セレンディピティ日記

読んでいる本、見たドラマなどからちょっと脱線して思いついたことを記録します。

2022/06/20

2022-06-20 05:25:00 | 文化

喪脚記 その8  メイトウホスピタル


6月14日火曜日に転院した。新しい病院は名東区のメイトウホスピタルだ。一応第二日赤病院で治療は終わっているのでこの病院ではリハビリが中心となる。第二日赤でもリハビリの訓練はしたが1日1時間だった。ここでは1日に4回20分から60分のリハビリの時間がある。土日も休みなしでリハビリの時間ごとに理学療法士とか作業療法士とか担当が違っている。

食事は第二日赤ではうす味だが、メイトウホスピタルでは街の食堂のような味。

第二日赤では看護師は白色だがメイトウホスピタルではカラーである。まるでスタートレックの宇宙船の乗組員の制服のようだ。

転院した翌日に義肢を作るための採寸をした。来週つまり20日から始まる週に義肢の元型ができてそれから調整がはじまる。

うまくフィットするものができても使いこなすにはまだまだ時間がかかりそうだ。ひとつには右脚のあった時の感覚が抜けきらず身体の重心が取りづらいことと、義肢を使いこなす新たな筋力ができないといけない。また今右脚の残っている太もものむくみが減ってしまらなければならない。7月10日の参議院選挙までには家に帰れないなあ。でも第二赤十字病院から7月27日に第二赤十字病院に受信するように言われているので、その頃には自宅に帰っていると医者もみているのだろう


喪脚記 その7

2022-06-05 15:50:00 | 文化



僕の1ヶ月を超える入院は同室の患者に比べてもだいぶ長いようだ。でも僕が重篤というわけでなく退院する人々よりも確実に元気だ。僕の入院期間が長くなるのは僕の病状(?)に特長があると思われる。よく手や足を失った人が、無いはずの手や足や足があるような感覚がするという。僕の場合がそれで、切り取った足がまだあって地に足が付いている感覚がすることがある。こ無い脚の部分が傷んだりしびれたりするのはいつものことだ。

問題なのは右脚が今でもある感覚があるので、うっかりその感覚に基づいた行動をしてしまうことである。ある時寝ぼけていたので車椅子に移る特、右脚が地面を踏んでいるように思い込み左脚を出してひっくり返ってしまった。右脚の切り口が地面に触れた気がしたが、さいわい出血もなにもなかった。こんなわけで僕が車椅子に乗るときは必ず介護がいる。だから偽の感覚がなくなるまで僕の退院は無いかもしれない。

ただ医療処置はもうないので、リハビリのための次の施設が空き次第そちらに移されそうだ。義肢ができて、それに慣れて日常生活に支障なく暮らせるようになるのはいつか。


喪脚記 その5 素人の医学的所見

2022-06-01 23:11:00 | 生活

右足のふくらはぎの筋膜の下の肉数センチを切り取る手術はもうのべた。密集した肉の固まりが血液の流れを阻害して血栓ができやすくなっているので肉を削るということである。しかしカテーテル手術の失敗の結果、そのふくらはぎ含めて右脚は切断される予定なのでその手術は本当に必要だったのかと疑問が湧いたのは先に書いたとおりである。

でもこれから言いたいのはそのことではない。たしか40代の時職場の健康診断で酷い高血圧だからすぐ医者に行きなさいと言われた。それ以来職場近くの医者や住所近くの医者に通った。そこでは必ず降圧剤を処方された。でも今考えると、降圧剤を処方するよりなにが高血圧の原因かを調べる方が重要ではなのかと思う。確かに検査には費用がかかる。でも一生死ぬまで降圧剤を飲み続けるのも膨大な医療負担だ。


喪脚記 その6 第二日赤十字病院


僕が今入院してるのは八事にある第二赤十字病院だ。人生で入院したのはこれが初めてだ。しかも4月29日から数えるとこれを書いてる今6月1日では1ヶ月以上たっている。もう少しここにいてさらに別の施設に移る予定だ。と言っても重体というわけでなく、切ったあともきれいにふさがっているしリハビリ活動もしっかりできているとのことで、順調に回復してるといえる。

入院生活についていうと時間感覚がおかしくなる。何時間もたってと思ってもまだ1時間ぐらいしかたっていない。病室に時計が無いからかもしれない。別に時計が禁止されているわけでもない。スマホを見れば時間はわかるし、テレビをつけて時間を知ることができる。ただふと見る時計がないためつい感覚だけの時間になってしまう。

次に3食の食事はうすあじだ。ラーメンや握り寿司が恋しくなる。量が多くないせいか毎回完食している。

第二赤十字病院の看護婦は美人が多い気がする。もっともマスクで顔の半分は隠れているが。ハードな職場のため体力のある若い人が多いから美人が多いと思ってしまうのかもしれない。あえて思い込みをもう一つ加えると、最初に入った救急病棟が美人が多い。

病室は3つめで4人部屋だ。いつも窓ぎわのベットにしてくれた。これは僕が長くかかるとの配慮かもしれない。病室の窓から外を望むと、高級ホテルにいるような気がする。行ったことないけど。でもベットの上にいるとカーテンで囲まれていて、外の声も少し聞こえてくると、ホームレスの住居にいる気もする。

第二赤十字病院の看護士はなにか徽章のようなものをつけている。それで軍隊的な感じがした。もともと戦場で敵味方分け隔てなくと言っても、負傷した捕虜は管理に手間がかかるが、殺してしまうと非難される。また負傷した味方は保護や移送に戦力をそがれる。それで戦争を前提とした敵味方の共通利益の機関ができたような気がする。戦争に付随した機関だからより多くの命を救うことは努めるが、患者の予後の生活の利便性は二の次になるのでは。