セレンディピティ日記

読んでいる本、見たドラマなどからちょっと脱線して思いついたことを記録します。

鑑賞ノート:テレビ番組「大韓航空機爆破事件から20年・金賢姫を捕らえた男対たち」

2007-12-16 18:54:11 | 文化
昨日(12月15日(土))テレビ番組「大韓航空機爆破事件から20年・金賢姫を捕らえた男対たち」を見た。1987年11月29日に大韓航空のボーイング707が経由地のアブダビを立ち次ぎの経由地のバンコクに向かう途中のベンガル湾で消息をたった事件。アブダビで降りた日本人を装った北朝鮮工作員による爆弾設置による空中爆破であった。ノンフィクションドラマ仕立ての番組では、2つの大使館にまたがる日本人大使館員の3人が、アブダビで降りた乗客名簿の中に日本人名の父娘を装う2人を発見し、爆破墜落したと推定される大韓航空機が日本人によるものであった場合日韓関係に深刻な影響がでる事を懸念して、真相を突きとめようと孤立無援の中で奮闘して、娘役の蜂谷真由美こと金賢姫を確保した。父親役の男はその場で青酸カリによる服毒自殺をした。これにより事件は北朝鮮工作員によることが明らかになり、日韓関係への深刻な影響は避けられた。
 このドラマで同じように感じた人も多いと思うのだが、この3人の大使館員はプロパーの外務省職員とは違う。一人は語学力があって中途採用で採用された人。一人は民間企業からの出向者。最後の一人は防衛庁からの出向者だが、キャリア官僚ではなくヘリコプターの操縦もしたこともある陸上自衛隊の制服組だった人だ。で、元々の外務官僚といえば、余分なことをするなといわんばかりの非協力なのだ。もっとも大使の一人は食事会の席で訴えたら、電話による調査を手伝ってくれたけどね。別の大使館の一人は調査のため出張させてくれといったら、上司の参事官から、「君にだけ特別扱いするわけには行かない」といわれて拒否された。でもおかしな話だな、大使館は非常の事態に備えるのも仕事なのだから、法令違反になるのではないのなら非常の事態のときは、必要なら特別な取り扱いは当然のことだと思う。
外務省に学校卒業後からどっぷりつかっている外務省一筋のはずの役人が、日韓関係の危機なんてことは少しも気にしないでいるのに、外から来たものだけが、国益を真剣に考えていたのだ。
ある目的のために設立された組織でも、外部からその目的のために合理的に運用されているかのコントロールがなされないと、その組織の存続と成員の福利のみが自己目的化してくる。日本の官僚組織は(日本だけでないけど特に日本は)、国も地方も、本来の目的は二の次となり、組織の存続事態が自己目的化してくる。コントロールのために国会や議会もあるが、それらの議員もその利益共同体に巻き込まれているので、一連托生だ。だから河村議員だけがまともだ。存続事態が自己目的化してくると、本来の目的のために働くものはいなくなる。薬害肝炎について薬剤を投与された人に、知らせなければと思った役人は一人もいなかったとのことである。
日本社会で時々みられる誤った思い込みには、2つある。一つは、民間にやらせると利益を追求するから、役所がやったほうがいいというもの。これは無数の事実で否定される。むかし運輸省がキャンペーンを張って、競艇のあがりを社会に還元する船舶振興財団(現、日本財団)が特定人物(笹川良一氏)に支配されているのはよくないとして、運輸省の勢力下(天下り先)に取り込もうとした。でもね、競艇は競輪競馬よりも金額規模が大きのだけど、ずっと少ない職員で運営して遥かに大きな金額(割合も)を社会に還元しているのだよ。運輸省のたくらみは挫折した。成功していたら、競艇の上がりは役人の天下りにより食い荒らされていたよ。現在も日本財団では理事長は無給の著名人がやっている。有給にすると役人が食指を伸ばして介入しようとするからだ。
だから民間・役所の双方とも、国民(住民)の利益とは別の誰かの利益のために運営されているのだ。アダム・スミスの見えざる手を考えれば、はるかに民間にできるなら民間にしたほうが国民の利益には効率的だ。伊東光晴元京都大学教授によると、昔旧ソ連から日本に来た経済学者が驚くことは、利潤対追求の私鉄のほうが国鉄より運賃が安いことだったそうだ。
あ、でも僕はなんでも民営化論者ではない。費用の徴収方法とかいろんな要件で、公営でしかできない場合もある。また公営事業のままで民間の下請け活用も、本来の民営でないので一概に肯定できない。民間企業でも政府の免許で保護されているのはやはり問題だ。なんで放送局の給与はそんなに高いのかを考えてみよう。
そうそう、誤った思い込みのもう一つは、日本では政治家はだめでも、官僚が優秀だから持っているというもの。そんなの否定する証拠は無数に出てくる。こんな思い込みがでてくるのは、入学に難しい大学を出た人がむつかしい試験をくぐって採用されているから、優秀に違いないと思ってしまうからだと思う。でも昔の帝国陸軍でも、難しい士官学校をでて士官になった者のなかで特に優秀だと部隊から推薦されて試験を受けて入った陸軍大学をさらに首席か次席で卒業した人間が将官になっていた。それで陸軍大将といえば子供の理想の目標第1だった。でもソ連でもアメリカでも不思議と評価は一致して、兵士は勇敢、士官は優秀、でも指揮官はほとんど無能、というものだった。だから試験だけでの思い込みは間違っている。無能になるのはやはり組織の自己目的化とその中での自己の出世しか考えなくなるから。役人上がりの政治家でも、次官とか遅くまで役人をやった人はあまり活躍しないな。早く役人を辞めた人はまだ活躍している。でも役人経験がない2世議員のほうが大きな活躍するのは単に議員歴が長いだけだろうか?

