セレンディピティ日記

読んでいる本、見たドラマなどからちょっと脱線して思いついたことを記録します。

今日「SAYURI」を見てきた。

2005-12-23 18:58:07 | 文化
今日「SAYURI」を見てきた。ロブ・マーシャル監督のアメリカ映画だけど、近代日本が舞台の芸者が主人公で、主演女優は中国人のチャン・ツィイー。おもしろい映画でハッピーエンドなのも悪くない。でも渡辺謙の「会長」と結婚したのだろうか。それとも「会長」が檀那になっただけなのだろうか。だいたい「会長」には奥さんがいるのだろうか?それが気になる。
しかし識者の意見では日本文化の冒涜という意見もある。週刊誌を読むと、小説家の渡辺淳一氏が「祇園はああいうふうではない」「国恥ものだ」と怒りをあらわにしている。アメリカ在住の作家冷泉彰彦氏もJMMのレポートで「不正確な日本描写」だと非難している。
しかし僕の見た感想は、このお二方とは逆にリアルさを感じた。お二方が間違っているといっているのではない。芸者遊びをしたこともなく、京都へもあまり行ったことのない僕の認識がお二方よりも正しいという根拠はまったくない。ただ映画のセットの猥雑さと陰翳さに、日本の映画やテレビでみる時代物より、リアルさを感じたのだ。冷泉氏も陰翳さを認めるが静謐がないからエロチシズムを感じないとのこと。でもエロチシズムとリアルさは関係がない。
前にテレビで池田屋か寺田屋か、幕末で騒乱の舞台となった宿屋の様子を放送していたのを見た。テレビや映画の時代劇のセットででてくるのと違い、狭く猥雑なつくりとなっていた。だから「SAYURI」のセットを見てすごくリアルさを感じたのだ。
冷泉氏は「ラスト・サムライ」のほうが違和感がなかったというが、むしろ僕は「ラスト・サムライ」のほうが違和感を覚えた。

「頭取野崎修平④」

2005-12-19 21:58:23 | 文化
 今日マンガ喫茶に行ったら「頭取野崎修平」の第4巻目が出ていた。この巻の最初の部分では、あおぞら銀行の役員と役所のほうでメガバンク志向の合併の意見が強まってきて、世間の流れもあり野崎修平は孤立してピンチに思えたが、後半では行員のなかに合併より顧客重視の意見が強く出てきて一安心であった。気位が高くてすねて仕事をサボタージュしていた西條部長は、うまく追い詰められてもともと能力はあるので仕事をあっという間に片付けた。野崎修平の慧眼だね。

藤本ひとみ「ナポレオンに選ばれた男たち」その3

2005-12-08 22:55:32 | 歴史
最後はダヴーだ。彼は一貫してナポレオンを裏切らなかった唯一の元帥として有名だが、もう一つの勲章がある。ナポレオンのもっとも得意とし、世界中がそのことでナポレオンを賞賛するその分野で、ダヴーはナポレオンがなしえなかったことを成し遂げたのだ。それは戦争において一度も負けなかったことだ。
一度も負けなかった将軍や武将といえば日本では立花宗茂と上杉謙信を思いだす。するとダヴーも含めてこの3人は驚くほど共通点がある。
一つは正しいと思うことを何の躊躇もなく行うことである。ベルギーで活躍したダヴーの部隊は部下に固く規律を守らせ違反者には厳罰を科した。そのため敵よりも恐ろしいと評判をとり同僚からも敬遠された。しかしダヴーは正しいことをするのは当たり前と気にしなかった。謙信も自分の兵から恐れられた。謙信は他国の小領主たちが武田や北條などから侵略を受けて助けを求められると損得を顧みず出陣した。謙信の自負は、一回も自己の利益のために他国に出兵したことはないことだ。立花宗茂も多くのエピソードがその義に厚く誠実な人柄を物語っている。
二つめは、感じることを重視したことだ。立花宗茂は戦の秘訣を感じることだと言っている。謙信は川中島で敵軍の様子をみて信玄のキツツキ作戦を見抜いて裏を書いた。ダヴーもプロイセン軍との戦いで、敵の陣容から敵の目標を即断して対抗策をたて、2万7千の軍で6万の敵を打ち破りナポレオンさえ驚かせた。
ここまで書いてみると、この3人には王陽明の言うところの良知に従った生き方をしていることがわかる。誰もが本来的に持っている良知にしたがったことをするのである。外からの価値観や打算ではなく、だれもが心の中に持っている良知が外界と反応して感じることを素直に行動するのである。そういえば王陽明も明朝の文官でありながら、反乱軍の討伐に向かい常に勝利していた。
さて、この3人共通していることはもう一つある。本人たちは戦で一度も負けなかったのだが、結局自分の属した集団は最終的には勝利しなかったことだ。でも正しいことを行えたということはそれ自体が他に代えがたい収穫だ。といってもこの3人の最後が悲惨だというわけではない。立花宗茂は旧領柳川の大名に返り咲いたし、ダヴーも元帥位を回復し市長にもなった。積善の家に余慶ありだね。
さてダヴー自身に戻ろう。ダヴーは貴族で軍人の家に生まれて軍人になった。読書により進歩思想を身につけたダヴーは革命時に革命支持派の将校を集めて組織をつくり国王と対立したため投獄されもした。革命の紆余曲折に失望したダヴーは軍務一筋に専念する。だが先鋭化した革命政府は貴族出身者をすべて軍隊から追放したためダヴーも追放された。平等をうたった革命政府が差別するとはとあきれたが、こんな政府は長く持たないと軍事学の勉学にはげんだ。案の定、革命政府は転覆しダヴーは軍隊にもどった。
ダヴーは一貫してナポレオンを裏切らなかったが、それはナポレオンに心酔していたのとは違う。ダヴーは上官のドセイから、フランスを昔の専制君主に戻そうという諸外国の侵略から国を守るには、ダヴーやドセイのような潔癖な正義漢ではだめで、目的のためには卑劣にもなれるナポレオンのような男が必要だと言われたからだ。だから盲目的に従っていたわけではない。だいたいナポレオンが最初にエルバ島に流された時、復活したのは王制なのだから、他の元帥達の様に国王に尻尾を振るのはダヴーにはできないことだ。
それにナポレオンは皇帝となったが、自分の発布した民主憲法には従う姿勢をとっていたので、ドセイの言葉にも真実はあったことになる。

