日本史学習拾遺

日本史よもやま話、授業の補足、学習方法

神話伝承論スクーリング その4

2016-08-16 00:16:11 | 大学通信 スクーリング
ごぶさたしております。先週は韓の国に旅行に行っており、帰宅したら38~39℃の発熱で二日寝込み、どうにか復活してこれを書いています。ただし、着陸時の気圧の影響で耳がまだ治っていないなどいくつか不具合があります。旅の話はまたの機会に。

昨日になってしまいましたが15日は終戦記念日で、去年は戦後70年ということでこのブログでもいくつか記事を書きました。
戦没者追悼式典で、天皇陛下は「深い反省」という言葉を昨年に引き続き用いたとのことです。一方で、首相は、ということについては触れないでおきましょう。

短い言葉でも、さまざまの思いや情報、人柄などを含み込ませることはできるのだなと今日も感じたことでした。

さて、神話伝承論スクーリング(2月)についてまだ続きを書くということで終わっておりましたので、自分の備忘のためにも少し書いておきます。あまりネタバレすると怒られてしまうかもしれないので、肝心のまとめの部分はぼかしてお伝えします。

スクーリングの三日目は、黄泉行神話を読む、ということで、『古事記』でイザナギノミコトが妻に会いに行って逃げ帰って来るところを読みました。

この黄泉行神話はオルフェウスの神話と似ているという話はよく言われていることのようですし、横穴式石室ができた頃以降にできた話だ、ということも、この2,3年で講演会で見聞するなどしてなるほどと思ったことです。

まとめとして、神話は知である、古代の知の結晶である、というお話がありました。『延喜式』神名帳には、その地域の神々の名前が載っています。神のいない土地はいない。地域の研究をする人は神名帳を見ることになると先生のお話。

私も『延喜式』の神名帳は、昨年度にまとめた卒論を構想する過程でも参照しました。延喜式の時代・平安時代にこのように神社の一覧が記録され、またそれに対応する神社が今も残っているのがわかるというのも、すごいなと思うのです。前の学生時代は、実はこれの存在を知りませんでした。神社に全く興味がありませんでした。

『古事記』も『風土記』も『日本書紀』もそうですが、こうした古い時代の記録がきちんと残っているということは、日本にとって本当に幸いなことです。中国にもまあありますが、中国は広いし、全国土をカバーしているわけでもありません。朝鮮半島における記録は、日本における中世の時代以降に編纂されたものしかないようです(『三国志記』)。
勝者による偏った記録であったり、間違いを含んでいたりするとしても、そうして7、8世紀頃に書かれたものがそれなりのボリュームで残っているのは、すばらしい宝物といえると思います。世界中でみても、このような歴史書を持つ国は、ごく少ないでしょう。少なくとも、アメリカはありませんよ。そもそもアメリカができてまだ300年経っていませんから。

歴史書に限らず、『万葉集』の内容のすばらしさにも、近年個人的に驚かされています。古代の人々の心情だけでなく、当時の生活や政治、信仰などのさまざまな実態が、『万葉集』を深く読むことでわかります。個人的にも解明してみたいと思う世界です。
8世紀頃に詠まれた歌があのようにきちんと残されていること、またその内容の豊かさ、そうしたものを財産として持っている日本人のすばらしさを、再認識したいと思いました。

話がずれてしまい、自分の思いを書いてしまいましたが、神話伝承論スクーリングについては、以上とします。先生も、売れっ子で忙しくて受講生が多いからといって手を抜かず、テストもあり、一人一人に目配りをし、気配り・おもてなしの心にあふれる方でした。写真やテレビでお見かけする印象は、実はあまりよくなかったのですが、とても勉強されていて、日夜のご努力があって、こうしたご活躍があるのだなということが、わかりました。研究室の学生さんたちも、かいがいしくお手伝いされていて、感謝したいと思います。奈良大は恵まれた環境にあるのですから、若い人はしっかり勉強して、大きい仕事をする人に育ってほしいですね。

