税額には変化はない。

2月中か3月始めには還付税が振り込まれると思うが4月から7月は大変お金に苦労するかもしれない。4月には固定資産税が20万円以上払わなければいけないし、6月の市県民税の納税通知もかなりだろう。所得税は還付になっても市県民税は控除額が低いのに税率が所得税より高い。それに配当からの源泉されている税額が小さい上に配当控除が小さい。そして勿論今年から共済年金が所得に上乗せされるが市県民税の源泉はされていない。去年までは還付でも今年はまとまった額の請求がくるだろう。でも問題は7月の国民健康保険料の本算定だ。非課税世帯でなくなるし市県民税税額の2倍以上が保険料に加わる。市県民税を計算すれはだいたいの額がわかるが市県民税の計算する気はない。確定申告すると決めたのだからジタバタしてもしょうがない。まあ生命保険料控除額とか配当控除とか10%減税とかめんどくさいからだけどね。

だから所得税の還付金はウッカリ使えない。実はグッドニュースⅡのお金は220万円ちょっとだけど株の購入は200万円以内で済んだ。だから20万円残っているのだ。そこで今月は2か月に一度の共済年金の支給月だから合わせて花王株を100株ぐらい買い増そうかと考えていたがそうはいかない。次々とお金の出先が現れた。突然損保会社から連絡で1月28日に引き落とし予定だった年額の自動車保険料が落ちてないから2月に引き落とすといってきた。すっかり忘れていた。アジア好配当株式ファンドの奇跡の配当から毎月月末に引き落とされる金額を計算して銀行口座に入れておいたのだが一年に一度の自動車保険は忘れていた。それにテレビで見た金属でも切れるデュアルソーという電動ノコギリをカード払いで買ってしまった。その上年払いの雑誌購読料がこの一二ケ月に3つぐらいある。

及時雨(kyujiu)というのは必要な時に雨が降るという経験と下級地方役人出の反逆者(水滸伝の宋江)からのペンネームだけど英語でいうならjust in time。つまり余分な在庫を持たないという意味もある。だから手持ち金がいつも乏しいわけだ。

そうそう年金のほかに投資信託が同じくらいあるのにお金が残らないのは、通販好きと流動性選嫌からの投資性向のほかに、サプリに毎月5万円ぐらい使っているからかだろう。


スキャナー故障で自炊中止

2013-02-19 20:30:07 | Weblog

昨日突然にスキャナーが故障した。機種はエプソンのES-D200だ。解体した雑誌をスキャナー中に突然停止した。電源が入らなくなったのだ。スイッチをパチパチしても別のコンセントに変えても電源が入らなかった。何だか電化製品の内臓ヒューズが飛んだ時と似ている。でも分解できないので分からない。雷が落ちたわけでもない。また連続して過度に使ったわけでもない。午前中は何冊かスキャナーしたがその後映画を見て食後に雑誌のスキャナーをし始めて十数枚スキャナーしている時に止まったのだ。

さっそく今日車でヤマダ電気まで持っていった。保証書の買い上げ日は23年1月31日で1年間の保証。だから今では修理費がいることになる。ヤマダ電気によると取次料に1500円いるという。これはメーカーの修理費とは別でメーカーの修理見積りの金額により修理をやめても払わなければならない。そんなわけで今日1500円を払って修理を依頼した。

ヤマダ電気の人の話では2週間かかるという。あれ?「2週間」ってよく聞くな。通販を電話で申し込むと「お届けに2週間かかります」とよく言われる。以前に書いたけど年金事務所でも証明書の交付に「2週間かかります」と言われた。でもいずれの場合もすぐ届いた。これはもっと早くできる場合でも余裕をつけて「2週間」と言っておけば早くなっても喜ぶことはあっても怒る人はいない。だけど2週間をこえた日数を言うとその段階で「もっと早くできないか」というクレームが出るという心理学の研究結果があるのかもしれない。

かくして当分自炊は中止だ。これは自炊した本を少しは読めという神の導きと思おう。

そうそう前のブログで名古屋北税務署に「確定申告は2月13日から3月15日」という垂れ幕があったと書いたが18日を13日と読み間違えたかもしれない気がしてきた。というのは先日愛知県美術館の「クリムト展」に行ったとき絵画の横の説明文がよく見えないに驚いた。車でも交差点の場所の表示がよく読めない。老眼かなとも思うが書店に商品の老眼鏡の見本がいくつかあったがどれをつけても反って見にくかったので老眼とも判断がつかない。もともと僕の視力は変則で左目が1.0のとき右目が0.1だった。本を読むには不都合がなかったどころかこれが便利という気がしていた。でも視力自体が落ちているのは確か。ブルーベリーのサプリも飲んでいるのにね。


