拙論「追悼立松和平 立松和平の文学」が載った『情況』(2010年5月号)の特集「沖縄政府樹立は可能か」に収録されている「沖縄州政府樹立は『国』を問い直す」(仲地博)、「米日支配体制からの脱却をめざして」(松島泰勝)、「ひぬく[辺野古]るーちゅいむにー[独り言]」(島袋隆)、「<フテンマ・オキナワ>をめぐる差延の政治」(桃原一彦)を読み、改めて昨今のマスコミ・ジャーナリズムの[普天間基地移設問題]や[沖縄問題]に対する浅い認識と甘いアプローチを考えざるを得なかった。
特集が「沖縄州政府樹立は可能か」が示すように、各論文の論調は復帰(1972年)前から沖縄において根強い「沖縄独立論」――簡単に言えば、歴史的文化的地誌学的に「ヤマト(日本)」と異なる「奄美」の一部を含む「琉球・沖縄」は、本土の1県になるのではなく、本土から一定の距離を保持した「独立国」のような存在になるべきである、という考え方。調査方法によってその結果は異なるが、「沖縄独立」に関してアンケートをとると、50~70パーセントの人が賛意を示すと言う――をベースとしたものであるが、「迷走」の結果、結果的には14年前に自公政権がアメリカ政府と合意した「辺野古沖への移設」で決着しそうであること、及び再三この欄で主張しているように「米軍基地撤去」「基地返還」という本質論抜きの鳩山政権批判の「普天間問題」を知るにつけ、『情況』誌の各論は、目から鱗が落ちる経験をさせてくれる面が多分にあった。
まず、僕らが余りにも「沖縄の歴史」に無知であること、沖縄に何十階と無くいっている僕にしても、鳩山首相などよりはましだと思うが、沖縄の歴史について知らないことが多く、それと関係して沖縄人の「心情・感覚」についても、ついに「外側」からしか接することができなかった、という思いを強く持った。言葉を換えれば、大城立裕や又吉栄喜、目取真俊などの文学について僕はこれまでにいくつか文章を書いてきたが、彼らの文学、つまり「沖縄の文学」の背景、あるいはその基底に流れる沖縄人の心情や思考を僕は本当に理解してきたのか、という疑念が消え去らないということでもある。僕でさえ、と敢えて言うが、僕でさえそうなのだから、多くの「ヤマト=本土」に生きる人々は、沖縄問題(普天間基地移設問題、など)を他人事と思っているのではないか、と思わざるを得ない。 その証拠に、鳩山政権が画策している、沖縄駐留米軍の「演習」を全国各地に散在する米軍基地(あるいは自衛隊基地)で行うことに賛成かどうか、各都道府県知事に聞いたところ、全ての知事が「NO」という回答を出したという。本土の「沖縄化」は誰もがゴメンというわけである。
しかし、この「本土の沖縄化はゴメン」という考え方には、明らかに米軍基地の負担を全て沖縄に負わせるという、言ってみればヤマト=本土による現代版「琉球処分」(「琉球処分」とは、簡単に言えば1879年に明治新政府は琉球王国を「日本」に帰属させ、本土並みの1県としたことを指す)とも言うべき思想が存在し、「沖縄差別」がものの見事に具体化されている。物見遊山(観光)だけを目的としないヤマトンチュ(本土人)が沖縄に行って先ず驚くのは、あのような住宅密集地に普天間飛行場や嘉手納飛行場が存在することであり、景観の良い海辺の多くが日本人が入れないアメリカ軍専用のプライベート・ビーチになっていることである。「ヤンキー・ゴー・ホーム」という感情が根強く沖縄人にあり、それと同じくらい「ヤマトンチュ(日本人)・ゴー・ホーム」という考え方も存在している、ということを僕らは忘れてはならず、そのような理解の上で、普天間基地移設問題を考えなければいけないのではないか、と思う。
そのように考えたとき、戦後から一貫して沖縄を「差別的」に扱ってきた保守政権(及び自公政権)が、自分たちの沖縄に対する姿勢が今日の情況を招いたという「反省」がないまま、沖縄問題(普天間基地移設問題)に関して居丈高に鳩山政権の「迷走」ぶりを批判するのは、本末転倒もいいところだとしか言いようがない。特に、ネオ・ファシストの世襲議員(1年生議員)が、党に優遇されているのをいいことに、「日米合意優先」を声高に叫んで父親ばりのファシストぶりを発揮しているのは、何とも胸くそ悪い。
どうも「日本」全体が迷走しているように思えて、不気味である。
