さよなら三角また来てへなちょこ

食い意地先行の放浪ブログ。たまにはHIVの事。

菓子パンとスイーツの、その間にあるもの。

2011年02月27日 22時12分02秒 | デザート

えーとですね、「パスタ」なんて言葉は昔はなかったように、

「スイーツ」なんて言葉も、昔は使われてなくて、いつのころからか、使われるようになりましたよね。

ティラミスが流行り始めた頃にはあっただろうか?とか、いろいろ考えたのですが、思い出せません。

パスタは、スパゲティという言葉に代わって、イタリア料理の世界が広げるのに役立ったような気がしますが、

さて、スイーツは何の言葉と置き換わったのかと言えば、洋菓子?それともデザート?どちらも、いまひとつピンときません。

スイーツが甘いもの一般を指すとしても、果物はスイーツよりもデザートのほうがピタッとくるし、

いくら甘いからと言って、菓子パンやコンビニアイスをスイーツと呼ぶには乱暴で安直な気がします。

スイーツが指すものと、とそうでないものの間には、違いがないようで、でも、決定的な違いもあるようでもあり、

そんな、スイーツという言葉の持つ、どことなく、ふわふわとした感じは、

インターネット上で、女子の事を指して「スイーツ」と呼んだりすることと、どこか結びつくような気がします。

 

なわけで、画像は、千代田区神田佐久間町「八天堂 秋葉原メトロピア店」で、

とろけるくりーむパンほか、生クリーム、抹茶、小倉、チョコレートぱんなど。

昨年から、メディアでの露出が増えた、話題の「スイーツ」です。

パッケージもレトロ風で、すごくかわいいですよね。

広島・三原市に本店をもつ、この会社のクリームパンは、

常設店舗を持たずに、駅構内やデパートでの期間限定の催事の手法で、

徐々に人気を集め、同時にプレミアム感も保ってきましたが、

さすがに、昨年後半からは常設店が、いくつか誕生しているようです。

 

話題なのは、そのクリームの食感。

それは、ふわっとした口どけは、洋菓子のクリームか、それ以上。

言い換えれば、これは、和風のシュークリームということでしょう。

常温ではなく、要冷蔵であることも、菓子パンとは、決定的な違いとも言えますよね。

菓子パンは冷蔵したら、乾燥してパサパサになってしまいますよね。

でも、パンとは思えないほど、しっとりとした薄皮の生地の内側に、下手するとこぼれてしまうほどたっぷりのクリーム。

でも、食べると、やはり、パンなんですよ。もちっとした食感の小麦の生地。

でも、ひんやりとしたクリームは、スイーツそのもの。

菓子パンだとしても、スイーツだとしても、いずれにせよ、ぺろっと食べられちゃうことには変わりありません。

菓子パンとスイーツ。改めて、その線引きの曖昧さを認識させられるような、

秀逸なスイーツでした。


ひとりラーメン博物館50

2011年02月23日 00時18分24秒 | ラーメン

なわけで、前回に続けてラーメンネタです。

以前は、ブログネタでシリーズで書けるくらい、人気があったり有名だったり、新しいラーメン店などに行っていたのですが、

ここ数年は、ちょっとご無沙汰だったりします。

というもの、そういう店に行くには、休みの数日前から予定していて、

朝ちゃんと起きて、準備して向かわなくてはいけないのですが、

たとえば、朝起きてグダグダしてたり、家事をしてたりすると、気がついたときには、すでに12時過ぎるか過ぎないかの時間。

行きたい店が決まっていたとしても、昼営業と夜営業がある店では、その時点で、アウトだったりします。

今回は、「こんな珍しいラーメン店があるんだけど…」と、友達に連れて行ってもらった、オープンしたばかりのお店です。

 

