世の中、安倍内閣の「改造人事」で喧しいが、「女性閣僚の登用」を謳い、5人の女性を閣僚に据えたようだが、その顔ぶれを見れば、少なくとも「女権の拡張」を主張する者などはおらず、国連から勧告された「ヘイトスピーチ規制」を利用して国会周辺の反権力デモを規制しようとした高市某とか、「安倍首相を上まわるような「筋金入り」の「超保守派」稲田某だったり、歴史認識ゼロのにもかかわらず「拉致問題」に関しては何故か「強硬姿勢」を崩さない山谷某とか、安倍首相にしてみれば「我が意」を体現してくれる女性を、寄りによって選んだとしか思えない「女性閣僚の登用」である。
あの漫画ばかり読んでいる(マンガが悪いというわけではないが)副総裁はじめ「重要閣僚の留任」というのも、集団的自衛権行使容認を初めとする「極右」安倍政権が引き続くということ以外の意味はなく、自民党幹事長の交代にしても、自民党ハト派の出身というふれこみも、法務大臣の時の言動を見ていれば、彼谷垣氏は結局安倍晋三首相の「イエスマン」でしかなかったことがわかり、今後の自民党がますます安倍首相(総裁)の意のままに動くだろうと予測させる人事である。その安保政策が安倍首相と異なると言っていた石破茂氏が、最終的には「トップの意に従う」と言って安倍首相の軍門に下ったことを思うと、新幹事長谷垣氏に何ができるのか。谷垣氏は、師の「ハト派」を代表する加藤紘一元自民党幹事長に、どんな申し開きをしたのか?
というように、安倍内閣の「改造人事」には、マスコミ・ジャーナリズムの喧噪とは裏腹に「虚しさ」しか感じないのだが(このブログの読者もそうなのではないかと思いますが)、僕がこの「内閣改造人事」のニュースに接していて、何度も何度も自分に言い聞かせていたのは、「騙される側の罪」のことであり、「もう絶対自分は騙されないぞ」という思いと共に、「国民も騙されないぞ」と思っているのではないか、思っていて欲しい、という思いであった。 というのも、この「改造人事」では、ますます原発再稼働が進むだろうし、来日中のインド首相と安倍周桑との会談で、いよいよインドへの原発輸出も現実味を帯びてきた、と思いが募り、フクシマの汚染問題―避難(被曝問題)や廃炉作業が一向に進まないにもかかわらず、原発の「安全神話」がまたぞろ大手をふるって巷にあふれる事態を迎えているように、僕には思えるからである。フクシマが起こる前、誰もが「日本の原発は世界一安全」という神話に騙されていたが、そのような「神話」がフクシマによって木っ端みじんに吹き飛んだと思ったのだが、その「安全神話」の普及に加担していた故吉本隆明の「全集」が売れているという事実が如実に物語るように、国民は再度「騙されている」ように、僕には思えてならない――いかに吉本隆明の「原発論」がデタラメであったかについては、繰り返すが拙著『文学者の「核・フクシマ」論――吉本隆明・大江健三郎・村上春樹』(2013年3月 彩流社刊)を見て欲しいと思う。日本の戦後文学者がいかに原発に「騙されてきたか」が分かるだろう――。
それともう一つ、「内閣改造人事」に白けてしまったのは、昨日の東京新聞が報じていたのだが、この前の広島安佐南区・北区における土砂災害で避難した「留守宅に入った泥棒は、在日韓国人・朝鮮人だ」というニュースには、驚くというより、日本人の「モラル」及び「ナショナリズム」は何故このように歪んでしまったのか、その「異常」としか言いようがない心の有り様に、暗く悲しくなったということがあった。先の東日本大震災の時も、同じように避難家屋に泥棒が入ったといことはあったが、その犯人が「在日韓国人・朝鮮人」という、根も葉もない「デタラメ=嘘」(記者が調べた結果)がツイッター上で飛び交っているという事実、たぶん「ヘイトスピーチ」を繰り返している人たちと同じメンタリティーを持った「ネトウヨ」の仕業なのだろうが、これもみな安倍首相をはじめとする「極右=ウルトラナショナリスト」が我が物顔で活動している昨今の「政治状況」を物の見事に反映するものである。 あれやこれやを考えると、何とも「嫌ーな気持」になるが、敷かし、ここで僕らはもう一度「騙される側の罪」について考え、もう決して「騙されないぞ」と深く思うことが必要なのではないか。そして、機会があれが、必ず「反撃する」という欠を固めることも、である。
あの漫画ばかり読んでいる(マンガが悪いというわけではないが)副総裁はじめ「重要閣僚の留任」というのも、集団的自衛権行使容認を初めとする「極右」安倍政権が引き続くということ以外の意味はなく、自民党幹事長の交代にしても、自民党ハト派の出身というふれこみも、法務大臣の時の言動を見ていれば、彼谷垣氏は結局安倍晋三首相の「イエスマン」でしかなかったことがわかり、今後の自民党がますます安倍首相(総裁)の意のままに動くだろうと予測させる人事である。その安保政策が安倍首相と異なると言っていた石破茂氏が、最終的には「トップの意に従う」と言って安倍首相の軍門に下ったことを思うと、新幹事長谷垣氏に何ができるのか。谷垣氏は、師の「ハト派」を代表する加藤紘一元自民党幹事長に、どんな申し開きをしたのか?
