黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

バスジャック事件に思う。

2008-07-17 08:37:26 | 文学
 14歳の中学生がナイフで運転手を脅かし「バスジャック」を行う。その中学生は、同級生の女の子との間にトラブルを抱え、そのことを学校から親に伝えられたことから親と「諍い」を起こし、その揚げ句に家出し「バスジャック」というとんでもない犯罪を犯してしまった、という顛末。幸い今度の事件で死傷者は出なかった。何年か前、やはり九州の方で17歳の高校生がバスジャックを起こし、こちらは確か死者が一人出るという大事件だったが、中学2年生によるバスジャックというのは、重大犯罪の低年齢化という問題と共に、「モラル・ハザード」がここまできたか、という感慨を持つ。
 学校でトラブルを抱えるというのは、逆説的に聞こえるかも知れないが、考えようによっては「まとも」な中学生であれば当たり前のことのように思う。「学歴社会」を前提とした「勝ち組・負け組」などという選別を、小学校の段階から受け入れることを強いられ、ますます「隠微」の度を増す「いじめ」などの精神的苦痛を放置して平然としている学校という「現場」、大分県の教員採用試験や教頭や校長への昇任において不正(贈収賄)が横行して教育世界、そこで学ぶ子供たちに「トラブル」がないなんて考えられない。バスジャック事件を起こした中学生は、もしかしたら「まとも」なのではないか、と考えたのも以上の理由による。
 親との間に「諍い」があったというのも、誰だって自分の中学生時代を思い出してみれば「当たり前」と思うのではないか。にもかかわらず、「切れて」(嫌な言葉だね)家出し、揚げ句にバスジャック事件を超す。僕がこのことから「モラル・ハザード」を云々するのは、事件を超す前のどこかの段階で誰かが彼に行動を押しとどめるようなアクションを起こすことができなかったのかと思い、また今度の事件は彼の犯行を思い止まらせる規制力が社会に存在しないことを白日の下にさらけ出してしまった、と思うからに他ならない。
 「切れる」傾向にあったというが、ごく「普通」の中学生がバスジャックする、かれはジャックしたバスの中で何をしようとしたのか。秋葉原の事件のように何の罪もない「無辜の市民」を巻き添えにして、さらに大きな事件を起こそうとでも思ったのか。それとも……。だが、事件を起こした後自分で警察に「バスジャックをした」と通報しているようだから、どうもバスジャックはしたが、「その後」のことは何も考えていなかった、というのが真相のようだが、これもまた「壊体」した現代社会を象徴しているように思えてならない。
ならば、どうすればいいのか。僕は僕の立場(考え)に基づいて、現代社会が「モラル・ハザード」状態を強めているということや、「壊体」状況にあることを繰り返し言い続け、(ネット小僧たちにどんなに「批判」されてもめげず、このブログを始めようと思った初心に返り)、ささやかであってもこのブログの読者と「共闘」できる状態を創り出していく、それしかないのではないか、と今は思っている。
 何とかしないと、とんでもない社会が僕らの未来に横たわっている、と思えて仕方がないのである。

 なお、本日午後から土曜日まで、大江健三郎の故郷である愛媛県の大瀬村(現内子町大瀬)と松山市に行って来る。中国社会科学院の大江研究者「許先生」に同行しての何度目かの松山(大瀬村)行きだが、今回どんな収穫があるか。土曜日に報告します。

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3 コメント

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怪物の正体 (雄三)
2008-07-17 12:43:19
 こんにちは。ネットの墓場とよばれる2チャンネルからの誹謗中傷、お見舞いもうしあげます。

 さて、大江健三郎の初期の作品ですが、恐ろしくグロテスクな表現、かつ難解です。あのグロテスクさ、いったい、何に由来するのでしょうか。
 大都市の出身者であれば、それも分かるような気も致しますが、出身が愛媛の大瀬村というと、かなり鄙びた山あいの、静かな場所のようですね。
一見、自然に恵まれた平和な村のように見える、彼の出身地に、どんな秘密があるのでしょうか。

 昭和初期の、あるファンタジー風の文学作品のテーマも、鉱山の害が主題と言われていますが、北上川流域では、原流にある松尾鉱山から流れ出る硫化物鉱物による鉱害に長く、苦しんできました.盛岡市内でも、川の色は濃いオレンジ~赤~黄色-緑-青紫-白と七色に変化したものです。

*ご参考
pdf 愛媛県中郡地域含銅硫化鉄鉱床調査報告(2) 一中山町周.辺地域一
 現在調査しうる鉱山は,大体上記程度のものであるが,このほかに大正9年まで盛大に稼行された大瀬鉱山がある。本鉱床は大瀬村熊ノ滝を中心に東西約
800mにわたつて発達し,20数箇所の旧坑が散在している。鉱体の一毅走向はN700E∼EWで健かに南に傾斜し,東方に50内外で落している。鉱体の最大の厚さは
15mに及ぶ部分もあつた由であるが,地表から浅くて風化が著しく,坑内崩壊の危険があるので,まだ相当量の残鉱を残したまま休山したといわれる。坑外の貯鉱は細粒緻密の黄鉄鉱および褐鉄鉱・斑銅鉱を主とし,塵かに黄銅鉱がみられる。」
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Unknown (山本市)
2008-07-19 14:03:58
竹島問題が紛糾してますが、先生はそれについてどういうお考えをお持ちでしょうか?
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Unknown (「大瀬村」(雄三さんへ))
2008-07-19 19:15:53
 雄三さんへ

 仰る通り、内子町大瀬(旧大瀬村)は、かなりの山の中です。現在は内子町から大瀬に行くのに大きなトンネルを2カ所くぐるのですが、大江健三郎が子供時代はそのようなトンネルがなかったから、外界との関係も大変だった地域だったのではないか、と推測されます。「閉鎖的」な村落共同体、今回の取材でも「大瀬の人間は<変わり者が多い>と言われてきた」と述懐する老人たちにも会いました。お寺が1つ、神社が1つ、大江さんのお母さんが世話役であった「庚申様」が1つ、それらの「宗教」を大切にしながら、「大瀬騒動」といわれる歴史に残る「一揆」では、共同体が一体となって「権力」(大洲藩)へ徹底的に刃向かう、そして鎮圧された後も、その経験を「御霊祭り」という形で人々の間に残し、反権力を「伝統」にする。
 そういう意味では、雄三さんが感受したある種の「おどろおどろしさ」というのは、大江さんの血の中に自然ととけ込んだものの深層に触れたと言うことではないか、と思います。
 因みに、「大瀬鉱山」のことは「内子町史」という本に出ていましたが、そこで今言う「公害」のようなものがあったかどうかは、記述してありませんでした。
 何度目かの松山・大瀬行きでしたが、行く度に「新発見」があります。それが何かに結実するかは不明ですが、何かの折に今回の取材旅行の成果ということで公表するかも知れません。
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