朝の7時過ぎ、我が家のある関東地方北部は雲一つ無い青空で、きれいな茜空を伴った「初日の出」を見ることが出来ました。
昨夜来、つまり大晦日の夜9時から元日の夜中(2時近く)まで、自治会の役員として「初詣客」を迎えるための準備などで地区内の御霊神社に詰めていたので、今朝はことのほか朝寝坊せざるを得なかったので、幸いきれいな「初日の出」を見ることが出来たというわけである。
それにしても、この地区に住むようになってから38年近く経つのだが、初めて地区役員(以前は区会議員と言っていたが、今は自治会役員)を引き受けて――順番なので引き受けざるを得なかったということもあるが、平成の大合併を経験したこの地区がどのように地域の「伝統」を守っていくのか興味があ裡、それで引き受けたということもある――、結構面白いことがあって、僕なりにこれまで勤勉に役職をこなしてきた。
昨夜は、9時に集まって、初詣客用に用意された「抽選会」の商品(お酒、卵20個と10個、トイレットペーパー1パック、ティッシュ1箱、空くじなし)に等級を付け、のし紙を貼る作業を行い(他に、婦人会の人たちは甘酒を造り、参拝者にサービスをする準備を行った)、手の余った人は境内4個所に設けられたドラム缶でたき火を行った。参拝客は(たぶん)NHKの紅白歌合戦が終わった11時40分過ぎ頃から三々五々集まりだし、近くのお寺が打つ除夜の鐘の音を聞きながら本殿前に並んだり(順番を待ったり)、たき火に当たりながら、参拝の始まる12時が来るのを待っていた。
面白いなと思ったのは、この神社の初詣の仕方は、基本的には各地の神社のそれとほとんど変わらず、「甘酒サービス」や「抽選会」(空くじなしだから、初詣のおみやげ)は単なる「付け足し」で、初詣の人たちはそれぞれお賽銭を投げ入れ、鈴を鳴らし、熱心に「願い事」をしていた。
初もで客を迎えるために集まった人たちは、区の役員、婦人会役員、それに神社の氏子代表たち、総勢30数名であったが、普段地区の人たちと接触する機会の少ない僕としては、たき火に当たりながら、また賞品に等級を貼り付ける作業などを通じて話される人々の話は、大変面白かった。話のほとんどは僕の知らない地区内の人々の動向であったが、そのような話の合間に鳩山内閣の評価やら落選した議員が今どうしている、などというようなことも話題になり、新聞やテレビの影響が大きいのだろうが、「政権交代」への期待が大きかったが故なのか、現在の民主党主導の政治には厳しい目を持っていることが知れ、これが正直な庶民感覚なのだろうな、とおもった。
ただ、もう一つ気付かされたのは、当たり前と言えば当たり前だが、普通の人々が持っている「保守体質」は「健全」なもので、先の総選挙で自公政権が敗れたのは、彼らがおごり高ぶって、庶民の持つ「健全な保守体質」を舐めきっていたからに他ならない、ということである。彼らは目の前の生活がどうなるのかに最大の関心を持っているのであって、そのことを無視した政治は「傲慢」としか思われず、そのことに気付かない政党は負ける、ということである。たぶん、小沢一郎という政治家は、「豪腕」だとか「策士」だとか言われているが、実はそのような庶民感覚を最もよく知っている政治家なのではないか、と思った。もちろん、だからといって僕は小沢一郎のやり方を支持しているわけではない。彼の金銭感覚や「日本主義」には、賛同できないだけでなく、嫌悪感すら持っている。
長々と昨夜来の出来事に端を発し、いろいろ書いてきたが、今年我が生活はどうなるのか、を考えると、まず今年は来年3月の定年を控え、大江健三郎ではないが、「最後の仕事」ではないが、とりあえず定年を機に「中仕切り」をしようと思っている。具体的には、現在刊行中の「立松和平全小説」の全巻解説を中心に約束した幾つかの本の執筆をしながら、「黒古一夫書誌」を作成する、ということになる。これは、1月に出る「黒古一夫書評集」をまとめる際に、最初の自著「北村透谷論―天空への渇望」(冬樹社刊 70年4月)から30年、年に平均して30~40本の原稿を書いてきた足跡をまとめてみよう、と思ったことがきっかけになっている。自著、共著、編著、監修本、論文、エッセイ、書評、ずいぶん仕事をしてきたな、という実感があって、一度まとめてみるのも悪くないな、と思ったのである。これができれば、「次の30年」(欲張りか?)の目標も定まってくるのではないか、と思っている。
完成したら報告するので、関心のある方はご連絡下さい。
