昨夕、テレビで「朗読」を聞き、そしてネットで談話の「全文」を読み、さらには今日の新聞記事やテレビのコメントに触れ、ずっと安倍首相の「70年談話」について考えてきたが、結論として僕が思ったことは、これほど国民を愚弄した「談話」はないのではないか、ということであった。
最大の理由は、マスコミなどは、戦後50年の「村山談話」、60年の「小泉談話」に使われていた「侵略」「痛切な反省」「植民地支配」「お詫び」といったキーワードが「安倍談話」に含まれていたから、中韓米も含めて諸外国も「概ね好意的」などと報じていたが、あれほど「私が…」「私が…」というのが好きな安倍首相が「談話」の中では一度も「私(安倍首相自身)が」と言わず、一般論や「引用」的言い回しで「逃げて」しまっていることに象徴される「誠意」の無さ、「歴史に対する無定見」を今更ながら知り、絶望的な気持にさせられたからである。
つまり、安倍首相は今回の「談話」でこれまで事ある毎に「私が判断する」とか「私が決めたのだから」と言い、あたかも「決断する首相」であるかのような印象を国民に与えてきたが、実は「定見=自分自身の言葉・思想」を持たない祖父(岸信介)の亡霊に取り憑かれただけの、「空疎な歴史観」を身にまとった「支持率」だけを気にする「愚妹」な政治屋であることを、白日の下にさらけ出したということである。
思い出して欲しい。この「愚妹」な首相は、前政権(民主党政権)の失敗に乗じて首相に返り咲いた頃、有頂天になってその「ナショナリスト=国粋主義者・ネオ・ファシスト」ぶりを発揮し、先のアジア太平洋戦争における「日本の責任」を問われると、誰に入れ知恵されたのか知らないが、「<侵略>の定義は、学問上も国際上も定まっていない」などと嘯いたことを。
また、朝鮮人女性を初め占領地域の女性を日本軍(日本帝国主義国家)が強制的に「性奴隷=従軍慰安婦」としたことに対して、敗戦前日(ポツダム宣言受諾の前日)の8月14日から占領軍(アメリカ軍)が本土上陸してくるまでの間、必至になって日本軍関係施設及び役所の「機密書類」――これには当然、従軍慰安婦を強制連行した記録もあったはず。何故なら、朝鮮人強制連行慰安婦の存在については、五味川純平の大長編『人間の条件』やその他の文学作品に数多く書かれており、それらを読めばその存在は歴然としているからである――を何日もかかって焼き尽くしたという事実を知りながら、「証拠がない」と言い続けてきたことを。
さらに言えば、日本帝国主義の「侵略」性について、安倍首相は「満州事変」(1931年)以後に限定して言及し、「西南戦争」(1878年)の原因となった西郷隆盛らの「征韓論」を引き合いに出すまでもなく、日清戦争(1894・明治27年)以前から日本帝国主義政府は朝鮮半島や中国大陸への「侵略」意思・意図を持っており、そうであるが故に日露戦争(1904・明治37年)の後朝鮮半島への「侵略」を内外に知らしめ、ついには1910年「朝鮮半島の植民地化=韓国併合」という「侵略」を完成させたのである。「安倍談話」では、なぜか日露戦争後に台湾を植民地化したことについては触れているのに、「韓国併合=朝鮮半島の植民地化」については一言も触れていないのは何故か?
