セレンディピティ日記

読んでいる本、見たドラマなどからちょっと脱線して思いついたことを記録します。

市職員の給料考

2009-04-16 16:30:08 | 名古屋
河村候補が市職員の年収500万円以上の者の給料を減らすと言っている。これの隠れポイントは2つ。ひとつには年収500万円以上の職員は少なくないこと。幹部職員にならなくても多くのものがある年代で500万円以上になることだ。だから河村候補が幹部職員だけを対象のつもりでいても多くの職員は自分のことだと思う。二つ目には、職員の給与と市議会議員の給与は連続して繋がっている。つまり市議会議員の報酬は一般職市職員の最高級の上とされているので、幹部職員の給与が下がることは市議会議員の報酬の基盤が脅かされるので、市議会議員は賛成できないのだ。本来なら議会は市役所をチェックしなければならないのだが同じ利益共同体と化している。市会議員を長く勤めて同じ党の後輩に議席を譲り引退して市の外郭団体の役員になり高額な報酬を受ける例も多い。チェック側(議員)は被チェック側(役所)から利益供与を受けてはいけないのに。

職員の給与水準の正統性はどこにあるのだろうか。給与水準は人事委員会が民間給与の水準に準拠して勧告をだして議会で決めているという。ではなぜ世間の人は高いというのだろう。たしかに統計では民間の年収200万から300万の人が大多数なのに、市職員は大多数が最終的に年収500万円以上になる。実は人事委員会の調査対象は一定規模以上の企業が対象で多くの人の就労している中小企業は調査対象に入っていない。ちなみに数か月前の週刊誌の記事によれば、高卒の名古屋市職員の賃金は生涯ずっと高卒のトヨタ社員の賃金を上回っているとのことだ。名古屋市職員が人事委員会の勧告により世間並みなら、トヨタって世間並みに満たない給与しか払っていないのだ。これは冗談。物を相手と人を相手と行政権力行使による責任の有無などから単純に結論はでない。仕事の質と必要能力と責任の総体平均が、世の中一般とおなじ程度のものなら、公務員の給与は世の中の就労者の全部の給与の平均と同じでなければならない。あるいは身分の安定性と福利厚生を考えたら世間並より少し低くて釣り合うかもしれない。だがそうでない以上、労働市場で人用とされる人材を確保できる賃金が必要となる。だから単純に世間一般の給与水準より高いことをもって不当とはいえない。ここまでは役所の見解とおなじだと思う。でも公務員志望者が多く競争試験の倍率が高いというのはそこに他にはあまりない厚遇があることの証だろう。

さて職員の給与水準の正統性にもどると、公務員の中には採用試験に通ったから給与が民間より高いのが当たり前で、うらやましかったら採用試験を受けてとおって公務員になればよいと思っている者もいる。でもさ、試験に通ることが給与水準の正統性の保証にはならないよ。納税者はそんなことで税金を払っているわけではない。市民としては市民に返される公共的福祉や利便が最大限になるような人材確保を期待して可能な範囲で納税しているのだ。いくら高い競争倍率の試験を行っても有能有益な人物を取り逃がし、また有能な人物を採用しても適材適所に配置しなければ、中東で外国企業が義務的に必要のない現地人を高給でやとっているのと変わりない。

したがって市職員の給与についてそれが世間の被雇用者全体の水準より高いならば、それだけの効用を市民に返せていることが絶対必要条件だ。一定の給与総額と人材を前提とするなら、市役所全体の市民へ提供できる効用が極大化できるように人材を能力に応じて適所に配置しなければならない。でも名古屋市の人事は適材適所とは無関係なことは職員のほぼ常識だ。なにか市民利益と別な原理が働いているようだ。役人内の論理だよ。逆に適材適所で職員が所を得て活躍すると困る人たちがいるようだ。

適材適所が排除されるといことのほかに、管理職中間管理職の性向も問題だ。映画「ジェネラル・ルージュの凱旋」で大学病院の救急救命センター長が、救急患者はすべて受け入れるので、部下の医師や看護師が苦い顔をしていた。映画を見た人はお役所も同じようだと思うのかもしれない。でも違うのだ。僕の経験から言うと、市民に接する仕事をしている職員の多くは市民にもっと便宜を図りたいと思っている。たぶん費用とか利益を考えない分民間よりその性向は強いと思う。しかし主として中間管理職が係の仕事を増えることを嫌がる。いや仕事を増やさないのが係長の役目と思っている。もし職員の一分が余分に仕事をしだすと、他に一人でもやりたくない職員が係長にクレームをつけると収拾がつかなくなると思っている。でも普通に(主として出世を考えない)職員は本当にもっと市民に奉仕したいと思っている。だから市民と接する部署では、「ジェネラル・ルージュの凱旋」の救急救命センターみたいな者が係長になると職員は活気づくのだ。でもさ、係長になるような人の多くは仕事を増やさないことが管理だと思っている。また同じような他の部署で、こちらがやらないようなことを行っているのは公務員の公平中立に反する裏切り行為だと思うのだ。

