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さよなら三角また来てへなちょこ

食い意地先行の放浪ブログ。たまにはHIVの事。

歩け、礼文の道。その1「鉄ちゃんに戻ってもいいですか?」

2009年06月20日 02時42分47秒 | 旅行
今月中旬から、北海道に浮かぶ一番北の島、礼文島に滞在してきました。
今回は、旅行記まとめ切れるか自信がなかったので、どうしようか、迷ったのですが、
いい旅行になったので、記録として残しておかないと、もったいない!
もしかしたら尻切れトンボになってしまうかもしれませんが、
しばらく、旅行記に、お付き合いください。

まずは、1日目・前編から。
自宅→東京駅→八戸駅→青森駅までの、お話。

出発は、朝7時すぎ。
「寒いかもしれないし蒸し暑いかもしれないし。」と
いろんな天候を想定して持って行ったら、ザックがパンパンになってしまいました。
背が高いザックを背負って、いざ、出発です。

土曜日だったため、通勤ラッシュのお客さんに迷惑をかけずに、
新宿駅までたどり着くと、
中央線ホームで偶然会ったのは、ブログ「台吉の写真日記」の台吉君。

http://daikithi.blog10.fc2.com/

旅立ちの朝、ブログにコメントをくれてくれた人に
会うなんていう偶然に、いい旅になる予感です。

東京駅までご一緒させてもらって、
売店ですき焼き弁当と、台吉君おすすめ「チキンライス弁当」も(!)買って、
午前8時30分、八戸へ東北新幹線「はやて」で出発です。











東北新幹線は、2010年に新青森まで延伸が決まっています。
上越新幹線はたまに乗るのですが、東北新幹線に自分が乗ったのは、
子供のころ、まだ大宮始発の頃、宇都宮まで乗ったのが最後で、
東北各県の景色を車窓から眺めるのが、とても楽しみでした。

美しい田園風景を車窓に眺めながら、
うとうとしていたら、あっという間に、仙台。
多くのお客さんが下り、再び乗ってきます。
杜の都の風景を眺め、そして徐々に山間に風景を変えながら、
盛岡で秋田新幹線「こまち」を切り離し、八戸へ到着。
列車から降りた瞬間、冷たい空気に、移動した距離の長さを感じつつ、
八戸では乗り換え時間7分と、慌ただしい乗り換えです。

どんな街か気になったので、
在来線ホームから、駅の外を眺めたら、
八戸にはちょっと大きすぎるじゃないかと思うビルが一棟ポツンと。
特急「つがる」に乗って、今度は青森駅に向けて出発です。







八戸からは、在来線の小さな駅舎や短い編成の車両とすれ違い。
時刻表とにらめっこしながら、どんな列車とすれ違ったのか、
旅行しながら、別の空想旅行です。
稚内までの旅程では、久しぶりに「鉄ちゃん」になっていました。

電車は、野辺地を過ぎ、海側を走ります。
慌てて地図を見ると、すでに、進行方向は、北向きから西向きに。
すでに青森到着が近づいていました。







気がついたら、友人からメールが入っていました。


友人「浅虫温泉あたりですよね。青森駅で待っています!」

車掌「青森からは進行方向が変わります。前後のお客様に声を掛け合って、
   座席の方向を変えてください。」

青森駅は、その昔、函館まで国鉄が運航していた連絡船がありましたよね。
その関係で、構内は、連絡船に貨物がそのまま乗り込めるよう、行き止まりになっており、
弘前方面に直通する列車は、折り返しになります。


12時33分青森到着。階段を上り、
2つある出口の、たぶん待っていてくれるであろう、賑やかな方向の出口に
向かって歩き出します。

階段を降りたら、改札の向こうに、友人は笑顔で待っていてくれました。

…続きは、また今度。

波照間島から始まる、最果ての旅。

2009年06月13日 03時10分03秒 | 旅行
2008年7月
沖縄県竹富町波照間。

旅行で訪れた、一般人の立ち入ることのできる日本最南端の島から、
今回の旅行が始まっていました。
それは、同じ民宿に泊まったお客さんとの、こんな会話。

kumazzzo「他にどんなところ行ってみたいですか??」
宿泊者 「礼文島って行ったことがあります?面白いらしいですよ。」
kumazzzo「いや、まだないんですよ。」
宿泊者 「とほ宿って言って、とにかく歩くといいらしいですよ」

なんだか、噛み合っているようで噛み合っていない感じの会話。
最初、意味が分からなかったのですが、
東京を出る前に、とあるブログで、礼文島の話を読んでいたので、
いいところなのだろうと大雑把には理解していました。


…礼文島。
北海道の稚内の西側、日本海に浮かぶ、
日本で一番、北に位置する離島ですね。

利尻昆布で有名な利尻島にならんで位置する礼文島は、
その高い緯度のため、本州では標高の高い山でしか見られない、
貴重な高山植物を見ることができるということで、
観光客の人気を集めています。


子供のころ、比較的、温暖な地域に育った自分は、
あまり雪に触れたことがなく、
ずっと雪景色というものに憧れていました。
特に、倉本聰が脚本を書いた、「北の国から」の世界に刺激されて、
北海道には、昔から何度か旅行していました。

道北の景色は、道央の雄大な景色とちょっと違うのだろうけれど、
最南端の島の民宿にやってきた旅人の話を聞くと、
またそれはそれで、旅心が疼くのでした。

東京に帰ってきて、ブログに旅行の話をアップしていると、
自分の記事に、こんなコメントが付いていました。

「初めてコメントさせていただきます。

 素晴らしい景色ですね。波照間島行ってみたい場所です。
 というのも、僕は北海道の礼文島が好きで、何度か訪れているのですが、
 礼文島でいつも泊まる民宿に必ずと言っていいほど波照間島フリークの人
 がいらして、みなさん口をそろえたように「礼文も良いけど、
 波照間も良いところだよ。」と
 おっしゃるものですから、どんなところ何だろうと思っていました。

 日本の島の中で(北方領土を除く)最も北にある島と
 一般人が立ち入り可能な最南端の島には、
 何か共通した魅力があるのかもしれませんね。」

そのコメントの主は、自分が旅行前に読んでいた礼文島の話題を
アップしていたブログの方からのものでした。

…立ち入り可能な日本最南端の島と、日本最北端の島との、共通した魅力。

空と海とさとうきびしかない、波照間の景色に心奪われたとしたならば、
礼文には、一体、何があるのだというのだろう。
いつからか、その最北の島の存在が、気になって仕方ありませんでした。

答えは、行って確かめるしかありません。
うに丼は、本当においしいのだろうか?
厳しい自然環境で、どうやって暮らしているのだろう?
貴重な高山植物は、どうして盗掘されてしまうほど、人々を魅了するんだろう?

たぶん、一度行ったくらいでは、礼文の本当の良さは
理解できないかもしれません。
でも、まずは、行ってみないと気がすまないのです。

……

最近、私生活がゴタゴタしていました。
でも我儘を聞いて、僕を支えてくれた相方さん、友人の為にも、
いい旅行にして帰ってきたいと思っています。
旅行中は、気ままにブログやmixiに写真をアップしていきたいと思いますが
どうやら、ソフトバンク3Gは、なかなかつながりにくい場所とのこと。
真夜中に、昼間の画像がアップされた時には、ごめんなさい。

ブログでmixiで、ちょっとの間、旅気分に浸ってもらえれば、うれしいです。

のんびり台湾6Days…士林夜市の巻

2009年02月24日 17時52分49秒 | 旅行
そんなわけで、台湾旅行特集最終回は、
台北市内街歩きpart2士林夜市です。

士林夜市は、台北駅から北へ10分くらいかな。
MRT剣潭駅一帯に広がる商店街です。

「商店街です」と表現しましたが、
日本には夜市という形態ってあまりないですよね。
タイやベトナムなど東南アジア圏では、
少しずつ形は違えど、あちこちで見かけますよね。
昼間はぼちぼち、でも夜になると雰囲気が一変。
それは、歌舞伎町や六本木とか、北新地とかの歓楽街とはちょっと違い、
食事や買い物で、子どもやお年寄り連れの大家族から
カップルまで、多くの市民で賑わいます。

