黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

自戒(いましめ)

2009-04-03 08:33:20 | 近況
 僕らの知識がいかに「浅薄」で、「偏向」しやすいものであるか、そのことをまざまざと見せつけてくれたのが、一昨日・昨日の2日間にわたってロンドンで開かれた「G20サミット」である。この世界を「主導」している先進国・発展途上国20ヶ国が「世界不況・金融不安」解消のために集まった会議が、改めて私たちに明らかにしてくれたのは、この20ヶ国で世界のGDP(国内総生産)の約85%を占めるという事実である。これは、世界経済の大部分をこの20ヶ国で動かしていると言うことを意味するらしく、かつて「南北問題」とか「第三世界問題」という形で取り沙汰された「北=先進国」(現在は「発展途上国」の優等生も含まれる)による「富の独占」が現実のものになっていることを物語るものに他ならない。
 そのような観点から、「G20サミット」会場周辺でデモをしていた人たちが、世界の首脳達を「デビル(悪魔)」と呼んでいたのも、分からなくはない。労働者や学生が主体のデモ隊(G20サミットに反対する人たち)の「本音」は伝わってこないが、「富の独占」に反対していることだけは確かなようで、その意味では、日本経済が「未曾有の大不況」に陥って、その結果「弱者の切り捨て」を行ったこととの類推で、ロンドンで労働者や学生が「怒った」のも道理、と思われる(日本でそのような「怒り」が何故組織されないのか、不思議である)。
 というようなことを書くと、またぞろ「四条烏丸」氏のように、「お前は(見なし)国家公務員ではないか。そんな<反体制>を気取ったことを書いていいのか。大学教師は、有能な人材を育てるのが義務で、お前はその義務を怠っているのではないか」といったような文句を言われるかも知れないが、大学法人国立大学の教員にだって「表現の自由」「思想の自由」は保障されているはずである。例え、その考えが「権力」の意に沿わなくとも、あるいは「間違って」いたり「浅薄」であっても、である。「四条烏丸」氏が、「匿名」で人のブログに勝手にコメントを寄せる「自由」と同じぐらいに、国立大学の教員にも「自由」は保障されている、と僕は思っている。唐突かも知れないが、「日本国憲法」を大事にしたいな、と思うのは、このようなときである。
 閑話休題。
 いよいよ明日以降「天気の良い日」に北朝鮮の「人工衛星打ち上げ実験」(弾道ミサイル実験)が強行されそうである。アメリカのCNN放送に拠れば、燃料を注入し始めたというから、実験は「予定」通り行われるのだろう。失敗して日本に落ちないことを祈るばかりだが、先にこの「人工衛星打ち上げ実験」について書いた際に、今回の政府・防衛省の「迎撃態勢」作りは、防衛予算の獲得を想定したものではないか、という軍事評論家の言葉を紹介したが、今朝の朝日新聞を見ると、彼の予想通り、自民党の防衛族議員や防衛省から、「MD(ミサイル防衛システム)予算をもっと増やせ」という声が上がり始めているという。何のことはない、これでは北朝鮮のミサイル実験にこと寄せて防衛族・防衛省・軍需産業が「予算のぶんどり合戦」で有利な立場を確保しようとして、今回の「大騒ぎ」を起こした、ということになってしまう。ナショナリズム的な心情を刺激されて踊らされた国民も、いい面の皮、である。
 ここでまた、勘違いされないために、注記しておけば、僕は「反戦・反核」の立場から北朝鮮の「ミサイル実験」にも、またこの国やアメリカの「MD計画」にも断固反対である。戦争(核戦争)によって最大の被害を受けるのは、「ただの市民」だからである。

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3 コメント

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学問 (チョワヨ)
2009-04-03 12:05:54
戦前の大学における学問は原則として国家のための学問を要請された。戦後は「真理」のための学問になった。大学の自治はそれを保障した。しかし、多くの大学人はそこで錯覚した。観念はどこまでも飛翔する。インターナショナルだ。また妄想も可能。日の丸の掲揚拒否。学問は自由だが、国立大学は国家の施設。反日の丸闘争。真理と政治と正義との混乱。
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自戒よりも自覚を (四条烏丸)
2009-04-03 21:55:54
黒古さん

貴殿は、現在、国立大学法人の教員であるという大前提を忘れてはいけない。
それは即ち、貴殿が「みなし国家公務員」の身分を有し、まぎれもなく「公人」であることを意味している。
(※貴殿は「みなし国家公務員」であり、大学の教員=学者という立場であると同時に政治的発言をする以上、立派に「公人」の定義に該当する)
「公人」であると同時に「みなし国家公務員」であるということは、一般人とは違い、表現の自由や思想の自由を主張する以前に、国家と国民にたいする義務と責任が求められる。
貴殿には、貴殿のブログそのものが「公人」の公開ブログであるという認識(もしくは、公人としての覚悟)が欠けている。
国家公務員にたいして、「服務規程」や「倫理規定」が義務付けられているのと同様、「みなし国家公務員」である貴殿もまた、それに準拠した「服務規程」や「倫理規定」が、国または貴殿の属する大学の「内部規定」という形で、貴殿の存在(発言や行動)にたいして義務と制約を求めている筈である。
国民の血税が貴殿の奉職する国立大学法人への補助金として注がれており、それが貴殿の給与や研究費となっている。このことを念頭にすえた上で、国立大学の教員としての「自由」という言葉を口にすべきである。
国立大学法人の教員としての基本的責務を自覚し、自己の行動や発言(表現)の内容を、服務規定や倫理規定と照合することを再度お勧めする。
次に、戦争は自分の国が起こすとは限らない。他国や隣国が侵略戦争を仕掛けてくる場合もある。世界は善意の第三者ばかりではない。
国際関係の基本を性善説に求めるような人間は、単なる楽天的夢想家にすぎない。
ならばこそ、魑魅魍魎の跋扈する国際舞台で、国家と国民の利益と安泰のために活躍する優秀な外務官僚を育成する責務が国立大学にはある。
国民を救うのは、貴殿のような百年河清を待つ夢想家よりも、過酷な現実を前にして国家と国民の利益と安泰に心血を注ぐ国家官僚や地方公務員を育成することであり、それが国家の禄を食む国立大学教員である貴殿の責務ではないか。
貴殿はジャガイモ畑の世話よりも、人材畑の育成に最善を尽くすべきである。この不況下、貴殿の大学の学生諸君が自己実現のできる人生を歩めるよう、私は心から願ってやまない。
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Unknown (Unknown)
2009-04-04 03:35:20
http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa248374.html
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