セレンディピティ日記

読んでいる本、見たドラマなどからちょっと脱線して思いついたことを記録します。

読書ノート:上念司『デフレと円高の何が「悪」か』光文社新書

2010-02-16 09:41:49 | 社会経済
日本語には反語というものがある。あることを強く主張するため、反対の内容のことを疑問型にして表現するものである。反語かそうでないかは通常前後の文脈などであきらかであるので取り違える人はすくない。ところが僕はそれをしてしまった。『デフレと円高の何が「悪」か』というタイトルを書店でみたとき、一瞬これは反語として理解した。つまり『デフレと円高の何が「悪」か』=「いや悪くはない」。でもこれは反語ではなかった。ページを開くと勝間和代さんが序文を書いているのだから、本当にデフレを「悪」と言っている本なのだ。

ではなぜ僕がタイトルの内容を取り違えたのか。たぶんデフレのメリットの享受者なのだからかもしれない。上念氏は「・・たとえば収入が下がりにくい人、倒産の危険の少ない人、リストラされにくい人は、物価が下がるというメリットを享受できる立場にいます。そういう人って誰でしょう。そう、公務員とか大企業の正社員の皆さんです。」(p.27L.11~13)。でもそれ以上に、退職した公務員で貯金生活している者が一番のメリット享受者だ。それは僕だからつい潜在意識でデフレ擁護していてタイトルを読み間違えたのかもしれない。

この本は経済学の知識のない人でもわかるようにしかも経済学の知識を使いながら解説していく本である。法学部出身の上念氏が経済学を勉強していく過程を読者は追体験する本であるかもしれない。

さてこの本は、経済学の知識がない人はなるほどとよく納得するだろう。また経済学の知識の豊富な人も立場がちがってもその主張の経済的知識の裏付けを了解するだろう。ところが僕は納得も了解もしにくい点が多々ある。つまりそれは全く経済学の知識がないわけではないが、経済学の知識が十分あるというわけでもない中途半端な知識の持ち主ということにもよるが、一番の原因は僕がポアリアンということだ。ポアリアンでなくて経済学の知識のない人は著者の論証を素直に受け取って感心して、そしてマスコミ・政府・日銀はどうして馬鹿なのかと不思議に思うことだろう。ポアリアンでなくて経済学の専門家はこの本に使われる公式の権威で納得してしまうだろう。でもポパイアンである僕は、各項目で「アレレ?」と反証を思いつく。ポアリアンの元祖のカール・ポパー先生は、論争相手の理論の細かい弱点を見つけてはそれを訂正してより完成度の高いものにしてあげてから、全体をこっぴどく批判したそうだ。僕はこの本の主張を批判しきれないが、気付いた点はいくつかある。

まず上念氏は「中国デフレ原因説(いわゆる輸入デフレ説)はインチキ」だという。インチキかどうかは僕にはわからないが、いちおう「もし、安い中国製品が日本を10年上デフレに陥れていると仮定するなら、日本よりも中国からの輸入依存度の高い国は、日本以上デフレに見舞われていないと筋が通りません。しかし、全世界で10年以上デフレが続いているのは日本だけです。」(p.57L.3~6)という考えも了とする。しかしその後がおかしい。上念氏は各国(日本を含めて5カ国)の「輸入総額に占める中国の割合」を表にしめし、アメリカ等は日本よりその割合が高いのにデフレではない胸を張る。でもちょっと待て!輸入総額に占める中国の割合と、国民の消費生活全体の中国の割合は別のものだ。日本はご存知のように先進国のなかで食糧の海外依存率が一番高い国だ。アメリカは食糧だけでなく資源を含めて自国で完結できる能力を持つ大国で輸入依存する割合が資源小国の日本とははるかに違う。ほとんど海外に依存している日本の輸入量の16%と、輸入なしでもやっていけるアメリカの輸入量16.1%を比べて、アメリカの方が中国に依存しているといえるのか。

この本では、「デフレというのは、モノとお金のバランスが、お金不足によって崩れることで発生する現象だ、とここまで一貫して主張してきました。お金不足が原因ですから、お金を刷って供給すれば、かならずいつかデフレから脱却することができます。これは当たり前のことなのです。」(p.114L.3~6)という。上念氏の主張をまとめてみると。
(A)デフレに良いデフレはなく、デフレはかならず失業や倒産の原因となる。つまりデフレ=不況である。また一般的にインフレは好況である。
(B)デフレは貨幣の流通不足によって生じる。
(C)よって貨幣の供給を増やせば不況は克服できる。

(B)の主張は、マネタリストという人々の主張によく似ている。つまり全般的な物価水準は財の取引量を貨幣の供給量と流通速度の積で割ったものとなる。だがマネタリストの論理からは、こうしたことによる物価水準の上昇および下降つまりインフレおよびデフレは長期的にみれば実経済に影響を与えないとされている。だからデフレ下の好況もインフレ下の不況もありうる。一方(A)の主張はケインジアン的である。しかし70年代にインフレ下の不況(スタグフレイション)という事態がおこり、ケインジアンは後退してマネタリストが勃興した。だから上念氏の主張はマネタリストの貨幣理論にケインジアンの景気理論を接ぎ木したようである。異なる理論背景のものの接ぎ木だが、むしろ現代の経済政策論の一般傾向をあらわしているのかもしれない。ただ上念氏は学派上のアイデンテテイがないのであからさまに表現できるのだろう。

ところで、お金の流通が景気を決めるという同じ内容の主張は昔からある。この本の内容を検討するにあたり、昭和57年の古い本だが金森久雄さんの『景気の秘密』という本を読み返してみた。金森久雄さんは1960年代に経済企画庁の内国調査課長として経済白書を書いた人だ。70年代に『日本経済入門』という本を出されたので改訂版が出るたびに購入していた。あまり読んではいなかったが・・。今は80歳代後半だと思うが御存命のようだ。『景気の秘密』は一般向けの簡易な装丁の本だがなかなか内容は濃い。そこに代表的な景気循環の学説の7つのうち3番目に「貨幣説」というのがあげられていた。「これは、イギリスのR・G・ホートレー(1879-1975)という学者が主張したものである。彼は貨幣の流れが不況と好況の交替の、唯一、かつ十分な原因であるといった。すなわち、銀行がお金をどんどん貸すと、取引は活発となり、生産は増え経済活動が盛んになる。しかし、その結果物価が上がる。銀行がお金の貸し出しをおさえると、経済活動が縮小し、不況になるというような、通貨、信用の動きを重視する理論である。」(金森久雄『景気の秘密』潮文社、p.55L.4~8)

ホートレーの説は物価の上昇は経済活動の活発化の結果なので、貨幣量と物価水準を直接結びつけるマネタリストではない。しかし貨幣供給を増大させれば景気が良くなるという上念氏と同じ主張をしている。したがってホートレー説は上念説と同じ難点を持っている。金森さんの本の続きをみよう。「ホートレーの議論は、政策論的には、お金をうまくコントロールすれば、景気変動をなくすことができる、ということになる。だが金融政策では、景気のいきすぎを抑える時には有効であるが、不況から立ち直らせる時には、あまり効きめがないという見方もある。金融政策は、手綱のようなもので、それを引き締めれば、馬を引き止めることができるが、それを緩めたからといって、必ずしも馬が駆け出すとは限らないといわれるのである。・・・・・しかし、これを緩めたからといって、企業が積極的な投資欲を持っていなければ、設備投資を増やしたり、在庫投資を増やして、景気の拡大に転じるとは限らない。そのような時には、政府が直接公共投資等によって需要を作り出すことが必要になると考えられる。」(金森、同上p.56L.1~11)

上記の理由で、現在日本で低金利政策が続いているのに、貨幣供給が増えないのは、企業が積極的な投資欲を持っていないからだ。だから当然、上念氏の主張には多くの反論が出ている。それを上念氏は「資金需要」というマジックワードでコロリとだまされているという。なんせ「中央銀行は通貨発行を通じて単独でインフレを起こせるというあたり前の結論・・」(p.115L.8・9)。「そもそも、モノとお金のバランスによって価格は決定するわけですから、お金の供給が増えれば価格が上昇するというのは説明不要の理屈です。」(p.120L.10~12)。でも現実に「資金需要」がなければ貨幣は流通しないのだが。すると上念氏は最初に大きなブースターが必要という。でもそうなると需要の創出が先でその結果で経済活動が活発になって貨幣需要が出てくるということではないの。

この本では、過去のデフレ脱却の良い例として高橋是清をあげている。高橋是清が国債を発行して日銀に引き受けさせたので貨幣供給量が増えたという。でも経済史の通説では高橋是清は「日本のケインズ」とか「ケインズ以前のケインジアン」とか言われている。つまり国債の発行は、それを財源とした公共投資による財政政策と思われている。