士林夜市も、昼間、電車から街並みを見ると、開いている店は、半分くらいかな。
どちらかというとシャッターが目立つのですが、陽が傾き始めた頃には、
雰囲気が一変!電車が到着するたびに駅から沢山の買い物客が降りてきて、
駅の前の交差点は、警察官の整理がなければ危険なほど
人で溢れます。

その士林夜市は、大まかに2つにわけると、
道教でにおいて航海や漁業の守護神として祭ってある「慈諴宮」の周辺と、
老朽化した士林市場を移転して剣潭駅に新しくオープンした士林夜市(美食街)という建物。
士林市場は、老朽化もさることながら、衛生面の問題や、プロパンガスを使用し、防災上の問題もあって
6年前ほど前に移転したそうです。

左手前が士林夜市(美食部)、右手奥へずっと進むと慈諴宮。





仮設テントみたいなところでは、こんな感じのゲームコーナーとか、
よくわからない耳のマッサージ?お灸?みたいなコーナー。
あとですね、懐かしのスマートボールみたいなコーナーもありました。






こちらは、慈諴宮方面のエリア。正月の台湾、めちゃくちゃ混んでます。







↓一番上は、十全排骨湯。なんでしょう、これ。
薬膳スープみたいな煮物。大人の味です。あーちょっと微妙かな。



↓りんごあめみたいなもののフルーツバージョン。
一番上は、トマト。台湾ではフルーツ扱いのようです。




↓台湾では、豆腐が人気。中でも、臭豆腐と言って、豆腐を
納豆菌などのつけ汁につけて漬けた豆腐を、揚げたりして、食べます。
麻辣臭豆腐って名前のこのメニューが看板の店は人気でした。




↓じゃがいもをらせん状にして揚げたポテトチップス。食べづらいけれど、面白い!



↓木瓜牛乳。パパイヤミルク。木瓜牛乳は、台湾で人気のようです。



↓豪大大雞排。フライドチキン。顔の大きさほどのフライドチキンで、大行列でした。
隣には、似たようなフライドチキンを出す店が出ていましたが、ちょっと不人気。
前後のお客さんに声をかけられ、ちょっとした旅行談義に。




↓挫氷。コーヒー味の氷を削った、この店独特の味。
練乳をかけてベトナム風です。
相席になったカップルに写真を撮っていたら、いちごの氷も撮ることができました。





夜8時、9時と時間が過ぎても、一向に人出が減りません。
食べ物中心に画像を載せましたが、洋服やアクセサリー、おもちゃ、インテリアなど
あらとあらゆる店に、露店に、いたるところに行列ができ、会話に花が咲いています。

アジアの溢れんばかりの熱気とパワーと喧噪の中に身を委ねると、
普段の生活に疲れたり慣れてしまったりして、
自分の中に沈んでしまっていたパワーが
ふつふつと湧いてくるようで、
街を歩いているだけでわくわくします。

久しぶりのアジア旅行、初めての中華圏。
でも、それは、遠く本州から福岡、長崎、鹿児島、奄美、世論、那覇、宮古、石垣、与那国…と
グラデーションのようにちょっとずつ変化していく、色の一部であって、
その先に続く、香港、マニラ、マカオ、ハノイ、ホーチミン、プノンペン、バンコクと、
さらに続いていくかのように感じました。

さてさて、ここまで台湾旅行のお話にお付き合いいただきありがとうございました。
また近いうちに、また訪れてみたいと思わずにはいられない、楽しい6日間でした。




のんびり台湾6Days…ぶらぶら街歩きの巻

2009年02月22日 02時44分50秒 | 旅行
そんなわけで、台湾旅行特集5回目は、
台北市内街歩きです。


この日の台北観光はMRT西門駅からスタート。
雨が降り少し寒いくらいの気温でしたが、
西門は台北の若者が集まる賑やかなエリア。
正月を迎えている台北で、雨でも賑わいが絶えません。

そんな人混みを抜けて、向かった先は、総統府。
日本の統治時代、台湾における監督庁として置かれた建物で、
日本人による設計の建物です。



戦時中は、アメリカ軍の空襲を受け、多くの犠牲者を出したそうですが
敗戦後、中華民国によって修復され、
現在は日本でいうところの首相官邸にあたる建物のようです。

残念だったのは、この総統府の中を見学できなかったこと!
平日の午前中のみ、見学できるのですが、
中では、日本統治時代の写真などの展示がされていて、
台湾の近代化の一端を日本が担っていたことがよくわかるそうです。


かつての日本のアジア諸国との関係において、いろんな見方があるかと思いますが、
いわば、光と影の関係。近代化という光を当てた分、
暗い影を落とした事実も、忘れてはいけません。

もちろん建築物としてのデザインも素晴らしいものでしょう。
総統府の見学は、またいつかの楽しみにしましょう。


ちょっとぶらぶらして、ニニハ和平公園を通り抜けて、中正記念堂へ。
実は通り抜けてしまった二二八和平公園も、実は、
今の台湾を語る上で、とても大切な場所で、
公園自体は日本統治時代に作られた台湾初のヨーロッパ風の公園なのですが、
戦後、それまで日本国民であった内省人の不満が爆発し、
中国本土からやってきた外省人と呼ばれる中国国民党が組織する軍との衝突と
武力制圧で多数の死傷者が出た二・二八事件について当時を振り返る記念館があります。


中正記念堂は、台湾の初代総統である蒋介石の死後、
故人を偲んで造られた建物。
毎正時に儀杖隊の交代式が見られるのですが、これも見逃してます。
正面の階段は蒋介石の享年89にちなみ89段あり、
記念堂の中には、ビッグな蒋介石像が鎮座しています。
周辺はとても大きな公園となっていて、音楽ホールや集会などのできるステージもあり
日本でいえば、代々木公園って感じでしょうか。




↓「鮮芋仙」というお店の芋圓(タロイモ団子)。
日本から来た自分には暑かったので、冷たくして。もちもちつるつるで
餡も美味しかった!




中正記念堂の後は、中正記念堂駅からMRTに乗って、2駅目の龍山寺へ。
市内最古の寺で、創建は1738年。
古くからの繁華街に立つその寺は、東京でいえば、浅草寺です。









周りには屋台などの店が立ち並び、ちょっと泥臭い雰囲気のある娼婦街があります。



↓今回食べた食事の中で、一番おいしかったのが、
この娼婦街の近くで食べた、原汁排骨湯という名前の大根と牛肉の煮物。
大根に肉のうまみがしみて、うまかった!
どうも、僕には、こういう街のほうが、肌に合っているのかもしれません。




そしてスタート駅の西門戻ってきました。
映画館の街として成長してきた、この西門。、
この西門の近くには、画像の紅楼(ホンロウ)劇場という建物の裏側には
オープンカフェが並んでいるのですが、「小熊Bar」とか「G-PARADISE」っつー名前で
お判りのとおり、ゲイタウンがあり、
夜になると、私たちの組合の人間で、大盛り上がりになるとかならないとか。
今回は、昼間に前を通っただけでしたが、イカホモがそこそこお茶してして、
まあ、昼間の印象は、新宿3丁目の靖国通りのスターバックスってところでしょうか。





夕方に差し掛かり、人も多くなって盛り上がってきました。
夕暮れを前に盛り上がり始める、西門。
これからさらにボルテージの上がる台北の熱気に自分も絆されて、
さらに街歩きは続きます。


のんびり台湾6Days…ちょっと郊外へ、日帰り旅行part2の巻

2009年02月14日 04時16分48秒 | 旅行
そんなわけで、台湾旅行特集3回目は、
ちょっと郊外へ日帰り旅行Part2「行儀路で日帰り温泉」と「淡水でサンセットを見よう」。

行儀路は、台北から北へ電車で20分くらい。
MRT石牌駅でバスに乗り換えて、30分くらいかな、天母という、
外国人居住者が多い、おしゃれな地域を通り抜けて、
山道を登って行ったところにある、奥座敷的(?)な場所。
幹線道路から下っていくと、数件の日帰り温泉施設が集まっています。
深い谷間に硫黄の匂いがする温泉が湧き出していて、
多くのお客さんで賑わっています。



「行儀路3」というバス停。乗り越してしまわないか、ひやひやしました。


台湾は、日本統治時代から開発された温泉地から、
最近のブームで開発されたところなど、
台湾全土で温泉が沸くそうです。
水着を着て入るのが一般的のようですが、
最近では、日本の温泉施設に真似て、
男女別々で水着なしで入れる温泉も各地で誕生しているようです。

