黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

「ヒロシマの日」に思う。

2008-08-07 10:03:15 | 文学
 本当は、昨日(8月6日)の記事は絶対「ヒロシマ」に関するものにしたいと思っていたのだが、その前日に飛び込んできた「慌て者」の言としか思えない(それだけ「無知」をさらけ出したということだろうが)麻生太郎自民党幹事長の公党(反対党)を「ナチス」呼ばわりする、その傲慢で浅はかな発言に呆れ、かつそのような「レッテル貼り」こそ危険な兆候だと思い、「ヒロシマ」については「ナガサキ」も含めて明日、という気持になったという経緯がある。
 この麻生氏の発言に関しては、東京新聞(「こちら特報部」にドイツ近現代史を専門とする二人の人が、「認識間違い」「歴史を誤って解釈している」と手厳しい指摘をしていたが、さて「ヒロシマ」に関して、僕らは麻生太郎を笑えない現実を抱えているということがある。やはり1年前にもこの欄で書いたことだが、僕らは「ヒロシマ・ナガサキ」の事実について、知っているつもりでいながら案外知らないという現実がある。例えば、「ヒロシマ・ナガサキ」の犠牲者数(死者)の数について、統計時期によっていくらかの差違が生じるのだが、どれほどの人が知っているだろうか。あるいは現在まで生き続けてきた「被爆者」の数は? 大学の授業でナガサキで15歳の時(正確には14歳と11ヶ月余り)に被爆した林京子の原爆小説(「祭りの場」など)を取り上げることがあるのだが、その時学生たちに件の質問をして正確な答えが返ってくることはまずない。
 犠牲者数が一番少ないので500人、多くても5万人ぐらい(時には10万人)で、被爆者の数に至っては50人から数千人がせいぜいで、正確に犠牲者数:21万人余り(1945年末現在、「ヒロシマ」14万人余り、「ナガサキ」7万人余り)、被爆者数:現在29万人余り、北は北海道から南は沖縄まで万遍なく被爆者は存在する事実を、学生(若者)だけでなく、多くの日本人が知らない(知ろうとしてこなかった)。あれほど戦後63年「平和教育」を行ってきたにもかかわらず、である。
 余談になるが(本当は「余談」などではない)、僕が石原慎太郎東京都知事を「ネオ・ファシスト」と呼ぶのは、彼が東京都知事になってからそれまで東京都各地区で実施されてきた広島・長崎への「修学旅行」が、「偏向教育」だというような理由で「禁止」されるようになった、というのも理由の一つだと言うことを付け加えておきたい。そうでないと、麻生太郎の「レッテル貼り」と僕の石原氏や小泉純一郎・安倍晋三を「ネオ・ファシスト」と呼ぶのを、(故意に)混同する輩が出てくるからである。なお、ついでに「ヒロシマ」との関係で言っておけば、石原慎太郎は若いときからの「核武装論者」で在り、その意味でも彼は「ネオ・ファシスト」「ネオ・ナショナリスト」と呼ばれるに相応しい政治家(小説家ではない)に他ならない。
 閑話休題、「ヒロシマ・ナガサキ」に関して、先の話に続けてもう一つ僕が言っておきたいのは、戦後の反核運動(平和運動・平和学習運動)がいかに脆弱なものであったか、ということである。僕はそのことを1983年に刊行された『日本の原爆文学』(全15巻 ほるぷ出版)の編集に関わる過程で、また『日本の原爆記録』(全20巻 1992年 日本図書センター)、『ヒロシマ・ナガサキ写真絵画集成』(全6巻 1996年 同)を編集する過程で知ったが、「事実」に基づかない概念的・表層的な「反核」運動・教育が、いかにこの国の「核」意識を軟弱なものにしてきたか。それは、アメリカをはじめとする旧西側諸国はもちろん、旧東側のロシアや中国、あるいはインドやパキスタンという新興核保有国についても、自国の被爆者にさえろくな援助をしてこなかった保守政権は、今まで一度たりとも正面から「反核」「核軍縮」という姿勢で対応してこなかった。北朝鮮の「核」問題に関してだって、アメリカの追随はしても、核被害国としてアメリカや他の核保有国に「核廃絶」「核軍縮」を迫るという毅然たる態度で北朝鮮に「核」を持つことの無意味さを訴えることをしてこなかったが故に、「拉致問題」だってなかなか進展しないのだと思う。
 片方の「核」は容認して、他方の「核」は許さない、というマヌーバー的な外交姿勢で「全体主義」的な国家を説得できるか。そんなのは、はじめから無理、というのが僕の考えである。
 「核」の存在がいかに人間の精神を蝕み、この世の中に「いいこと」を一つももたらさないというのは、「原爆文学」と称する被爆体験(直接的であるか否かは問わず)を基にした文学作品に共通したものであるが、とりわけまだ少年少女の時に被爆体験をして、戦後一貫して「被爆者」として生きてきた人の作品(例えば林京子)の世界は、ある「すさまじさ」を内包している。それらの原爆文学を読むと、今更ながらに「核」の恐ろしさについて考えさせられる。僕は8月6日から9日の間は、毎年必ず何かしら原爆文学を読むのだが、今年は「HIROSHIMA」を書いた小田実の1周期、彼の作品を読んですごそうと思う。
 因みに、林京子の文学について知りたい人は、拙著『林京子論ー上海・「ナガサキ」・「アメリカ」』(2007年 日本図書センター)をお奨めする。また、「ヒロシマ・ナガサキ」については、僕と昨年亡くなった清水博義さんと一緒に編集した『写真集 ノーモア ヒロシマ・ナガサキ』(2005年 同)を併せてお奨めする。林さん、井上ひさしさん、平岡敬前広島市長などが寄稿している、なかなかよくできた本である(自画自賛かな?)。