そうそう、メモから備忘のためと、ここを覗いている年配の通信教育部の方向けに一つ書いておきますと、先生が終わりの方で、通信教育は孤独な戦いである、として「柏木ひろしアナが定年後学芸員になった」という趣旨のお話をしたことがメモに残っています。
何のことやらと思って後で調べたら、MBSテレビ(毎日放送)の柏木宏之さんというアナウンサーが、奈良大の通信教育部で学び、文化財歴史学科を卒業し、学芸員の資格も取った方だということがわかりました。現在58歳くらいで通信教育部は2010年卒、定年後ではないですね。アナウンサーのお仕事をしながら勉強されたようです。

「柏木宏之学芸員の話の展示室」というブログもあり、かなり本格的です。http://www.mbs.jp/announcer/blog/14/

さまざまな人が学ぶ奈良大通信教育。本当によい環境です。どういう成果を出すかは、その人次第かもしれません。

今回のスクーリングは、奈良公園を中心とした地域で「なら瑠璃絵」という、夏ならば「なら燈花会」に匹敵するイルミネーションのイベントの時期にあたっていました。
帰りの新幹線を遅めにしていたので、スクーリング最終日の2月14日の夜、ざっとこれを見て来ました。ここでのレポートが、ちょうど半年過ぎての今で、仕事が遅くて申し訳ありません。今は「なら燈花会」やってますね。

以前、この時の写真の一部を紹介した記事があります。
http://blog.goo.ne.jp/kuragesuke/s/%E7%91%A0%E7%92%83
奈良大通信教育2年目の総括(卒論以外)

東大寺大仏殿の、大仏様のお顔が見えるように窓が開けられているというその時の写真を上記のリンクに載せてあります。今もお盆だから開いてるのかな。



興福寺五重の塔のライトアップですが、グーグルフォトが勝手にカッコよく加工してくれた画像↓



東大寺大仏殿に向かう道。


東大寺境内の池の所で、霧の粒に光を当ててプロジェクションマッピングをやっていました。冬ですから水しぶきが寒かった。

半年前の記事でお粗末さまでした。
今日はこのへんで。

12 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
奈良の勉強 (普通検索観音)
2016-08-17 12:56:57
 こんにちは
 海外旅行は、帰ってから腰が抜けても楽しいものだと思います。
 「なら瑠璃絵」「なら燈花会」のこと初めて知りました。美しいようですね。奈良大生のうちにうろうろしたいものです。
 神話伝承論は古事記などのことを話されるようですので、ぜひ参加したいと考えています。
 明日には第3次越夏隊でスクーリングにまた出発しますが、スクは合格点がいただけるとして6単位、科目試験で6単位取得済で、合格レポート在庫が2つ。新しい教科書を読めるのは、試験に目途のついた秋からになりそう。また、先行的な、広い勉強を読ませていただいて、かたよらず、すみやかに、じっくりと(矛盾している)学生したいと思っています。よろしくお願いいたします。
返信する
Re:奈良の勉強 (ツツコワケ)
2016-08-17 21:02:02
普通検索観音さん、こんばんは。
昨夜は、卓球女子の銅メダル、すばらしい試合で、石川佳純選手が興福寺の阿修羅像のような表情で、かっこよく奮闘していたなと思いました。

第3次越夏隊とは楽しいネーミングです。私は9月あたまのスクーリングに行ったことがありますが、9月に入ると朝晩は東京より涼しくなるなと思いました。今は奈良も暑い盛りですかね。

単位修得、順調ですね。私は学校勤めなので、夏休み期間はレポート作成も書き入れ時?でした。
今年は、来週末〆切の学芸員資格課程の自主見学レポートに取り組むのが精一杯な感じです。明日も博物館を一つ見て来ます。

奈良はかき氷でも有名な街らしい(氷の聖地だそうです)ので、かき氷など食べながら、スクーリング楽しんで来てください。
こんなのありました。奈良かき氷ガイド
http://nara-kakigori.com/
返信する
かき氷 (普通検索観音)
2016-08-17 21:36:48
 こんばんは
 阿修羅像は褒め言葉のナイスですね。しかし、勝利後は、あいちゃんや伊藤選手ばかりが取り上げられ、団体戦全勝の石川選手は少しかわいそうに見てしまいました。同郷ですしね。
 そういえば今年はかき氷を食べていませんでした。さっそくチェックさせていただき、近鉄奈良の旅行センターに行ってみることにしました。春日山などの景色もいいとのこと。おじさん一人が奈良でかき氷、盧舎那仏のように絵になることでしょう。では、行ってきます。
返信する
Re:かき氷 (ツツコワケ)
2016-08-18 15:57:48
普通検索観音さん、こんにちは。
石川選手は、前回のオリンピックでいい選手だなあと気が付き、当時私と背格好も大体同じだったので親しみを持っていました。
普通検索観音さんも山口なんですか?私も先祖が土佐から来て山口にいたことがあると聞いています。そこで承久の乱?で負けて逃げて、お坊さんになって・・・というのですが、もうちょっと詳しく知りたいんですけどね。
石川選手が気になるのも、山口だからというのもあります。

