黒古一夫BLOG

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有為転変は世の習い?

2010-01-03 18:29:18 | 近況
 今年は、元旦、2日、3日と連日配達された年賀状の中に「宛先不明」のゴム印の押されているものがかなりあったり、「長い間の厚情ありがとうございました。来年から新年のご挨拶を遠慮させていただきます」というようなものもあり、どうも世の中は僕が考えているよりも休息に「変化」しているのではないか、と思わざるを得ず、よく目を見開いて物事の推移を見ていかないとダメなのではないか、と痛感した。
 「宛先不明」で返ってきてしまった賀状を見て、昨年の賀状に書かれていた住所を元に宛先をパソコンに入力してくれた家人も、「えっ、この人も」と驚いていたが、このようなことが起こった原因は二つあり、一つは「転居通知」が届いていたのに宛先を変更していなかったことである。ただし、これは少数派で、大方は「転居通知」を頂いていなかったために返却されたのである。これらの人の中には4日以降に賀状が届くという人もいるかも知れないが、寂しいことだが、これで「縁切り」にしたいという思いがあって、ということも想定される。人間関係には本質的にそのようなことが起こるものなのかも知れないが、しかし、今年に限ってその数が目立つほど多いというのは、どういうことか。
 今日は、事情があってケア・ホームに入居している義母に新年の挨拶に行ったのだが、元高校教師の義母にはそのホームに入居する前は数十通の賀状が来ていたのに、今日見せてもらったのは家人が出したものや孫のものを含めて7通ほど、それだけ交友関係(人間関係)が少なくなった=狭くなったと言うことなのだろうが、やはり寂しい思いもしないではなかった。今年の7月で87歳になる義母、旧制の高等女学校や専門学校(現女子大)の友達が次々と亡くなった話もその時に出て、それが人間の「運命」とはいえ、古代中国人が「不老不死」の薬を求め続けてきたのも、何だか分かるような機がした。
 それだけ僕が年を取ったということなのかも知れないが、先の「宛先不明」の賀状について思い起こせば、返却された賀状の宛先人は離婚したという噂があったり、また別な人は転職したという話もあり、更には重篤な病気になり子供のいる地域で入院生活をしているとか、我が身はほとんど「変化」がないように見えるが、社会全体は相変わらず「有為転変」を繰り返しているのだ、と改めて考えざるを得なかった。
 そんな世の中にあって、微力な自分に何ができるのか。今日までで我が家の暮れから正月にかけての「行事」――僕の仕事は、家の周りの片付けと、大晦日に友人・親戚宅4軒(自分の家分も入れると5軒分)に僕が打った「年越しそば」を「つゆ」付きで届けること、及び2日に長男(僕)宅に集合する兄弟耶蘇の子供達のために、やはりそばを打つことで、今年は2回のそば打ちでそば粉を5キロ使った。――が終わったので、一度元旦に考えたことだが、どうも世の中は僕が考えているのとは違う方向に動いていきそうなので、今晩じっくり再考し、今後の指針を定めようと思う(それというのも、これも賀状絡みなのだが、何十年も信頼していた人の賀状に意外な黒古評が書かれていてショックを受けた、といことがあったからでもある。その文面によって、これまで不可解に思っていたことが「そうだったのか」と納得させられた、ということもあった。彼は酒によってついつい「本音」を書いたのだろうが、いやーな気分になったことは確かである)。
 ともあれ、しんどいかも知れないが、マイペースで自分や自分の周りの人には「正直」に対処する生き方をしたいものだと思う。それが最も「有為転変」の世の中に対する有効な方法のではないか。

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