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日本史学習拾遺

日本史よもやま話、授業の補足、学習方法

大神神社 おついたち参り(奈良県)

2014-10-13 17:37:25 | 古墳時代
8月は、のべ8日間旅に出ていました。時間は経ってしまいましたが、その間にあった出来事、写真などを、ここでもできるだけご紹介したいと思います。

まず、8月の1~3日に、大学通信教育のスクーリングがありました。私は出雲が好きですし、天津神・国津神という場合に、国津神の方に興味があって、出雲の神様は蛇神であり、諏訪大社もそうであり、この大神(おおみわ)神社もそうである・・・また、近年、卑弥呼の墓か?という期待?が高まっている、箸墓古墳も近くにある、ということで、このあたりに宿をとって、スクーリングに通ってみよう、と考えました。

そういうわけで、三輪駅の近くの宿をとり、朝少し早く出かけて近くを散歩など・・・ともくろんでいたのですが、全然そんな余裕はありませんでした。

ただ、奈良に来た初日は、ちょうど1日で、大神神社では毎月「おついたち参り」というものがあって、たくさんの人達が夜遅くまでお参りに来る日らしいとHPなどで知ったので、疲れていましたがそれには行ってみよう、と、スクーリングを終えて宿にチェックインしてから19時頃に神社へ向かいました。

大神神社は、いつも24時間お参りOKだそうです。
この日はおついたち参りの日だったので、いつもよりは夜の時間のお参りの人が多かったと思われます。車で乗りつけた家族連れなどが、暗闇迫る大神神社にちらほらとお参りに訪れていました。

実際はもっと暗かったのですが、写真では光の加減で少し明るめに写っています。ここが二の鳥居です。



参道には、ずーっと灯籠がつらなっていて、とても幻想的な雰囲気。涼しいし、歩いていて心地よい感じでした。






手水舎というのでしょうか、ここはさすがに蛇の神様らしいデザインでした。



大神神社の由緒はこの看板をご覧ください。
円錐形で美しい三輪山の麓にあり、大和国一ノ宮です。



拝殿はありますが、本殿はありません。御神体は三輪山そのものだからです。
山が御神体ということで、原始的な信仰の形を残しているといわれます。
高校日本史の教科書にも、大神神社は古墳時代の所に出てきます。
ここには珍しい三ツ鳥居があるのですが、それは見えませんでした。



驚いたのは、小さい子ども達も来ていたのですが、拝殿の前で、とてもうやうやしく頭を下げて、丁寧にお参りしていたということです。それがとても板に付いている感じがしたのです。
このあたりの人達は、大人も子どもも、本当にこの神様を大切にしているのだなあと感じられました。

そして、拝殿の前で、行進するようにして何度も行ったり来たりを繰り返しながらお参りしている人達が・・・お百度参りですね。若い女子二人組と、若い男性一人がやっておられました。とても真剣でした。

拝殿の横に、「巳の神杉」と呼ばれる杉の木があります。

「この杉の根本に、巳(み)さん(=蛇)が棲んでいるところから、「巳の神杉」と称せられるようになり、巳さんの好物とされる卵が、酒とともにお供えされています。」(大神神社HPより)

とのことで、私も事前にいろいろな書籍類でこのお酒や卵をお供えしている光景を見ていたので、ここか・・・と思いながらそこにもごあいさつしました。大神神社は、全国の酒造業者の崇敬も厚いそうです。

暗闇の中で、お酒の匂いがむっと漂っていました。暗いけど写真も撮ろうかなと思ってカメラをさっと向けて撮ったのですが、どうしたわけか、何も写らず、PCなどで更新中の時にぐるぐる回るあれ、円環がぐるぐる回ったままで、画像が出なくなってしまいました。そこを撮った跡は1枚分残っているのですが、ぐるぐる回って更新中のままなのです。
神様の杉の木だから、撮ったのがいけなかったのかな(ゾゾゾ・・・)とか思いながら、後でその画像の部分は消去しました。

