今日「SAYURI」を見てきた。ロブ・マーシャル監督のアメリカ映画だけど、近代日本が舞台の芸者が主人公で、主演女優は中国人のチャン・ツィイー。おもしろい映画でハッピーエンドなのも悪くない。でも渡辺謙の「会長」と結婚したのだろうか。それとも「会長」が檀那になっただけなのだろうか。だいたい「会長」には奥さんがいるのだろうか?それが気になる。
しかし識者の意見では日本文化の冒涜という意見もある。週刊誌を読むと、小説家の渡辺淳一氏が「祇園はああいうふうではない」「国恥ものだ」と怒りをあらわにしている。アメリカ在住の作家冷泉彰彦氏もJMMのレポートで「不正確な日本描写」だと非難している。
しかし僕の見た感想は、このお二方とは逆にリアルさを感じた。お二方が間違っているといっているのではない。芸者遊びをしたこともなく、京都へもあまり行ったことのない僕の認識がお二方よりも正しいという根拠はまったくない。ただ映画のセットの猥雑さと陰翳さに、日本の映画やテレビでみる時代物より、リアルさを感じたのだ。冷泉氏も陰翳さを認めるが静謐がないからエロチシズムを感じないとのこと。でもエロチシズムとリアルさは関係がない。
前にテレビで池田屋か寺田屋か、幕末で騒乱の舞台となった宿屋の様子を放送していたのを見た。テレビや映画の時代劇のセットででてくるのと違い、狭く猥雑なつくりとなっていた。だから「SAYURI」のセットを見てすごくリアルさを感じたのだ。
冷泉氏は「ラスト・サムライ」のほうが違和感がなかったというが、むしろ僕は「ラスト・サムライ」のほうが違和感を覚えた。
しかし識者の意見では日本文化の冒涜という意見もある。週刊誌を読むと、小説家の渡辺淳一氏が「祇園はああいうふうではない」「国恥ものだ」と怒りをあらわにしている。アメリカ在住の作家冷泉彰彦氏もJMMのレポートで「不正確な日本描写」だと非難している。
しかし僕の見た感想は、このお二方とは逆にリアルさを感じた。お二方が間違っているといっているのではない。芸者遊びをしたこともなく、京都へもあまり行ったことのない僕の認識がお二方よりも正しいという根拠はまったくない。ただ映画のセットの猥雑さと陰翳さに、日本の映画やテレビでみる時代物より、リアルさを感じたのだ。冷泉氏も陰翳さを認めるが静謐がないからエロチシズムを感じないとのこと。でもエロチシズムとリアルさは関係がない。
前にテレビで池田屋か寺田屋か、幕末で騒乱の舞台となった宿屋の様子を放送していたのを見た。テレビや映画の時代劇のセットででてくるのと違い、狭く猥雑なつくりとなっていた。だから「SAYURI」のセットを見てすごくリアルさを感じたのだ。
冷泉氏は「ラスト・サムライ」のほうが違和感がなかったというが、むしろ僕は「ラスト・サムライ」のほうが違和感を覚えた。