自炊および確定申告並びに流動性選嫌

2013-02-16 23:04:19 | Weblog

ずっとこの頃自炊に淫しているという状態で際限なく本を解体してはスキャナーにかけている。テレビを見るときも本を解体しているかスキャナーにかけている。考えてみるとこれではこれ以後人生の終わりまで家では自炊ばかりしていて本を自炊したものも含めてほとんど読まずに死んでいくことになりかねない。そこであえて意識的に時間を作り他のこともすることにした。それで今日の午後はブログの作成。

昔は図書館みたいな家を作って住むのが夢だった。でも退職して家を作ったが母親もいるのでそんなわけにはいかずタマホームに頼んだこともあり普通の家だ。大きくはなく奇抜でもないがユニークで洒落た外装で退職した下級公務員の家としては上出来と満足しているが将来は内装等で本棚を作る改装も考えた。当面は据え付けの本棚の代わりに天井まで天板を伸ばして固定するシーリーング方式の本棚を20本ぐらい組み立て幾つかの部屋や廊下に置いた。

でも今はほとんどの本棚を撤去することを夢見ている。つまり幾つかの図鑑などの他はすべて電子書籍化して物体としては存在しなくなるのだ。もちろん立派な装丁で内容も深くまた希少な本もある。市場に出せば高く売れるかも知れない。でも全然惜しくない。マルクス経済学者なら社会的総関係の結果としてもその本という商品に価値が人の意識をこえて客観的に存在しているだろう。でも僕にとっては僕と本の内容との関係でしか価値は存在しない。読まれないまま形をとどめて何十万円という値がつく本は僕にとっては無価値だが、電子化して読みやすくなって読むことの出来た本は価値が計り知れない。ウーム、オーストリア経済学的だな、陽明学的でもある。

さて毎年この時期には確定申告のことを書いている。主として自分のための備忘録だがひょっとしたら他の人にも参考になるかも知れないので毎年書いている。それで今年も書こう。

木曜日つまり2月14日に税務署に確定申告書を出しに行った。毎年言っているように還付申告は確定申告期間以前でも出せるので14日にした。実をいうと13日午前中に作成してその日の午後までに持っていくつもりだったのだが、インターネットの国税庁のホームページを利用しての作成がうまくいかない。ホームページの案内によりうまくいかないときの処置をして見ても変わりない。去年は問題なく出来たのにどうしたことだと思っていたらパソコンのインターネット画面の下の方にいつもでてくる四角い囲いのなかに「ntaの何とかをストップしているが『一回だけ許可する』とか『ずっと許可する』」と出ているではないか。去年富士通のテレビ機能つきデスクトップパソコンに変えたので去年の今頃にはなかったパソコン側の機能のせいだ。ntaは国税庁の英語の略語と思われるので早速『ずっと許可する』をクリックしたら正常に動いた。この富士通のパソコンはこの他にも立ち上げるときに「F-Launcher」なるものが出てくる。いずれも有益な機能があるのだろうが僕にとっては立ち上がりを遅くしているだけにしか思えない。え?「説明書を読めばいい」って。ところがそうしたことができないのが僕の性質。とにかく行動するという志があってあとは行動の中で学んでいくのだ。陽明学的でもありオーストリア経済学的でもあるな。

話は飛んだがともかくも予定の13日より1日遅れで確定申告を名古屋北税務署に持っていったが、アレ?と思うことがあった。税務署の垂れ幕には「確定申告は2月13日から3月15日」と書いてある。一ケ月が確定申告の期間だと思っていたので3月15日が期限なら始まりは2月16日となる。今年の2月16日は土曜日つまり休庁日なので次の開庁日の月曜日の18日か直前の開庁日の15日の金曜日になるはずなのに。なんで13日かと思っていた。ところが家に帰ってニュースを見ると確定申告18日からという。国税庁のホームページをみても18日からだ。名古屋国税局のホームページをみてもわからない。ひょっとしたら13日から確定申告の相談はするが書類を受け付けるのは18日以降で、相談で受け取ったものは18日まであづかりにして18日に受け取ったことにするのかな?

ともかく13日から始まっていたとしても確定申告の受け付け会場は名古屋北税務署ではなく別の会場だったので税務署は駐車場もすいていた。そして提出だけとして税務署の3階で受け付けてもらった。

さて昨年までと違う今年の僕の確定申告の特長は配当所得の申告方法を考えなくても結果として住民税は必ずかかってくるということである。去年までなら確定申告の配当所得の仕方で所得税の還付は多くなっても住民税が課税になり国民保険料も多くなって結局は損ということがあった。ところが今年の場合は24年中通して共済年金の支給があったため配当所得の有無にかかわらす住民税は課税になるのだ。共済年金は一昨年からだが一昨年は年の途中からなので所得としてはゼロだった。

それでも配当所得の源泉所得税や配当控除や住民税のそれらを細かく計算すれば最も有利な申告方法が出てくるかも知れないが、今年からはそんな面倒な計算はしないで所得を総申告することにした。それが僕の僕なりのリバタリアニズムなのだ。リバタリアンと思われる橘玲(たちばな・あきら)さんは「橘玲の世界は損得勘定」なんて言っている。また僕は源泉徴収制度に賛成だが多くのリバタリアンは反対みたいだ。とすると僕はリバタリアンでないのか?でも僕にすれば損得勘定に囚われすぎると自由じゃあなくなる気がする。金銭にも囚われない僕は仏教的リバタリアンと名乗った方がいいのか?それとも「野に咲く花」の教えの信奉者だからキリスト教的リバタリアンなのか?まあハッキリいえるのは陽明学徒にしてオーストリア経済学徒でありたいということだ。

それで総申告すると決めた僕は、共済年金と株式配当と投資信託配当の他に生命保険会社からの拠出型企業年金(雑所得)と生命保険の据え置き金の利息(雑所得)と生命保険の無事故給付金(一時所得)までのせた。

拠出型企業年金は昨年から月5万円ぐらいを3ケ月ごとにまとめてくれる。ただ支払った保険料が必要経費になるので所得になるのはそう多くない。

生命保険の据え置き金の利子というのは満期になった生命の据え置き金が60万円ぐらいあったがお金に困ったとき生命保険会社のカードを使ってコンビニにある自動支払機で引き出していた。もう無くなったが何とかなったのはいつもの通り。例えば5万円引き出すと後で生命保険から通知がきて5万円引き出したそのうち50円は据え置き金にたいする利息なので雑所得になると書いてあった。それが何回もあるが利息の合計は989円で千円に満たないがそれでも申告した。

生命保険の無事故給付金は2万5千円あったがこれも申告するにはしたが一時金なので控除額50万円以下なので所得としては0円。税務署の人は「正直な人」と思うか、それとも「無駄に仕事を増やしやがって」と思うかな。

ところで今年の特長はまた別の点でもある。24年の投資信託の配当所得が23年よりもかなり少ないことだ。毎月分配型だから口座に振り込まれる分配金は変わらない。いや源泉徴収税が引かれないことが多いから口座に入るお金はすこし多い。つまり24年は元金の取り崩しの特別分配金が多いから配当所得に当たらないものが多かったわけだ。これは総所得だけで無く他の面でも影響した。

母親は僕と同じ投資信託を持っている。だから昨年の10月ごろ共済組合から翌年の共済年金の扶養申告を求められた時扶養無しで申告した。所得が38万円以上あると被扶養者にできないからだ。もちろん投資信託は確定申告しなくてもよいし確定申告しなければ源泉徴収税で課税関係が終了するので所得が無いのと同じで被扶養者にできる。でもそうなると僕は扶養控除がつくが母親は還付されたかも知れない税金がもらえなくなる。とすると他の人の権利を侵害して自己の利益を図るというリバタリアンにとっては許し難い行為となる。

そんなわけで母親を被扶養者にできないものと思っていた。ところが投資信託は昨年24年では元本崩しの特別分配金(所得でないから非課税)が大多数で利益からの分配金はほんのわずかだった。これだと母親の投資信託に自動販売機手数料と国民年金(所得としては0円)を足しても38万円には満たない。かくして僕は母親の還付確定申告書と母親を同居老親という高い金額の被扶養者にした自分の還付確定申告書をつくり同時に税務署へ提出した。

ちなみに僕の持っている投資信託はブラジル・ボンド・オープンとニッセイアジア好配当株式ファンドだが昨年はひどい成績だった。とくにブラジル・ボンド・オープンは投資雑誌に名目の利回りと実質の利回りの差が大きいものの第一にあげられていた。毎月の分配金は10000口で120円だから1年で1440円。10000口を10000円で買った人は14.4%の利回りになる。それが表面の利回り。でも元本が減っているので本当の利回りはマイナスとのことだ。ブラジル・ボンド・オープンは基準価格が去年は8000円を下回ったこともある。でも12月ごろから上向いて今は9500円ぐらいになっている。では今現在僕は儲かっているのだろうか?それが分かりやすいようで分かりにくい、いや分かりにくいようで分かりやすいのかもしれない。証券会社は3ケ月毎に報告書をくれる。それには「取得コスト」と「ご参考価格」という多分現在の価格が書いてある。その差額に口数をかけたものが「ご参考損益」だが、「取得コスト」が毎回違っている。思うにこれは購入時の価格(と手数料)から受け取ってきた分配金を差し引いた金額になっているのではないか?以前の報告書では「取得コスト」が10000円を越していた。そうすることによってネットの評価損益が分かるのだろう。ちなみに1月に届いた報告書では12月28日現在で「取得コスト」は8842円で「ご参考価格」は8659円で10000口あたり183円の差がある。それに10,800,000口/10,000口をかけると-197,640円で報告書の「ご参考損益」と合致する。今日(1/15)の基準価格は9501円だからかなりの利益が出ている可能性がある。