大神神社・三輪山については、『古事記』『日本書紀』『万葉集』にたくさん登場します。神武天皇が大和に来るより前から大物主はここにいたのです。
書きたいことはたくさんありますが、収拾がつかなくなるので控えます。ただ、大物主=オオクニヌシという説も見るのですが、本当はどうなのだろうか・・・というのが、私としては気になる大きな疑問です。大物主は、オオクニヌシ(大己貴神)の幸魂・奇魂(さきみたま・くしみたま)であると『日本書紀』には出てきます。『古事記』では似た場面がありますが、幸魂・奇魂の言葉は出てきません。

宿のご主人によると、奈良は自殺者が全国で一番少ない、それは、大神神社もそうであるし奈良には神社仏閣が多いので、みんな神仏を大切にしている(信仰心がある)、天理教もある、だから悩みも少なく、心の健康が保たれ、自殺する人も少ないんだ、という趣旨のお話でした。

私もちょっと調べてみました。男性の自殺率については奈良県が最少というのを見ました。また、妊娠中絶率では全国で奈良は最低であるというデータを見ました。中絶のような、倫理にもとるような行為に至ることは奈良の人達はなかなかしないのですね。すばらしいと思います。
宿でも話題になりましたが、
「大坂の食い倒れ、京都の着倒れ、奈良の寝倒れ」
という言葉があり、奈良は歓楽街も少なくお店も早く閉まってしまうので夜は早くに明かりが消えて遊ぶ所がない、と、いささか奈良は皮肉られていますが、むしろ、その方が少年少女は健全に育つのでいいことじゃないか、と、東京で高校教員をしている私は思います。

本当に、三輪周辺はコンビニもなくて、東京から来ると不便で心細い気持ちにもなりますが、それもまた、たまにはよしです。
長くなりました。今日はこのくらいで止めます。

成田方面への旅(1) 龍角寺古墳群

2014-09-06 01:02:32 | 古墳時代
ごぶさたしてしまいました。
ここを更新しない間に、春、夏が過ぎ、秋に入ろうとしています。まだ暑いですが、日差しの角度などが秋らしくなってきました。

ここではちょっと春に戻って、房総・成田方面で見てきたものをご紹介します。

千葉県の成田方面へは、私は江戸時代の義民・佐倉宗吾が好きなので、宗吾霊堂(東勝寺・真言宗)によくごあいさつに行きます。しかし、自宅からだとかなり遠く、行って帰って来るだけで半日がかりになります。
千葉は広いなあ、と、つくづく思います。こちらには国立歴史民俗博物館があるし、ちょっと電車で足をのばしてお出かけ、という時になかなかいい方面です。

他にもいろいろ見どころがあるのですが、日帰りではなかなか回りきれない、成田山新勝寺はいつも素通りで一度も行ったことがない、という状態でしたので、気軽に成田方面に1泊旅行してみることにしました。

千葉県立「房総のむら」は、日帰りではなかなか難しそうだと思っていたので、まずここに行きました。「房総のむら」へは、JR成田線安食駅からバスで8分。

ここは体験博物館と称しているように、勾玉作りや米作りなどさまざまな体験ができます。今回は体験が目的ではなく、この頃古墳が気になるので、ここにある古墳を見に行くこと、それから江戸時代の街並みが再現されているのでそういったものを見に行くことが目的でした。

ここではまず、龍角寺古墳群を紹介します。
「房総のむら」の中の「風土記の丘エリア」に龍角寺古墳群があります。 全部で114基のうち、敷地内には78基が保存されているとのことです。かなりの数です。バスの車窓からもいくつか見えました。

その中でも105号墳にあたる岩屋古墳(国史跡)は、一辺約78m、高さ約12mの全国最大級の規模をもつ方墳とのこと。日本第2位との情報(『古墳に秘められた古代史の謎』大塚初重監修 宝島社 2014)もありますが、1位がよくわかりません。



行ってみると、方墳といっても角ばってはおらず、なだらかな小山という印象でした。お墓ですので上に登らないでくださいという掲示があったので、登りたかったけど登りませんでした。