というように、安倍内閣の「改造人事」には、マスコミ・ジャーナリズムの喧噪とは裏腹に「虚しさ」しか感じないのだが(このブログの読者もそうなのではないかと思いますが)、僕がこの「内閣改造人事」のニュースに接していて、何度も何度も自分に言い聞かせていたのは、「騙される側の罪」のことであり、「もう絶対自分は騙されないぞ」という思いと共に、「国民も騙されないぞ」と思っているのではないか、思っていて欲しい、という思いであった。 というのも、この「改造人事」では、ますます原発再稼働が進むだろうし、来日中のインド首相と安倍周桑との会談で、いよいよインドへの原発輸出も現実味を帯びてきた、と思いが募り、フクシマの汚染問題―避難(被曝問題)や廃炉作業が一向に進まないにもかかわらず、原発の「安全神話」がまたぞろ大手をふるって巷にあふれる事態を迎えているように、僕には思えるからである。フクシマが起こる前、誰もが「日本の原発は世界一安全」という神話に騙されていたが、そのような「神話」がフクシマによって木っ端みじんに吹き飛んだと思ったのだが、その「安全神話」の普及に加担していた故吉本隆明の「全集」が売れているという事実が如実に物語るように、国民は再度「騙されている」ように、僕には思えてならない――いかに吉本隆明の「原発論」がデタラメであったかについては、繰り返すが拙著『文学者の「核・フクシマ」論――吉本隆明・大江健三郎・村上春樹』(2013年3月 彩流社刊)を見て欲しいと思う。日本の戦後文学者がいかに原発に「騙されてきたか」が分かるだろう――。
それともう一つ、「内閣改造人事」に白けてしまったのは、昨日の東京新聞が報じていたのだが、この前の広島安佐南区・北区における土砂災害で避難した「留守宅に入った泥棒は、在日韓国人・朝鮮人だ」というニュースには、驚くというより、日本人の「モラル」及び「ナショナリズム」は何故このように歪んでしまったのか、その「異常」としか言いようがない心の有り様に、暗く悲しくなったということがあった。先の東日本大震災の時も、同じように避難家屋に泥棒が入ったといことはあったが、その犯人が「在日韓国人・朝鮮人」という、根も葉もない「デタラメ=嘘」(記者が調べた結果)がツイッター上で飛び交っているという事実、たぶん「ヘイトスピーチ」を繰り返している人たちと同じメンタリティーを持った「ネトウヨ」の仕業なのだろうが、これもみな安倍首相をはじめとする「極右=ウルトラナショナリスト」が我が物顔で活動している昨今の「政治状況」を物の見事に反映するものである。 あれやこれやを考えると、何とも「嫌ーな気持」になるが、敷かし、ここで僕らはもう一度「騙される側の罪」について考え、もう決して「騙されないぞ」と深く思うことが必要なのではないか。そして、機会があれが、必ず「反撃する」という欠を固めることも、である。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます