4月から仕事が変わった。またもや新しい仕事だ。まだ全体像とか何処までやるべきものなのかの程度等がわからないが、新しい仕事に取り組むことは楽しい。旧の職場の人からはあなたは「△△の仕事に合った人なのに・・・」とのお言葉をいただいたが、今は□□の人の気分だ。△△の仕事もいろいろエピソードがあって楽しかったが、ひとたびビジネススタイルを作ってしまうと、次のときはそれを繰り返す時にあまり気乗りがしなくなっていた。自分とは異なる意見とか理論を知るのが好きなのはポパー哲学の影響だと思っていたが、今までと異なる仕事が楽しみになるのもポパー哲学の影響かな。
とは言うものは、就業時間の関係で朝がずっと早くなった。早く始まる半面、早く終わるはずであったが最初の1週間は時間延長で早く帰れなかった。また早くなった定められた始業時間よりもさらに早く出勤が要請されたので、朝は以前より2時間早く5時起きとなった。それで早く寝なければならないので、初めの1週間は自分自身の時間が大きく減った感じがした。でも2週間目は定刻に帰れるようになり、朝も定められた開始時間の45分前に職場に着いていたが、就業時間までは本が読めることに気が付いて、通勤中とあわせて2~3日で文庫本1冊を読んでいる。
文庫本ではないが、昨日と今日の休日で河村哲夫「立花宗茂」(西日本新聞社)を読んだ。これまで読んだ立花宗茂関連本では学研M文庫の志木沢郁「立花宗茂」が一番よかったが、この本もなかなかよい。志木沢本にあまり載っていない肥後の国人一揆や文禄・慶長の役の行動が載っていた。とくに秀吉の死により日本軍が撤退するときに、宗茂が遠くにいる小西行長を救出せずに帰国することは国の恥だといって自分だけでも残って救出すると言ったエピソードが載っている。この2冊が特によいのは、おそらく著者たちの宗茂への共感が特に強いからだと思う。
ところで、この本で島原の乱のとき、宗茂がまだ現地に着いていなくて、養嗣子の立花忠茂が柳川軍を指揮していたが、板倉重昌が支援を要請してきた時に、忠茂はその前の時に柳川軍が支援を要請したのに支援を得られず多くの犠牲を出したことを理由に支援をしなかった。従軍していた宗茂の股肱の臣の十時摂津もそれに従ったとのことだ。宗茂がいたら絶対に支援をしたと思うのだが。十時は81歳だから気力が衰えていたのか?この件についてあとで宗茂が考えどう言ったか書いていない。まああからさまな非難はしなかったと思うが
とは言うものは、就業時間の関係で朝がずっと早くなった。早く始まる半面、早く終わるはずであったが最初の1週間は時間延長で早く帰れなかった。また早くなった定められた始業時間よりもさらに早く出勤が要請されたので、朝は以前より2時間早く5時起きとなった。それで早く寝なければならないので、初めの1週間は自分自身の時間が大きく減った感じがした。でも2週間目は定刻に帰れるようになり、朝も定められた開始時間の45分前に職場に着いていたが、就業時間までは本が読めることに気が付いて、通勤中とあわせて2~3日で文庫本1冊を読んでいる。
文庫本ではないが、昨日と今日の休日で河村哲夫「立花宗茂」(西日本新聞社)を読んだ。これまで読んだ立花宗茂関連本では学研M文庫の志木沢郁「立花宗茂」が一番よかったが、この本もなかなかよい。志木沢本にあまり載っていない肥後の国人一揆や文禄・慶長の役の行動が載っていた。とくに秀吉の死により日本軍が撤退するときに、宗茂が遠くにいる小西行長を救出せずに帰国することは国の恥だといって自分だけでも残って救出すると言ったエピソードが載っている。この2冊が特によいのは、おそらく著者たちの宗茂への共感が特に強いからだと思う。
ところで、この本で島原の乱のとき、宗茂がまだ現地に着いていなくて、養嗣子の立花忠茂が柳川軍を指揮していたが、板倉重昌が支援を要請してきた時に、忠茂はその前の時に柳川軍が支援を要請したのに支援を得られず多くの犠牲を出したことを理由に支援をしなかった。従軍していた宗茂の股肱の臣の十時摂津もそれに従ったとのことだ。宗茂がいたら絶対に支援をしたと思うのだが。十時は81歳だから気力が衰えていたのか?この件についてあとで宗茂が考えどう言ったか書いていない。まああからさまな非難はしなかったと思うが