なお、これは余り知られていないことだが、中国大陸(清王朝)への「侵略」に関しても、それは「満州事変」から始まるのではなく、日清戦争後に揚子江沿いの武漢(漢口)に最初の「日本租界(植民地域)」をおいたのを皮切りに、その後「大連」や「上海」に次々と「日本租界」をおいて、中国大陸への「侵略の橋頭堡」とした事実についても、「安倍談話」は一切触れていない。たぶん、彼の歴史認識の中にこの「事実」は入っていないのだろう。
ことほど左様に、安倍首相の「歴史認識」は「いい加減」で、最低限の知識さえ無いままに「うわべ」だけを取り繕い、「侵略」などの4つのキーワードを使えば、それで事足りる、と浅薄にも思っているから、「談話」に心が籠もらないし、「反省」の意も伝わってこないのである。
そんなどうしようもない「談話」だが、一つだけ自分の意(だけでなく、保守派・右派を喜ばす)を込めた文言がある。それは、「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子供たちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」という言葉である。ネットを見ると、早速この言葉に「ネトウヨ」と呼ばれるような人たちが飛びついて、「よくぞ言ってくれた」「名演説だ」「すばらしい言葉、立派な首相だ」「これで支持率が上がるだろう」などと欣喜雀躍していたが、確かに一見すると「まともな考え・意見」のように見えるが、朝鮮半島や中国大陸をはじめアジア太平洋諸国を「侵略」し、多大な被害をもたらしたのは日本である。その加害者・日本が「子や孫は、直接戦争に関係ないから、もう謝罪する必要がない」と言うのは、本末転倒である。「もう謝罪しなくてもいいよ」と言えるのは、被害を受けた側だけであって、加害者が言うことではない。
第一、安倍さん、貴方のお祖父さんは東条内閣の閣僚として中国侵略のお先棒を担いだ人である。本当に「中国侵略」は悪いことだったと思うのであれば、貴方は、その加害者=侵略者の「孫」として、まず「痛切な反省」を自分の言葉で語り、その上で「土下座して」中国に謝りつづけ、その結果中国はじめアジア太平洋諸国の全部が「もう謝らなくていいよ」と言うのを確認してから、初めて「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子供たちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と言えるのである。 こんなことを書くと、すぐさま「ネトウヨ」の人たちが、「お前はアホか」などと攻撃してくると予想されるが、「事実」を基にした「歴史」を消すことはできないし、人間の「誠意」は「事実」を基にしない限り、それは皆「空疎」な言葉として霧散してしまうのがオチである。 まだまだ言いたいことはたくさんあるが、今日はここまで。
なお、最後に付け加えておきたいのは、明治以来の日本のアジア太平洋諸国への「侵略」の根っこに福沢諭吉の「脱亜入欧」思想に明らかな「アジア(人)蔑視」があるということ、である。
最大の理由は、マスコミなどは、戦後50年の「村山談話」、60年の「小泉談話」に使われていた「侵略」「痛切な反省」「植民地支配」「お詫び」といったキーワードが「安倍談話」に含まれていたから、中韓米も含めて諸外国も「概ね好意的」などと報じていたが、あれほど「私が…」「私が…」というのが好きな安倍首相が「談話」の中では一度も「私(安倍首相自身)が」と言わず、一般論や「引用」的言い回しで「逃げて」しまっていることに象徴される「誠意」の無さ、「歴史に対する無定見」を今更ながら知り、絶望的な気持にさせられたからである。
つまり、安倍首相は今回の「談話」でこれまで事ある毎に「私が判断する」とか「私が決めたのだから」と言い、あたかも「決断する首相」であるかのような印象を国民に与えてきたが、実は「定見=自分自身の言葉・思想」を持たない祖父(岸信介)の亡霊に取り憑かれただけの、「空疎な歴史観」を身にまとった「支持率」だけを気にする「愚妹」な政治屋であることを、白日の下にさらけ出したということである。
思い出して欲しい。この「愚妹」な首相は、前政権(民主党政権)の失敗に乗じて首相に返り咲いた頃、有頂天になってその「ナショナリスト=国粋主義者・ネオ・ファシスト」ぶりを発揮し、先のアジア太平洋戦争における「日本の責任」を問われると、誰に入れ知恵されたのか知らないが、「<侵略>の定義は、学問上も国際上も定まっていない」などと嘯いたことを。
また、朝鮮人女性を初め占領地域の女性を日本軍(日本帝国主義国家)が強制的に「性奴隷=従軍慰安婦」としたことに対して、敗戦前日(ポツダム宣言受諾の前日)の8月14日から占領軍(アメリカ軍)が本土上陸してくるまでの間、必至になって日本軍関係施設及び役所の「機密書類」――これには当然、従軍慰安婦を強制連行した記録もあったはず。何故なら、朝鮮人強制連行慰安婦の存在については、五味川純平の大長編『人間の条件』やその他の文学作品に数多く書かれており、それらを読めばその存在は歴然としているからである――を何日もかかって焼き尽くしたという事実を知りながら、「証拠がない」と言い続けてきたことを。
さらに言えば、日本帝国主義の「侵略」性について、安倍首相は「満州事変」(1931年)以後に限定して言及し、「西南戦争」(1878年)の原因となった西郷隆盛らの「征韓論」を引き合いに出すまでもなく、日清戦争(1894・明治27年)以前から日本帝国主義政府は朝鮮半島や中国大陸への「侵略」意思・意図を持っており、そうであるが故に日露戦争(1904・明治37年)の後朝鮮半島への「侵略」を内外に知らしめ、ついには1910年「朝鮮半島の植民地化=韓国併合」という「侵略」を完成させたのである。「安倍談話」では、なぜか日露戦争後に台湾を植民地化したことについては触れているのに、「韓国併合=朝鮮半島の植民地化」については一言も触れていないのは何故か?
