黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

どうなるのか?この国の形

2011-10-18 05:16:33 | 仕事
 どうもこの頃気になってならないのは、ドジョウ内閣こと野田政権がどこに向かっているのかよく理解できないことである。
 元々民主党という政党は、右は「自民党タカ派」から左は「社会党」までが政党としての思想性(綱領的立場、未だに民主党は綱領を持っていない)など関係なく、ただ単に「政権奪取=政権交代」をただひたすら求めて集まってできた「野心」の固まりみたいな政党だからあまり多くのことを望んではいけないのかも知れないが、鳩山-菅-野田と続く民主党政権を見ていると、特に最近の「武器輸出三原則の緩和」「国連PKO活動への参加・武器使用の拡大」「沖縄・普天間基地問題への対応」「PTT問題への対応」「脱原発方針の転換」「官僚主導の復活」等々を見ていると、かつての自民党政権時代やその後の自公政権時代を訪仏させるようなことばかりで、これでは何のために「政権交代」を国民は望んだのか、その意味がなくなってしまうのではないか、菅政権時代より何もかも後退しているのでは、と思わざるを得ない。
 何よりも問題なのは、野田政権からはこの国を将来どういう国にしようとしているのか、その形が全く見えないことである。特に、野田政権における「外交」問題を仕切っている感のある前原政調会長の言動は、いかにも「タカ派」然としたもので、自衛隊の海外派兵を決めた自公政権時代の小泉純一郎首相にも匹敵する日本国憲法の「平和主義」を否定するような「アメリカべったり」外交には、慄然たる思いを禁じ得ない。例えば、「武器輸出三原則の緩和」など、自国は日本国憲法の精神を尊重すれば「戦争はできない国」であるにもかかわらず、他国へは戦争の道具である武器を輸出する、という矛盾をそのままに、ただ「経済の活性化=金儲け」ということで推進するつもりなのだろうが、この野田政権(前原政調会長)に「戦争と平和」に関するビジョンはあるのだろうか、と思わざるを得ない。
 これは、「フクシマ」を起こしながら、なお第三世界への原発輸出を止めようとしない民主党政権(菅政権・野田政権)と同じ発想で、野田首相、前原政調会長の出身母体である松下政経塾が元々「保守」であることを考えると、諾(むべ)なるかなと思わないわけにはいかないのだが、普天間基地の辺野古沖移設問題についても、「国外・県外移設」などには全く言及せず、年内にも「環境アセス」を提出して、強引に移設を強行しようとしている。沖縄駐留のアメリカ軍海兵隊のグアム移転に伴って何百億円もの大金を払い、はたまた普天間基地移設で何百億円使う、僕は決して偏狭なナショナリスト(国粋主義者)だとは思っていないが、国民が増税問題で苦しんでいるとき、他国(アメリカ)の軍隊のために何故これほど多額の税金を使わなければならないのか、全く訳が分からない。これは、多額の郵貯の放出を狙ったアメリカの圧力によって郵政改革を強引に推し進めた小泉政権と、やり方は全く同じである。こんなアメリカべったりの追随外交を展開しているから、石原慎太郎東京都知事や橋下徹大阪府知事のような「ネオ・ファシズム」的な指導者が、社会に蔓延するポピュリズムを利用して一定の勢力を伸ばしてくるのだろうと思う。
 いずれにしろ、アメリカべったりの外交は、経済発展が著しい中国や韓国に象徴されるようなアジア軽視につながるもので、尖閣諸島問題や竹島問題などの領土問題への「タカ派」的対応と裏腹で、まさか福沢諭吉時代の「脱亜入欧(入米)」ではないだろうが、この国がどのような方向に進んでいくのか皆目分からないところに、世の中に蔓延している「ニヒリズム」「不安」の原因があるのではないか、と思える。
 ただこの間にも一つだけ「朗報」もあった。それは、日本がアメリカと組んで計画していたモンゴルに原発からの高濃度廃棄物の最終処分場を建設するという目論見が、モンゴル大統領の命令で中止になった、ということである。自国で処理できないもの(だから、原発は人間と共存できないのだ)を他国に持って行く、という経済優先の考え方、こんなご都合主義(ジコチュウ主義)が許されないのは当たり前だが、このモンゴルにおける廃棄物処理の問題は、改めてまだまだ原発問題は大きな課題を抱えていることを僕らに知らせてくれるものであった。
 となると、どうしても「オルタナティヴ」(もう一つの生き方)を考えなければならないのだが、本気で考えたいと思う。

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2 コメント

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Japanese memtality (noga)
2011-10-19 10:35:19
待ちの政治では、迅速な対応はできない。停滞気味である。

現実の内容は、「世の中は、、、、、」の内容であり、理想の内容は、「あるべき姿」の内容である。これは非現実である。
日本語には時制がなく、日本人は現実 (現在) と非現実 (過去・未来) の世界を独立させて並行して言い表すことが難しい。
非現実 (理想) に向かうための現実対応策が語れない。
現実から理想へと一足飛びに内容が飛ぶ。言霊の効果のようなものか。その過程が明確にされない。

時制を考慮することなく自分の思った内容を述べようとすると、現実肯定主義派と空理空論 (曲学阿世) 派のどちらかに分かれることになる。
これでは政治音痴は止まらない。
両者は話が合わない状態に陥り、議論ができない。そこで、悪い意味での数合わせで、民主的に、物事を決するしかないことを日本人は心得ている。
だから、大連立の構想には意味があると考えられているのかもしれない。

守旧派の世界は理想的ではないが、過不足なく成り立っている。革新派の世界は穴だらけで成り立たないことが多い。
安心と不信の背比べである。だから、政治家は静観が多く、意思決定には手間を取る。
静観には現在時制を働かせるだけで十分であるが、意思決定に至るには意思(未来時制の内容)の制作が必要になる。
意思の制作に未来時制が必要であるということは、自分が意思を作って示すことも他人から意思を受け取ることも難しいということになる。
つまり、社会全体が意思疎通を欠いた状態のままでとどまっているということである。
それで、勝手な解釈に近い以心伝心が貴重なものと考えられている。

時代に取り残されるのではないかという憂いが常に社会に漂っている。
だが、理想もなければ、それに向かって踏み出す力もない。
筋道を明らかにされることのない励みには閉塞感を伴う。玉砕戦法のようなものか。
だから、我々は耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶ必要に迫られることになる。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812


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ざっくり歴史感 (安来)
2013-08-12 01:29:25
 歴史も神話まで上り詰めるとグダグダいうやつがわんさかいる。しかし現時点の政治において、根本的思想の脈流は明治維新と第二次世界大戦敗戦である。明治維新で決まったことを尊重する派閥と敗戦で決まったことを尊重する派閥を国内で戦わせておけばアメリカが日本をコントロールできると考えたことにその発端がある。
 日本の分断的政治水脈はやがて近隣諸国に見破られ、日本の世論を分断する方法を従軍慰安婦、竹島、尖閣諸島と手を打っている。これはどれだけ、日本人同士が不毛な議論の労力を大量に引き出せるかが重要ポイントになっている。
 戦争の極意は「戦わずして勝つ。」ことにある。その代表的手段は敵国国民の世論を分断させることにある。意思決定が出来ない状況をできるだけ長く作ることである。その点では民主政体は脆いと思う。
 ここまでは私論だが、政治思想の分裂は維新か敗戦かに理想的は分解でき、その混合状態が現在の政党だといえる。そういった形で二大政党制にもって行けなかった民主党には失望したが、今後政治家は海外、とくに米国にいじられてきた歴史も踏まえ、国民に展望を示すべきだと思う。
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