藤本ひとみ「ナポレオンに選ばれた男たち」その2

2005-12-08 00:04:11 | 文化
さて次はベルドナッド。この人のおもしろいのはフランスの元帥からスウェーデン国王になり、そしてその子孫が現在のスウェーデン国王まで続いていることだ。
ベルドナッドはナポレオンの対抗馬として政府首脳から選ばれた男だ。戦争で勝ち続けるナポレオンへの市民の人気が高まっていた。それだけでなくナポレオン自身が国家への野心をあらわにして来た。それに脅威を感じた政府首脳はやはり戦功があり若くして急速な昇進をしたベルドナッドをナポレオンのいるイタリア方面軍に送り込み手柄を立てさせてナポレオンをけん制しようとした。そしてベルドナッドが選ばれた理由は戦功の他にスタイルがよく優れた容姿を持っていたからだ。容姿という点ではナポレオンはこの本でたびたび書かれているように、貧弱な体形の見栄えのしない男だ。これならナポレオンに勝てると政府の人間もベルドナッド自身も思っただろう。でもそれは逆かもしれないぞ。だいたい歴史的に見て大業をなした英雄というのは、さえない容姿の男か奇怪な相をしているかあるいはその両方というのが多い。三国志の曹操も小柄なさえない容姿で、他国の使者は曹操とその部下をみて部下の方を曹操と思ったと記録にある。劉備は耳たぶが大きいのはいいとして、手が膝まで届くほど長かったと書いてある。明王朝の初代皇帝もあばた面の醜い容姿だったそうだ。豊臣秀吉は猿とかハゲねずみといわれた他に、一説では指が6本あったそうだ。美男子で大業をなしたのはラインハルト皇帝のみかもしれない。もっともこれは何千年も未来の話だが。英雄に美男がいないのはどちらも数が少ないので、両方とものカテゴリーに属するものが確率的に少なくなるという数学的な理由の他に、容姿がいいことはかえって英雄になりにくい要素があるかもしれない。容姿がよくちやほやされる環境で育ったために、自分がいい目をみるのは当然という考えを持っているため、チャンスにおいて危険をかってまで前に出るという積極性がでないのかもしれない。
ベルドナッドもそんな男だった。ナポレオンとあってナポレオンに取り込まれてしまった。それでもいつかはナポレオンより上に出ようという気はいつも持っていた。それを感じたナポレオンは自分の留守に寝首をかかれないため長兄の妻の妹をベルドナッドに妻として押し付け一族に取り込んでしまう。クーデターに誘われ政権に食い込むチャンスがベルドナッドに回ってきても決心がつかず、それをナポレオンに譲ってしまった。その後は何をやってもうまく行かず、ナポレオンからはベルドナッドを買いかぶりすぎていたと馬鹿にされるしまつだ。でも容姿がよくちやほやされて育ったことにも利点はあるもので、寛容な性質、いや寛容に見られたいという性質は身についていた。そのため常に捕虜の扱いには寛容にふるまった。それが後々役に立ち、ある意味ではナポレオンに打ち勝ったことになる。スウェーデン国王に子供がなく、スウェーデンの議会では当時ヨーロッパに君臨していたナポレオンの一族から国王の後継者を迎えようと考えて、ベルドナッドに白羽の矢をあてた。じつは過日ベルドナッドがスウェーデンの捕虜を寛容に扱ったのでスウェーデンではベルドナッドはすこぶる評判がよかったのだ。ナポレオンは自分の前妻の子をスウェーデン国王の養子にしたかったのだが、その男はスウェーデンの国教の新教に改宗することを嫌がったため、結局ベルドナッドを認めるしかなかった。
スウェーデン国王の養子となったベルドナッドは、議会の要求で反仏同盟に加わり、ナポレオンを打ち破った。スウェーデン国王に即位してからは幾多の改革を行い優れた国王といわれ、81歳まで生きたとさ。めでたし、めでたし。
まあ容姿よかったため英雄はナポレオンに譲ったが、名君にはなれたわけだ。


