セレンディピティ日記

読んでいる本、見たドラマなどからちょっと脱線して思いついたことを記録します。

喪脚記 その4

2022-05-31 15:30:00 | 思想

僕の右脚は5月20日金曜日に切り離された。ちょうど同じ頃我が家でも同じ八事の地で大事な行事が行われていた。6年前の曜日も同じ金曜日の5月20日に母は死んだ。その母の遺骨を八事霊園の我が家の墓に納骨するのがちょうど手術当日の5月20日である。もちろん僕は喪主ではあるが手術台の上で参加できない。でも偶然にも入院前に埋葬許可書と墓地の使用許可証を霊園管理事務所に提出していた。そこで入院直後に坊さんと弟に事情を話し納骨式を僕なしで行うことを依頼した。この時期に納骨すると決めたのにはわけがある。母の死亡後の早い時期に納骨の事を坊さんに相談したことがある。その時は坊さんは乗り気ではなさそうで結局うやむやになった。

昨年エアポートウオークで足が痛んだ時このまま豊山町方面の病院に運ばれて我が家が空き家となって野良猫やハクビシンが骨壷や仏壇を荒らしたらどうしようと思った。そこで期限を区切って納骨を実施しようと思った。今年の初めに坊さんと相談したら坊さんも気にかかってたと見えてすぐ賛成してくれた。日にちはたまたま七回忌の命日にあたる5月20日にした。突然の入院にも関わらず必要な事務はみな済ませてあったので、僕の眠っているうちに納骨は無事済んだ。

僕の危惧はあたったが、それを避ける納骨はジャスト・イン・タイムで成功した。


僕の人生を総括すれば問題を心の底にでも持ち続けると、解決策が向こうから突然現れるというもの。ただそれは余裕を持っては来てくれず何時もギリギリに現れるということ。今回の脚の切断も知らされた時は「あの問題の解決策か、でも相当に荒っぽいな」と考えた。ここ数年の僕の問題は収入より支出が多いため、預金通帳のマイナス額が100万円の定期預金を担保とした限度額を超えそうでヒヤヒヤしてこと。限度額を越えればクレジットカードが使えなくなる。このため毎年、たとえば生命保険の残留金の解約、保有株を一部売却、サプリメントの大幅な解約などをしてきたがここに万策尽きてきた。まだ持っている株を売る方法もあるがそれをし始めると僕の資産の全面崩壊となる、次には住居を手放すこととなる。

脚の切断を聞いた時頭に浮かんだのはこれで親の建てた住居を手放さずに次の世代(甥になるかも)に引き渡せるというもの。

弟の次男は尾張旭に住んでいて名古屋の職場に通っている。そこで甥にこの家と自動車を引き渡し、相続時に揉めないように僕と養子縁組をするが同居とか扶養を求めない。僕は(特別養護)老人ホームに引っ越す。こうすれば固定資産税と自動車関連費用は無くなるので僕の収支は安定する。親の建てた住居(僕が建て替えしたので土地だけ)を親の子孫に引き継がせることができるので心残りはない。ところが甥はことわった。今住んでいる部屋をだいぶ壊したから原状に戻すのはむつかしいから引っ越せないと言うのだ。

浮かんだ第一案は潰れたが、義足も使えそうなのであの家に住み続けられそうだ。固定資産税は引き続き払わなくてはいけないが、自動車関連費用はなくなる。入院を機にいくつかの毎月の出費も削った。障害者控除もつくから市県民税も国民健康保険料も安くなるだろう。もう映画にいくことは少ないから中日本興業の株式を売り払ったからその金で当面の医療費と通帳のマイナスも補填できるだろう。


さて問題を心のそこに持ち続ければ解決策は向こうからやってくるという話に戻ろう。現役時代僕は問題を回避したり他へ押し付けたり聞かなかったこととして無視することは無かった。なぜならなら僕が気に留めなければその問題は誰にも目も止められず闇の中に消えていくと思うからだ。