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3 コメント

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Unknown (女狐)
2008-08-07 19:20:14
「2ちゃんねる」に、「原爆投下時刻に合わせ、広島電鉄の被爆電車を攻撃する」と平気で書き込みしてしまえるほどに無知であり、痛みを想像することができないのでしょうか。

注目を集める目的で書かれたものですが、やはり無視できない心境です。

私自分も無知であったと自覚させられた在韓被爆者二世という存在に、これからも続いていく痛みをどれほどの人間が想像できるでしょうか。

知らなかった、知りたくなかった、知らされなかった。これらが錯綜した現在を生きているのではないかと自分自身への苛立ちと共に感じています。
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Unknown (村田)
2008-08-08 12:06:12
ご無沙汰しています。
「ネット小僧」と遊んで欲しいそうなので、久し振りに遊びに来ました。
これで暑い夏でもファイトが沸きますね。


ところで黒古先生、大変です。
麻生太郎自民党幹事長がナチス発言をしたので、大方の予想通り、先生もさっそく取り上げていましたが、先生の大ファンの雄三さんまでもが、

>ナチの雑魚どもの相手などせず、
http://blog.goo.ne.jp/kuroko503/e/a6187e52198eebd6803ac31cba8aad6e

などとレッテル張りの「ナチス」発言をしています。
雄三さんはひどい奴ですね、その傲慢で浅はかな発言に呆れてしまいます。
同じようにこっぴどく叱ってください。
まったく誰に似たんでしょうか。


先生は麻生太郎自民党幹事長の発言にさっそくかみついたので、雄三さんの発言にもすぐに噛みつかないまでも、せめて「そういう発言はやめましょう」とたしなめるような発言をするかと思ったら、なぜかいつまでたってもコメントを返してなかったので、どうしてなのか不思議でした。
きっと先生は人に優しいんですね。
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レッテル剥げ (田村)
2008-08-08 15:21:28
村田さん、暑いすね。雄三さんの発言、いただけませんかi? 「ナチ」でなくて、「ネオナチもどき」ぐらいにとけば良かったかも^^。
 ヨーロッパで外国人排斥運動やら、「狩り」をしている「 ネオナチ 」ですが、なぜかアメリカ人とユダヤ人は襲わないんだそうですね。何でかって言うと、ヨーロッパのネオナチに資金や研修をさせているのが、アメリカの某石油・金融系の財団なんだそうですよ。ロックフェラー財団とかいうとこだそうです。
日本の政治家や右翼にもお金を出していると、朝日が昨年来、書いてますね。
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