黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

「非核三原則」について

2009-08-10 16:52:06 | 文学
 このところ「ヒロシマ・ナガサキ」問題、つまり「核」の問題や「原爆文学」について書きながら、「非核三原則」について書かなかったのは、アメリカ大統領オバマが「核軍縮」についてプラハで演説した今年、日本の政治家や識者たちがどう反応するか、「8月9日・ナガサキデー」が終わってから、僕の意見を書こうと思っていたからに他ならない。それは、たぶん、オバマの演説があっても日本の政治家や識者たちの見解はそんなに変わらないのではないか、と思いつつも、もしかしたら変わるかも知れない、と淡い期待を抱いていたからでもあった。
 案の定、例えば次のような麻生首相の演説のように、相も変わらぬ「建前」に終始するものであった。
<日本は唯一の被爆国だ。広島、長崎の悲劇を二度と繰り返さないためにも、国際平和の実現に向け、あらん限りの努力を傾けなければならない。本日、私はあらためて日本が今後も非核三原則を堅持し、核兵器廃絶と恒久平和の実現に向け、国際社会の先頭に立っていくことを誓う>
 この麻生首相の言葉に「空々しさ」を感じたのは僕だけではないだろう。なぜなら、上記引用文中にもそうだが、広島、長崎での「挨拶」全文のどこにも、今年になっていよいよ明らかになった「核持ち込み」の「密約」について、一言半句も触れておらず、何の痛痒も感じないかの如く「建前」だけを述べているからである。
 アメリカ空軍や海軍による日本への「核持ち込み」の「密約」は、歴代外務次官の「申し送り事項」になっていたから、という理由だけでなく、沖縄の極東最大のアメリカ軍基地「嘉手納」に配備されたB52戦略爆撃機の配備、あるいは何年か前沖縄国際大学のキャンパスに墜落した戦闘ヘリの処理のために放射能防護服を着た兵士が駆けつけたこと等を考えただけでも、「非核三原則」が空文化していると理解できると思うのだが、考えて欲しい、冷戦構造が未だに残る東アジアで「西側」(アメリカや日本)の最前線に位置する嘉手納基地を始めとする各米軍基地で、日本に駐留したり寄港したりするから、事前に、例えば核弾頭を装備したB52や巡航ミサイルのトマホークを装備した原子力潜水艦が、日本の「非核三原則」に協力するために、グアムのアンダーソン基地などに核兵器を置いてくるか、というそれこそ「常識」的に考えても、あり得ないことを、日本の保守党(公明党も含む)の政治家たちや識者たちは、あたかもあり得るように語る、おかしいと思わない方が「おかしい」。
 こんな議論(非核三原則が守られていないという)は、もう僕の知る限り40年以上にわたって行われているのに――日本に最初の原子力潜水艦が彼の小泉純一郎の選挙地盤である横須賀に寄港するというので大問題になり、多くの市民・学生が反対運動を繰り広げたのは、僕が大学に入学した1965(昭和40)年であった――、未だに「建前」という砂上の楼閣を守って空疎な「非核三原則の堅持」を言い募る日本の首相、これでは絶対に「核軍縮」にイニシャチヴは取れないな、と思うが、それとは別に、僕らはもう一度「ヒロシマ・ナガサキ」の原点に還って、「各」の問題を考える必要があるのではないか、と思う。
 そうすれば、この国の政府(防衛省)が認めた航空自衛他の元最高幹部(航空幕僚長)が被爆地広島で「核武装論」を説くなどという破廉恥な行為は絶対起こらなかったのではないか。それだけではない、政府与党が「非核三原則」が空洞化していることを熟知しているからこそ、北朝鮮の「核の脅威」を錦の御旗として「集団的自衛権」やら「敵基地攻撃論」を展開しているであり、そのことを考えれば戦後64年、「ヒロシマ・ナガサキ」は形骸化(風化)し続けている、といわねばならない。
 そんな形骸化(風化)に抗するにはどうしたらよいか、年中行事化した「熱い夏」にだけ「ヒロシマ・ナガサキ」を語るのではなく、1945年8月6日・9日に何が起こったか、またそれ以後「核状況」はどのように展開してきたか、を考え続けてきたところから書き継がれてきた「原爆文学」を読むことが必要とされるのではないか、と思う。