黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

先日、書きたかったこと。

2010-05-17 11:15:54 | 文学
 土日(15・16日)と、群馬の秘湯(昔、熊と入浴する温泉)として有名な宝川温泉で「立松和平君追悼句会」が開かれ、参加してきた。生前の立松が気の置けない仲間と行っていた「温泉での句会」、僕も誘われて一度参加したことがあるのだが、そこでの立松は著名な作家であることを忘れるほどにリラックスし、立松が作った句を酷評する仲間に対して苦笑いしながら「ひでえな―」「俺、一応プロなんだけれど」とか弁解していた姿が印象的であった。今回は、立松抜きで、初めて参加するメンバーも含めて総勢12名が混浴の露天ぶろ)女性はバスタオルを胸に巻いていました)を楽しんだ後、宴会後に句会、立松を偲ぶ句を各人3句ずつ書き、そのあと各人が10句ずつ選んで、一番票を得た者が優勝という句会(遊び)、僕は3句の合計が9票で中くらいの評価だった。優勝者は、1句で11票を集め3区で19票という高い評価を受けて人だったが、集計される間、各人が他人の作品を勝手に批評し、実に面白い会であった。
 この句会は、生前の立松が楽しんで参加していた会だから彼が亡くなったとも続けてやろう、という意味と、もう一つ、「立松和平を偲ぶ会」の実行委員であった僕らを慰労してくれる会でもあり、僕も随分「慰労」してもらい、久々に心晴れる集まりであった。
①その会でも話題になったのだ、刊行中の『立松和平全小説』(全30巻、ただし今では、補巻を1,2巻用意しなければならないのではないか、と思っている)について、現在僕自身は第7巻の「解説・解題」を書いている途中で、第6巻の「解説・解題」のゲラ校正が手元に届いているという状態にあり、心配している向きもあるようなので、「刊行は順調である」、ということを言っておきたい。なお、ついでに言っておけば、立松自身の著作も、僕の知る限り今後『田中正造(第二部)』(仮題 5月下旬刊行 東京書籍)、『良寛』(6月初旬 大法輪閣刊)に続いて、短編集を企画している出版社も、また生前の立松に渡された4冊分のエッセイ集を抱えている出版社もあり、立松の仕事は陸続と続いていくように思われる。
 ところが、立松の宇都宮の友人が作成していた「立松和平HP」が4月30日付で「閉鎖」されていることが判明した。作家の場合、多くが亡くなった後も開設していたHPを読者のためにそのまま残しておく例が多いのだが、誰の意向を反映したものなのか、早々と閉鎖してしまったのはなぜなのか、ちょっと残念な気がする。
②普天間基地移設問題について、マスコミ・ジャーナリズムは「本質」を外した議論をし過ぎているのではないか、そしてその挙句に鳩山政権の支持率の低下をうんぬんかんかんしているが、どうもおかしいのではないか。普天間基地移設問題の本質は、沖縄の多くの人が指摘しているように(本土でも慧眼の識者がしている)、「米軍基地撤去」「本土の沖縄化反対」(つまり、国外移設)以外にない。ああ、それなのにそれなのに、沖縄駐留アメリカ軍海兵隊のグアム(ないしはテニアン島)への移動をなぜ拒むのか(アメリカの本音は、「思いやり予算」を含めて高額な移転費用を肩代わりしてくれる日本に賛成したいはずだと思うのだが)。
 それに加えて、「日米合意」とは何か。現代版「不平等条約」ではないのか。あるいは、敗戦後に革新派が唱えた「(日本は)アメリカの属国」という考え方が、占領期からはるか時代を隔てた現代において再び脚光を浴びるとは、この国はどうなっているのか、と思わざるを得ない。普天間基地のように危険な基地は、近くで生活している人が一番よくわかっていることだと思うが、地図や模型などを見れば本土の人間だってすぐに理解できるはずである。にもかかわらず、鳩山首相が「約束」を破ったとかどうとかで、「本質」論が置き去りにされながら、もっぱら「選挙」の問題にすり替えて論じる、矮小化もいいところではないか、と思うのは僕だけだろうか。何ともさびしい。
 昨日(日曜日)雨のそぼ降る普天間基地で「人間の鎖」運動が繰り広げられた。そこに参加した人たちは、口をそろえて「沖縄に新しい米軍基地はいらない」と叫んでいたが、僕らはそのような言葉の意味を深く受け止める必要があるのではないか。そんなことを併せて痛感した。
③「不況下の就職活動」については、先日書いたとおり、最終的に問題となるのは「人柄・人間性」なのではないか、と僕は思っている。