「係長、昨年度課税漏れになっている人をみつけました」「僕が行って納得して納税してもらう」「主査、外国人女性が実年齢が若いのに、他人の名義で国民年金の特別給付を受けているので、辞退届に判をもらってこいと本庁に言われました」「僕が行って判をもらってくる」。隣の課の課長が「##君、精神を病んだ中年女性が徘徊して地域の人が困っている。保健所も権限が無くて手が出せない。なんとかならないか」「僕は高齢者の便利屋みたいなものですが、中年女性は対象外です。それに押さえようとしてふれたら、体に触ったといわれるとこまります」そこで一旦机に戻ったが介護記録を検索したら同居の高齢の女性がいるはずなのに、施設に入所しているとか、介護保険を利用してる記録がない。そこで「高齢者の婦人についてなにか言ってましたか」「いいやそんな話は聞いてない」「高齢者について安否がわかるまで調べてみます」

いずれも僕が噛みついて粘ったせいもあるが、大半は解決策が向こうからやってきた。

僕には自分の知識や能力に自信があるわけではない。ただ能力もないのに問題を引き受けるわけは僕の心の片隅に問題を持つといつか宇宙の中心にあるなにか意思的なものに繋がる気がするからである。

光より早いものはないという。でもあるのである。分裂した素粒子はどんなに遠く離れても一方の変化は瞬時に他方に伝わる。この繋がりの中に偶然に意味のあるものができたならそれを核にして巨大なネットワークが宇宙にできあがる。それが僕に解決策をもたらしてくれる。


読書ノート:苫米地英人『FREE経済学入門』フォレスト出版

2010-04-01 15:46:44 | 思想
苫米地さんは有名な脳機能学者で、今はやりの脳本では茂木さんほどではないかもしれないがかなりの著作数がある。二人のテイストは異なるけどね。本とは関係ないけど苫米地さんは昔マスコミを騒がしたことがあった。オウム真理教が選挙にでたころ、広告塔になっていたかわいい姉妹がいた。2人だったか3人だったか?その姉妹にかかっていたマインドコントロールを解くために脳機能学者の苫米地さんが起用された。ところがなんと苫米地さんはその姉妹の一人と結婚してしまったのだ。精神的に支配被支配の関係にあったものだからマスコミは非難した。男女の中は一概に非難できないけど、高校教師が教え子と在学中に結婚するようなものなので当然に非難はおこる。そういえば「奥さまは18歳」の岡崎由紀が参議院選挙にでるそうだ。

さて、しかしながらこの本は脳に関する本ではない。今はやりの「フリー経済」に関する本だ。でも僕がこの本を買ったのは脳のためでもフリー経済のためでもない。僕は最近オーストリア学派という経済学の学派に興味があった。その学派の創始者はカール・メンガ―という人は、他の2人と独立してほほ同時に「限界」とりわけ「限界効用」という考えを経済学に持ち込んで「限界革命」というもの起こして経済学を革新した。それ以前の経済学を古典派とよび、限界革命以後の経済学を新古典派と呼ぶ。ただしオーストリア学派は「限界効用」の新古典派的な展開に批判的で、オーストリア学派は新古典派にたいする批判者となっている。

話がもどるが、書店で『FREE経済学入門』をペラペラとめくったところ、「限界効用」とか「限界費用」とかの単語がある。オーストリア学派は「主観主義」と呼ばれる。商品の価値を限界効用という消費者の効用という個人の主観的なものに求めるからである。ただし新古典派は消費物資にだけに適用するが、オーストリア学派は生産手段となる商品にも適用する。そんなわけで、なんか商品の価格についての主観主義的な理解の助けになるかもしれないと思って購入したのである。

結論から言うと、この本での「限界効用」「限界費用」の使い方は一般的な経済学と同じでありその意味ではオーストリア学派の理解の助けにはならない。しかしこの本の記述にオーストリア学派と同じ立場ではないかと思える部分がいくつかある。アメリカのFRB(連邦準備理事会)と所得税とにたいする考えかたである。