そんなわけで、画像は新宿区高田馬場2丁目「焼麺 つるぎ」でチャーシュー焼麺と目玉焼きトッピングです。

場所は、高田馬場駅から、明治通りのほうへ5分ほどあるいたところにあります。

早稲田通りからは入ったところにあり、ちょっと場所は分かりづらいです。

まず見て面白いなって思っていただけるのが、トッピングが煮玉子ではなく、目玉焼きであるところですが、

もっと面白いのは、こちらの麺は、茹でた後に、鉄板で焼き色をつけて器に移すスタイル。

ラーメンに「焼く」という香ばしさを加えたのが、最大の特徴です。

麺は札幌から取り寄せているようで、もっちりとして、少しカリッとした麺が、とんこつしょうゆのスープに絡みます。

さらに面白いのが、かつおぶしが、ミニすり鉢に入って出てきます。

まずは、かつおぶしなしで食べるのですが、途中で、ごまをするように、鰹節をすり鉢ですってから、スープに投入すると、

これまた、ふわっと、かつおぶしのいい香りが漂って、味の変化が楽しめる仕掛け。

最後の一滴までおいしく頂けます。

 

1月下旬に出来たばかりの、このお店。

すでに、熱烈なファンもいるようで、ここを訪れるプロレスラーさんは、三杯もお代わりをしたとか。

たしかに、焼麺というスタイルは、それくらい食べたくなる、新鮮さに溢れていました。

ラーメンの有名店ひしめく高田馬場で、こうした新しい試みが、ぜひ注目されていってほしいなと思うお店でした。


ひとりラーメン博物館49

2011年02月20日 23時35分04秒 | ラーメン

ひさしびりにラーメンネタを、続けて2回ほど。

醤油、塩、とんこつと、伝統的なラーメンの味が、さまざまなジャンルの出現で、

その垣根が崩れて久しい気がするのですが、崩れた垣根の中でも、

ここ10年で、魚介系ラーメンは、ちゃんとジャンルを確立したような気がします。

とはいえ、中には、「魚粉入れただじゃないの??」という雑な感じの魚介系もある中、

ちゃんと魚介のおいしいスープが味わえるお店に、マイミクさんと、ご一緒させてもらいました。

 

なわけで、画像は、北区東十条1丁目「麺処ほん田」で、濃厚豚骨魚介ちゃーしゅーつけ麺。

お店は、かなり有名らしく、ご存知の方も多いかと。場所は東十条から歩いて5分くらいでしょうか。

この店に行きたい!と思って計画して行かない限り、思い付きでは、なかなか行くことがない場所です。

普段はよく行列ができているらしいのですが、小雨気味だったこの日は、あまり待たずに入店出来ました。

 

メニューの名前にもあるように、最近、魚介系を謳うスープの多くは、

とんこつスープとのブレンドの場合が多いと思うのですが、

多分ですね、ここのスープって、そのバランスがとてもいのでしょう。

魚が勝つこともなく、かといって、とんこつが勝つことがなく、

豚骨スープが魚の風味を豊かにのせて、鼻先と舌の上に届けてくれます。

 

チャーシューも、ごらんのとおり、ローストビーフ風(?)と、従来の焼き豚風と、

二種類で、飽きさせない楽しさ。麺を大盛りにしても、その量に怯むどころか、

最初からいきなりクライマックスまで食べまくりたくなる、そんな、つけ麺でした。

 


自分のHIVの話もたまには「ちゃんとします」33

2011年02月16日 01時04分23秒 | HIV

先日は、HIVの診察日。

相変わらず、免疫力を表すCD4の値は良好で、ただ、血圧の薬の量が増えてしまいました。

この一年で10kg以上の体重増加なので、仕方ないですな。

 

さて、同じ日、もうひとつ、HIV関係のイベントにおじゃましてきました。

えーとですね、医学の分野には、その研究成果や問題を広く発表したり討議したりする、学会というシステムがありますが、

HIVの分野でも、日本では年に一度、日本エイズ学会という名前で、総会が開催されています。

日本では、こうした学会には、医療関係者が主に参加することが多いということですが、

この日本エイズ学会は、医療関係者だけでなく、行政関係者やボランティア団体など、

他の学会に比べ、比較的オープンな形で開催されているようです。

今年度のエイズ学会は、昨年11月に開催されたのですが、

そのエイズ学会に、患者の参加を促すことを目的に「HIV陽性者参加支援スカラシップ委員会」という組織があります。

日本エイズ学会自体は1987年から開催されていますが、

スカラシップ委員会による、患者の参加支援が始まって、今年で5回目になるそうです。

 