霞が関官僚出身候補の「つながり力」とは何か

2009-04-15 22:11:41 | 名古屋
名古屋市長選挙で、経産官僚出身の細川候補が「つながり力」という。おやこの間までの全国の自治体の首長選挙では、中央官庁出身の候補は、良心に目覚めた人は別として、たいがいは「中央との太いパイプ」をアピールしていたのに、変わったのかなと思ったら、よく考えれば、「パイプ」=「つながり」だから、「太いパイプ」=「つながり力」で、相変わらずの官僚候補のスローガンである。

そういうと細川候補は、そうではなくて「市民どうし、会社同士のつながりだ」と言うかもしれない。でもそれがまた問題なのだよな。日本の官僚の問題点は、自分と繋がっている利益共有者のつながりしか見ずに、本来の自己の役割及び給料をもらう根源となっている国民の利益は無視されることだ。薬害肝炎にたいして厚労省は何をしたか?日頃から付き合いのある製薬業者の利益だけが関心事となり、患者や国民の利益はまったく視野に入ってこない。さらにキャリア官僚集団だけに輪をしぼると「つながり力」は強力となる。公務員制度の改革の委員会での事務次官出身の委員の態度は、北朝鮮の外交官にも匹敵するかたくなさである。そこには自分自身による良識の判断はなく、母体の既定方針にいかなる変更もない。

細川氏が昨年9月に鉄鋼連盟理事から中京大学の教授となってから、期を同じくして名古屋のよくわからない財界グループから名古屋市長に細川氏を推すという記事が散発的に新聞に流れた。おそらく財界グループと細川氏が示し合わせて、それに中京大学が便宜を図ったと思われる。韓流時代ドラマの「張禧嬪」で、張禧嬪が王様の子供を産んだら、「つながり」をつけようと、官職や利益便宜を求めるものが贈り物をもって張禧嬪の実家に列をなして群がったのを思いだす。まあ「つながり」というのは、コネともマフィアともいうから。

細川氏は旧来の重厚長大の経済官僚候補となんら変わることはない。見てくれは新しいが、中身はかなり時代遅れだ。また中京大学を利用したり、財界グループをつかったりとかなり姑息なキャラクターだ。

備中松山藩の藩政改革を成し遂げた山田方谷は「理財論」で「それ善く天下の事を制する者は、事の外にたちで、事の内に屈せず。」と言っている。新市長は事つまり旧来の慣習や既得権の外に立って、事の内に屈しないようにしてほしい。

宗主国の承認

2009-04-14 22:24:20 | 文化
「王の女」のケトンことキム尚官って朝鮮史上三大妖女なのだけど、じつは以前にもずばり「宮廷女官キム尚官」というタイトルでテレビドラマシリーズが作られていたのだって。なんと主演は「宮廷女官チャングムの誓い」のチャングム役のイ・ヨンエだよ。ふーん歴史上の有名人なのだ。

今日の放送では、長年連れ添った王妃が亡くなったので、王様は落ち込んで食事をのどに取らないようす。側室たちが粥を進めても怒って食べない。いまがチャンスと、ケトンが7年ぶりに宮廷に復帰し王様は大喜びで元気となった。7年ぶりというのは、ケトンは王様の前で誤って他の女官と触れ合って食器をこぼしてしまったのだ。王様の前での粗相は不敬罪となる。官位を受けた側室なら罰するには王様の許可がいるが、官位を受けていなかったケトンは王妃により宮廷を追放されたのだ。追放された間ケトンは光海君の妻によりかくまわれていた。光海君の妻はケトンが王様の寵愛をうけたので、光海君の役に立つとおもってかくまっていたのだ。でもこのパターンどこかで見たようなと言えば、「張禧嬪(チャン・ヒビン)」で張禧嬪となるオクチョンが、王妃を呪った罪で、宮廷を追放になり、王族の東平君にかくまわれて6年後に宮廷にもどったのだ。ちなみに禧嬪(ヒビン)というのは側室の官職名で、本名はチャン・オクチョンということになるのだろう。