私も9月に奈良に行ったら、かき氷食べてみようかなと思います。

スクーリングの文化財修復学を受けると、いろんな仏像について詳しく勉強できていいですよ。盧舎那仏の右手の意味も、その時学んだかテレビ番組で学んだか忘れましたが、なかなかよいものです。
返信する
過去帳 (普通検索観音)
2016-08-22 06:44:01
 ツツコワケさん、おはようございます。
 スク中に文化財修復学に参加していた人とも雑談ができましたが、つなぎの作業服を着用されていたので、最初は、建物の塗装工事に来ておられる方かと思いました。仏像の頭髪をセットしているのだとか。元々、土器や仏像の破片を触れるだろうというのも奈良大を選択した理由の一つでもあり、楽しみな科目と思います。

 承久の乱、土佐といえば、土御門上皇なのでしょうか、私のご先祖は、江戸時代には現在の居住地(山口県瀬戸内側)に土着していたことは位牌から明らかなのですが、それ以前は不明です。なにをしていたんでしょうねぇ。寺の過去帳をみれば、少しはさかのぼれるのでしょうか。

 今回話ができた新入学のスク生で、学芸員課程に登録してしている方がいました。まだレポートを出したばっかりとのことでしたが、4年はかけて卒業するとのことで、好きなものからやるというスタンスのフルタイムで仕事をする関東の方でした。ツツコワケさんのご学友でしょうが、私も、今年度は、できる限り概論の始末をつけ、来年度から参戦したいものです。
返信する
Re:過去帳 (ツツコワケ)
2016-08-22 08:33:09
普通検索観音さん、スクーリングお疲れさまでした。奈良は暑かったでしょうか。

先祖は萩にいたと母親は言うのですが、本当なのかわかりません。後鳥羽上皇が…と、母親が言うので承久の乱ではあるようですが。安岡という苗字だったとも聞き、確かに安岡章太郎さんとか高知の人だなと思ったりします。静岡の三島でずっとお寺をやっていました。

瀬戸内海側ですか。いい所ですね。
私はなぜか薩長土肥はまだ行ってないのです。長州土佐は先祖がいたというのに。
いつかは訪れたいと思います。

学芸員課程、厳しいです。引率見学レポート再提出、博物館概論レポート再提出、とすでに2回ダメ出しです。
今週〆切の自主見学レポートは今日仕上げ予定です。博物館を三つ見て書くのですが、夏休みも大分時間が取られました。

再提出した引率見学レポートが9月あたまに戻って来るのですが、それが不合格だと、9、10月の実習が受けられなくなります。もう宿は予約したんですけどね…
いろいろなハードルが設けられている学芸員課程です。内容的に、学問という感じではないですね。
返信する
Unknown (Unknown)
2016-08-23 16:32:37
 ツツコワケさん、こんにちは

 もうすぐ考古学概論の科目試験があり準備中で、記憶の定着力はポストイット並みではあるものの、何とか単位を確保しようと思っています。

 下関市に安岡という歴史的に由緒のある古い地名がありますが、ツツコワケさんのご先祖が山口に在住していたのであれば、あるいはご存じだったかもしれませんね。もちろん物的な証拠はありませんが。山口はふぐばかりではなく、えびなども美味しいところですよ。
返信する
忘れ物 (普通検索観音)
2016-08-23 16:42:16
先ほどの投稿で、ハンドルネームを入れ忘れていたようです。お詫びします。ケアレスミス恐るべし。
返信する
Re:忘れ物 (ツツコワケ)
2016-08-23 21:57:03
普通検索観音さん、こんばんは。
そうなんですよ、私も山口県に安岡という地名があることに気が付いて、何か関係あるのかなと考えたりもしていたのです。
こうやってネットでつぶやいていると、地元の方の情報とかいただけないかなと期待してしまいます。