今回、利用した温泉施設は、行儀路温泉の中でも、「川湯温泉」という温泉施設。
レストランと温泉がセットで運営されている、
まあ、いわば箱根の「天山」のミニ番みたいな雰囲気の場所です。
400元以上のお食事をすると、無料の入浴券が付いてくるというシステム。
でも、お風呂だけでも入浴できます。




「川湯温泉」は、入口の門から谷間にある母屋へ下る石段や
植木などのアプローチが日本の温泉旅館そっくり!もう、気分は「♪ビバノンノン」です。



↓レストランは、右側。
中の様子は、食事をしなかったのでわかりませんが、
他のホームページを見るとロッジ風でした。





受付で200台湾ドルのチケットを買って、男湯と女湯の入口に座っている
係員さんにチケットを渡します。いわば番台のようなもんです。
また別の入口には、貸切風呂も。みんなで入る風呂は恥ずかしいのか、
こちらには順番待ちの列が出来ていました。

番台の隣ののれんをくぐると、日本の感覚からすると若干狭い脱衣所があります。
コインロッカーが所狭しと設置されていて、
ここに荷物を入れて、すっぽんぽんになって、いざ、露天風呂へ。


…あっ、書いていて気がつきませんでしたが、内風呂がありません。
洗い場は設置されていますが、すぐ横は硫黄の匂いのする白濁の露天風呂。
体を洗い流すのも、はやる気持ちを抑えきれず、そこそこに、露天風呂へ移動します。


ざぶんと、体を湯船につけます。

kumazzzo「あー極楽。」

疲れた体が確実に癒えていきます。
ふと、周りを見回すと、なんとなく、僕らと同じ匂いのする人たちが、
一人、二人…いや、たくさんいるぞ!

広い露天風呂のほかには、すんごく強い打たせ湯とすんごく強いジェットバスに、
水風呂と、スチームサウナ。
日本のスーパー銭湯よりは狭いですが、何といっても天然温泉です。
スチームサウナの中では、狭くてみんな立ってサウナに入っているのですが、
立錐の余地のない室内は、怪しい雰囲気のお仲間もちらほらです。

がちむち君はあまりいませんでしたが、
なごやかな雰囲気で、なんとなく保養になったところで、
風呂をあがります。


…さて、バスで先ほどのMRT石牌駅に戻り、
電車に乗って、次に向かった先は、淡水という港町。
台北中心部を流れる「淡水河」の河口の町です。

淡水は清の時代に、条約によって開港され、
イギリスなど海外の領事館が多数おかれ、貿易港として栄えたののですが、
日本統治時代には、その地位を基隆にゆずり、
戦後は、漁村、そして観光都市として発展したそうです。

…淡水からブログを更新した時は、「ロケーションは山下公園」と
書いて更新しましたが、こうして帰ってきて調べてみると、
過去から現在の都市の役割の推移なんかと照らし合わせると、
どちらかというと、横浜より函館に近いかもしれませんね。

淡水駅の手前の車窓からは「淡水河」沿いにマングローブが生えていて、
都市とマングローブという、日本ではあまり見られない不思議な光景に出会えます。

駅に着いて、改札を出ると…結構な人出!
まるで、真夏の江ノ島のようなごった返しぶり。
ガイドブックには、カフェが並ぶ運河沿いの遊歩道を、
ロマンチックな気分に浸りながら、のんびり歩こう的なことを書いてあるのですが、
さすが、お正月の台湾…ここでも、お祭り騒ぎの光景です。



運河沿いを歩いていたら、しばらくすると、だんだん空が赤くなって、
あっという間に、陽が沈んでいきます。



運河沿いには、屋台がたくさん!
うずら卵の玉子焼きの串刺しで、中にはしらす入りもありました。



↓これは、今だに、なんなのか、わかりませんが、
とにかく肉の入った水まんじゅう(?)ってところでしょうか。



淡水駅から歩いて20分くらいかな。紅毛城という、スペインが作った要塞。
その後、オランダの手に渡り、清の時代には、イギリス領事館が置かれ、
今でも建物が残っています。
この時間は、中を見学できませんが、ちょっと派手なライトアップがお出迎えです。



夜になっても、賑わいが衰えない、淡水の運河沿い。
淡水河の向こう岸に渡れる船の乗船場には、
長い列が出来ていました。
思いのほか、きれいだった淡水のサンセット。
曇り空が続いた今回の旅行でしたが
心に深く刻まれるほどの美しい光景でした。

のんびり台北6Days…ちょっと郊外へ、日帰り旅行の巻。

2009年02月07日 16時47分46秒 | 旅行


そんなわけで、台湾旅行特集2回目は、
ちょっと郊外へ日帰り旅行Part1「九分」と「平渓線途中下車の旅」。

九份は、台湾北部にある、山間の町。
急峻な斜面に民家が並び、遠くに東シナ海が望める場所にあります。

この町は、その昔、九軒の民家しかなかった村だったらしいのですが、
19世紀末に、金鉱が発見され、日本統治時代に急速に発展した町でした。

その後、70年代になり金山が閉山され、
急速に廃れていってしまったのですが、
80年代後半に入り、映画のロケ地として有名になり、
次第に観光客の注目を浴びるようになったとか。
日本統治時代の町並みと台湾の昔の街並みがミックスした異空間に
迷い込んだような雰囲気が
今では、外国人観光客にも人気の観光地となっています。


そんな九份へは、台北中心部のMRT忠孝復興駅前「金瓜石」行きバスに乗り
約1時間の道のりが、一番楽チンでしょう。

が、しかし!
この日は、お正月の台湾!
郊外は楽勝だと思っていたバス停には長蛇の列です。
バスは20分おきぐらいに出るのすが、これはさすがに一度には乗れません。
暖かいので待つのは楽でしたが、たぶん、50分ぐらい並んだでしょう。
いざ、出発です。






途中、瑞芳という台鉄の駅に寄るのですが、ここでもすごい行列!
下の画像でおわかりでしょうか。
バスの手前から、向こうの方をぐるっと回って、手前まで!
京都駅前で金閣寺や清水寺行きのバスを待つ行列を彷彿とさせます。




着いたら、着いたで、想像通りの混雑です。
あちこち、寄りながら散策したかったのですが、
落ち着いて見ることができなかったのは、残念。
古い街並みを散策しながら小吃(シャオチー)を頂きます。



もっと混んでいるところでは、とても撮影できませんでした。
浅草寺の初詣みたいな混雑。




芋圓。スイーツです。タロイモや山芋などいろんな団子に、小豆を
暖かい汁で食べますが、僕は、氷をたっぷり入れたもらい、冷たくして食べました。
モチモチしてうまい!



九份から東シナ海を望む。
たぶん、右側の彼方100km先に、与那国島が。日本の最西端です。



ぐるっと回って、バスが通る通りへ戻ります。
ここでタクシーに乗って、先ほど、大行列があった瑞芳駅へ向かいます。
瑞芳駅からもう一つのお楽しみは、「平渓線」と呼ばれる渓谷を走る鉄道の旅。
台湾には、日本の昔の国鉄にあたる「台鉄」と呼ばれる鉄道が
全土を一周するように走っていますが、
平渓線は、東側の幹線から、内側の山間部へ延びた支線。
もともとは炭鉱を運ぶ貨物線として作られたようですが、
今では週末にハイカーなどが利用する、ローカル路線となっているようです。


瑞芳駅では、切符を買ったら、乗り降り自由な周遊券にしてくれました。
また日本語のできる係員のあるインフォメーションもあり、
不自由なく、次の目的地に出発です!



