セレンディピティ日記

読んでいる本、見たドラマなどからちょっと脱線して思いついたことを記録します。

読書ノート:魚住昭「証言 村上正邦 我、国に裏切られようとも」講談社

2007-10-21 00:29:55 | 文化
以前の参議院自民党のドンで、現在、受託収賄容疑で係争中の村上正邦氏を、その生い立ちから現在までについてインタビューした記録をジャーナリストでノンフィクション作家の魚住昭氏がまとめたもの。ところどころに関係者の証言や当時の新聞記事が引用される他はほとんど村上氏の独白と言う形をとっている。それでも魚住氏の著作であるのは村上氏の発言を忠実に記録しているが本として選択構成した責任は魚住氏にあるということである。
魚住氏の本は以前に「渡邉恒雄 メディアと権力」を読んで大変おもしろかった。東大の共産党学生細胞のキャップだったが党本部のフラクション工作によって指導部から追放された渡邉氏が、読売新聞社に入ってから、以前自分が受けた共産党的手法を使って社内の権力を握っていったのが興味深かった。
この「証言 村上正邦 我、国に裏切られようとも」の変わっている点はもっと別のところにある。村上氏は自民党でも右派(氏自身は民族派といっている)を代表する人物だ。その人物について本人の発言をそのまま左派と思われる魚住氏が記録し、これまた左派とおもわれる「世界」に連載されている。しかもその取材過程で(誌名からして)右派とおもわれる「月刊日本」の発行者の協力も得ているという、呉越同舟でできた本と言う感じだ。
村上氏が係争中の受託収賄事件というのは、KSDの理事長からお金をもらって、国会で質問してものづくり大学について有利な政府答弁を引き出したということだ。村上氏は容疑を否認している。その根拠の一つはKSDの理事長はものづくり大学に乗り気ではなかった、だから理事長がお金をだしてまで質問を要請するわけはない。これは検察がにぎっているが裁判に提出しなかった当時の関係者の会合時の録音テープでわかるとのことだ。もう一つはお金を授受は質問してからかなり後だから、質問との関連はないとのことだ。まあ村上氏の言うとおりかもしれないが、5000万円という大金が動いた点と、この本には書いてないが、ものづくり大学が最初に提唱された佐渡ではなくて、村上氏の関係の深い土地に建てられたことは釈然としない。
さて魚住氏は、村上氏が左派になっておかしくない経歴を持つと言う。それは若いころ鉱夫ではなかったが、炭鉱(測量課)で夜間高校に通学しながら働いていて、会社に買収されている組合役員に対抗して役員に立候補したことがあるからだ。夜間高校卒業後、恩師のつてで東京の拓殖大学に入学する。拓殖大学では応援団にはいるのだが、1年生でもたちまちリーダーになっていく。参議院でもはやくリーダーになったような気がする。これはやらねばならないと思ったことはすぐ行動を起こす氏の性格の賜物かもしれない。この点は、参議院議員になって屋久島の千年杉の保存や、障害者雇用法などにつくしたことに現われている。だいたい国の役人は省益や退職後の天下り先の確保に役立つ施策以外は、新しい政策はどっかの既得権の恨みを買うおそれがあるから、熱心ではない(様な気がする)。だから政治家の発議は必要だ。だだ、村上氏は元号法や国旗国歌法などの成立のも力をつくした。これは自己の内面からきたものかイデオロギーによるものか。ただこうしたものは後ろに団体がくっついているのが気になる。
村上氏は宗教団体の生長の家の応援を得て参議院議員になった。おなじように議員になったのは玉置和郎がいる。じつは政治家をめざしていた玉置氏が協力者として村上氏をさそったのだが、じつは2人とも元々は生長の家の信者でなかった。政治家になることを決めてから当選するための票田として入ることになった。参議院議員には玉置氏が先に立候補したが、信者から当選目当てに入信したと思われて(事実そうだったけど)あまり票が集まらなくて落選した。まあその後、玉置氏に続いて村上氏も当選した。信仰も本物らしくなってきたみたいだ。
生長の家というのは、ある時期まで民族派の中心勢力でもあった。現在でも「日本会議」や「新しい歴史教科書を作る会」などには生長の家の出身者が多い。ただ途中で、まず政治活動を停止した。そのあと教祖の谷口雅春氏が亡くなった後で、後継者が日中戦争は侵略戦争だったと認めるなど民族派色を脱皮しつつある。万教帰一という教理からみれば民族色が強すぎるのはおかしい気がするから、当然とも思えるが、古くからの信者の反発は強いらしい。
国会での戦後50年決議の時、国会の控え室に民族派の団体の代表者が控えていて、村上氏が自民党と団体の間に入って「侵略」と言う言葉を入れさせないよう努力したらしい。結局は村上氏がだまされた形で、侵略を認める内容の決議になった。でもさ、これらの団体とそれに従う村上氏の侵略否定はイデオロギーによるもので、見苦しいものだ。結果としてアジア諸国が独立したとしても、それは日中戦争の行き詰まりから暴走した日米開戦の後付の理由で論理的でない。アジア諸国の独立にしても日米開戦以前にインドの独立もフィリッピンの独立も日程にあがっていたし、日本の占領は資源確保のための欧米にかわる日本による占領で独立させるものでもなかった。だいたい他国に兵を進めたのだから言い訳はできない。邦人保護を理由にしても相手国の領土内のことだから抗議や引き上げのための緊急派遣はできるが軍を長期にとどめることはできない。だから昔からの日本人の感覚としてはあれこれ言い訳せず侵略は侵略として認めることだ。もちろん中国兵の方が中国人民にひどいことをしている例もあるだろうが、それを言い訳にしてはいけない。子どもでもそんなことではいい大人にならない(だって**ちゃんもやっているもん)。不当に過大な罪を言われることもあるかもしれないが、そんなときは適宜、根拠をださせて必要な反論して訂正をもとめればよい。武士は言い訳をしないものだ。明治以後、日本が朱子学国家してしまったため、言葉で自己弁護するようになった。