ところで昨日(2月15日)の日経夕刊の一面は「GDP実質4.6%成長」というタイトルだ。10~12月が年率で4.6%の成長だ、名目成長率は0.9%だが物価の動向は過去最高の3%のデフレとなっているので、実質の成長率は4.6%となる。過去最高のデフレ下での大幅なGDP成長をこれを上念氏はどう見るのだろうか。

これを書いているうち、日本の今のデフレは通貨供給量の問題ではなく、一つには中国等の安い海外製品に日本の依存度が大きくなっていることと、それを含めて流通形態の改変が進行しているせいだと思うようになった。貨幣流通量の不足というより、大竹慎一氏の本からの受け売りだが、諸外国に比して高かった日本の物価世界標準に近づいてきたと見るのが正解じゃないのかな。ずっと東京が世界1物価の高い都市だったもの。これがいつまでも是正されないのなら企業も消費者もなんら創意も工夫も努力もしない国民ということになる。

ポパリアンだからいろんな反論が浮かんでくるのでこんな批判めいた文章を書いてしまった。だから上念氏を敵と思っているわけではない。むしろこの本からは、上念氏はポパリアンであるという匂いが感じられる。でもポパリアンは主人持ちのセクト(宗派)の奴隷ではないので、身びいきや非学問的な遠慮とは無縁なので批判は批判としてせざるをえない。上念氏がポパリアンだと思う根拠の1つは198・198ページに引用された石橋湛山の1936年の記事の引用。これはポパーより以前に表明された「漸次的社会工学」の表明だと思う。また207ページにある「政治の究極目的は、『苦しんでいる人の苦しみを最小にすること』」という文面は明らかにポパーを意識したものと思える。また上念氏がその本で大きく影響うけたとしている野口旭氏は、ぼくもその人の本を読んだことがあるが、明示的なポパリアンであった。

ところでこの本ではデフレは絶対悪でこれを放置するのは弱い立場の人をさらにくるしめるという断定と気負いにあふれているが、ちょっと待った。思い起こせばインフレの時にはインフレによる物価高が弱い立場の人を苦しめるという話はよく聞いた。「物価があがって年金生活者が困窮している」とか。古くは江戸時代「コメの値段が大幅に上がったため、江戸の下層町民は大いに困窮した。潤うのは収入をコメで得ている武士と値上げ期待で売り惜しみする大商人だ」なんてね。

この本では出てこないが、世にいう「デフレスパイラル」という言葉もなんもおかしいと思っている。商品の値段が下がる→会社の利益が減る→給料が減る→モノが売れなくなる→商品の値段が下がる→会社の利益が減る・・・。スパイラルというと同じ事を永遠に繰り返すというイメージだけど、おかしいよ。モノが売れなくて商品の値段を下げるのはわかるが、その後に来るのは、採算が取れなくなった企業は撤収して、採算の取れる企業が残るという形でこのリンクは終焉する。永遠に値段を下げ続けられる企業はない。

ところで金森久雄さんの『景気の謎』という本に戻るが、景気循環の学説の5番目に「過小消費説」というのがある。マルクスやJ・A・ホブソン(1858-1940)という経済学者の説だ。「ものを作っても、だれも買う人がいなければ生産者は損をして不況になる。消費が足りないことが、不況の原因だという説である。それではどうして過小消費になるのかという点については、いろいろ見方が分かれるけれども、マルクスやボブソンの考え方では、
資本主義がだんだん発達していくと、富の分配が不平等になって、金持ちと貧乏人の差が開く。金持ちは、お金がたくさんあっても、その大部分を貯蓄してあまり消費をしない。一方、貧乏人の方は、買いたいものはたくさんあるが、お金がないから、これも消費しない。結局、経済全体としては消費がのびなくなるという考え方である。」(金森久雄『景気の秘密』潮文社、p.59L.12~p.60L.4)

金森さんはマルクスとボブスンの説は3つ欠陥があって当てはまらないが、消費が過小で不況になるときは確かに存在するとのことであった。「富の分配による不平等」も含めて今がその時ではないのだろうか。

僕の主張をまとめると、経済停滞の原因は、富の分配の不平等による過小消費である。デフレは不況の原因ではない。低所得者にはデフレで商品価格が安くなって救われているものもいる。いまの日本のデフレは世界一高かった日本の物価の是正作用で、中国での生産加工も含めて流通形態の変革によるものである。