藤本ひとみ「ナポレオンに選ばれた男たち」

2005-12-06 23:10:33 | 歴史
藤本ひとみ「ナポレオンに選ばれた男たち」(新潮社)を読んだ。ナポレオンにより元帥に叙せられた26名の中の10人についての各人1章ずつの伝記だ。
ナポレオンやフランス革命についてはあまり知らなかった。その下の軍人についてはこの本にもでてきたネイ元帥の名を知っているぐらいだ。それもナポレオンの影に隠れた脇役としての凡庸な軍人としか記憶にのこっていない。でもこの本を読むと10人の元帥それぞれに個性や才能があってなかなかおもしろかった。動乱期で淘汰されて生き残った元帥だから凡庸ではありえないのは当然か。田中芳樹の「銀河英雄伝説」に出てくるラインハルト皇帝旗下の将軍たちをも連想させる。「銀英」にでてくる将軍の名や階級名はドイツ風だけどね。でもナポレオンの旗下の元帥の数は多すぎないか。「銀英」のラインハルトの元帥はミッターマイヤーとロイエンタールそして軍務尚書のオーベルシュタインの3人だけ。キルヒアイスも早く死ななければ当然元帥だったけど。「銀英」の上級大将を加えてもまだナポレオンの元帥より数は少ない。でもたしかこの上級大将たちもラインハルトの死後、帝国の功臣としてみんな元帥になったはずだ。とにかく人間と軍人の多い中国でも元帥は8人ぐらいだと思うからナポレオンのフランスは軍人階級名の大インフレだ。元帥だけでなく20代での大尉だの大佐だの司令官や准将というのがどの人物にもでてくる。階級の意味づけが訳語の日本での語感と違うのか、それとも革命前は貴族だから超特急の昇進で、革命後は動乱で頭角を現しやすいのかなとも考える。
さて本題に戻って、この本で僕が興味を引く人物は3人。マルモンとベルドナッドとダヴーだ。
マルモンはナポレオンが最初に帝国元帥を任命した18人に入っていなかった。同格の師団長クラスはみな任命されたのにマルモンだけははずれていた。マルモンは師団長だっただけではなくナポレオンが24歳のときからの部下で19歳のマルモンはナポレオンの代政府への上申書を代筆などしていたのである。作者はマルモンが元帥からはずされたのは、貧弱な体形のうえ植民地(コルシカ島)育ちでうまく文章をかけないナポレオンが、貴族出身で容姿も教養も性格も非の打ち所のないマルモンに嫉妬を感じてためとする。でもナポレオンが言うようにようやく30歳のマルモンには早すぎるというのも納得できる。だって一番若い元帥は35歳だから。やや落ち込んだマルモンはアドリア海に面した辺境の地の総督に任命された。そこでマルモンはその地に自分を必要とする人々がいること知り民生に情熱をそそぐ。そこでマルモンは、出世などの他からの評価でなく自分で自分の価値を認めそれでよしとする人間になった。その後マルモンはナポレオンの戦争の手伝いや後始末に欧州各地に派遣され元帥にもなった。同盟軍にパリを包囲された時ナポレオンはパリから20キロ離れたところにいた。マルモンはパリとナポレオンのいるフォンブローとの中間地点に陣取っていた。マルモンは市民の血を流させないためにナポレオンにそむいても自己の責任で戦争を終結させなければならないと苦慮していた。そこへフォンテンブローからネイ元帥らがナポレオンに退位を承諾させたという知らせを持ってやってきた。喜んだマルモンはマルモンらの残存武力を背景にナポレオンの退位の条件について同盟軍と有利に交渉するためパリにむかった。マルモンの留守中の軍の指揮を任された将軍は、遅れて届いた以前のナポレオンからのフォンテンブローへの召集命令を、ナポレオンがマルモンを罰するためのものと誤解して恐慌をきたしパリのロシア軍に保護を求め合流してしまう。このためマルモン軍団が敵に寝返ったといううわさが立ちナポレオンからは終生裏切り者あつかいされた。マルモンは裏切り者あつかいされながらも、他の評価よりも自分の判断で自分の責任で生きる生き方に満足し、1852年3月3日に満足の中で77歳の生涯を閉じた。帝国元帥26人中もっとも後年まで生きたそうだ。ただもっとも長生きではない。もともと若かったから一番遅くになくなったとも言える。
で、なにが言いたいかというと、自分の判断で自分の責任で生きるということさ。それが本来の人間の正しい生き方だから長生きもできたと考えたいね。でもキルヒアイスは早死だったけどね。
ベルドナッドとダヴーは後日。