以前、別のホームページで、父方(新潟)の曾祖父の記録をアップしていたら、郷土史家の方の目にとまって、町史をまとめるのに役立ったこともあります。

日本史の教員だった伯父が、土佐、山口の先祖についてちゃんと調べたらしいのですが、もう亡くなっていて、私は聞いていないのです。母親が聞いたことには、萩?の殿様?に仕える結構偉い役割の人だったとか言うんですが、鎌倉時代に萩とか?殿様とかいたの?と疑問があり、母親が何か間違って聞いたんじゃないかとも思っています。もしかして鎌倉時代じゃないのかもとも思います。
まあ、長々と蛇足でした。
山口はえびもおいしいんですか。いつか行ってみたいですね。シーボルトが赤間関のあたりを旅した美しい文章を印象深く読んだことがあります。『日本』という本です。

考古学概論1科目だけですか?普通検索観音さんなら大丈夫ですよ。考古学概論は勉強していて楽しいですよね。でまかせでも多めに書けば大丈夫なんじゃないでしょうか。
私なぞ、今年4科目8単位取らないと来年実習受けられないのに、レポート合格いまだゼロですからね。本腰入れてやらないとだめですね。
返信する
記紀と風土記7~8世紀 (chikara)
2016-08-29 18:57:36


日韓の「竹島」問題とあわせウルルン島(鬱陵島)も協議されたい

古事記
日本書紀
出雲國風土記
 三書のなかの「国造り」や「国引き」は苗木を植えること=「植樹すること」。
なぜ? 鬼刀禰(おおとね)の金属器生産過程で国土の木々がなくなっていった。
 たたら製鉄は紀元前17世紀より始まった。1ヘクタールの森林を炭に変え、3日で消費し、わずかな「鉄」を手にした。
 これが、古墳時代に「鉄」だけでなく「青銅器、銅生産」も行われようになる。邑南町立図書館本館蔵書「川本町誌歴史編」1977。 「霧の子孫たち」2002。
7世紀の終わり~8世紀に人麻呂・スサノヲ(不比等)・行基の3人と八咫烏と呼ばれた11名の鬼刀禰族が「植樹」をはじめた。
 古墳と呼ばれるものは金属生産遺跡&居住空間&最後は長(ヲサ)の墓。古墳近隣の森林はなくなってしまった。
貝殻型古墳は青銅器生産遺跡。円墳は鉄器生産遺跡。方墳は青銅器・銅生産遺跡。前方後円墳は鉄・青銅・銅生産遺跡。
 通風孔は北極星の方向。考えられることは真反対の南側でガラスレンズで太陽光で火を熾した。
 広島県で不比等は「神武」と「スサノヲ」の名を使い分けた。ここから「神武」の名で進んだ地が淡路→熊野→奈良。これが記紀の東征。
鬼刀禰(おおとね)は古墳&金属生産遺跡の壁面に書かれていた(であろう)文字を「鉄ノミ」で消してまわった。
 「溶融点」・・・たたら製鉄の砂鉄から鉄生産するに400度C~800度Cの炉(鈩)が必要。青銅器・銅生産は900度C~1100度Cの炉が必要になり。より多くの森林を失うことになった。

東海→関東(群馬では不比等と名乗った)→福島(浜通り・中通り)→青森(太平洋側)までは「スサノヲ」「ヤマトタケル」と名を使い分けた。
飛弾高山(熊野と同じように秦の始皇帝派遣の少年達の動向調査)→大和→出雲へ(不比等は)ヤマトタケルで移動(記紀では途中死亡)。

*この時の新羅というのが(石見・出雲の)国造り・国引きがウルルン島(鬱陵島)の苗木。新羅の都攻めもこの島より(300隻の軍舟)行われた。海名は「海東」もしくは「東海」かも知れないがこの島は、日本領と確信する。スサノヲ・行基・人麻呂・鬼刀禰族・小野族・和邇族・阿波忌部族・(群馬・蝦夷)鬼刀禰族の生活(暮らした)跡がある。
*「古代朝鮮」著 井上秀雄 日本放送出版協会1972
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。