セレンディピティ日記

読んでいる本、見たドラマなどからちょっと脱線して思いついたことを記録します。

読書ノート:上田秀人「勘定吟味役異聞」(一)~(五)

2008-02-16 21:39:26 | 文化
読書ノート:上田秀人「勘定吟味役異聞」(一)~(五)

舞台は徳川六代将軍家宣から七代家継の時代、もっとも物語はまだ続くのだから八代吉宗の時代にも続くかもしれないが、読んだ5巻まででは家継が幼くして将軍家の当主だ。主人公は幕府の勘定吟味役という役職についている水城聡四郎という旗本だ。勘定吟味役は幕府のお金の支出や天領の監査にかかわる役職で、勘定吟味役が同意しないと幕府はお金の支出ができない、という権限の強い役職だ。旗本の最高役職である勘定奉行の次席にあたるというから高級官僚ということになる。でもこの水城聡四郎の場合はかなり様子が違っている。勘定吟味役には江戸城内の御用部屋に下役の役人がかなりいるのだが、複数いる勘定吟味役の1人である水城聡四郎を助けてくれる下役はたった1人で、また彼のところには書類はまわってこない。そんなわけか水城聡四郎は末端調査員よろしく自らで歩いて調査し、そのたびに刺客に命をねらわれることになる。でも水城聡四郎が他の勘定方の役人と大いに違うところは、ソロバンはだめだけど、剣は達人なのだ。
水城聡四郎がなぜこんな立場になったかというと、水城家の事情と幕府内の権力闘争に関係がある。水城家は旗本のなかでも代々勘定方の役職についてきた家だ。そうした家の男は通常は武芸の稽古はおざなりで算勘の修養はするものだが、聡四郎は4男であり家と勘定方の役職を継ぐ可能性はほとんどないため、剣術それも授業料の安いマイナーな流派の道場の稽古にのめりこんでいたわけだ。ところが家をついだ長兄が急死し、次兄三兄は他家へ養子に出てしまっていたので、聡四郎が水城家の当主となった。でも算勘の心得があるわけではないので無役の小普請組となっていた。そのころ将軍家宣の師として権勢をもっていた新井白石が、前将軍綱吉のときから幕府財政を握っている勘定奉行の荻原近江守の追い落としを図るため、勘定方の家筋だが勘定方にしがらみなく、その上剣の腕も立つ聡四郎を幕府の金の流れを監査する勘定吟味役に抜擢し、荻原近江守の弱みを探ろうとしたのだ。ふつうテレビ時代劇だと、こうした主人公に指令を与える大物は、なかなかの人物となっているが、この小説では違う。新井白石は狷介な人物でやがて権力亡者なっていく人物として描かれていく。聡四郎の活躍で荻原近江守は失脚したが、聡四郎へはちょっとの加増があっただけで、しかも新井白石の手先とみられ勘定方の御用部屋ではまったく孤立してしまっている。唯一の味方は荻原近江守に娘婿を殺された太田彦左衛門という下役のみだ。しかも白石が同じ将軍家宣の寵臣だった間部越前守の弱みを聡四郎に調査させたとき、聡四郎は天下のため自己の判断で証拠を抹消したため、白石からも敵視されるようになったのだ。
勘定吟味役という文官の高官なのだが、聡四郎は切れ者というキャラクターではない。新井白石の話している意図を聡四郎がわからないので、白石が太田彦左衛門に聡四郎に説明してやれという場面が出てきたくらいだ。だから不思議なのだが、新井白石という頭のよさを鼻にかけている人物が、剣の腕としがらみのなさという利点があるとしても、頭がそれほどきれない聡四郎に目をつけるって現実にはありえないよね。まあフィクションだからそんな矛盾は出てくるかも。
本人は頭が特によくなくても、また幕府のなかで孤立していても、聡四郎の周りにはいっぱい頭のいい人間がいる。下役の太田彦左衛門の他に、剣術の師は高齢のはずだがかなりするどいぞ。人入れ屋の父娘も頭がいい。吉原の惣名主の西田屋もいる。まあそうした人々の知恵と知識の協力でこの時期の幕府と大名の歴史に載らない権力闘争と陰謀の謎が解かれるわけだ。
この本は、当時の経済や幕府機構や風俗までよく調べてあって、いわゆる勉強になりおもしろくて読んでいる。だからついリアリティを期待すると、エンターテイメントのチャンバラについて、これはありえないと思ってしまう。主人公はいくども刺客に襲われる。秘密を感づかれそうになった者が刺客を放つのだが、もちろん主人公が切り捨てるのだが、死体はそのまま路に捨て置くのだ。幕府高官が何度も襲われるが、それがまったく表に出ないのだ。理屈としては刺客のほうは秘密を守るためだから自分の身元が分かるものは身に着けていないし、刺客を放った黒幕のほうも名乗り出ない。聡四郎のほうも幕府に人を斬ったと届けて何らかの処罰されるのはかなわないので届けない。だから、太田彦左衛門かだれか聡四郎の仲間が彼に、このごろ辻斬りが多くまた侍が死んでいたそうだと話すと、聡四郎がその辻斬りとは自分だという場面があった。まあ時代劇とはこういうものだということで割り切ろう。
でも割り切れないのは、剣を抜くと残酷なことだ。設定としては、戦での命のやり取りを基本としている流派の心構えと思えるが、明らかに腕が落ちるものに対しても、峰打ちなどはしない。まあ逃げるものはほって置くから血に飢えているわけではないが。切った相手がまだ生きていて出血していて、手当てすれば助かるかもしれなくてもほっておく。刀を抜いた限りは自己責任という考えかな。でもあきらかに残酷という場面がある。吉原にいる人別を失った亡八という男達に襲われたとき、亡八の雇い主は、亡八達に死後の墓をえさに奮起させている。亡八は通常死んだら吉原付近の穴に棄てられるが、それでは再び人間に生まれかわれないから、墓がほしいのだ。その後になるが、聡四郎が自宅で尾張藩の刺客に襲われた時、自宅に刺客の死体を置くわけにはいかないが、尾張藩の屋敷前に運ぶのもいやみたらしいということで、それらの死体を亡八たちの穴に放り込んでしまう。ふつうなら尾張藩の屋敷に運んで家族の元で葬られるようと思うのだが、刺客なら動物に生まれ変わっていいというのか。家族が刺客の行方がわからないままでいいのかなと思う。ただし尾張藩主吉通は失敗したものに冷たいから、結果は似たようなものになったかもしれないが、聡四郎はそんな尾張藩の事情は知らないはずだ。
その後の話しだが、参勤中の和歌山藩主吉宗が尾張藩の刺客に襲われた時、聡四郎も協力して撃退したのだが、吉宗が逃げ遅れた刺客を皆殺しにしたのを、聡四郎が非難したので、「お!読者から意見でもでて作者が聡四郎の残酷を修正したのかな?」と思った。しかし今思うに、ひょっとしたら聡四郎は向かってくるものは手加減なく斬るが、逃げるものや戦闘能力を失った者はそれ以上何もしない、という方針で一貫しているかもしれない。
でも、その後京都で、ならず者の集団に襲われた時、ある者には片手首、ある者は両手首を切り落としている。武士に刀を抜かせた者の自己責任で、弱いから命はとらずに手首だけにしたのかもしれないが、やはり残酷だ。
あ!6巻でていたのだね、買いに行かなきゃ。