途中駅の十份は、台湾のナイアガラと呼ばれる十分瀑布と呼ばれる滝が有名。
線路沿いに広がる商店街や、日本統治時代に作られた吊り橋も見所ですが、
次の電車の時間もあって、ちょっと駆け足の滞在です。



十份の駅の様子。混んでます。




天燈を上げています。願い事を書いて、空まで上がれ!
線路際ぎりぎりまで商店が迫り、みんな線路上で楽しく過ごしてます。
日本ではなかなかない、ちょっとおもしろい光景です。




線路沿いを歩いて、滝に向かいます。途中、こんな小さな滝も。



みんな歩いて向っています。
が、しかし!十分大瀑布は、どうやら時間が来てしまって閉鎖されています。
が、どうも様子がおかしい。
時間で閉鎖されているのではなく、
なにか違う理由で閉鎖されているようです。
ここは、Googleで見てください。

<iframe width="425" height="350" frameborder="0" scrolling="no" marginheight="0" marginwidth="0" src="http://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&ie=UTF8&ll=25.049087,121.786832&spn=0.002056,0.004807&t=h&z=18&output=embed&s=AARTsJphchmq1u9uXVFfIqAUqGPa-d4fvg">大きな地図で見る


駅に戻って続いてむかった先は、平渓線の終点、菁桐駅。
駅舎には、日本から持ち込まれたタブレット閉塞気や電話が残っているそうです。
雨が多い地域で、屋根は苔で覆われているそうですが、
到着した時には既に日が落ちた後。
町から離れた場所にはいけませんでしたが、
暗い夜空へ舞い上がる天燈と呼ばれる気球が、明かりを灯しながら浮かび、
旅情を掻き立てます。




花火がぱちぱちと鳴りながら、あがっていきます。
空には何個かぽかんと浮かんでいましたが、なかなかうまく撮れませんでした。





香腸。ソーセージです。もう少しスパイシーでもいいかな。



鉄道グッズのお土産物屋。なぜか、「アンコ椿は恋の花(by都はるみ)」が流れていました




帰りの列車で、瑞芳駅での乗り換えで相方さんと相談していると、
「お手伝いしましょうか?」と片言の日本語でカップルが話しかけてくれました。
日本語を勉強していたり、また留学経験をしたことの人も多い台湾の人々。
戦争という過去の出来事を乗り越え、
日本という国を受け入れてくれる懐の深さを感じずにはいられませんでした。



最後に、台北のショッピングセンター、新光三越の眺め。すんごく都会です。


のんびり台湾6Days…故宮博物院の巻。

2009年02月03日 09時04分34秒 | 旅行
先月末、台北へ行ってきました。
ちょっと気になっていたけれど、
海外でありながら、距離が近すぎるので、
長い休みで訪れるのには、「もったいない」と
思っていた都市でした。

が、しかし!

距離が短いので、移動が楽だし、
現地は物価が安く、全然お金を使わなくてもオーケーだし、
ご飯はおいしいし、ゲイはうじゃうじゃいるし、
まあ、それはそれは素敵な場所でした。

そんなわけで、台北旅行の振り返りを、
何回かに分けて書いていきたいと思います。

到着2日目に訪れたのは、故宮博物院。
相方さんがかねてから訪れたかった、今回のメインです。

第二次大戦後、中華民国で国民党と共産党の内戦が激化。
国民党政府が、台湾島の台北に遷都した際に、
第二次世界大戦中時代から日本軍による攻撃から守ってきた、
歴代の王朝から受け継いだ貴重な書や花器などの陶磁器、
象牙や玉器の精巧な彫刻などを、台湾島へ移動。
現在は、台北に運ばれたその膨大な保存、展示してあります。

全体で膨大なコレクションがあるらしく、
3か月に1回は展示替えがあるようですが、全部見るには8年もかかるとか。
また、一部のコレクションは、また、そのまま北京に残っており、
故宮(紫禁城)でも展示されているとか、いないとか。
台湾南部に分院として建設中の博物館にも
展示が予定されています。


アクセスは、MRTと呼ばれる鉄道の「士林駅」から、
混んでいなければバスで、15分くらい。
乗り継ぎがよければ台湾中心部より40分くらいで到着します。
台湾の中心部の鉄道とバスは、「悠悠卡(EASY CARD)」と呼ばれる、
日本でいうところのスイカのようなカードで移動でき、
乗るたびに料金表とコインと格闘せずに済みます。

ここでの一番人気は、清の時代に作られた、
翡翠の原石を彫刻して白菜の形にした、「翡玉白菜」。

http://www.npm.gov.tw/zh-tw/collection/selections_02.htm?catno=16&docno=267&pageno=2&fp=true

緑と白の天然のグラデーションを利用して掘られた、
この芸術品。全長で19cmしかないのですが、
葉先には、子孫繁栄を意味するイナゴとキリギリスが掘られています。

清の時代には、こうした精巧な芸術品が
たくさんつくられるようになったそうで、
象牙を外側から堀り、内部が独自に動くように作られた21層の球や、

http://enews.npm.gov.tw/enews/npmpaper/NPM00024/PID00001/html/ctop3.htm



「かんらん」と呼ばれる、親指ほどの大きさの木の実を使って掘られた
船で働く人や開閉可能な扉など精巧に作られた小舟など、

http://www.npm.gov.tw/zh-tw/collection/selections_02.htm?docno=294&catno=12&pageno=2

「一体、これはどうやって作るの?」と
ビックリするような芸術品が、もー次から次へと、
惜しみなく展示!これはですね、見ごたえ充分!

2008年に改装された院内は、
歴史を追いながら展示を見ることができ、
日本の博物館ではひとくくりでしかない、
青銅器や陶磁器など、それぞれに素晴らしい意味があって、
とても充実した内容になっています。

自分が一番感動したのは、秦の時代に作られた、
「嘉量」と呼ばれる青銅器。

http://www.npm.gov.tw/zh-tw/collection/selections_02.htm?docno=316&catno=19&pageno=3

これは、各時代ごとであいまいだった容量の単位を統一するために作られた器。
とてもシンプルな形で、かつ上下を逆にすることによって、
「一升」や「一合」、「一斗」など、
すべての単位の容量や、枡の内部で長さも測ることができるなど、
機能性にすぐれており、
精密な製造技術に裏打ちされているからこそ、できた器でもあります。

その器の表面には、こんな文字が掘られています。

「黄帝は我が始祖にして、その徳は虞(五帝の最後の帝である舜の別名)に集まり、
虞は我が先祖にして、その徳も(また転々として同じ土徳である)新にめぐって来た。
戊辰の年(初始元年)、木星は大梁の方角に至り、東方七宿(東にあって青龍を構成する7つの星)
の星々が戊辰の方角に集まって、天下は安定した。
ここに天命によって民を安堵せしめ、(火徳の前漢より生ずる)土徳によって(前漢に代わりその天命を)
受けて国号を改め帝位に就いた。
そして丑の月(初始元年12月)を年始と定め、長寿隆崇である
。度量衡の基準を統一し、精密に考えた上で前人の制度に合わせた。
東方七宿が己巳の方角に集まり、木星が実沈の方角に至った
己巳の年(始建国元年)に至って、初めて天下に公布した。
みな末永く守り実行し、子や孫の代まで受け継いで、億年の先までも長く伝えよ。 」


…億年の先までも長く伝えよと掘られた、この文字。
2009年の今でも、こうして、同じ容量の単位が使われていること。
その時代の人々の願いや思いが伝わってくるようでした。

さてさて、余談ですが、一日たっぷりと見てまわって、
地下のミュージアムショップで買い物をしていると、
イカホモのカップルの視線が刺さるじゃないですか!
遠目で、「どれどれ?」と観察していると、なんと、キスしてるじゃないですか!
台湾って、そんなにゲイフレンドリーなの?
ちょっと素敵なシーンが見られた、台湾初日の出来事でした。


八重山・沖縄おひとりさま6Days「どこにも帰らない旅」

2008年08月22日 15時50分58秒 | 旅行
7月12日午後1時半。
沖縄県中頭郡北中城村。

北中城の観光名所を回って帰ってくると、昼飯にちょうどいい時間。
テレビには、「Big1」というディスカウントストアのCMに美川憲一が映っています。
似てない瀬川瑛子と八代亜紀の間を「おどきなさいよ」と言わんばかりに、登場します。
美川憲一、なんだか安っぽい感じです。

くまぞー「えー、美川憲一って、こんなCM沖縄でやっているんですね。両側が、似てないな~」

後でわかったのですが、本物だと思っていた、この美川憲一も、実は沖縄で活躍する
魅川憲一郎さんというローカルタレント。あとの二人は、瀬川瑛理子さんと、八代亜妃子さん。

沖縄は、芸能が盛んですよね。
唄うことと生活が結び付いた文化の歴史があってのことなのでしょう。
音楽やダンスだけじゃなく、お笑いや演劇の分野でも、郷土色豊かな沖縄の芸能。
また次の旅行のお楽しみになりそうです。