特集が「沖縄州政府樹立は可能か」が示すように、各論文の論調は復帰(1972年)前から沖縄において根強い「沖縄独立論」――簡単に言えば、歴史的文化的地誌学的に「ヤマト(日本)」と異なる「奄美」の一部を含む「琉球・沖縄」は、本土の1県になるのではなく、本土から一定の距離を保持した「独立国」のような存在になるべきである、という考え方。調査方法によってその結果は異なるが、「沖縄独立」に関してアンケートをとると、50~70パーセントの人が賛意を示すと言う――をベースとしたものであるが、「迷走」の結果、結果的には14年前に自公政権がアメリカ政府と合意した「辺野古沖への移設」で決着しそうであること、及び再三この欄で主張しているように「米軍基地撤去」「基地返還」という本質論抜きの鳩山政権批判の「普天間問題」を知るにつけ、『情況』誌の各論は、目から鱗が落ちる経験をさせてくれる面が多分にあった。
まず、僕らが余りにも「沖縄の歴史」に無知であること、沖縄に何十階と無くいっている僕にしても、鳩山首相などよりはましだと思うが、沖縄の歴史について知らないことが多く、それと関係して沖縄人の「心情・感覚」についても、ついに「外側」からしか接することができなかった、という思いを強く持った。言葉を換えれば、大城立裕や又吉栄喜、目取真俊などの文学について僕はこれまでにいくつか文章を書いてきたが、彼らの文学、つまり「沖縄の文学」の背景、あるいはその基底に流れる沖縄人の心情や思考を僕は本当に理解してきたのか、という疑念が消え去らないということでもある。僕でさえ、と敢えて言うが、僕でさえそうなのだから、多くの「ヤマト=本土」に生きる人々は、沖縄問題(普天間基地移設問題、など)を他人事と思っているのではないか、と思わざるを得ない。 その証拠に、鳩山政権が画策している、沖縄駐留米軍の「演習」を全国各地に散在する米軍基地(あるいは自衛隊基地)で行うことに賛成かどうか、各都道府県知事に聞いたところ、全ての知事が「NO」という回答を出したという。本土の「沖縄化」は誰もがゴメンというわけである。
しかし、この「本土の沖縄化はゴメン」という考え方には、明らかに米軍基地の負担を全て沖縄に負わせるという、言ってみればヤマト=本土による現代版「琉球処分」(「琉球処分」とは、簡単に言えば1879年に明治新政府は琉球王国を「日本」に帰属させ、本土並みの1県としたことを指す)とも言うべき思想が存在し、「沖縄差別」がものの見事に具体化されている。物見遊山(観光)だけを目的としないヤマトンチュ(本土人)が沖縄に行って先ず驚くのは、あのような住宅密集地に普天間飛行場や嘉手納飛行場が存在することであり、景観の良い海辺の多くが日本人が入れないアメリカ軍専用のプライベート・ビーチになっていることである。「ヤンキー・ゴー・ホーム」という感情が根強く沖縄人にあり、それと同じくらい「ヤマトンチュ(日本人)・ゴー・ホーム」という考え方も存在している、ということを僕らは忘れてはならず、そのような理解の上で、普天間基地移設問題を考えなければいけないのではないか、と思う。
そのように考えたとき、戦後から一貫して沖縄を「差別的」に扱ってきた保守政権(及び自公政権)が、自分たちの沖縄に対する姿勢が今日の情況を招いたという「反省」がないまま、沖縄問題(普天間基地移設問題)に関して居丈高に鳩山政権の「迷走」ぶりを批判するのは、本末転倒もいいところだとしか言いようがない。特に、ネオ・ファシストの世襲議員(1年生議員)が、党に優遇されているのをいいことに、「日米合意優先」を声高に叫んで父親ばりのファシストぶりを発揮しているのは、何とも胸くそ悪い。
どうも「日本」全体が迷走しているように思えて、不気味である。
や、沖縄には基地がある
本土にも基地がある
沖縄の一部基地が無くなる
そして基地があるままの本土に訓練が来る
それでわ反対するよ普通
訓練移転してくるところは既に演習を日常行ってる場所でさらに増えるって言う事なんだから
沖縄負担が負担がって言われるのはそうだが
本土も十分負担の範囲内では
あと、1970年と1945年の普天間基地周辺航空写真を見ると
見事周り全てが田んぼだったりするんだよね
70年で田んぼだらけ民家無し
その後基地があるの判っててどんどん民家が建っていった
何かと騒がしい普天間第二小学校もしかり
米軍反対、平和だ云々叫ぶのは別にかまわない
ただ騒音が大きいから退けと言う主張は1970年の航空写真の前には通用しないよなぁ
基地を承知で住んでるのだから
それに基地があるのに沖縄で戦後もっとも人口増加率が高いのが普天間含むあの周辺
仮に基地が全て無くなれば沖縄は静かになるね
そして沖縄の人は島を出て行かなければならなくなる
これは必然の流れで皮肉なものだね
基地で仕事してる人、基地人員や従業員が仕事疲れに行く飲食店等それらは成り立たなくなるから仕事求め本土等に行かなければならなくなる