 学会自体には、参加登録料や講演内容の抄録に、3日間の宿泊費に交通費など、

素人には、意外に高く(?)つくのですが、実は、発表内容について、どんな発表しているんだろうと、

以前から興味がありました。

そこで、このスカラシップを利用して参加した、陽性者の方々のエイズ学会の報告会を覗いてきました。

 

この報告会で聞きたかったのは、患者視点で見た、今年度のエイズ学会のサマリー的な報告を期待していたのですが、

どちらかと言うと、参加した方々が聞いた演題やシンポジウムについての感想が主な報告内容。

でもですね、50名近く参加された方々の報告書や、今回報告会に登場した、3名の方の話を聞くと、

参加したことによって、意識の変化が行動に現れたり、ボランティア関係の仕事に生きたりと、

学会への参加という行為自体が、とても充実していたんだなと感じられました。

 

報告会の最後には、このスカラシップの運営を支援しているボランティア3団体からそれぞれ代表して

話があり、学会に患者当事者が参加することの意義だったり、

患者が声をあげて政策に反映していくことの大切さを話されていました。

自分は、基本、声をあげるのが苦手で、現状の支援体制について、何一つ不満に思っていないのですが、

HIVという病気については、とても多面的で複雑な問題と、多くの情報を内包しているので、

患者が「知っておく」ことの多さや深さ、鮮度について、改めて認識しました。

 

演題にはですね、「MSM」「パートナーへの通知と支援」など、ゲイコミュニティに深くシンクロした内容も多く、

一度、エイズ学会自体に参加してみたいなーという欲求が強くなった、そんな報告会でした。


「はじめてのおつかい in Laosその7 最終話~ラオス大脱出の巻。」

2011年02月12日 10時02分56秒 | 旅行

1月中旬から、9日間、ラオスへ行ってきました。

もし興味ある方は、旅行の話にお付き合いください。

今回は、9日目、最終回。

ビエンチャン~ノーンカイ~ウドンターニー~バンコク~東京までのお話。

画像が多いの重たいかもしれません。

---------------------------------

1月23日。午前5時半。ラオス・ビエンチャン。

旅行用の目覚まし時計が、突然なりだします。

くまぞー「あれっ!!」

iPhoneの示す時刻は午前3時半。その差、ちょうど、2時間。

あれ、どっちも現地時刻に合わせていたつもりだったのに。

自分には、その自覚があまりないのですが、他人からよく言われるのが、

旅行中に背負っているバックパックを見て、荷物が多すぎるということ。

目覚まし時計も、iPhoneの目覚まし時計だけでは不安で、

旅行に行く前に気になって準備したものの一つでしたが、

結局、9日間ラオスにいて、時差で時刻が違っていたのにも気づかなかったくらい、

不要なもののひとつだったのかもしれません。

 

普段なら、また寝ればいいのですが、今日は、飛行機で東京に帰る日。

しかも、時刻が読みづらい、バスを乗り継いでの国境越え。

寝坊では済まされないことになってしまいます。

慎重に判断すること1時間。一向に空が明るくならないことから、

やはり目覚まし時計の時刻の合わせ忘れということで、勝手に、一件落着です。

 

時刻は午前6時。ゲストハウスの玄関が開く時間です。

おもむろにバックパックを背負って、階段を下りていきます。

フロントには、日本語が少しだけわかるおっちゃんが起きたばかりで、

テレビにスイッチを入れたり、準備をしていました。

ルームキーを返して、ラオス語で「ありがとう」と言うと、

日本語で「さようなら」と返してくれました。

 

