普天間基地移設問題をめぐって、鳩山政権の「迷走」ぶりが連日マスコミ・ジャーナリズムを賑わしており、僕もこの欄で「民主党政権の迷走」という文章を書いたことがあるが、鳩山首相の沖縄訪問や徳之島の3人の町長(他に鹿児島県知事など)との会談を見ていると、もちろん民主党自体も小沢一郎幹事長の「政治とカネ」問題が象徴するように、いくつかの重大な問題を抱え、そのことが人々に「迷走」と思われるのだろうが、より根本的には鳩山首相が就任時に宣言した「友愛」なる言葉(思想)に根源的な問題があるのではないか、と思われてならない。
多くの人が承知していると思うが、そもそも「友愛」なる言葉(思想)が政治=人々の暮らしにおいて大きな意味を賦与されるようになったのは、フランス革命によってである――赤・青・白の三色に染め上げられたフランス国旗の「赤」が「友愛」を象徴していることは有名である。また、そのフランス革命の精神を引き継ぐ意図をもって日本で1912年に著名な労働組合「友愛会」(のち「大日本労働総同盟友愛会」)が結成されたのも、多くの人に知られている――しかし、フランス革命が「ブルジョア革命」であったことに象徴されるように、「友愛」の根本を形成する思想が「ヒューマニズム(ユマニスム)」であることを考えれば、果たして21世紀の現実政治において「ヒューマニズム」を根本におくことが正しい政治理念か、ということになると、違うのではないか、と思わざるを得ない。「友愛」などという精神論で難問山積の現実政治は乗り切れるはずがないからである。鳩山政権が「政治とカネ」問題で80パーセントを超える国民が「やめろ!」と言っているにもかかわらず、「選挙上手」(僕は幻想だろうと思うが)といわれる小沢一郎幹事長を切れず、相変わらず二人三脚を強いられていることは、まさに僕が抱く疑念を象徴している。「友愛」と「リアル・ポリティックス(現実政治)」は、そもそも相容れないはずなのに、そこのところが鳩山首相には理解できないから、現在の「迷走」というより「混迷政局」が続いているのである。
普天間基地移設問題は、まさに「友愛」をスローガン化した鳩山政治が陥るべくして陥った「迷走=混迷」を象徴するものである。もし本当に鳩山首相が表面的にではなく本質的な意味で「友愛」を自らの政治信条とするのであれば、恒常的に「友愛」と敵対する「戦争」の最前線に位置する沖縄駐留米軍に「NO」を突き付け、「日米安保条約」の解消(条約破棄)を目指して、普天間基地はもとより嘉手納基地もキャンプ・シュワブも、またすべての国内に展開する米軍基地を撤去するという思想に基づいて、普天間基地移設問題に対処すべきなのである。しかしながら、鳩山首相は「友愛」(という言葉やそれが意味する思想)に関して中途半端にしか理解していない(と僕は思う)から、「米軍海兵隊」の存在は日本にとって必要だ、などと米軍の日本駐留を認めてきた保守政治と同じように今更ながらの考えを披露して、何とかこの難局を乗り切ろうとしているようだが、根本の思想がおかしいのだから、どんなに糊塗策を講じようと、沖縄や徳之島、そして日本国民を説得できるはずがない。宜野湾市長が言うように、なぜ極東に展開している米軍海兵隊は「グアム」では駄目で、「沖縄」でなければいけないのか、また「戦争放棄」を宣言している日本国憲法を持つ日本に、なぜ常に戦争の最前線を担う米軍海兵隊が駐留していなければならないのか、そのようなことについて鳩山首相は根本的に考えたことがないから、今日のような「迷走・混迷」を続けることになったのである。
あるTVのコメンテーターが「自らの迷走によって普天間基地移設問題がこんなにデッドロックに乗り上げているのに、どうも本人にはそのような自覚がないようだ。この人の感覚は常人には理解できない」が言っていたが、「友愛=ヒューマニズム」で現実政治の世界を乗り切れると思っているらしい鳩山首相には、もしかしたら何を言っても「蛙の面に小便」なのかもしれない。
ある日の茶飲み話に、そこにいた4人が「もう民主党政権には期待しない、あきらめた」という人と、「鳩山さんには期待できないが、民主党は何かやってくれるのではないか、自分はもう少し待ちたい」という意見に二分されたが、これが今の政治状況を象徴しているのではないか、と思う。それにしてもその時僕が言ったのは、「小沢さんは、全く古い自民党政治を踏襲している政治家なんだから、すみやかに退陣して、政治の表舞台から(裏舞台からも)退くべきだ」というものであった。せっかく「政権交代」が行われたのだから、せめて4年間ぐらいは民主党に(鳩山さんにではなく)政治をまかせてみる必要があるのではないか、そのぐらいの「余裕」を持たないと、何事も「変わらない」のではないか、と思うが、いかがだろうか。