オーストリア学派というのは本国のオーストリアではナチスのオーストリア併合によりほぼ全滅したが、アメリカにはハイエクやミーゼスのアメリカ移住によりその灯は伝えられた。しかし経済学では主流ではない。一般的には極端に政府の介入を嫌うリバタリアンという人たちの理論的基盤となっている。経済学では主流ではないと言ったが、むしろ異端といえるかもしれない。経済学を昔の日本では近経とマル経と2つに分けていたが、いまではマル経は消滅しているので、ケインジアンとマネタリストに分けることが多い。しかしここにオーストリア学派を入れると、結局はオーストリア学派とその他とにわけるしかなくなる。なぜならオーストリア学派は一切の経済政策を認めないからだ。ケインジアンは財政政策と金融政策の双方を認める。マネタリストは財政政策を認めないが金融政策は認める。オーストリア学派はその双方とも認めないからだ。

さてこの本にもどると、なんと1894年にアメリカの連邦裁判所は「所得税の徴収は違憲」という判決をだした。それは「税は平等に負担されるべきだ」という思想によっている。所得税はその累進性が平等に反するというわけだ。その後1913年に憲法の修正第16条で「議会はIncomeに対して税を徴収することができる」ことになり年々課税が強化された。なおこの1913年という年は、FRBが設立された年でもある。ちなみにリバタリアンの国会議員はFRBの廃止を訴えている。苫米地さんはリバタリアンに同情的に感じられる。

勝手な話ばっかりになったので、この本の内容を紹介しよう。
限界費用というのは、何かを生産している時、次の1単位を生産するのにかかる費用だ。そこまでのものを作るのには工場用地の買収から工場設備の設置等の多くの費用がかかっている。だが今次の1単位を作るのには、その単位に使う原料代と工員の超過勤務代だけですむ。つまり最初の1単位をつくるのに比べて、今次の1単位をつくるのに費用は少なくて済む。これが限界費用の逓減(だんだん減る)の法則だ。これをインターネット空間に当てはめると、あるソフトウエアを作るのに莫大な費用がかかったとしても、それをインターネット上で配布するにパッケージ費用や輸送費は要らない。したがって限界費用は0となる。したがって無料でダウンロードさせることができる。しかしフリードマンという経済学者がいうようにふりーランチつまりただ飯はないのである。あとでか、誰かがか、その代金を払うことになる。金を請求されるのはまだよい。むしろ奴隷にされる可能性がある。たしかに無料ソフトを使うとき、ふと御仕着せ道具を与えられているようで奴隷と同じではないかと思うときがある。

しかし無料のものをばら撒いてあとで利益を得るという方法は、インターネット以前の昔からある。それは、税金とFRBだという。子供はある社会に生まれ育ち社会からのサポートや利便を無料で受けるが、大人になったら納税をしなければならない。FRBもドルを無料で世界中に使用させるが後で為替手数料という料金を徴収する。

苫米地さんのこの本の内容はもっといろんなことを書いているがそれに触れると膨大な量になるので買って読んでね。グーグルと中国政府の対立の別の側面が見えてくる。

さて、僕がオーストリア学派に興味を持ったのはどうしてかということを書こう。ひょっとしたらマルクス主義者の友人は、僕が反マルクス主義の種本を求めていると思っているかもしれないがそれは違う。一言でいえば水に合いそうだということだ。昨日『時間と無知の経済学』(勁草書房)という「ネオ・オーストリア学派宣言」という副題のついた本を買ってきた。高いけど。「第1章 主観主義経済学の概観」を読んだが、やはり感ずるものがある。いずれ全部を読んでノートしよう。

読書ノート:須原一秀「自死という生き方」(双葉社)