映画鑑賞ノート:森田芳光監督「椿三十郎」

2007-12-06 21:40:16 | 文化
黒澤監督の「椿三十郎」の森田芳光監督によるリメイク版を見た。以下その思いついたことをノートする。

まず映画の最初の場面に杉の植樹林の林が出てきた。その中を数人の若侍が集合場所のお堂を目指して走っていくのだが、なんか変な気がした。広葉樹の多い雑木林の方が良いのではないか?時代的に齟齬があるような気がするが、必ずしも誤りとは言いきれない。先日のサンデープロジェクトでも放送していたのだが、杉の植林は戦後農林省の指導で大々的に実施されたが、植林自体は古代より何度も奨励されてきたからその当時になかったとはいえない。それ以上に垂直に伸びて平行に何本も並んでいるようすが幾何学的すぎて、この場面には不釣合いだし、城下町の外れならやはり雑木林のほうがいいのではと思った。

つぎに、9人の若侍の様子が、感情オーバーで騒がしすぎて不自然だ。シナリオが黒澤版と同じなのになぜか気に触るのは、黒澤版の三船敏郎演じる椿三十郎が、大人らしさが板についていたからそれとの対比で若侍が子どもっぽくなるのも自然に見えていたかもしれないが、森田版では織田裕二の椿三十郎も大人に見えないので、若侍の方も不自然さが目立つのかもしれない。本来ならば不安で落ち込んでもいいのではないかと思う。

このドラマの設定はおかしい。次席家老達の不正を弾劾したのがこの9人の若侍というのも不自然だ。なかには前髪の元服前と思われるものがいる。総じてこの者達は出仕していないか出仕していても重要な仕事についていないものと思われる。そんな者達が家老達の不正の証拠を掴んだとは思えない。証拠もなしに糾弾したところで、笑い飛ばせばすむことで、家中総出で捉えにくるのはかえっておかしい。リアルな設定にするのなら20代後半か30代のある程度の役職についているいわゆる「青年将校」的な設定にするのがただしい。

城代家老の睦田夫人を中村玉緒が演じていたが、これはミスキャスト。演技がどうのこうのではなく、年をとり過ぎている。武家の嫁入り前の娘の母なら、30代後半か40代の設定がただしい。ちょっと抜けたような人の良さとまだ残っている色気とか上品な美しさが結びついて生きてくるのに、60代以上と思われるようでは、夫人のキャラクターが生きてこない。

このドラマは、よく考えると凄く悲惨な話だ。運良く夫人に救われた、大目付の手下の侍の話では、彼らは悪いのは城代家老のほうだと聞かされている。それらの悪気のない侍たちを椿三十郎は、死人にくちなしと何十人も殺している。この大名家の家中に膨大の数の遺族を作り出しているわけだ。現実の話だとしたら、何十年も消えない大きな傷跡を家中に残すことになるぞ。

終わりのほうで、助けられた城代家老が椿三十郎のような男が家中にいては困ると言っていた。あれ!椿三十郎と同じタイプと言う設定となっている悪役側の室戸半兵衛が、大目付の片腕で活躍していたぞ。悪役のほうが人材登用に熱心なのだ。視点を変えればどちらが悪役かわからなくなる。これはこの映画の誤りではなく、ひょっとしたら数少ない真実をついたところかな?