テレビを点けても、新聞を読んでも、今度の参院選は、与党(自公政権)が「大勝利」(過半数獲得)し、「民主党は惨敗」するという選挙予報しか目に入らなくなったが、民主党が「惨敗」するのは、その政治姿勢が一貫せず、例えば「脱原発」についても政党としてはっきり言明できないというようなこともあって、「自業自得」と言っていいかも知れないとして、残念でならないのは、「野党」が林立(分裂)し対立することによって――少なくとも「脱原発」「反TPP参加」「改憲阻止」「社会保障の拡充」などで一致できる共産党や社民党、生活の党、みどりの風は「統一戦線」を組んで、自公政権の「暴走」(ねじれ解消・過半数獲得)だけは何としても阻止して欲しかったと思うが、そのことは適わず――組織力のある自民党と公明党が「漁夫の利を占める」ことになるのだろうと思うと、何ともやりきれない気持でいっぱいになる。
そして思うのは、安倍政権に何を期待しているのだろう、という素朴な疑問である。つまり、全国区でも地方区でも自民党に1票を投じようと思っている人は、本当にアベノミクスによって自分たちの生活が「豊か」になり、原発再稼働や原発輸出はその推進力になると思っているのだろうか、ということである。「TPP参加」についても、同じである。農家を潰して(食糧自給率を下げて)、この国の「未来」はあるのか、ということである。あるいは、「憲法改正」についても、本質的には安倍晋三氏も石原慎太郎日本維新の会共同代表も、同じ憲法観の持ち主だと思うが、戦略上なのか「憲法隠し」を行っている自民党(安倍政権)の代わりに言いたいことを言っている石原慎太郎の憲法論を見ていると、明らかに「武力」によって近隣諸国を脅かし、圧することによって「日本」という国を「アジアの盟主」(何と現実離れした、空疎な言葉か)として君臨させようとしているようで、何のためのそんなことをしようとしているのか(言い続けているのか)、全く理解できない。
要するに、石原慎太郎も安倍晋三も「平和」と「民主主義」に象徴される「戦後的価値(思想)」が目障りで、自民党の「日本を取り戻す」が象徴しているように、戦前の価値観こそが尊いものだ、という何とも馬鹿げた「復古主義」に過ぎないのではないか、と思うが、そのような「言葉の詐術」に現在の日本人は易々と引っかかってしまう脆弱さを持っているのかも知れない。
とは言え、もう一度言うが、自公政権を「承認」しようとしている(自公に投票しようとしている)人たちは、つまりあの手この手を使って原発再稼働を策動する自民党に尊い1票を捧げることは、少なくとも「核との共存」を望んでいることになるということを、よく考えて欲しい、と思う。現在の科学及び思想の水準を考えれば、とうてい「核との共存」は不可能だということになっている。だとすれば、そんな「未来」を閉ざす自民党・公明党に何を期待して1票を投じようとしているのだろうか、と思わざるを得ない。
さらに、これは昨日書いたことに繋がるのだが、全労働者の内「非正規労働者」が40%近くなっている現実を考えたとき、そのような「格差社会」をもたらしたのは、歴代の自民党政権(自公政権)、とりわけアメリカの言いなりになって「規制緩和」(その代表が郵政民営化)に熱心だった小泉内閣であったこと、そしてそのような「規制緩和」をさらに進めようとしている安倍政権に、何故「40%の非正規労働者」は異議申し立て(反対)しないのか。これでは従順な「ポチ」ではないか。
メディアの予想通りに与党(自公政権)が「過半数獲得」したとするならば、それは「1億、総ポチ化」ということであり、余りにも悲しい。
投票まであと3日、ここでもう一度立ち止まり、よく考えて欲しい、と思う。
そして思うのは、安倍政権に何を期待しているのだろう、という素朴な疑問である。つまり、全国区でも地方区でも自民党に1票を投じようと思っている人は、本当にアベノミクスによって自分たちの生活が「豊か」になり、原発再稼働や原発輸出はその推進力になると思っているのだろうか、ということである。「TPP参加」についても、同じである。農家を潰して(食糧自給率を下げて)、この国の「未来」はあるのか、ということである。あるいは、「憲法改正」についても、本質的には安倍晋三氏も石原慎太郎日本維新の会共同代表も、同じ憲法観の持ち主だと思うが、戦略上なのか「憲法隠し」を行っている自民党(安倍政権)の代わりに言いたいことを言っている石原慎太郎の憲法論を見ていると、明らかに「武力」によって近隣諸国を脅かし、圧することによって「日本」という国を「アジアの盟主」(何と現実離れした、空疎な言葉か)として君臨させようとしているようで、何のためのそんなことをしようとしているのか(言い続けているのか)、全く理解できない。
要するに、石原慎太郎も安倍晋三も「平和」と「民主主義」に象徴される「戦後的価値(思想)」が目障りで、自民党の「日本を取り戻す」が象徴しているように、戦前の価値観こそが尊いものだ、という何とも馬鹿げた「復古主義」に過ぎないのではないか、と思うが、そのような「言葉の詐術」に現在の日本人は易々と引っかかってしまう脆弱さを持っているのかも知れない。
とは言え、もう一度言うが、自公政権を「承認」しようとしている(自公に投票しようとしている)人たちは、つまりあの手この手を使って原発再稼働を策動する自民党に尊い1票を捧げることは、少なくとも「核との共存」を望んでいることになるということを、よく考えて欲しい、と思う。現在の科学及び思想の水準を考えれば、とうてい「核との共存」は不可能だということになっている。だとすれば、そんな「未来」を閉ざす自民党・公明党に何を期待して1票を投じようとしているのだろうか、と思わざるを得ない。
さらに、これは昨日書いたことに繋がるのだが、全労働者の内「非正規労働者」が40%近くなっている現実を考えたとき、そのような「格差社会」をもたらしたのは、歴代の自民党政権(自公政権)、とりわけアメリカの言いなりになって「規制緩和」(その代表が郵政民営化)に熱心だった小泉内閣であったこと、そしてそのような「規制緩和」をさらに進めようとしている安倍政権に、何故「40%の非正規労働者」は異議申し立て(反対)しないのか。これでは従順な「ポチ」ではないか。
メディアの予想通りに与党(自公政権)が「過半数獲得」したとするならば、それは「1億、総ポチ化」ということであり、余りにも悲しい。
投票まであと3日、ここでもう一度立ち止まり、よく考えて欲しい、と思う。