黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

敗戦記念日に思うこと

2009-08-15 08:46:24 | 文学
 今年も「熱い夏」の最後を締め括る「敗戦記念日」がやってきた――何故、マスコミ・ジャーナリズムが挙って使用する「終戦記念日」という言葉を使わないかについては、既に何回かこの欄で触れているが、改めて言うならば、あの無謀な軍部と財界の主導による「アジア・太平洋戦争=15年戦争」は、1945年8月15日に連合国のポツダム宣言=無条件降伏を受け入れたことが証するように、明らかに「敗北」したのであって、何らかの交渉の末に「戦争を終わらせた・終わった」のではない、ということである。この「敗戦」か「終戦」かという論議には、必ず思想的に意味における「ナショナリズムが介入するということがあり、僕自身は戦争には必ず「勝ち・負け」があり、どんな「大儀面文を掲げて「勝利」を目指そうが、戦争によって「被害」を受けるのはいつも「庶民=市民」である、という考えに基づき「反戦」の立場から「敗戦」という用語を使っている。漫画家の小林よしのりや他のネオ・ナショナリストたちは、その「戦争論」や「祖国論」で展開している俗論、戦争は「国を守るため」「家族を守るため」にやったのであり、先のアジア・太平洋戦争も「聖戦」であって、その死者たち(英霊)が存在したからこそ今日の「繁栄」があるのだ、と「征戦」(侵略戦争)を肯定するような考え方を僕は否定する。
 僕は戦後生まれなので、アジア・太平洋戦争を実際に経験した世代ではない。しかし、僕が物心ついたときには、駅前にあった家のすぐ傍に進駐軍(占領軍・アメリカ軍)がいて、「ギブ・ミー・チョコレート」と叫んだ経験があり、子供心に何故ここにアメリカ軍がいるのだと思い、ガキ大将の「日本で一番偉い人は誰だ」の問いに、端垂らし小僧たちが異口同音に「マッカーサー」と答えと言うことがあり、後にそのようなことが自宅の近くで起こっていたのは皆「日本が戦争に負けた結果」で理解した世代であること、このことは忘れるわけにはいかない。祭や地区の行事があるとき、必ず白服姿の「傷痍軍人」が楽器をならしながら「お金」を要求していた光景も目に焼き付いて離れないし、何よりも小学校や中学で学ぶようになって、戦場帰りの教師たちが「暗い目つき」で黙々と授業していたのも忘れるわけにはいかない。戦後とはいえ、僕等の生活の至るところに「戦争」(の傷ましい後遺症)は残っていたのである。前にも書いたことがあるが、僕の一番親しい中学の時の同級生は、中国東北部(満州)奉天で1945年8月8日(旧ソ連が満州に侵攻してきた前日)に生まれ、夫阿tりの姉と母親の4人で命からがら逃げ帰ったが(父親は現地召集の兵隊でシベリア送りになったというが、詳細は不明。もちろん、件の同級生は父親の顔を知らない。遺骨さえない。)、そのような戦死者や親が行方不明になった者が同級生に何人もおり、「国のため」「家族のため」というのが建前=スローガンにすぎず、実際は「悲劇」しかもたらさないのが「戦争」だというのは、肌に染みこんだ実感と言ってよく、観念で「戦争」は決して語れない、というのが僕の正直な思いになっている。
 僕が「戦争文学論」を書き(『文学は戦争をどのように描いたか』05年 八朔社)、繰り返し「原爆文学」や「ヒロシマ・ナガサキ」に言及しているのも(『原爆とことば』83年 三一書房)、みな「原点」は、「戦争」が色濃く残った「戦後」を経験したからに他ならない。もちろん、そのような経験を後世に伝え、かつ二度とあのような「悲惨」な戦争が起こらないようにと切に願っているが故に、戦争文学や原爆文学について書いている、という側面もある。
 また、僕が小泉内閣以来の連立与党の「タカ派」路線、つい麻生政権では首相の諮問機関が「集団的自衛権を認め」自衛隊の「海外派兵」を恒久法によって保証すべきだ、「日本国憲法」(第9条)の精神を踏みにじる答申を提出し、麻生首相はじめ自民党(公明党)のタカ派議員たちもそのような答申を認めるような発言を行っている。北朝鮮という「脅威」が存在する以上、それに対抗する処置を講じておかなければ、国益を損なうオアそれが多分にある、というのが彼らの言い分である。しかし、少し調べると素人でも分かることは、満州事変にしても、日中戦争にしても、あるいは太平洋戦争にしても、必ず国民に「脅威」を宣伝し、戦争を始めているという「事実」である。僕等は、「他国の脅威」というものがいかに「ご都合主義」であるかという事例を、イラク戦争の口実に使われた「大量破壊兵器の存在」でよく知っているはずである。「軍部」やそれと密接な関係にある「政府」は、いつでも「仮想敵国の脅威」を喧伝して、装備を拡充し、戦争を準備するものだ、ということを忘れてはならない。
 そして何よりも先のアジア・太平洋戦争で民間人も含めて「310万人」が犠牲者になったこと、及び肉体的・精神的にそれと同数に近い人々が「傷付いた」ことを忘れてはならないだろう。「戦争」で利益を得たり、得をする人はごく少数でしかないこと、大部分(の庶民)は「犠牲」しか強いられない現実を、僕らはもう一度考える必要があるのではないか、と思う。