2008-01-27 18:40:37 | 思想
5日ほど前だが、職場から帰宅途中のバスのなかで小前亮「十八の子」という中国の明朝末期が舞台の歴史小説を読んでいた。すると李自成の農民反乱軍に大敗をした明朝の孫伝庭という武将が、部下には反乱軍に降伏して民のための国ができるか見届けよと命令して、自分は死ぬことを決めて、最後に李自成に向かって「決して驕るな」と言い残して死んだ。
読んでいて、孫伝庭には死の恐怖も悲壮感もなかったように感じた。そのとき「あ、これは『弱腰矯正読本』で言うところの、変性意識だな」と思った。この「弱腰矯正読本」という本は、僕が非常に感銘を受けた本だ。この本と浄土真宗関連の本が、僕のちょっとした人生への難問の答えを与えてくれた。何のことだと思われる向きがあるかもしれないので簡単に書くと、自分の判断としてどんな時でも明らかに正しいと思われる行為を必要な場面でできるだろうか、という心配だ。「弱腰矯正読本」では、変性意識が生じて、身の危険や小ざかしい利害をまったく忘れて、突き動かされるように思いもよらない行動をとることがあることを教えてくれた。心配しなくても、行動すべき時は行動してしまうことがあるのだ。でも「いつもそうなるわけでは?」という疑問が残るが、それには、浄土真宗関係の本が、「しても、しなくてもよいというのが、浄土真宗の教えだ」ということで納得した。まとめて言うと、気の弱い(?)自分ではあるが、他人がしり込みするような場面でも、正しいことをしてしまうこともあるので、必ずしも悲観することもないし、またできなくても、そういうめぐり合わせだから悲観することもないということだ。

さてバスを降りて、いつものように書店に入って書架をのぞくと、「自死という生き方」という本の背中の帯に「須原一秀」という名前が見える。「おっ!『弱腰矯正読本』の著者の新刊だ」と、手にとって表紙をみて驚いた。須原一秀氏は自殺していたのだ。そしてこの本は、須原氏が自らの自死について、書き残した本なのだ。

須原氏は、自殺ということで一般の人が想像するような健康・仕事・家族などに行き詰っていたわけでもないし、またそうした理由で自殺するのではない。人生に満足してかつ日常生活の中のそれ以上望みえない人生の「極み」を味わった者が、それ以後は老化という自分の自身の裁量ではどうにもならないことにより、もはや今と同じような「極み」を味わうことが不可能になるという事実から、自死を選択するのである。この「極み」とは、社会的な成功や富のことでない。平凡な日常的なことにでもその「極み」を感ずることがある。どんな富豪王侯貴族セレブでも、同じようには「極み」を経験することは可能だが、それ以上ということはできない。須原氏は、その先例としてソクラテス、三島由紀夫、伊丹十三を上げる。

この本は、僕にとって元気づけられる本だ。といっても僕が自殺を考えているわけではない。「自死」とか「死」なんてタイトルは、人間の実存の根底に不安を与える言葉なので、これは奇妙なことだ。元気づけられるというのは、「罰系神経系と報酬系神経系」などの話が、僕の生き方にヒントを与えてくれるからだ。

この本の内容で上記の「罰系神経系と報酬系神経系」の他にも、たとえば自然死への論考や死の受容、虚無主義との非難についてなど順次紹介したいことは多いけど時間とスペースに制約があるのでカット。で、ここでは我田引水な話題で気がついたことを書こう。それは、須原さんのこの本から、僕の好きな思想家たちとの共通的なものが感じられるからだ。つまり同じ陣営の仲間だという気がする。まず王陽明との共通性。体感的知識を観念的知識(イデオロギー的な思い込み)より重視すること。性善説をとること。また「自分にとっての自分」と「自分にとっての世界」が体感でき納得できるという「普通主義」も、子供を見てかわいいと思うことで発現する王陽明のいうところの良知と共通している。親鸞(といわゆる妙好人)もこの本で唯一でてくる宗教思想家でしかも肯定的に取り上げられている。なおそれはもちろん極楽往生ということではないよ。過去のブログを見た人は、「ポパーはどうなった?」という人もいるかもしれない。実はそれも出て来た。解説を書いた浅羽通明氏によると、須原氏は世界思想社から出版されたポパーの「自由社会の哲学とその論敵」の翻訳者武田弘道氏を指導教官として、分析哲学を専攻したとある。