なお、これは余り知られていないことだが、中国大陸(清王朝)への「侵略」に関しても、それは「満州事変」から始まるのではなく、日清戦争後に揚子江沿いの武漢(漢口)に最初の「日本租界(植民地域)」をおいたのを皮切りに、その後「大連」や「上海」に次々と「日本租界」をおいて、中国大陸への「侵略の橋頭堡」とした事実についても、「安倍談話」は一切触れていない。たぶん、彼の歴史認識の中にこの「事実」は入っていないのだろう。
ことほど左様に、安倍首相の「歴史認識」は「いい加減」で、最低限の知識さえ無いままに「うわべ」だけを取り繕い、「侵略」などの4つのキーワードを使えば、それで事足りる、と浅薄にも思っているから、「談話」に心が籠もらないし、「反省」の意も伝わってこないのである。
そんなどうしようもない「談話」だが、一つだけ自分の意(だけでなく、保守派・右派を喜ばす)を込めた文言がある。それは、「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子供たちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」という言葉である。ネットを見ると、早速この言葉に「ネトウヨ」と呼ばれるような人たちが飛びついて、「よくぞ言ってくれた」「名演説だ」「すばらしい言葉、立派な首相だ」「これで支持率が上がるだろう」などと欣喜雀躍していたが、確かに一見すると「まともな考え・意見」のように見えるが、朝鮮半島や中国大陸をはじめアジア太平洋諸国を「侵略」し、多大な被害をもたらしたのは日本である。その加害者・日本が「子や孫は、直接戦争に関係ないから、もう謝罪する必要がない」と言うのは、本末転倒である。「もう謝罪しなくてもいいよ」と言えるのは、被害を受けた側だけであって、加害者が言うことではない。
第一、安倍さん、貴方のお祖父さんは東条内閣の閣僚として中国侵略のお先棒を担いだ人である。本当に「中国侵略」は悪いことだったと思うのであれば、貴方は、その加害者=侵略者の「孫」として、まず「痛切な反省」を自分の言葉で語り、その上で「土下座して」中国に謝りつづけ、その結果中国はじめアジア太平洋諸国の全部が「もう謝らなくていいよ」と言うのを確認してから、初めて「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子供たちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と言えるのである。 こんなことを書くと、すぐさま「ネトウヨ」の人たちが、「お前はアホか」などと攻撃してくると予想されるが、「事実」を基にした「歴史」を消すことはできないし、人間の「誠意」は「事実」を基にしない限り、それは皆「空疎」な言葉として霧散してしまうのがオチである。 まだまだ言いたいことはたくさんあるが、今日はここまで。
なお、最後に付け加えておきたいのは、明治以来の日本のアジア太平洋諸国への「侵略」の根っこに福沢諭吉の「脱亜入欧」思想に明らかな「アジア(人)蔑視」があるということ、である。
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