セレンディピティ日記

読んでいる本、見たドラマなどからちょっと脱線して思いついたことを記録します。

女帝よりも側室設置か南朝復活

2005-07-31 20:36:46 | 歴史
皇室の次世代に男子がいないことから女帝を認めるかどうかの議論が起っているけど、当然出てくるべき2つの方策が話されていないのは不思議だ。
あまり調べてはいないけど、皇室典範を改定して女帝を認めることによって、今の皇太子と秋篠宮の後に天皇家が途絶えること防ごうというのが主要な論調らしい。他国でも女王を認めているし、日本でも過去に何人もの女帝がいたことがその論拠らしい。
女帝に反対する主張では、日本の天皇はすべて男系で継承されていて、女帝はその当時の事情による臨時の中継ぎであったということ。愛子内親王自体は父親が天皇家であるから男系ではあるが、その次の代は母(愛子女帝)が天皇家ではあるが、父(女帝の夫)は天皇家出身ではないので男系ではなくなる。そのときに男系の皇統の伝統は途絶えるから容認できないとのことらしい。ではどうすればよいかとなると、皇太子家や秋篠宮家に男子が生まれるかもしれないからまだ待とうという意見と、終戦後廃止された旧宮家を復活させて天皇家に男子がいない場合は旧宮家の男子から天皇をということらしい。
でもこの旧宮家というのは室町時代に立てられたもので、天皇家からわかれてから400年以上たっており血のつながりは非常に薄くなっている。ただし江戸時代に旧宮家から天皇家の養子になって天皇になった人がいるからまったくの他人というわけではなさそう。それから一旦宮家から離れた(臣籍降下)者が皇族にもどることが伝統上でも民主主義制度上も難しい。
そこで戦前ならば出てきたであろう2つの方策がある。1つは、皇太子及び秋篠宮に側室を認めて、男子の出産の機会をふやすことだ。明治天皇までは側室がいた。それが民主主義政体にふさわしくないという意見が出るだろう。また他国への評判も気になるだろう。でも、天皇家に生まれたものに拒否できないいわば過酷な運命を負わせること自体が民主主義政体にふさわしくない。だから君主制を許容するなら側室も許容しえる。それに天皇家には民法が適用されないと思うから(専門家ではないので推測)、天皇側には重婚罪は適用されないし、自由意志でなった側室にとって夫はその皇族1人だけだからこれも重婚にならない。むかしは大名もこうして跡継ぎ問題に対処してきた。
もう一つの方策は、南朝の復活である。すなわち南朝の天皇の子孫を探し出して皇位につけることだ。南朝か北朝かどちらが正統かということについては、北朝の系統である明治天皇自身が南朝が正統と言っている。南朝の皇統は代々天皇に即位してない(と思われる)が、不当に簒奪されてきたわけで臣籍降下というわけではない。幾代にも途絶えていた天皇家の正統が復活したのはこれまでも歴史上3回あったと思われる。
1回目は古墳時代に天皇の跡継ぎが途絶え、何代も前の天皇の子孫を日本海側から連れてきて天皇に据えた。
2回目は天智天皇の息子の大友皇子を倒して皇位を奪った天武天皇の系統の天皇が数代続いた後途絶え、再び天智天皇の子孫が天皇についた。日本書紀では天武天皇は天智天皇の弟ということになっているが、若い時の記録が無く突然歴史書に出てくる。天智天皇より年上みたいな記録もある。天智天皇が2人も娘を与えている。忍術ができた。等など、本当に弟かとう疑問点がある。
3回目は、室町時代。でも南北朝の話ではない。室町将軍の胤と思われる天皇の系統が数代で途絶えた。
朱子学的大義名分論でいえば、南朝が復活すれば、皇統の正閏が正されることになり、数百年の日本史のゆがみが正されることになる。

読書ノート「ブータン仏教から見た日本仏教」

2005-07-24 22:18:21 | 文化
著者の今枝由郎さんはすごい人だ。高校の時にシェークスピアの誤訳問題を知り、それならばサンスクリット語やパーリ語から漢訳されているお経にそうした問題がないのだろうかと思い、パーリ語の辞典の編集者が教授をしている大谷大学を選び進学した。本人は三河の浄土真宗の影響の強い生活環境で育ったがお寺の出身ではない。また教師からも一流国立大学への進学を勧められたが大谷大学へ入学した。大谷大学でフランス語やチベット語なども学んだが、偶然にもフランス留学の機会をえて大学4年で休学してフランスに行く。そこでフランスの東洋学の碩学たちの講義を受講することができた。たまたまフランスを訪問したチベット仏教の高僧一行のなかのブータン国立図書館長の世話役を引き受けたことによりブータン仏教との縁をむすんだ。フランス国立科学センターで職をえて、出張というかたちでブータンに滞在しブータン仏教に触れる。今枝さんはフランス国籍を取得した。打算を考えず目標に進んでいって次々と新しいチャンスが出てくるのはおもしろい。
さて今枝さんは日本仏教を批判する。もちろん今枝さんの批判を待つまでもなく、葬式仏教であることやほとんどの僧侶が妻帯していることは、仏教の本来のかたちから外れていることは分かっている。でもこの本の主張の特長は、日本仏教は仏教ではないと言い切るところ。仏教では三宝つまり仏・法・僧への帰依が欠かせないが、日本には僧伽が存在しない。上座部(小乗)仏教でも大乗仏教も僧の守るべき戒律は共通しているが、日本には戒律が無なく、したがって僧の集団である僧伽が存在しない。仏教の基本である三宝への帰依の対象である僧が欠けているのである。仏教は知識の宗教だけではなく仏になるための行の宗教であり修行と戒律は欠かせない。
それに対して日本の仏教側はどう考えているかといえば、別の本で読んだところでは、三法印つまり「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」という考え方が仏教のメルクマークということであった。考え方か行動かの対立だね。
ところで今枝さんの本で取り上げられる日本仏教は著者の育った環境から浄土真宗が主となっており、浄土真宗への決別の項目もあるが、面白いのは今枝さんが親鸞の経典解釈は、発想の天才的な転換ではあるが、論理の筋は通っているといっていることだ。
親鸞は教行信証で膨大な仏教経典を猟歩し念仏の他力信仰の正当性を論じている。それについて論理的には批判はできないことになる。僧の妻帯については、浄土真宗ではもともと半俗半僧として認めている。他の宗派では、江戸幕府が僧の妻帯を戒律の補助的に幕法で禁止していて、明治政府がその幕法を廃止したら、戒律はどうなったのかぞろぞろ妻帯してしまったから、そのほうが問題だと思うけど。