沖縄に仕事が出来るのかと言ったって出来ようがない対馬とて観光だけのギリギリな成り様なのだから
本土でさえ溢れる失業者ホームレス
それすら解決ならないのに沖縄の面倒なんて見れる余裕は誰にも無い
それらを全て承知した上で反対する信念があるならその人を尊敬する
何も言う事はない
ただ無いのに目の前の事に反対してるだけだというなら空しいものね。
人殺し組織が無ければ人が生きて行けないなどと言う人間は、この国から出ていって欲しい。
30年前で沖縄経済に占める基地関連の収入は15%
現在は5%だそうです。(NHKかTBSラジオで聞いたので、根拠が示せません)
しかし、円高により、基地内アメリカ兵も
基地外に出てくるメリットがない と思われ
(横田基地での例は良く知っています)
結局、基地の中の「アメリカ」で過ごす、沖縄にお金は落とさないというのが正解かと思われます。
で、米軍が沖縄にこだわるのはなぜかと言えば
やはり、日本からの「思いやり予算」などを
当てにしているのだと思われますね。
しかも沖縄の海兵隊は、東南アジア各地に
上陸演習に行っています。もともと海軍の切り込み隊ですから当然
<その後基地があるの判っててどんどん民家が建っていった
という方は、その前に、米軍が沖縄をブルドーザーで慣らして平らな土地を造り
基地を作っていった歴史すら知らないのだ
やはり、「最低でも」沖縄の米軍基地は
段階的縮小が正論。
その他の日本各地が、基地拡張を望まないなら、米軍が守るべき日本人が基地を望んで居ないことになる。(米軍は日本なんか守る気はないと、まで分かっておられるなら、話は早いですが)
やはりグアム(アメリカ本土ではないが)を含めてアメリカに基地を戻すと日本政府からの
お金が回りにくいというのが理由ではないのか
NOと言える日本を提唱した方などが、なんで
NOと言えないのか不思議。
左様ですかそうですか
私は米軍反対しようとそれは好きにしていいと言ってます
なのにあなたは自分の思想に反する人間は国から出て行けと言うか
あなたの様な右翼左翼思想家がはびこるから世の中話が正しく進まない
>米軍が沖縄にこだわるのはなぜかと言えば
>やはり、日本からの「思いやり予算」などを
予算の大半は日本人従業員か基地の借地料、日本の役所へ払う光熱費でアメリカ自身にメリットのある予算ではない
単にアメリカが日本に払う金を日本が日本払ってるというだけの金
こだわるのは結局極東情勢の抑止上必要なため
>しかも沖縄の海兵隊は、東南アジア各地に上陸演習に行っています。
簡単に考える人は日米安保でしか物見てないが
沖縄の部隊は台湾・朝鮮半島有事のための即応部隊でもありそこの位置だから基地をそこに置く事に重視してる
どうして基地に国連の旗が靡いているのか
ちゃんと戦略論としても見た上で米軍を非難してあげて
再度言うが米軍批判するのもそれは好きにすればいい考えは自由にあればいいのだから
ただそれらをしっかり知った上で批判しているかどうかなだけ
基地内従業員の事もちゃんと考えた上で
>基地を作っていった歴史すら知らない
そこには借地料が出てる
で、土地が帰ってきたとしてなにをするのか
基地を作っていった歴史がどうだろうと基地のある中周りの田んぼを潰して民家を建ててった歴史も事実
好む好まざろうと
基地があることで多くの補助金があり、公共事業などで間接的に人口を養う力となっています
例えば、沖縄だけガソリン税が7円安くなっていますが、県民の大半はこのような補助金(税金特例)を知りません
オマケ
宜野湾市の人口推移
唱和15年 12825人 世帯数2896
昭和25年 15930人 世帯数3488
昭和40年 34573人 世帯数8269 (昭和37年7月市制施行)
昭和50年 53835人 世帯数13967
昭和60年 69206人 世帯数20929
平成07年 82862人 世帯数28109
平成17年 89769人 世帯数34738
>段階的縮小が正論
当たり前でしょう
将来的にはそうなるのが望ましいね
>米軍は日本なんか守る気はないと、まで分かっておられるなら
悲しいかなアメリカは守るよ、結局
米海軍が本土以外で保有する最大の海軍基地横須賀、極東最大の嘉手納空軍基地
海外で唯一の特殊部隊駐屯地トリイ基地等を守るために日本人が思ってるのとは違う形で基地を守ると言う意味で結局日本を守る事をするよ、嫌味な言い方
アメリカが専守防衛に目覚めるならその限りではないけど
>お金が回りにくいというのが理由では
その金でしか物見ないのはよくないよ
→http://alcyone.seesaa.net/article/150547706.html