もうひとつのアジア好配当株式ファンドは元々元本か少ないから毎月の分配金も9000円程度なのであてにしていなかったが今年1月の分配金がいつもの25倍だったのはこの前書いたね。

エ?アベノミクスのおかげだって?オイオイこれらの投資信託は海外の経済に左右されるものだぜ。昨年ギリシアやスペインの財政危機に端を発する欧州の経済危機はギリシア国債などをEU共同債に統合することでギリシアのデフォルトを回避したので落ち着いた。その結果EUに輸出していたアジア諸国の経済やアメリカ経済も安定したわけさ。そのため危機を避けて円に避難していたドルやユーロが元に回帰しだしたのさ。だから安部首相の出現だけが円安の原因ではない。これが吉か凶かはわからない。でもユーロ共同債だなんてねえ。リーマンショックのときリスクの高いサブプライムローンを優良なプライムローンと混ぜこぜにして証券化してリスクを判らなくしたのがいけなかったと言ってなかったっけ。教訓と言うのは必要な時にはいつも忘れられるものだね。

ところで今出ているVoiceの3月号のインタビュー記事で投資家のジム・ロジャーズが「日本は金融緩和をただちに止めよ」と言っているね。僕は「金融緩和行け行け」の方だけど認識は同じだ。でもそうした一般論とは別に投資家として日本株を買うそうだ。金融緩和するといつも株価は上がるからだそうだ。それでいつ売るかに興味があるな。

でも日本株を買うのもロジャーズと奇しくも一緒だ。実は2週間ぐらい前に東京海上日動フィナンシャル生命保険から変額個人年金保険が目標の積立金額に達したと連絡がきた。200万円の預けた金額が運用で10%アップの220万円になったのだ。一括で受け取るか2014年1月から5年間の年金で受け取るか聞いてきた。悪性インフレを予想している僕は1年先からの年金なんてトンデモないとすぐ受け取ることにした。

この変額個人年金保険はグッドニュースⅡと言うのだけど、時々報告をくれるが一時は200万円を割り込んだが年末からアレヨアレヨとあがり220万円に達した。これは4年前ぐらいに第三銀行での国債が満期になった時に行員のひとが我が家にきて勧めていったものだ。僕が好んで国債を買っていたのではない。むかし給料の中から母親に渡していた金を母親が地域周りの第三銀行行員に僕の名前で積立預金していたのが満期ごとに形を変えて国債になっていたのだ。母親も自分名義の国債を持っていて再び国債を希望したが高齢で名前が書けないからダメで(本人がいるのにね)定期預金にした。僕は他に持っていっては第三銀行に悪いと思い勧められるままに変額個人年金保険にしたのだ。今は銀行が他社の金融商品も扱のだね。

それで振り込まれた金で買った株がキヤノン500株と花王100株。キヤノンはすでに1500株持っているのでこれで2000株になる。花王は去年の2ケ月ごとの共済年金と3ケ月ごとの企業年金が重なったときに100株買っていた。そのあとお金が足らなくなりそうで苦労したけどね。今回のものと合わせると200株だ。キヤノンは配当がいいが分散投資した方が賢明と思い花王を買い始めた。今回も花王をもっと増やそうと思ったが計算するとこの組み合わせが手持ち金に合致した。

キヤノンも花王もなぜかバブル時から憧れの株であった。むかし小沢一郎氏が自民党の幹事長だったとき「キヤノンなんて政治献金もしないで偉そうなことを言う」と非難したことがあった。僕は「政治と軍事に関わる企業は凶だ。そうするとキヤノンはよい会社だ」と早速買ったのだ。その後、御手洗氏が経団連会長のとき経団連の政治献金を解禁にしてキヤノンは外国人株主が過半数なので政治献金はできないので子会社に政治献金させたときに素早く売って、御手洗氏が経団連会長を辞めたとき買い戻せばもっと大株主になっていたかなと思う。

ちなみに前回の書き込みで「お金は余分にないとやや不安」と嘆いていたのに、金が入るとすぐ株を買ったのは、僕には流動性選好ではなくて流動性選嫌があるみたいだ。流動性選好というのは手元にすぐ使える現金を置きたがる傾向。でも僕は手元にお金があるとナンヤカンヤですぐなくなってしまうので持っていたくない。それより将来末長く配当をくれる株を持った方が良い気がするのだ。