6年にしろ7年にしろ、そんな長い間離れていても王様の心をぐっと掴むなんて妖女というのはすごい力があるものだ。いちど3人にお会いしたいものだ。できればベッドをともにして。おっと王の女に手をつけたら八つ裂きの刑だ。

さて「張禧嬪(チャン・ヒビン)」の方は、張禧嬪の王妃就任の許可をえるため宗主国の清国に東平君が使者として清国にいったが許可をもらえず戻ってきた。そのあとに清国から使者が来て鳥銃3000丁という無理な要求をされて大騒ぎとなる。清国の意向により廃妃が王妃に復活することさえある。ちなみに鳥銃というのは鉄砲のこと。

このように朝鮮国と清国は属国と宗主国の関係にあって、王、王世子、王妃となるには宗主国の清国の許可がいるのだ。そこでピンと来るものがある。北朝鮮の金正日の後継者がだれになるかが取りざたされているが、息子の3人のうちだれかと世襲が当たり前のように言われている。でも社会主義国なのだよ。前回のとき金正日が金日成の後継者になることについて中国共産党では社会主義にふさわしくないという意見が出たようだ。金正日は国家の最高権力者となっているが、国家主席でも大統領でもなく国防委員長という役職名だ。実は李氏朝鮮ができたとき最初の李成桂は明国から王様の称号をなかなかもらえなくて長い間、権知朝鮮国事という称号であった。権というのは日本でも権大納言(ごんだいなごん)というのが「大納言の権限をもつ」というように、代行者みたいな意味。ちなみに菅原道真は大宰府権帥(だざいふごんのそつ)に任命されて九州に左遷された。そこにはすでに大宰府帥がいるので、権帥は名目だけの官職だから仕事がなく流刑と同じだ。知というのは県知事の知とおなじで治めるということ。事も県知事の事と同じ。したがって権知朝鮮国事というのは朝鮮国の統治代行者という意味。明からすると高麗王朝の簒奪者を儒教の建前からすんなり国王と認められないのだろう。中国としても社会主義の建前から元首の世襲を認められない。だから金正日は国家主席ではなく国防委員長の職名で最高権力者なのだ。ということは北朝鮮は中国の属国なのだ。

朝鮮史上の三大妖婦

2009-04-11 18:39:17 | 文化
今週の「王の女」で、ケトンが自分の意思に反して王様の側室にさせられたとき、ナレーションで「朝鮮史上の三大妖婦の一人のキム尚宮の誕生である」なんて言ったので驚いた。ケトンって実在した人物でしかも「妖婦」として歴史に残っている人だったのだ。正午から放送している「張禧嬪(チャン・ヒビン)」の張禧嬪も三大妖婦だ。ドラマ上設定でも、張禧嬪は陰謀家で復讐心のつよい悪役になっている。しかし「王の女」でのケトンは、凄味のある表情をみせたが悪役とは違う内容になると思う。
張禧嬪とケトンが歴史的に三大妖婦とされた理由はわかる。しかしその評価は朱子学的な基準によるもので現代的に見て正しいかは別だと思う。「張禧嬪(チャン・ヒビン)」ではドラマの設定で、張禧嬪と仁顕王妃の性格での善悪ははっきりしている。しかし朝鮮史で張禧嬪が悪役になっているのは、両班出身の王妃を追い出して、訳官という身分の低い親の娘が本来なれない王妃になったことが、朱子学的身分秩序に反するからだったではないのか。本当の史実はドラマの内容とは違って本当は王妃も嫉妬深く陰謀好きだったのでないのか。つまりどっちもどっちだった。ただ身分の低いものが身分の高いものを追い出したので妖婦にされてしまったような気がする。
「王の女」のケトンの場合は、ドラマではたぶんいい人間だったということになるのだろうが、こちらは逆に歴史評価に方にある程度妥当性がある。つまり王様の側室つまり妻の一人だったものが身分的には自分の子供にあたる王子の光海君と密通をして権勢をふるったということだ。しかしドラマ「王の女」の設定では、ケトンは光海君をずっと慕っていて、光海君を王様にすることで宮中の女官である自分も光海君のものになる期待を持っていたようである。しかし王妃が王様のケトンを気にした様子をみて、王様の寵愛を独占して権勢を持ってきた側室をけん制するため、ケトンを利用しようとしたのだ。他の女官なら王様の寵愛を受けて側室になることは大いに望むことだが、光海君を慕うケトンはそれを拒否する。しかし女官なので拒否できない。最初に王様の寝室へ食べ物を運ぶ役割を命令されたときは、規定の沐浴を行わずに王様の寝室に行き、屁理屈で王様を説き伏せ同衾をさせなかった。とうとう王妃は側室の儀式を行わせ拒否できないようにした。やむなく王様の寵愛をうけたケトンは光海君のために王様の寵愛を利用しようと決意する。そして王妃と今まで寵愛を受けていた側室に面と向かって宣戦布告をするのだ。王妃はケトンを道具として利用しようとしたが、あらたな敵を作ってしまったのだ。「人間を道具にしてはいけない」とはカントの言葉だそうではあるが、自立した人間を道具にはできないのだ。