<連休中の2,3>に追加。
もうひとつ連休中にやっていたことがある。それは『立松和平全小説』第7巻の「解説・解題」の準備をしていたことである。
多くの人が承知していると思うが、そもそも「友愛」なる言葉(思想)が政治=人々の暮らしにおいて大きな意味を賦与されるようになったのは、フランス革命によってである――赤・青・白の三色に染め上げられたフランス国旗の「赤」が「友愛」を象徴していることは有名である。また、そのフランス革命の精神を引き継ぐ意図をもって日本で1912年に著名な労働組合「友愛会」(のち「大日本労働総同盟友愛会」)が結成されたのも、多くの人に知られている――しかし、フランス革命が「ブルジョア革命」であったことに象徴されるように、「友愛」の根本を形成する思想が「ヒューマニズム(ユマニスム)」であることを考えれば、果たして21世紀の現実政治において「ヒューマニズム」を根本におくことが正しい政治理念か、ということになると、違うのではないか、と思わざるを得ない。「友愛」などという精神論で難問山積の現実政治は乗り切れるはずがないからである。鳩山政権が「政治とカネ」問題で80パーセントを超える国民が「やめろ!」と言っているにもかかわらず、「選挙上手」(僕は幻想だろうと思うが)といわれる小沢一郎幹事長を切れず、相変わらず二人三脚を強いられていることは、まさに僕が抱く疑念を象徴している。「友愛」と「リアル・ポリティックス(現実政治)」は、そもそも相容れないはずなのに、そこのところが鳩山首相には理解できないから、現在の「迷走」というより「混迷政局」が続いているのである。
普天間基地移設問題は、まさに「友愛」をスローガン化した鳩山政治が陥るべくして陥った「迷走=混迷」を象徴するものである。もし本当に鳩山首相が表面的にではなく本質的な意味で「友愛」を自らの政治信条とするのであれば、恒常的に「友愛」と敵対する「戦争」の最前線に位置する沖縄駐留米軍に「NO」を突き付け、「日米安保条約」の解消(条約破棄)を目指して、普天間基地はもとより嘉手納基地もキャンプ・シュワブも、またすべての国内に展開する米軍基地を撤去するという思想に基づいて、普天間基地移設問題に対処すべきなのである。しかしながら、鳩山首相は「友愛」(という言葉やそれが意味する思想)に関して中途半端にしか理解していない(と僕は思う)から、「米軍海兵隊」の存在は日本にとって必要だ、などと米軍の日本駐留を認めてきた保守政治と同じように今更ながらの考えを披露して、何とかこの難局を乗り切ろうとしているようだが、根本の思想がおかしいのだから、どんなに糊塗策を講じようと、沖縄や徳之島、そして日本国民を説得できるはずがない。宜野湾市長が言うように、なぜ極東に展開している米軍海兵隊は「グアム」では駄目で、「沖縄」でなければいけないのか、また「戦争放棄」を宣言している日本国憲法を持つ日本に、なぜ常に戦争の最前線を担う米軍海兵隊が駐留していなければならないのか、そのようなことについて鳩山首相は根本的に考えたことがないから、今日のような「迷走・混迷」を続けることになったのである。
あるTVのコメンテーターが「自らの迷走によって普天間基地移設問題がこんなにデッドロックに乗り上げているのに、どうも本人にはそのような自覚がないようだ。この人の感覚は常人には理解できない」が言っていたが、「友愛=ヒューマニズム」で現実政治の世界を乗り切れると思っているらしい鳩山首相には、もしかしたら何を言っても「蛙の面に小便」なのかもしれない。
ある日の茶飲み話に、そこにいた4人が「もう民主党政権には期待しない、あきらめた」という人と、「鳩山さんには期待できないが、民主党は何かやってくれるのではないか、自分はもう少し待ちたい」という意見に二分されたが、これが今の政治状況を象徴しているのではないか、と思う。それにしてもその時僕が言ったのは、「小沢さんは、全く古い自民党政治を踏襲している政治家なんだから、すみやかに退陣して、政治の表舞台から(裏舞台からも)退くべきだ」というものであった。せっかく「政権交代」が行われたのだから、せめて4年間ぐらいは民主党に(鳩山さんにではなく)政治をまかせてみる必要があるのではないか、そのぐらいの「余裕」を持たないと、何事も「変わらない」のではないか、と思うが、いかがだろうか。
<連休中の2,3>に追加。
もうひとつ連休中にやっていたことがある。それは『立松和平全小説』第7巻の「解説・解題」の準備をしていたことである。
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