横穴式石室の入り口を見ることができます。



古墳時代末期のものとみられていますが、副葬品が全く出土していないため詳細な特定は困難とのことです。



古墳の被葬者についてですが、この龍角寺岩屋古墳の他、栃木県壬生町の壬生車塚古墳(径80mの円墳)も、7世紀前半から中葉に作られており、この前方後円墳造営停止後に造られた関東地方の大型方墳や円墳は、いずれも国造制の国を単位に一か所だけで造営されているらしく、このことから、これらの大型方墳や円墳は、新しく国造に任じられ、その地域の支配をゆだねられた首長の墓であろう、と白石太一郎氏は述べています(『考古学と古代史の間』筑摩書房2004)。

105号の岩屋古墳から少し歩いた所に、第101号古墳があり、ここでは、発掘調査に基づき、古墳が造られた当時の様子が復元されています。楯を持つ武人や猪、犬、馬、水鳥などを含め約100体の埴輪が並んでいます。春の陽光の中、埴輪が並ぶ様子は、なかなか楽しいのどかな雰囲気でした。







『風土記の丘資料館』でもさまざまな展示がされていて一見の価値があります。

野毛大塚古墳(東京都世田谷区)

2014-03-16 22:04:42 | 古墳時代
またご無沙汰してしまいました。
今年の大学入試も終盤となり、受験生の皆さんは、自分の進路に決着がついた頃でしょうか?
私が昨年度担任していた生徒では、一人だけ浪人(当初志望していた大学には受かっていたのですがより上を目指すということで)していましたが、無事合格の報告があり、私もほっとしています。

さて、いよいよ気温も上がってきて、春もそこまで来ています。私も元気に動き回ろうかなと、今日は、世田谷区にある古墳をちょっと見学してきました。
私は、前の学校で古代を教えている時、古墳時代は嫌いだったのですが、今では弥生~古墳時代にひかれて、わくわくしています。この変わりようはどうしたことだ?と自分でも驚きです。
当時の生徒の皆さんには、古墳時代をつまらなそうに教えてしまって申し訳なく思っています。
これから自分が面白い!と思ったことを少しずつここでお伝えしていきたいと思います。

今日訪れた野毛大塚古墳は、東急大井町線等々力駅から徒歩8分ほど、住宅街を通り抜け、環状8号線を渡ってすぐの、「玉川野毛町公園」の中にあります。近くに等々力渓谷もあります。
この古墳は、5世紀前半に築造されました。教科書的には、古墳時代中期にあたります。
形状は、帆立貝形古墳といわれ、前方後円墳よりも少し前方部が短めです。
高さ11mの墳丘の頂上にも階段を使って上がることができます。目の前には野球場、ワンちゃんの散歩をしている人もいました。





頂上には、どのように埋葬されていたかを表すプレートが設置されています。
中期ですので、甲冑や鉄剣などの武器が副葬されています。他にも勾玉や管玉などの玉類も副葬されているようです。出土品は、世田谷区郷土博物館に展示されているようです。こちらはまたの機会に行ってみたいと思います。





古墳の周囲には、円筒埴輪のレプリカが点々と埋め込んであります。本当にこんなふうだったのでしょうか?子どもたちが古墳の丘を上に下にと走り回って遊んでいました。



全長は104mあり、円墳部分は大きい部類に入るようです。
説明板にも、「出土した多量の武器・武具類や石製模造品は、この古墳が南武蔵の有力な首長墓であることを示している。」とあります。

等々力渓谷の方は今日は歩きませんでしたが、以前歩いた時に、その渓谷沿いにもちょっとした遺跡があったように記憶しています。
そういった川も近くにあるし、いい場所にあるのは確かです。

春になり、芝生が緑になった頃の方が、見て気持ちいいかもしれませんね。

なぜ私がこの頃古墳時代に興味を持つようになったかは、またの機会にお話しします。
関東地方の古墳では、埼玉県行田市の方にあるさきたま古墳群・・・あの稲荷山鉄剣が出土した所、を見に行ったことがあります。あそこもスケールの大きい古墳があっておすすめです。
ピクニック気分で古墳を訪ねるのもいいものです。
それではまた。