おっちゃん「ヘチマのステーキ食べるか~」
くまぞー 「いただきます!」

ヘチマのステーキとヘチマのシチューをごちそうになります。







内地では、ヘチマはあまり食材に用いませんが、
沖縄では「ナーベラー」と呼ばれていて、
煮物やみそ汁などに入れたりするのだとか。
一昨日会ったIkunoさんも、大好きだとおっしゃっていました。

ヘチマのシチューは、缶詰を使った料理。
沖縄ではシチューの缶詰がメジャーで、「ストゥー」と呼ばれいて、
鍋に移し替えて温めてご飯にかけて食べたりします。
ヘチマが沖縄由来の食材なら、ストゥーはスパム同様、アメリカ由来の食材ってところでしょう。
温めるときに、ヘチマを一緒に入れて煮込んでくれました。

ステーキは、ナスや冬瓜とも違う、とろみがあるみずみずしい食感に、塩コショウが効いてます。
シチューは、ご飯の進むジャンクな味(大好き!)で、ヘチマが食感のアクセントです。

くまぞー 「ヘチマすごくおいしいですね!」
おっちゃん「沖縄のスーパーだと安いけど、東京のショップで買うと、めちゃくちゃ高いさ。」

ヘチマステーキを食べていたら、おっちゃんの相方さん、けん様がご実家から帰ってきました。

けん様  「ヘチマの味あまり好きじゃないけど、このステーキはおいしいさ。食べれるー」
おっちゃん「よかったー」


テレビには、高校野球沖縄大会の準決勝。
沖縄は、今でも高校野球の人気が高いようです。
八重山商工が甲子園に出場した時の、地元のフィーバーぶりは、
記憶に新しいですね。


試合は春の選抜を全国制覇した沖縄尚学と興南の戦い。
地元でない自分も、試合の行方に見入ってしまいます。
試合が進んでいく毎、僕は、ちょっとずつ寂しさが募ってきます。
旅立ちの時間が近づいています。


九回表、興南高校の最後のバッターが打ち取られました。

けん様「さー、行こうか」

朝、荷造りしておいた、大きなバックパックを背負って玄関に向かいます。
飼い犬のワンコロが、靴を履いて玄関の外に出た俺のところまで
来て飛んだり駆けたりして、部屋中を駆け回っています。

くまぞー「また会おうね…元気でいるんだよ」





おっちゃんが、お留守番してもらうためのおやつを飼い犬に与えると、
ワンコロはおやつに夢中になります。
その隙に、僕らはドアを閉めて、車に乗り込みます。

エンジンがかかり、車が出発します。
僕らより、とてもはかない命だろうに、
小さい体いっぱいで僕を歓迎してくれたワンコロ。
愛おしい、その無垢な存在とのお別れに、
涙なくて気持ちを切り替えることができませんでした。


ありがとう。ワンコロ。




車は、空港へ向かって走り出します。
が、そのまえに!

立ち寄ったくれたところは、沖縄県那覇市にある「首里城」。
ご存じのとおり、1879年に沖縄県となるまで、琉球王朝の首府であったところですね。
小高い丘に築かれたこのグスク跡も、世界遺産として登録されています。

午前中に訪れた中城城跡と違い、
沖縄戦までは国宝として存在していた正殿などが再現されています。
中には、琉球王朝の成り立ち、歩み、そして行政組織や儀式の解説などが、
わかりやすく展示してあります。




守礼門など、いくつかの門を通り抜けると。





おなじみの正殿。この広場は御庭(うなー)というのだとか。

南殿・番所に展示してある琉球王朝時代の美術品を眺めながら、
資料が展示してある書院、鎖之間(さすのま)を通り抜け、正殿内部へ。


正殿内は厳かな雰囲気です。
朱色に塗られた壁や柱、いたるところに竜や獅子の装飾が、金色や紫色などに輝きます。

つづいて、北殿へ。沖縄サミットでは、こちらで、
森首相主催の晩さん会が行われたのだとか。

くまぞー 「えー食べ物食べるような所じゃないですね。こんな所で無理にやらなくても…」
けん様  「いや、昔はここで大切なお客さんを接待したんだ。会議やレセプションはブセナでやったんだけどね。」
おっちゃん「沖縄サミットのときは、大変だったろうねー」
くまぞー 「そうか、8年前はおっちゃんは、まだ内地にいたんだよなー。」




北殿の出口付近では、お土産コーナー。
二千円札で払うと、5%引きになるキャンペーンを実施していました。
2000円札の発行を決めたのも、東京以外でのサミット開催を決めたのも、
そういえば、小渕首相でしたね。




土産物を見ていたら、おっちゃんが、俺に何か手渡してくれます。

おっちゃん「ワンコロがくまぞーおじちゃんにお土産だって言っていたよ。」
くまぞー 「あはは、うれしいなあ。ワンコロにありがとうって言っておいてね」

ワンコロがお小遣いで、僕にお土産を買ってくれたようです。
さきほどお別れしたばかりのワンコロの顔が心に浮かびます。

陽が傾きかけた那覇の町並み。
琉球石灰岩のつるつるした坂道を、下ります。
だんだんと、飛行機の時間が迫ってきています。

おっちゃん「最後は、そば屋でいいかな。」
くまぞー 「ありがとうございます!」


そんなわけで、向かった先は、沖縄県那覇市鏡原町で、うるくそば。
空港にも近く、ゆいれーる沿いのお店。

くまぞー「安いですね!このセットも魅力的だけど、ゆっくり食べていて時間なくなるのも嫌だしなあ。」



頼んだのは、普通の軟骨ソーキそばでしたが、
ジューシーにミニぜんざいもついてきて、まるで、セットをオーダーしかたのような充実感!
ソーキの骨を取り出すためのお皿も、いらないほどの、骨の柔らかさ。
圧力鍋で煮込むのでしょう。


くまぞー「いやー、おいしかった!ありがとうございます!」


車に乗り込み、いよいよ空港へ。
チェックインして荷物を預けて、お土産物を買いに行きます。
職場へのお土産物や、友達、相方さんへの土産物で、
手荷物もかなりの重さに。でも、こればかりは、仕方りません。


おっちゃん「あっという間だったなー、」
くまぞー 「本当、沖縄、まだまだまわり切れなかったですね」
おっちゃん「時間足りなかったなあー」

セキュリティゲートの前で最後の挨拶です。
もうすこし、沖縄に残っていたい気持ちが邪魔します。

くまぞー「また、来ますね。」

そんなありきたりの言葉しか、口を突いて出てきません。

いや、また来るのではなく、帰るのでもなく。
帰る場所がないのではなく、行きたい場所がないのではなく。
沖縄も東京も、大切な人が、友達が、働く場所がある。心安らぐ場所がある。
中田英寿みたいに、「人生とは、旅であり…」なんて、気取るつもりもないけれど、
僕は、どこにも帰りたくない。

くまぞー「行ってきます!」

セキュリティゲートの向こうで、いつまでも笑顔で手を振っていてくれたカップルの間に、
お留守番をしているワンコロの顔が、ふと浮かびました。


気がつけば、出発時間まで30分を切っていました。
今度はみんなにいつ会えるのだろう。
ワンコロはそれまで元気にしていてくれるだろうか。

搭乗ゲートの前で、心に誓って、機内に乗り込むのでした。







八重山・沖縄おひとりさま6Days「うちなんちゅと北中城巡り」

2008年08月19日 02時12分49秒 | 旅行
8月12日午前10時。
沖縄県中頭郡北中城村。

飼い犬が俺の脚をペロペロと舐めては、
僕が寝ている部屋と飼い主の寝ている部屋を
行ったり来たりして、フローリングの床を
カタカタと鳴らして元気に駆けています。

6日間の旅行も、今日で終わり。
今朝は、6日間で一番遅くまで寝ていたかもしれません。
前日は、遅くまで桜坂で飲んで、そのあと、
友人の自宅で友人の相方さんと飼い犬の3人プラス1匹で、
午前3時半くらいまでワンコロの話やうちの相方さんの話などをしていましたが、
僕が一足先にダウン。
ベッドに寝させてもらっていました。

