黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

どうしようもない! 他2つ。

2010-05-31 05:22:24 | 近況
 予想していたこととはいえ、鳩山首相の普天間基地移設問題の結論が「辺野古沖」という報道に対しては、だれもが驚きと怒りを禁じえなかったのではないか。「(移設は)最低でも県外」とか「辺野古沖の海を埋め立てるのは自然への冒とく」とか言っていたことをあたかも忘れたかのように、自民党政権時代と変わらぬ「辺野古沖への移設」決定、鳩山さんに「言葉の重み」を説くのは無駄だというのは、昨年9月に政権交代が起こってからのこの9ヶ月間でいやというほど思い知らされたわけだが、今度の場合は現代の「政治」がいかに疲弊しているか、制度疲労を起こしているか、を如実に示したという点で、笑っている場合ではなく、深刻に受け止める必要があるのではないか、と思う。このことは、高度経済成長時代を彷彿させる参議院選挙への大量のタレント候補の出馬と相まって、たぶん現代政治が修復不可能なほどに壊れかけていることの兆候なのではないか、と思わざるを得ない。
 特に「民意」を無視して「日米合意」(アメリカへの従属)を最優先させたその政治感覚は、思わず村上龍のこの時代への「危機意識」を土台とした「英雄待望論」の危険性を訴えた『愛と幻想のファシズム』を彷彿とさせ、「ヤバイんじゃない」と思わざるを得なかった。世界の冷戦構造が解体して20年余り、字理者の経済危機を発信源とする世界的危機が如実に示すように、世界はますますグローバル化しているというのに、東アジアだけが未だに「冷戦状態」にある、という前提での鳩山さん(民主党政権)の政治判断、社民党(福島党首)だけが「筋を通した」ように見えるが、日米安保を容認し、自衛隊を合憲だと判断した村山富一社会党の流れを継ぐ社民党に過大な期待をかけるわけにはいかない。ましてや自分たちが何十年にわたって行ってきたアメリカ追随の政治を何ら反省することもなく民主党批判だけを声高に叫んでいる自民党(および、そこから離れた「みんなの党」や「立ち上がれ 日本」、「改革日本」など)に、今更期待するわけにもいかないとしたら、「民意」はどこにその発露を求めたらいいのか。

 そんないら立ちを抱えたまま、1昨日(土)恒例の「蕗(わらび)採り」へ行ってきた。関越自動車道を利用して友人夫婦と4人で新潟(湯沢)まで、谷川岳はまだ雪化粧していたので時期的には少し早いかなと思ったのだが、毎年訪れている現地に到着したら、ちょうど良い加減に蕗は育っており、ワラビも食べごろの大きさに育っていた。朝の4時半ごろから採り始め、午後の1時頃まで、例年と同じくらいの収穫があった(わらびは、例年の2倍ぐらい採れた)。帰路、途中の日帰り温泉で疲れた体をほぐし、4時ごろから採ってきた蕗を洗い、水を切ったと「きゃらぶき」作りに。大なべを二つのコンロにかけ、3~4センチに切ったワラビを口いっぱい入れ、酒としょうゆ(と秘密の調味料)を入れ、煮ること3時間、焼け焦がさないように注意して第1回終了、これを翌日午前4時まで3回繰り返し、それで終了。合間にわら議の灰汁抜き、結局2日間にわたる「きゃらぶき作り」は味も昨年と同じようなものになって終わったのだが、今日から我が家の味を楽しみにしている人たちに出来上がった「きゃらぶき」を配ったら、一連の恒例行事が終了することになる。
 ただ、蕗をとるために山の斜面を上り下りした体が今朝もまだ痛く、年年「老い」を感じてきている。

 6月からになるが、朝日新聞の「アスパラクラブ」で月2回「書評」(「現代文学の旗手たち」)を掲載することになった。第1回は、刊行されたばかりの立松和平の書き下ろし『白い河―風聞・田中正造」(東京書籍刊)にした。編集部との話し合いでは、必ずしも新刊にこだわらないというので、2回目位以降は大江健三郎、村上春樹、井上ひさし、などを考えている。とりあえず、6カ月(12回)を考えているようだが、月に2回というのは結構大変だと思うが、頑張って書こうと思うので、気になる方、読んでみてください。

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2 コメント

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全小説への期待 (立松ファン)
2010-06-02 21:40:56
高いなぁと思って躊躇していた立松和平全小説の購入を始めました。読んでみると良くぞこの時代のことをきちんと書き残してくれた思う「自転車」や普天間で揺れる中で読む「途方に暮れて」は感慨深いものがあります。昔読んだはずなのに感じるものは全く違います。本当に買い始めてよかった。そこで先生にお願いがあります。「光の雨」はすばるに連載されたものを図書館で借りて読んでました。後にリンチをする側なるのであろう女性活動家が公安に執拗に付きまとわれいたぶられ、その圧迫感はものすごく、これは大変な小説になると身震いがしたものです。その後新潮に改めて掲載されたものは、これはこれでなかなかいい設定だと感じつつ、やはり最初のすばる版の緊迫感は捨てがたい。無理を承知でお願いします。なんとか先生の力で「光の雨(すばる版)未完」を全小説に入れていただけないでしょうか。宜しくお願いします。
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難しいかも知れない (黒古一夫)
2010-06-03 14:52:48
 『立松和平全小説』の購読、ありがとうございます。背金に編集を行っている者としては、大変嬉しく思います。
 ところで、「すばる」誌掲載の『光の雨』を『全小説』に掲載できないか、というお尋ねですが、結論を言えば難しいかもしれません。僕も編集の際に一度は考えたことなのですが、「すばる」掲載時に「盗作」疑惑を受けたということもあり(その件に関しては、盗作を訴えてきた連合赤軍事件で死刑判決を受けている坂口弘と立松は話し合って「和解」しており、その和解条件を読むと、立松の方が一方的に「非」を認めています)、立松も「忘れたい」と言っていたので、立松が亡くなったからといって、再掲載することはできない、と言うのが正直な気持ちです。
 ただ、『全小説』が完結し、「補巻」などが版元で構想された場合、あなたの提案を再考できるかもしれません。ただ、それもおよそ2年後ぐらいで、すぐに、というわけには行きません。ご了承下さい。
 なお、「すばる」誌に掲載された『光の雨』は、あなたが言うように、「迫力」があり「緊迫感』に満ちています。その理由について、この欄では詳しく書けませんが、一つだけいえるのは、立松が[リアル]を求めて、坂口弘の著作『あさま三相972』や永田洋子の『十六の墓標』などの著作を読み、そこから臨場感などを学んだからだ、と思います。
 今後とも『全小説』のご購読をお続け下さい。
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