日本史学習拾遺

日本史よもやま話、授業の補足、学習方法

雨森芳洲

2012-12-24 00:28:01 | 江戸時代
クリスマス・・・は、あまりそういう気分ではないのですが、去年は特に、東日本大震災で、イルミネーションなども控え目だったのかなと思います。今年だってまだ、被災して大変な状況にある人はいらっしゃいます。
 でもともかく、子供の頃は、小学校3年生くらいまで本気でサンタクロースはいると思っていましたし、クリスマスは子供のためのもの、と私は思います。ということで、子供は特に、クリスマスは純粋に楽しんでほしいと思います。私はまあ、毎年ケーキくらいは作ることにしています。

さて、何となく、雨森芳洲の名前が頭をよぎって離れないので、ちょっと書いておきます。
山川の教科書には出てこないし、授業では触れなかったのですが、私大入試などでは出てくることもあると思います。
そもそも雨森芳洲(1668~1755)は「あめのもりほうしゅう」と読みます。
この人が生きた時代は、生没年を見てだいたい想像してほしいのですが、新井白石などと同時代の人です。参考書などでは、儒学者として名前が出てきます。
儒学の系譜の中では、木下順庵の門下になります。木下順庵の門下生としては、新井白石や室鳩巣がいます。彼らの名前と一緒に、雨森芳洲も記憶してください。
儒学者として木下順庵門下でありますが、他に、朝鮮との関わりで、ぜひ名前を覚えてください。
雨森芳洲は、朝鮮にも渡り、朝鮮語を習得し、対馬藩の人間として、朝鮮との外交の場面で活躍します。朝鮮通信使に同行して江戸まで行ったりという役目も果たしました。

雨森芳洲は、『交隣提醒』という書物によって、対朝鮮外交の心得を著しています。外交に際しては、朝鮮の風俗・習慣をよく理解し、違いを尊重するべきであり、偏見や蔑視を抱いてはならないと述べているとのことです。これを「誠信の交わり」という言葉で表わし、朝鮮通信使との関係で有名な言葉のようです。互いに欺かず、争わず、真実をもって交わることこそ、まことの誠信であると説いています。この「互いに欺かず争はず」の思想が、現代の外交、特に、朝鮮や中国などの東アジアにおける外交においても、大切なことでしょう。
1990年5月、韓国の盧泰愚(ノ・テウ)大統領が国賓として来日した際に、宮中晩餐会で挨拶の中で、雨森芳洲について触れているそうです。
雨森芳洲は、こうしてみると、理想的な外交官といえるでしょう。

 木下順庵や新井白石と同時代で、朝鮮通信使にも深く関わった雨森芳洲、今日は覚えてください。

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