くまぞー 「おはようございます!」
おっちゃん「今日も、くまぞーのところでワンコロ寝ていたさー」
くまぞー 「いやいや、今朝は行ったり来たりしていましたよ!」

今朝も飼い主やきもちを焼かせてしまったようです。
荷作りが苦手な自分は、おっちゃんが起きだす前に、
とりあえず、いつでもどんな形でも出発できるよう、
膨れ上がった荷物を、やっとの思いで荷作りしていました。
名残惜しいのですが、仕方ありません。

くまぞー「おっちゃん、今日は何か用事あるかい?」
おっちゃん「いや、何にもないさ、飛行機の時間まで大丈夫さ。」
くまぞー「申し訳ないです!ありがとうございます!。」

ワンコロが朝ごはんを食べながら、ワンコロと自分も、一緒になって遊びます。
本島に来て一番写真を多く撮ったのは、このワンコロの写真でした。
寝転がったりして、ワンコロと友達になった気分で写真をぱちぱちと。
フォトジェニックなワンコロです。




くまぞー 「相方さんは、今日は…」
おっちゃん「また午後くるよ。」

けん様は、朝早く、ご実家に戻っていました。
自分も寝ぼけながら、今朝、玄関先で見送った記憶があります。

くまぞー 「朝見送る時に、どうやって挨拶していいのかわからなくて困っちゃいましたよ。
      もう会えないなら、お礼ちゃんと言ったほうがいいのかなって。午後会えるんですね。よかった!」
おっちゃん「それじゃ、けん様が来るまで、近所をまわってこようか…」
くまぞー 「北中城村の公式ホームページで観光名所調べてみたんですよ。
      すごく行ってみたかったところでしたよ!」


…そんなわけで、この日の午前中は、
中城城(なかぐすく)跡と、中村家住宅の2か所へ出かけてきました。



中城城跡は、世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の一つです。
世界遺産には、文化遺産と自然遺産があり、ユネスコが認定する、
顕著な普遍的価値がある記念物、建造物群、遺跡、
景観や動植物の生息地などを指すそうです。

「世界遺産」とはよく聞く言葉ですが、
実際に、どれが遺産でどれが遺産じゃないか、
その基準は、自分もよく判っていません。
富士山はゴミが多くて世界遺産(自然遺産)に認定されないと、
とある新聞社の文化活動の宣伝CMで流れていましたね。




くまぞー「なんかですねー、どこにでもあるようなものじゃ、世界遺産に登録されないらしいみたいですよ。」

旅行から帰ってきてブログに書くにあたって、ちょっと調べてみたのですが、
奄美諸島から八重山諸島まで200以上ものグスクがあり、
その中でも世界遺産基準に達する9か所が登録されています。

単に豪族の城というだけでなく、食糧庫でもあったり、地域の信仰と結びついたシンボル的な構造物でもあり、
グスクの役割については、いろんな研究がなされているとか。
また琉球石灰岩という、この地方特有の岩を使った石積みであることも、
世界遺産に認定された理由のひとつかもしれません。
その建築技術は江戸時代に来航したアメリカのペリーも沖縄に立ち寄った時に
関心したとかしないとか。




この中城城跡は14世紀後半(内地で言うと、鎌倉時代後半から室町時代?)に作られています。
画像では分からないのですが、
全体像は、なだらかな丘に一直線上に城郭がつくられ、とても美しい形。
九高島や首里への遥拝所や雨乞いの御嶽などの後もあります。
また、沖縄戦までは、こちらの城に、中城村役場があったとか。


大型バスも停まれる駐車場はがら空きで、
訪れる観光客は、寂しいけれど、グスク跡が漂わす風格は、
21世紀の今でも、存在感があります。


つづいてやってきた中村家住宅は、18世紀に建てられたといわれる豪農の住宅。
沖縄戦の戦火を逃れたというその建物は、
鎌倉室町時代の様式を伝えつつ、沖縄の氏族と農家の住宅様式両方を兼ね備えているので、
戦前の沖縄の住宅様式のすべてが取り入れられているのだとか。



外壁は、先ほどの中城城の石積みと同じ、琉球石灰岩を使い、
石積みの内側には、昨日訪れた備瀬の並木と同じフクギを植えて、防災の役割を持たせています。
写真の屋根は、明治時代以前は茅葺だったのだとか。士族にしか瓦屋根が認められていなかったらしく、
廃藩置県後に瓦葺きにしたようです。



室内は、客間、仏間、居間にそれぞれ裏間を設え、
また首里から中城の役所にやってくる役人が宿泊するために
用意されたアシャギという部屋もあります。
豚小屋や台所など、風水の影響を受けて、位置が決められていて
戦前の沖縄の農家の特徴もよく表しているとか。

風がよく通り、涼しく過ごせそうです。





沖縄本島では沖縄戦によって被害を受け、その後の米軍の占領によって
古くからの文化や生活様式を大きく変えざるを得なかったと思いますが、
戦禍をくぐりぬけて、今もこうして残っている貴重な文化財に触れることができた
北中城のひと時でした。












八重山・沖縄おひとりさま6Days「どれだけ沖縄を好きになればいいですか?」

2008年08月16日 02時18分31秒 | 旅行
7月11日午後2時。
沖縄県名護市。

山間部の高速道路を走り抜けると、左手に海が見えてきました。
高速道の終点を過ぎて、車はさらに、目的地を目指して、
夏の太陽の光がキラキラと輝く海岸沿いを走ります。

しばらくすると、車は本部町に差し掛かります。
パイナップルの観光農園が右に左に見えてきました。
このあたりは、沖縄で最初にパイナップルの栽培がはじまったエリアなのだとか。

看板   「ハブとマングースショー」
くまぞー 「……なんか、いかにも観光地らしいですね。今どきハブとマングースって!」
おっちゃん「動物愛護団体から抗議が来て、今は決闘は、やってないさ。」


ハブとマングースは必ずハブが負けるらしく、
ハブが足りなくなってしまうのだとか。
決闘を実演できなくなった今では、決闘の様子を映像で見せたり、
水泳させて競争させたりするらしいです。

やがて車は、立派な立体駐車場に入ります。
到着したのは、沖縄県国頭郡本部町「海洋博公園沖縄美ら海水族館」。
2002年にオープンした、観光客に圧倒的な人気を誇るスポットですね。
その名前の通り、この水族館があった一帯は1975年に沖縄海洋博が開催されていたエリアで、
広大な敷地の中には、歴史や文化を学べる施設や植物園やスポーツ施設などがあり、
一日滞在してもすべて回れないくらい、広い公園です。

以前から、この公園には水族館があったらしいのですが、
新水族館の建設に当たり、名称募集をしたところ、全国から多数の応募があったとか。


くまぞー 「名前がいいですよね。『美ら海』っていかにも沖縄らしいじゃないですかー」
おっちゃん「あのころは、ちゅらさんブームだったから、『ちゅら』って名前が流行っていたさ」

2年前に沖縄を旅行した時には、沖縄で水族館って邪道だと思っていましたが、
やはり一度は行ってみくて、今回は念願がかなった形です。

水族館は沖縄の海を再現した展示で、ヒトデなどが生息する浅瀬から、サンゴの海、
そして深海へ生態系が変化していく様子をわかりやすく展示してあります。
よくテレビ雑誌で見る、マンタの泳ぐ巨大水槽は最後のクライマックスです。




餌付けの様子。たくさんの魚が群がって、とてもきれい!