ちなみに「王の女」の時代は、太閤秀吉の朝鮮出兵のあった時期から始まる。ところで史実と違う点があるぞ。光海君の兄の臨海君は日本軍の捕虜になった。史実では朝鮮人の反乱軍に捕らえられて加藤清正軍に引き渡されたのち、講和交渉で返されたはずだが、「王の女」では怪我をしていたので日本軍に捕まって、牢屋にいたが臨海君の部下に助けだされたことになっていた。歴史の偽造だよ。

己丑(2009年)換局 国政編

2009-04-05 17:24:12 | 社会経済
換局というと、国と名古屋市のほかに世界の政治経済についても言えるのだが、それは自分の手に余るので、あと書くのは国政だけにする。もちろん国政についても専門家というわけでないので駄法螺かもしれないが。

中国の歴史上の王朝が末期となるといつも同じような特徴が出てくる。幼い皇帝が立てられそれが短い期間で次々と替わる。外戚と宦官の勢力が強くなり権力を壟断する。人民が疲弊し家を失った流民が多く出る。なんとこれが自民党政権にも当てはまるのだ。

幼い皇帝のかわりに幼い総理はいないけど、国会議員のキャリアの短い政治家が次々と総理になって1年ぐらいで後退していった。昔の総理と言えば、大蔵大臣や党幹事長などの主要閣僚や党要職をいくつも経験した派閥の長が総理になっていた。だが最近の3人は主要閣僚を経験していないし派閥の長でもない。麻生は麻生派の長だって?アッそう。安倍元首相の幹事長も目玉として使われただけで実績は残していない。

外戚とは皇帝の母親の親族。これは公明党だな。宦官とは皇帝の身の回りの世話をする去勢された男の役人。ものの本によると性欲がとざされたので財産欲が旺盛となっているとのこと。これは偏見かもしれない。宦官には紙の発明者や大航海をした者もいるから立派な人物もいるだろう。しかし今の日本でも×××が立たなくなって財産欲が旺盛になって者はいる。それは天下り官僚だ。70歳を過ぎても週に1日か2日しか出勤しなくても、肩書きと運転手つき公用車と視察という名のファーストクラスでも海外旅行と給与と退職金。こりゃ国賊だ。王朝の初めの皇帝は前の王朝の反省から宦官を極力少なくするが王朝末期には膨大な数と権力を握ってくる。新しい王朝ができると、前の王朝の宦官を、国を誤らせたと皆殺しすることもあった。政権交替したらなんとか撲滅しなきゃ。そうしないと国民は政党政治に無力を感じて、自衛隊のクーデターを誘発するぞ。自衛隊は歴史認識のクーデターでは国民の支持がえられないので、天下り官僚をスタジアムに集めて銃殺することによって国民の支持を得ようとするぞ。そんなことにならないように心配しているのだから。

決断ができなかった麻生首相はこのままずるずると秋の衆議院議員の任期切れまで解散しないでいくと思われていた。だが小沢民主党党首の問題が出てきた。また評論家の三宅氏によると麻生首相は小渕総理の地域振興券の例から定額給付金を配ると支持率が上向くと信じているそうだ。高速道路料金についても利用者は理性上はおかしいと思っても、現実に利益を受けると、朝三暮四のサルのように喜ぶものだ。そんなわけで5月総選挙の雰囲気が自民党から出てきている。決断のできない麻生首相も、側近にそそのかされると人気が上がったと思って解散するかもしれない。

麻生首相が「デュエル」と解散カードを切る。民主党は「トラップカード、党首交代」と岡田党首が出てくる。