昨日TBS系列で放送された沢尻エリカ出演の『時計屋の娘』を見た。つくづく思うのは沢尻エリカの演技のうまいことだ。こんな風に演技のうまい人は役になり切っているのかなと思う。そうすると沢尻エリカもあの時「別に」なんて言わないで、まわりにあわせてそれらしく振舞うことぐらい簡単なのに、と思ったところで急に『相棒』の先週放送分を思い出して合点が行った。先週放送の『相棒』では就活中の女子大学生が殺された。その女子大学生は一流商社に入社することを目標に大学4年間いやそれ以前からすべての努力を集中してきた。予行演習と滑り止めを兼ねた他業種の面接も「取りたい優秀な学生」をアッピールして軒並み合格するが本命ではないので断りをいれて残念がられたり顰蹙を買ったりする。友人が目標にしていて不合格となった証券会社も合格したが断った。不合格の友人は「ふざけている」と非難するが、女子大学生は「あなたが不合格になったのは私のせいじゃない。あなたはその会社にはいるために4年間どんな努力をしてきたの」と言い返す。まあ正論だが職業のために努力するのは分かるが特定の会社のためにずっと努力するのはわからない。むかし公務員試験対策の専門学校出の人が役所に現れはじめたころ「そんな勉強までして入るところか?」というのが係長(僕・大卒)と係員(女性・高卒)の共通した感想だった。いまでは普通みたいだけど。
さて女子大学生が殺されたのは、その一流商社の採用担当者が彼女に入社してもらっては困ると思ったからだ。その会社の会長か社長はボランティアに強い関心をもっている。そのため就活者のあいだではその会社に入るのにボランティア活動の経歴が有利とのうわさがある。事実その採用担当者自身がカンボジアの井戸掘りボランティアの経験を強くアピールして入社して、さらに会長(or社長)の娘との縁談も進んでいる。しかしその井戸掘りボランティアはウソだった。実はその女子大学生こそがカンボジアで井戸掘りボランティアをしていたグループにいた。採用担当者は旅行者でそのボランティアグループから井戸掘りのことをいろいろ聞いて帰っていただけだ。採用担当者はその女子大学生を見たときボランティアをしていた学生だったことを思いだした。彼女が入社したら自分がウソをついていたことがばれてしまうと思ったのだ。
ところでその女子大学生は履歴書にボランティアのことは何も書いていない。その一流商社に入るのには断然有利なはずなのに書いてはいなかった。実際にしたことだから真の自分の姿を知ってもらうことができるはずなのに、というのが亨の意見。右京の解釈は、彼女は就活のためにあらゆる方策をとってきた。しかし彼女にとってカンボジアの井戸掘りバランティアは純粋にやりたかったことだ。それを就活に利用するとなんかボランティア活動の経験が汚される気がしたのだろう、というもの。
さて沢尻エリカに戻ろう。沢尻エリカにとってどんな場面・状況でのなり切った演技はお手の物だ。しかしここでエリカ自身が疑問にぶつかる。映画の舞台挨拶で感想を述べようと思うと、それがその場にふさわしく聴衆も望んでいる内容だと気が付くと、それが本当に自分のモノなのかそれとも演技なのかわからなくなる。ドラマ以外のところで演技することは大きな欺瞞ではないかと思い悩む。かくしてぶっきらぼうな発言となったのだ。