黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

「ねじれ」は、僕らの意識に!

2013-07-08 11:10:08 | 仕事
 前に本当に「ねじれ」(衆参の)は解消した方がいいのか、という記事を書いたが、7月4日告示、21日投票の参議院選挙に対する各種の世論調査の結果を見て、もちろん自民党・公明党が主張するような「(衆参の)ねじれ解消」には断固反対と考えているが――自民党や日本維新の会が主張するような「改憲」を阻止するためには、とりあえず「ねじれ」状態であることが望ましいからである――、そのような与野党の獲得議席数がもたらす「ねじれ」は「ねじれ」として、問題は国民の意識の中にある「ねじれ」なのではないか、と思うようになった。
 つまり、世論調査が示す、今度の参院選において「比例代表」の投票先として40パーセント近くが自民党を上げ、あるいは選挙区(一人区)でも自民党が独占するような勢いでありながら、憲法第9条の改憲については50パーセント以上が反対し(改憲手続きを緩和する「96条」の改正に至っては60パーセント以上の人が反対を表明している。また、基本的人権の「自由権」を中心とした制限についても同様に反対の人が多い)、また原発の再稼働や輸出に対しても50パーセント以上の人が反対しているという、まさに「意識のねじれ」現象。
 何故このようなことが起きているのか。その答え(と思われるもの)は、同じく世論調査で「アベノミクス(経済政策)に期待する」と答えた人が「60パーセント以上」いるにもかかわらず、その効果を実感できるかとなると「70パーセント以上」の人が感じていない、と答えているところに示されているのではないか、と思われる。安倍政権の「経済政策(景気浮揚・雇用促進)には「期待」するが、今のところその効果を「実感できていない」あるいは「期待できないかも知れない」と思わざるを得ない現実、このような「股咲き状態」が、まさに現在の「意識のねじれ」の原因なのだと思うが、その「意識のねじれ」を解消するにはどうしたらいいか。
 それは、この国の「未来」(具体的には、自分の子供や孫たちの将来)にとって、もっとも問題としなければならない「政策」は何か、つまり、「将来の日本」を考えたとき(構想したとき)、果たして「憲法(第9条・基本的人権の尊重)改正」や「原発再稼働・輸出」は必要なことか、を真剣に自分の問うことだと思う。言い方を換えれば、「目先の豊かさ」に目を奪われて、「未来」を閉ざしてしまっていいのか、ということである
 東日本大震災、とりわけフクシマが僕らに教えてくれたことは、まさにそのことではなかったのか、と今は痛切に感じている

 今日から参院選の投票日まで、毎日少しずつ、僕らは今どのような問題を抱えているのか、僕の考えを伝えていきたいと思う。