読書ノート:小島毅「近代日本の陽明学」(講談社選書メチエ)

2006-09-18 17:51:40 | 思想
このノートを書く前にこの本についての他の人のブログを検索してみた。本の種類のためか読者家の人が読んでいるみたいだ。宮崎哲弥氏が書評で推薦していたらしい。これらのブログではその主張がかなり好意的に受け止められている。でも僕の意見はちがうな。
この本が面白くないというのではない。その文章にはいろんなトリビアが混ぜられていて、また文体にも一人突っ込みみたいな軽妙な部分もありおもしろい。
あらかじめ反・陽明学と公言する著者によるこの本には、王陽明自身の主張や論と日本の陽明学者の論との詳細な対比分析はない。
この本の主張は、水戸学の大義名分論と陽明学の純粋動機主義が結合したものが靖国神社の英霊観にあるとのこと。でもさ、著者だってわかっているはずなのだが、まったく朱子学的な大義名分論は、心外の義つまり外部的なイデオロギーとして、陽明学が本質的に拒絶するものだ。また陽明学はいわゆる過激な行動の「動機」を讃えるわけではない。第一に心の本性に従ったならば中庸な点で行動が定まるとしている。第二に陽明学では心に不純なものが入っていないかを常に追求する。そのためパフォーマンスとしての過激な言動や破滅願望的な動機は排除される。
だから結論を言うと、幕末において水戸学的朱子学的大義名分論を奉じた人物と、陽明学を尊んだ人物とは重ならない。ただ国学が2つのグループを結びつけたことはあるだろう。
なお三島由紀夫が陽明学者を演じている朱子学者だという著者の意見には賛成だ。

偶然に見つけた論文

2006-07-22 23:25:55 | 思想
長い間書き込んでなかった。土日もいろいろ用事があって時間がとれなかったこともあるが、おもな理由はいろいろ本を買ってはいるが次々目移りしてまともに読み終えたものがないからだ。その場その場で思いつくことはあるのだが・・・
今日はインターネットのウエッブサイトで偶然みつけたある学者の論文を、両面印刷と割り付け印刷で1枚の紙に4ページ分を印刷して50ページぐらい読んだ。ある程度読み終えると次を印刷するとかたちで短いあいだに50ページぐらいになった。歳にもかかわらず老眼の兆候がなくかえって割り付け印刷の細かい文字の方が読みやすい(速読の訓練のせいか?)。
で、その論文についてだが、このブログに書くにはためらいがあった。というのは、その論文で俎上にのせられ批判されているのは恩師でもあり、そして今の僕の考えは批判者側に近いからだ。今の僕の立場(ポパリアン)からすれば、異なった考えを知ることは喜びであり、批判することも批判を聞くことも普通な行為なのだが、恩師というより恩師の拠って立つ思想はこれと大分異なっている(その事情はこの論文の中から理解できる)。したがって、僕がこの論文について肯定的な評価を表すことはフリクションが懸念される。
しかし相手と目的で言説をその場その場で変えて、つねに「(他の目的の)ためにする」言説を行うのはあの思想の人たちであり、わが道ではない。唄の文句ではないが、「どんなときも、どんなときも」である。
で、その論文というのは中央学院大学教授の裴富吉氏の「批判的経営学の興亡」という論文だ。http://www13.plala.or.jp/bae/sumiya.htm
ほぼ消滅したものに「なにをいまさら」ともいえるが、いまだからこそ「興亡」史が書かれる時期かもしれない。読んでみて、ああなるほどと改めて気がつく点がある。