以上が、今年の抱負と言えば豊富です。
どうぞ皆さんもお元気でお過ごし下さい。
昨夜来、つまり大晦日の夜9時から元日の夜中(2時近く)まで、自治会の役員として「初詣客」を迎えるための準備などで地区内の御霊神社に詰めていたので、今朝はことのほか朝寝坊せざるを得なかったので、幸いきれいな「初日の出」を見ることが出来たというわけである。
それにしても、この地区に住むようになってから38年近く経つのだが、初めて地区役員(以前は区会議員と言っていたが、今は自治会役員)を引き受けて――順番なので引き受けざるを得なかったということもあるが、平成の大合併を経験したこの地区がどのように地域の「伝統」を守っていくのか興味があ裡、それで引き受けたということもある――、結構面白いことがあって、僕なりにこれまで勤勉に役職をこなしてきた。
昨夜は、9時に集まって、初詣客用に用意された「抽選会」の商品(お酒、卵20個と10個、トイレットペーパー1パック、ティッシュ1箱、空くじなし)に等級を付け、のし紙を貼る作業を行い(他に、婦人会の人たちは甘酒を造り、参拝者にサービスをする準備を行った)、手の余った人は境内4個所に設けられたドラム缶でたき火を行った。参拝客は(たぶん)NHKの紅白歌合戦が終わった11時40分過ぎ頃から三々五々集まりだし、近くのお寺が打つ除夜の鐘の音を聞きながら本殿前に並んだり(順番を待ったり)、たき火に当たりながら、参拝の始まる12時が来るのを待っていた。
面白いなと思ったのは、この神社の初詣の仕方は、基本的には各地の神社のそれとほとんど変わらず、「甘酒サービス」や「抽選会」(空くじなしだから、初詣のおみやげ)は単なる「付け足し」で、初詣の人たちはそれぞれお賽銭を投げ入れ、鈴を鳴らし、熱心に「願い事」をしていた。
初もで客を迎えるために集まった人たちは、区の役員、婦人会役員、それに神社の氏子代表たち、総勢30数名であったが、普段地区の人たちと接触する機会の少ない僕としては、たき火に当たりながら、また賞品に等級を貼り付ける作業などを通じて話される人々の話は、大変面白かった。話のほとんどは僕の知らない地区内の人々の動向であったが、そのような話の合間に鳩山内閣の評価やら落選した議員が今どうしている、などというようなことも話題になり、新聞やテレビの影響が大きいのだろうが、「政権交代」への期待が大きかったが故なのか、現在の民主党主導の政治には厳しい目を持っていることが知れ、これが正直な庶民感覚なのだろうな、とおもった。
ただ、もう一つ気付かされたのは、当たり前と言えば当たり前だが、普通の人々が持っている「保守体質」は「健全」なもので、先の総選挙で自公政権が敗れたのは、彼らがおごり高ぶって、庶民の持つ「健全な保守体質」を舐めきっていたからに他ならない、ということである。彼らは目の前の生活がどうなるのかに最大の関心を持っているのであって、そのことを無視した政治は「傲慢」としか思われず、そのことに気付かない政党は負ける、ということである。たぶん、小沢一郎という政治家は、「豪腕」だとか「策士」だとか言われているが、実はそのような庶民感覚を最もよく知っている政治家なのではないか、と思った。もちろん、だからといって僕は小沢一郎のやり方を支持しているわけではない。彼の金銭感覚や「日本主義」には、賛同できないだけでなく、嫌悪感すら持っている。
長々と昨夜来の出来事に端を発し、いろいろ書いてきたが、今年我が生活はどうなるのか、を考えると、まず今年は来年3月の定年を控え、大江健三郎ではないが、「最後の仕事」ではないが、とりあえず定年を機に「中仕切り」をしようと思っている。具体的には、現在刊行中の「立松和平全小説」の全巻解説を中心に約束した幾つかの本の執筆をしながら、「黒古一夫書誌」を作成する、ということになる。これは、1月に出る「黒古一夫書評集」をまとめる際に、最初の自著「北村透谷論―天空への渇望」(冬樹社刊 70年4月)から30年、年に平均して30~40本の原稿を書いてきた足跡をまとめてみよう、と思ったことがきっかけになっている。自著、共著、編著、監修本、論文、エッセイ、書評、ずいぶん仕事をしてきたな、という実感があって、一度まとめてみるのも悪くないな、と思ったのである。これができれば、「次の30年」(欲張りか?)の目標も定まってくるのではないか、と思っている。
完成したら報告するので、関心のある方はご連絡下さい。
以上が、今年の抱負と言えば豊富です。
どうぞ皆さんもお元気でお過ごし下さい。