黒古一夫BLOG

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「虚しさ」との戦い(17)――ついに、原発再稼働!

2015-08-12 10:42:24 | 仕事
 ついに、と言うか、とうとう、と言うか、あるいは予定通り、と言うか、鹿児島県の川内原発の再稼働が多くの国民の反対があったにもかかわらず挙行された。これで、約2年間続いてきた「原発ゼロ」の記録が途絶えてしまった。
 それにしても、今更という感じがしないでもないが、昨日の安倍首相はじめ宮沢経産大臣、菅官房長官の原発再稼働に関するコメントを聞いていると、「安保法制=戦争法案」に関する議論においても変わらないのだが、いかに「人命軽視」「国民の生活軽視」の政治が今日行われているか、如実に伝わってくる。
 「世界一厳しい安全基準」(安倍首相)、どの国の安全基準と比べてそのように言っているのかわからないが、ではフクシマ以前は「世界一」でなかった安全基準で次々と原発を建設し続けてきたというのか、安倍首相の言葉が「軽く」「ご都合主義」だということは、繰り返し言ってきたことだが、この「世界一厳しい安全基準」ほど、国民を馬鹿にした言葉はない。何故なら、安倍さんは何度かの国政選挙でその都度「原発ゼロを目指す」と言ってきたはずだし、その「世界一厳しい安全基準」についてだって、自公政権に都合のいい人事(原子力ムラの住人たち)で構成した「原子力規制委員会」さえ、「絶対に安全とは言えない」と言っているのに、という問題が解消されないままであることを考えれば、実に「いい加減な言葉」だということがわかる。
 宮沢経産大臣の「安価なコスト」「経済問題」「将来のエネルギー問題」を考えて、という言葉に至っては、すでに「フクシマ」によって暴かれた、廃炉費用や使用済み核燃料の処理費用、原発立地への「交付金」、さらには万が一事故が起こったときの処理費用などを考慮した場合、決して原発は「安価なエネルギー源」ではないはずなのに、何故今更そんな「嘘」を付くのか。理解に苦しむ
 第一、フクシマが起こって判明したことだが、まだ使用できる火力発電所を原発建設の結果「休眠」させていたり、「水力発電」に至ってはそのほとんどが「休業」状態になっていること、それらをもう一度稼働させれば、原発の何基分か稼働させなくても済む、という事実をどう考えるのか、ということがある。
 さらに言えば、原発の再稼働を優先させているため、フクシマの直後は真剣に検討された「再生可能エネルギー(太陽光発電や風力発電などの自然エネルギー)」の活用が、現実としては機能しているにもかかわらず、政府・電力会社は「消極的」な態度をとり続けていることを、安倍首相や自公政権はどう考えるのか
 これらの事実と国民の60%以上が「反対」しているという現実を考えれば、原発を再稼働させる安倍政権が見ているのは、「国民の暮らしや生命」ではなく、電力会社や財界の顔でしかない、ということである。
 僕らは何でこんな「理不尽なこと」を平気で行う首相を選んでしまったのだろうか。
 ともあれ、現実的には「原発へのエネルギー依存率20パーセント」を政府の方針とした以上、安倍自公政権は川内原発に続いて続いて次々と原発の再稼働を決めていくだろう。
 しかし、「使用済み核燃料の処理問題」「核燃料サイクル問題」「核の最終処分場が未決定」「老朽化した原発の廃炉問題という、子々孫々に至っても解決しないであろう大問題を「原発」が抱えていることを僕らは忘れるわけにはいかない。
 「核と人類は共存できない」のである。

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