読書ノート「平壌の水槽」

2005-07-10 21:52:04 | 社会経済
カン・チョルファン「平壌の水槽」(ポプラ社)を読んだ。
北朝鮮の政治犯収容所に少年時代から青年になるほぼ10年間に家族と共に収容されていて、釈放後しばらくして脱北して最終的に韓国に亡命した人の手記だ。
フランスやアメリカで出版されベストセラーになり一昨年日本でも出版された。ただそのときは書店で見かけたが購入しなかった。というのは書店で平積みにされてかなり売れているような本はいつでも買うことができると考えてしまうからだ。最近新聞で発売元のポプラ社の宣伝の隅にこの本の名前が載っていて、まだ読んでいないことを思い出した。その数日後にいくつかの書店でまた置き始めたので購入した。
内容は、いかにもブッシュ大統領が感動しそうな(帯に書いてあった)、全体主義国家の家族まで巻き込んでいく政治犯収容所の生活である。政治犯の強制収容所はスターリン主義体制の本質的要素であることがよく分かる本である。
僕がオヤと思ったこと2点をノートする。
本人の両親及び祖母は日本からの帰国者である。その朝鮮総連の活動経歴と莫大な資産の寄付によって彼らは一定の社会的地位を得て平壌に住んでいた。主人公は平壌生まれなので日本や在日朝鮮人の帰国事業についての記憶がないが、家族から聞いた話を載せている、その中で帰国にあたり乗船する窓口で、日本赤十字の職員が一人一人に本当に自分の意志かどうか確認していたということである。
在日朝鮮人の帰国事業については、北朝鮮の金日成首相の呼びかけにより朝鮮総連の運動として始まったとされてきたが、最近の別の書籍によると在日朝鮮人の生活保護受給率を危惧した厚生省の思惑もあったことが明らかにされている。その書籍の著者によればそれで日本政府にも責任があるというが、それはお門違いだと思う。当事者双方にそれぞれの思惑があるのは当然で、他方に自分の都合を考えるなということはできないからだ。しかし気になったのは、厚生省から日赤に出向した担当者が、共産主義の研究の専門家で北朝鮮も含めての共産主義政権の人民生活の惨状を熟知していたことだ。そこで倫理上の問題を感じていた。いくら役所の仕事といえ地獄と分かっているところへ送るのは正しいのかということだ。自分がその担当者となったらどうするか。
だが「平壌の水槽」を読んである種の答えは出た。つまり帰国者一人一人に、あなたが聞かされていることと違う情報があることを提示して、そのうえで自己の決断で選択させることしかない。もちろん結果として地獄に送りことになるが、正しいことは相手に強制しても行わせなければいけないと考えることは、全体主義であり、それこそ共産主義の悲惨の原因なのだから。
第2点目は、北朝鮮の頻発する洪水の原因となった、山地の段々畑化についてである。集英社新書の今村弘子「北朝鮮『虚構の経済』」によると、政府による全国土の棚田化政策によるものとされているが、「平壌の水槽」では農民が飢えから逃れるために、集団農場から見向きもされなかった山地をもぐりで開墾したものとされている。「平壌の水槽」の著者の勘違いなのか、それとも初めは農民が勝手にやっていたのを、政府が食糧確保の政策としたのだろうか。

「天龍八部」のDVDボックス

2005-07-03 21:24:38 | 文化
ここ数日、深夜まで「天龍八部」のDVD・ボックス1を見ていた。「天龍八部」はケーブルテレビのチャンネルNEKOでも6月から金曜の夜11時から2話づつ放送している。1日(~2日)の放送は10話と11話。2日土曜日は7時から集中放送で1~8話を放送していた。しかし僕は木曜日の深夜の時点(「チャングム」の放送終了後にDVD)でチャンネルNEKOの放送を追い抜いていたので、金・土も放送をみないで、そして今日先ほどまでDVDボックスを見ていた。
DVDボックス1は20話まで。3人いる主人公の1人の蕭峯(しょうほう)が遼国の皇族の内紛に巻き込まれて大アクションを行っているところで終わり。この金庸原作の物語は、北宋時代の近隣諸国つまり北宋(中国)以外に大理国、吐蕃国、西夏国、遼、女真国の登場人物が出てくる国際色豊かな話。蒙古は出てこないのはジンギスカンの統一前の時代で、たぶん遼あるいは女真国の支配地域の少数遊牧部族といったところで国をなしていない。このなかで北宋の漢人と遼の人間は互いに相手を残酷な民族だと憎みあっている。だがどちらの軍隊も相手の国の民に略奪と暴行を行っている。このドラマの原作は1960年代に書かれて、原作者の金庸は香港の人だが、現在の中国への警鐘にも思えるが、中国の人はいかにこのドラマを視ているのかな。