見かけは、巨大液晶テレビにも。とにかくでかいです。





外にはウミガメ館(入場無料!)やマナティ館(入場無料!)
人工尾ひれをつける研究も行っている「いるかラグーン」(入場無料!)もあり、
珍しい海の生き物を間近でみられます。



くまぞー「ありがとうございました!」
おっちゃん「それじゃ、備瀬のフクギ並木でも寄って行こうか。」

というわけで、車で、ちょっと移動した先は、備瀬集落。
この備瀬の集落は、格子状に道が整備され、道沿いには、
家屋を風や日光から遮るためにフクギという背の高い木を植えているそうです。
その古い集落と並木の様子は、海洋博公園とは、まったく違う、沖縄の生活そのもののようです。
うみんちゅの集落なのに、まるで森の中にいるかのようで、吹く風は涼しく、山羊の鳴き声が響き、
日が暮れてきて、ゆんたくの賑やかな様子も垣間見えました。









集落内に順路の案内はあるのですが、格子状の集落なので、迷ってしまいそうです。
なんとか駐車場に戻ったころには、駐車場のおじさん達は、もういませんでした。

くまぞー「絶対に一人じゃ来れないところですよ。本当にありがとうございます!」


車は、一路、コザへ。
来るときには、キラキラと光っていた海が、一転、
大きな夕陽が沈んでいき、空と海が赤く染まっています。

BGMで流していた中孝介の「花」が景色に溶け込みます。
写真には残っていませんが、今回の旅行で僕が一番感動した景色かもしれません。


ご実家で留守番していた、おっちゃんの相方、けん様を迎え、
そしてワンコロがお留守番しているおっちゃんの部屋へ向かいます。

おっちゃん「一度帰ってあげないと、ワンコロがいたずらし始めるさ」
けん様  「全然電話繋がらなくて、心配したさー。」
くまぞー 「のんびり見ていて遅くなってすいませんでした。」
けん様  「くまぞーもブログ更新してないし、事故でもあったんじゃないかって」
くまぞー 「電源が切れそうだったんで、この後の夕食も楽しみだったんで、ちょっとセーブしちゃったんですよ」

ワンコロには、再びお留守番してもらって、
向かった先は、沖縄県那覇市西「ジャッキーステーキハウス」。
けん様の行きつけのステーキレストランで、
僕も、この日のステーキを楽しみにしていました。

沖縄で古くから営業しているレストランの一つで、
店内には占領下の米軍のお墨付きであったAサインの証書を今でも飾ってあります。

くまぞー「どのメニューもすごくおいしそう!たぶん一人だったら毎晩食べに来るかも!」


焼かれてきた肉をテーブルの上にあるステーキソースとしょうゆ、
お好みで、味付けして、食います。




くまぞー 「肉食ったー!すごく満足ですよ」
おっちゃん「くまぞーの後ろの二人組は…」
けん様  「こっちの人か、ほんまもんか、わからないな」


その二人組の正体は、桜坂で飲んだ店で、
再び遭遇したことで、無事解決です。
この日行った一軒目のお店は、明後日開かれるテニス大会で
ないちゃーやうちなんちゅのお客さんで大賑わいです。

二軒目に行った店は、はこじんまりしたお店。
観光客の僕にも、お客さんがかまってくれます。

お客さん「備瀬行ったの?備瀬崎まで行かなくちゃ!海きれいさー」
くまぞー「残念だったなあ。まだまだ沖縄知らないところばかりですね」
お客さん「生まれどこ?静岡?さかなセンター行ったよ!」


…かまってくれるというか、だんだん「絡まれ」モードに。

おっちゃん「ちょっと心配になったさー」
くまぞー「ゲイバーなんて絡まれてくれているうちは、まだ華があると思っているから、ぜんぜん大丈夫ですよ!」


時刻は午前1時半を回っていました。
長かった沖縄旅行も、今夜が最後の夜です。
店を出て、運転代行を呼ぶ僕ら。
シャッターが閉まり、誰も歩いていない牧志の商店街を、ぶらぶらと。
寂しげな風景を僕の心と重ねるように、カメラで追っていました。





八重山・沖縄おひとりさま6Days「ワンコロのお墓参りに行く」

2008年08月13日 02時37分54秒 | 旅行
7月11日午前6時。
沖縄県中頭郡北中城村。

せみの泣く声の大合唱が、
アルミサッシのガラス窓とカーテンの向こうから聞こえます。

そして、腕をペロペロとすごい勢いで舐める奴が。


くまぞー「…飼い主、間違えていないか?おまえー!」

……


この日の前夜、ゆいれーるの「おもろまち」に向かった僕は、
とある沖縄の友人と待ち合わせていました。友人宅が、この日の宿泊先です。
友人との出会いの最初は、ブログを通じてでした。
僕がとあるハンバーガー屋の紹介をしていた記事に
コメントをくれたのがきっかけです。

友人のブログを通して知る、飼い犬との生活や、犬とふれあう様子は、
心豊かで、やさしい雰囲気に、溢れるもので、
沖縄に住む人たちの人柄や考え方などに
興味を持つきっかけの一つにもなりました。

一昨年、沖縄を旅行した時にも、その友人に会って、
その相方さんともお会いして、楽しい夜を過ごさせてもらいました。
しかし、この時、僕は「次回のお楽しみ」ということで、
その友人の飼い犬には、会わずに帰ってきてしまいました。

また次回の沖縄旅行のときに会えるだろうと思っていた、
その飼い犬は、実は、ちょうど去年の夏の今頃、
突然、天国に旅立ってしまいました。
楽しい時も、つらい時も一緒に過ごしてきた飼い犬を、
失ってしまう悲しさは、犬を飼ったことがない自分にとっても、
十分伝わるほどでした。

友人は、天国に旅立った飼い犬の気持ちを思いながら、
付き合っている相方さんと一緒に相談して、
新しい飼い犬を、二人の間に迎えることになったのでした。

新しい飼い犬は、最初、とてもドライな性格で、
飼い主としてはちょっと寂しい思いもしたそうですが、
飼い主である友人の性格に似て、
人懐っこくて愛嬌のある性格に変わっていったのだとか。

今では、ストレートの人向けに、
飼い犬との生活を書いたブログが大人気で、
ストレートのワンコロ仲間達の輪が増えて、
楽しい毎日を送っているようです。
なによりも、死んだように静かになってしまっていた二人の生活の場に、
明るい光が差し込んで、会話が弾むようになったんだとか。

僕は、今回の旅行の大きな目的の一つに、
僕や友人、友人の相方さんはもちろん、
ストレートのワンコロ仲間との縁を紡いでくれている、
この亡くなった飼い犬のお墓の墓参りをすることでした。

……

ペロペロなめてくれるワンコロにうれしさを感じつつ、
昨晩は携帯電話の充電切れで
満足にブログやmixiの更新ができなかったので、
寝ながら更新をし、再び、うとうとと。
結局起きたのは、朝8時半すぎだったでしょうか。
飼い主の友人は、もう起きている様でした。

おっちゃん「ぜんぜん俺のとなり来なかったさー」
くまぞー 「いやいや、俺が寝ていたところで、いつも寝るからじゃないんですかー」
おっちゃん「いや、いつも俺の隣で寝てるさー」

飼い主に、ちょっとやきもちを焼かせてしまったようです。
おっちゃんは、相方さんに電話をして、相談です。

おっちゃん「じゃ、そろそろ、行こうか~」


……

友人の住む場所が「村」だということで、
ひっそりとした古い沖縄の自然に囲まれた山村だと思っていたのですが、
実は、北中城村は、日本全国で一番、人口密集度が高い村だとか。
沖縄県中部東海岸に位置し、那覇から北東に約15km。
米軍基地の施設も多く、
近くには、移転でずっともめている、アメリカ軍の普天間飛行場もあります。


……

自動車に俺とワンコロを乗せて、出発です。
程なくして、相方さんの住むご実家の近くに到着です。
しばらくすると、窓越しに久しぶりの顔がのぞきます。

くまぞー「どうも、久しぶりです!」
けん様「最後に会ったのは何時さー」
くまぞー「たしか、シャングリラ3の時だったから、去年の9月だったかな」

前回沖縄に来た時にもお会いしていて、
その後、東京で2回お会いし、今回が4回目。
今回は、こちらのカップルにとてもお世話になることになります。

車は、亡くなった前の飼い犬が眠るお墓に到着。
自分は犬を飼ったことがないし、
ペットのお墓というところにやってきたのも、もちろん初めてです。
お線香を墓前に手向けます。

けん様「座ったほうがいいよー」

立ったまま手向けようとした自分。
冠婚葬祭にからっきし弱いという以前に、
どこに行っても、失礼な奴です。

前回の旅行で会えなかったことをお詫びして、
いつまでも、友人と相方さんと僕ら友達との絆を明るく照らしてくれるよう、お願いして、
天国では安らかに暮らせるよう、心の中でお祈りをしました。




続いて、車は、南部へ向かいます。
車の中では、この日発売の「i Phone」の話題に。
表参道のソフトバンクショップでは前日から並んだとか
ニュースに話題になったそうですが、沖縄のとあるソフトバンクショップでは
並ばずに当日買えたとか。機種変更しようか迷っている、けん様の友人の話題で盛り上がります。
離島を旅していると、テレビを見る機会も減って
日本中が大騒ぎしている話題にも、疎くなってしまいます。

