自らの応援団としてその結成を歓迎していた自民党若手議員たちの「文化芸術懇談会」――言論の自由も表現の自由も全く理解していない「極右」政治屋集団が、隠れ蓑として「文化」や「芸術」という言葉を使うことに、あきれる以前に憤りを覚えるが――に対する安倍首相のこのところの対応を見ていると、典型的なマキャベリスト(権謀術数主義者―目的のためには手段を選ばない政治家(者))だと思わざるを得ない。最初は、「私的な集まりだから、私には責任がない。そこで話された内容についても関知しない」といった主旨の発言をしていたのに、その懇談会で話された内容が講師の百田尚樹の発言共々、あまりにも非道いものであったことが判明し、野党や識者・マスコミ人たちからばかりでなく与党内からも「批判的」な言辞が吐かれるにいたって、手のひらを返すように、「遺憾の意」を表し、国民に「謝罪」したフリをする。しかも、その「謝罪」の言葉には、中学生でも分かるような「心のこもらない」形式的なもので、これは「本音」ではない、と気付くような代物である。たぶん、本音は自分の同志がここまで――というのは、気にくわない朝日新聞や毎日新聞、東京新聞などは「懲らしめるべきである」(弾圧すべきだある)、また辺野古沖への新基地建設に反対を唱える翁長知事はじめ沖縄県民及び沖縄のマスコミが「偏向(左翼化)していることについてもやはり弾圧すべきである(沖縄の地方紙は潰すべきである)、というのは全く自分の考えと同じである、と安倍首相は考えているとしか思えないからである――考えてくれていたことに、「感謝」していたのではないか。
「お坊ちゃま宰相」安倍晋三は、国会審議中に民主党の辻元清美へ「早く質問しろよ」とヤジを飛ばしたことが象徴するように、自分は「絶対正しく」他の者の意見など聞く耳を持たないという典型的なナルシストと言っていいが、ナルシスト特有のどんなに自分が「間違っていても」絶対それを認めず、また「他を顧みず」「狂信的に」己の道を進もうとする、何とも度し難い人物であり、そのような「お馬鹿」な男にこの国の将来を託そうとした我々の選択については大いに「反省」しなければならないとしても、「安保法制=戦争法案」の国会通過だけは絶対阻止しなければならない、と改めて思わざるを得ない。
しかし、憲法学者の大半(90%以上)が「違憲」だとし、各種の世論調査でも「現在必要としない」という人がやはり大半を占める「安保法制=戦争法案」を、なぜ安倍首相は強引に成立させようとしているのだろうか。いくら考えても、安倍首相が本当はどう考えているのか、よく分からない。ただ、あの解釈をその時々に変える「集団的自衛権行使」に関する国会答弁などを見ていると、一つだけ感じることがある。それは、お祖父さん(岸信介)のようにどんなに国民を裏切るようなことになったとしても、とにかく「歴史に名を残す」という執念だけは手放さないということである。余程お祖父さんや大叔父(佐藤栄作)、あるいは父親(安倍晋太郎)に対して劣等感を持っているのだろう。そう思わない限り、彼の理解不能な振る舞い、それは「軽い言葉」(気持ちが込められていない)を平気で使い分けるマキャベリスト特有の在り方とも言えるが、彼が国会答弁している時や記者会見している時の「精気のない」顔を見ていると、「吐き気」がしてならない。
とは言え、どんなに僕らは「反対」しても、何の「利益」があって「平和と福祉の党」の看板を下ろしてまで「安保法制=戦争法案」に賛成してきたのか分からない公明党や、「権力志向」を剥き出しに、結果的に「極右」政治屋集団である自民党に加担することになる維新の党の力を得て、「戦争法案=安保法制」は数の力で衆議院を通過し、何とも腹立たしいことだが、成立する公算が強い。
そうなったら、どうなるのか。人間の自由を大幅に制限していた治安維持法下の戦前のように、これまで以上に「息苦しい社会」になるのは、必定である。
ただ、先の大戦の敗戦によって手に入れた「民主主義」思想までが完全に窒息させられたわけではない。ならば、次の選挙において、安倍自公「極右」政権を敗北に追い込み、すぐに実現はしないと思うが「戦争法案」を無効化するような政府を作るしかないのではないか、と思う。
それにしても、僕らはとんでもない「愚人」を指導者として持ってしまったものである。無念としか言いようがない。
「お坊ちゃま宰相」安倍晋三は、国会審議中に民主党の辻元清美へ「早く質問しろよ」とヤジを飛ばしたことが象徴するように、自分は「絶対正しく」他の者の意見など聞く耳を持たないという典型的なナルシストと言っていいが、ナルシスト特有のどんなに自分が「間違っていても」絶対それを認めず、また「他を顧みず」「狂信的に」己の道を進もうとする、何とも度し難い人物であり、そのような「お馬鹿」な男にこの国の将来を託そうとした我々の選択については大いに「反省」しなければならないとしても、「安保法制=戦争法案」の国会通過だけは絶対阻止しなければならない、と改めて思わざるを得ない。
しかし、憲法学者の大半(90%以上)が「違憲」だとし、各種の世論調査でも「現在必要としない」という人がやはり大半を占める「安保法制=戦争法案」を、なぜ安倍首相は強引に成立させようとしているのだろうか。いくら考えても、安倍首相が本当はどう考えているのか、よく分からない。ただ、あの解釈をその時々に変える「集団的自衛権行使」に関する国会答弁などを見ていると、一つだけ感じることがある。それは、お祖父さん(岸信介)のようにどんなに国民を裏切るようなことになったとしても、とにかく「歴史に名を残す」という執念だけは手放さないということである。余程お祖父さんや大叔父(佐藤栄作)、あるいは父親(安倍晋太郎)に対して劣等感を持っているのだろう。そう思わない限り、彼の理解不能な振る舞い、それは「軽い言葉」(気持ちが込められていない)を平気で使い分けるマキャベリスト特有の在り方とも言えるが、彼が国会答弁している時や記者会見している時の「精気のない」顔を見ていると、「吐き気」がしてならない。
とは言え、どんなに僕らは「反対」しても、何の「利益」があって「平和と福祉の党」の看板を下ろしてまで「安保法制=戦争法案」に賛成してきたのか分からない公明党や、「権力志向」を剥き出しに、結果的に「極右」政治屋集団である自民党に加担することになる維新の党の力を得て、「戦争法案=安保法制」は数の力で衆議院を通過し、何とも腹立たしいことだが、成立する公算が強い。
そうなったら、どうなるのか。人間の自由を大幅に制限していた治安維持法下の戦前のように、これまで以上に「息苦しい社会」になるのは、必定である。
ただ、先の大戦の敗戦によって手に入れた「民主主義」思想までが完全に窒息させられたわけではない。ならば、次の選挙において、安倍自公「極右」政権を敗北に追い込み、すぐに実現はしないと思うが「戦争法案」を無効化するような政府を作るしかないのではないか、と思う。
それにしても、僕らはとんでもない「愚人」を指導者として持ってしまったものである。無念としか言いようがない。