車が到着した先は、とあるドッグカフェ。
おっちゃんとワンコロがよく行くドッグカフェの一つで、
ずっと前から、気になっていた場所です。

くまぞー 「うわーすごくおいしそう。迷うなー」
おっちゃん「プレートランチが安くてボリュームあるさー」

というわけで、僕らは、ミラノ風カツレツプレートに、ワンコロには豚とキャベツのパスタです。




ドッグカフェの看板犬をはじめ、たくさんのワンコロ仲間と触れ合う
おっちゃん達のワンコロを見ていると、
動物と僕らが紡いでくれる不思議な縁の尊さとか
命あるものの大切さに想いを巡らせたり、
すべてのものが愛おしくて仕方なく感じたりして
たまらなくなりました。



八重山・沖縄おひとりさま6Days「宇宙、アジア、牧志の片隅で。」

2008年08月10日 03時39分47秒 | 旅行
7月10日午後7時半。
沖縄県那覇市牧志。

ゆいレールの自動改札の向こうに広がるのは、
夕闇が迫り、夜の輝きを宇宙に向けて放ちはじめた、奇跡の1マイル、国際通り。

静謐と見紛うような離島の暗闇とは、趣を異にし、
車と人が行き交い、光と音の喧噪が支配する、
このアジアの街角に飛び出すのを目前にして、
僕は胸の鼓動が高まるの感じずにはいられません。

が、しかし!
東京から持ってきた、 6日分の着替えやカメラの三脚のほかに、
石垣や波照間で買ってきた黒糖や泡盛で、
バックパックは、それはそれは、たいそうな重さ!
その重さに耐え切れず、駅のコインロッカーにでかい荷物をしまうために、四苦八苦していました。
ようやく荷作りを終え、自動改札へ向かうと、
そこには、お目当ての人が待っていました。


くまぞー「どうも!お久しぶりです。」

ブログつながりの友人、Ikunoさんです。

くまぞー「もー重たくて大変でした!さっきまでがさごそコインロッカーの前で荷物を漁っていたんですよ。
     だから、店とか全然考えてなくて、どーしようかと。それよりも携帯!」


そうそう、那覇に来る2日前。 大雨の夜に水たまりに携帯電話を落としてしまい、
Ikunoさんとの待ち合わせ場所を最終確認していなかった自分は、
焦りまくったのでした。

Ikunoさん「おおよその場所と時間は決めていたから、心配していなかったですよ」
くまぞー 「もーあの時は、どうしようかって気持でいっぱいで、パニックってましたよ。」
Ikunoさん「食事の候補を3つほど考えていたんですけれど…。」
くまぞー「ありがたいです!…じゃ、市場近くのベトナム料理屋で!」

あとの二つは、居酒屋とイタリア料理。
ずっと泡盛続きだったので、本当は酒の弱いくまぞーさんは、休肝日にしたいところ。
そして、イタリア料理は、ちょっと遠かったので、断念です。

Ikunoさん「それでは、行きましょうか~」

駅のエスカレーターを降りると、せまい車道と歩道に、
あふれんばかりの車と人で賑わっています。
沖縄で一番の繁華街の、この通り周辺には、
OPAや三越などの百貨店や高級ホテルやドミトリーなど、
さまざまな宿泊施設に、 市場を核にした商店街から網の目のように伸びる路地があり、
東京で見かけるようなチェーン店からコンビニ、地元の人向けや観光客向けのさまざまな商店が
びっしりと並ぶ、内地ではあまり見られないユニークな風景です。

向かった先は沖縄県那覇市松尾・ベトナム料理店「DAO(ラーオ)」。
ベトナムを愛して何度も訪れたIkunoさんのイチ押しなら、
心配ありません。

階段を昇って扉を開くと、カジュアルでこじんまりとした雰囲気。
テーブル席に案内されます。


くまぞー「えっ、ここには彼氏さんと一緒によく来るんですか?」
Ikunoさん「いや、それがまだ連れてきたことがないんですよ」

メニューには、生春巻やフォー(米麺)など、ベトナムらしい料理が並びます。

くまぞー「空芯菜炒めものってうちの相方さん好きで、
     ってか、空港で県外持ち出し禁止になっていましたよ!」
くまぞー「へちまの煮物ですかー、すごくおいしそう!
     ってか、いま沖縄なんだからここで食べればいいんですよね!」
くまぞー「ホーチミンから南方面にある、
     あの廃墟の観覧車って宗教団体が作ったんですか?
     ってか、なんでそんなことまでIkunoさんご存じで!」




…ベトナム料理を話題の肴にして、
旅行の話や、付き合っている相方さんの話、お仕事の話に、タイプの男の話、アジア周辺の国の話…など、
つぎから次へと、話題があふれてきます。

くまぞー「旅行していると、サミットの話題とか全然気にならなくなりますね!。」

しゃべっている間に、次から次へと料理が運ばれ、並べきれないようで、
二人で隅から皿が片付いていき、危ないところでセーフです。





離島の旅行は見るもの触れるもの新鮮で楽しいけれど、
それは普段の生活とは違う不便さを伴います。
でも、ここは、アジアの街角、那覇市牧志。
窮屈さから解放され、いろんなものが揃う、この街の一角で、
久しぶりのゲイの友達に会って、だんだんしゃべりに夢中になる自分。
どこからかやってきて、ふたたび旅立つ前の、ほんのひと時の小休止です。

くまぞー「甘いものもイッちゃいますか?」
Ikunoさん「もちろん、そのつもりですよ」

ちょっとおしゃれなチェー(ベトナム風ぜんざい)とベトナムコーヒーをいただきます。

くまぞー「すごくおしゃれですよね。ベトナムの市場でチェー食べた時は…」
Ikunoさん「毒々しい色でなんの味かよくわからないけれど、カラフルですよね」

そうそう、4年前、ホーチミンの市場で、
女の子の学生たちが食べているチェーを指さして
同じようにつくってってお願いしたら、
女の子たちに笑われて一緒に笑った思い出が蘇ります。

くまぞー「なんか、今沖縄にいるってことさえも忘れてしまいそうですよ」
Ikunoさん「そろそろ、外に出ますか?場所移しましょうかねー」

階段を下ると、ふたたび、商店街のアーケードの中。
夜10時に近づき、シャッターを閉める店も多いですが、
まだまだ観光客で賑わっています。

Ikunoさん「たしかスターバックスコーヒーがあったんで、探してみますね」

国際通りに出ると、再びネオンサインの光の放射がまぶしく、心躍らせます。

くまぞー「いやいや、本当、いま国際通りにいるんだと思うと、わくわくしてきますよ」
Ikunoさん「すごくわかりますよ。海外でも、地方を回ってその国の首都に行くと、
     日本とあまり変わらないお店が並んでいて、ほっとしたりしますからね」


大騒ぎする外国人。酔っぱらう観光客。
開放的な景色を背景に、コーヒー飲みながら、さらにトークは延長戦に。


くまぞー「いやいや、本当、お会いできてうれしかったですよ。
     こうして、たまに会って近況を伝えあって、おしゃべりできるって、いいですよね。
     ブログを通じた交流って、また一味違うじゃないですか!」

「ニフティサーブ」なんて名前で言っていたパソコン通信の時代から、
あちこちオフ会に飛び回っていたというIkunoさんは、
僕の言う、この「一味」の違いが分かってもらえているようです。

Ikunoさん「今夜はどちらへ…」
くまぞー「北中城村のほうにいる友達のところに泊らせてもらおうかと。
     迎えに来てくれるんですよ」
Ikunoさん「遠いですね!」
くまぞー「そーなんですよ。タクシーで行くと3000円くらいらしかったので、
     そんな遠くないなと思ったら、東京と違って、初乗り運賃が全然安いんですよね。
     だから同じ3000円でも距離が全然違うことに、こっちに来て気がつきましたよ。」
Ikunoさん「じゃ、そろそろですね。」
くまぞー「本当、ありがとうございます。また会いましょう!」

まだまだ日中の熱気が冷めそうにない、この街をあとにして、
僕は、次の待ち合わせ場所に向けて、コインロッカーから荷物を取り出し、
再びバックパックを背負うのでした。