トゥクトゥクに乗って、向かった先は、町の中心にある、タラート・サオバスターミナル。

トゥクトゥクを降りた瞬間から、「フレンドリーブリッジ?」と聞いてくる客引きがいるのですが、

「失礼~」と声をかけて、ローカルバス乗り場へ。

朝6時から15分から20分おきに運行している路線バスが、

ラオスとタイの国境にかかる友好橋(フレンドリーブリッジ)のイミグレーションまで

連れて行ってくれます。

乗客は4~5人。夜明け前の薄暗い田園風景を突っ切って行きます。

朝6時45分くらいだったでしょうか。

ラオス側イミグレーション前に到着。

パスポートにスタンプを押してもらって、ここで、ラオスに別れを告げます。

続いてバス料金をチケットオフィスで払い、国境を渡るためのバスを待ちます。

マイクロバスがやってきてきました。

これで、タイ側へ渡ります。

ちょうど、橋を渡っている途中で太陽が出てきました。

橋の上には単線の線路もあり、一日一便の列車が通る際には、通行止めになるとか。

バスに乗って、5分から10分くらいでしょうか。タイ側イミグレーションに到着。

 

さてさて、出入国カードは…どうやら、もらえるブースが決まっているようで、

並んでいた列を外れ、カードをもらって、記入をし…ブースに再び行って並んで、

無事タイ側入国です…あれ、これから、俺、どーすればいいの???

いろんなガイドブックや情報に情報があまりなかったで、この部分は推測ですが、

ラオス側から国境を渡ったバスが、待っていてくれて、

ここからほど近い国境越えのためのバスステーションまで連れて行ってくれるつもりでいたのに。

バスで一緒だった外国人は、いつのまにか居なくなってしまっていました。

 

さて、みんなどうしたんだろう?いや、どうすればいいんだろう?

ここで待ってるトゥクトゥクに乗るしかないの??タイではサムローって言うんだった??

時間はかつかつですが、旅行初日に両替して、最終日のためにあまり使わずに、

とってあったタイバーツは、まだ1000バーツ以上余ってます。

しかたなくドライバーに声をかけると、ノーンカイの町の中心のバスターミナルまで60バーツとか。

でも、ガイドブックには町の中心から友好橋までサムローで30~40バーツとか。

値切って50バーツにしてもらって、ノーンカイのバスターミナルへGO!です。

 

15分くらい走ったでしょうか。バスターミナルで降ろされ、さあ、時刻やチケットを確認しなくては…と思っていたら、

右から左から、声をかけられます。

「ウドンターニー??」と聞かれると、「はい、ウドンターニー行きたいです」と答えたか答えないかのうちに、

さあさあと、バスのほうへ案内されます。

見れば、バスの車体に「ウドンターニー←→ノーンカイ」と書いてあるじゃないですか!

これは、間違えないはず。判断する必要がないと思って、即、バッグを積み込んで、

乗車すると、バスはすぐに動き出しました。

おそらく時刻は午前7時半ごろ。発車ぎりぎりだったのでしょう。

このバスに乗れれば、11時50分のウドンターニー発飛行機に、もうチェックインしたのも同然です。

バスの中で、朝からの緊張の糸がほぐれて、安堵に包まれます。

 

道沿いの建物が、あまりないラオス側と比べ、タイ側は近代的な商業施設や商店が多く、

日本で言えば、ちょっとした地方都市と変わらない風景です。

バスは途中で乗客を拾いながら、車掌は、乗客から料金をもらって回ります。

約1時間で、ウドンターニーの新バスターミナルに到着です。

時刻は約8時半すぎ。

当初、ビエンチャンから乗る予定だったウドンターニー行きの国際バスが現地を出発した時刻には、

もう目的地に到着できたことは、もう大万歳なのですが、ちょっと早すぎたくらいです。

でも、この国際バスは、当たり前ではありますが、

出入国で全員の手続きが終わらなければ出発できないので、

このあたりの時間の読めない部分でイライラするよりは、

結果的には、よほど、安心安全な選択だったかもしれません。

バスターミナルで朝ご飯を食べる余裕もあり、ここから、サムローに乗って、空港へ。

空港から市内までのリムジンバスがガイドブック情報で80バーツのところ、

サムローで100バーツと言われたので、値切るまでもなく、乗ったのですが、

サムロードライバー達にとっては上客だったようで、僕に声をかけておきながら、

乗せ損ねたドライバーと、自分が乗ったドライバーで、ちょっともめてしまったようです。

ウドンターニー市内を走り、しばらくすると、空港らしい敷地が見えてきました。

変な色した、ボーイング747が、横たわっています。

ウドンターニー国際空港へは午前9時すぎには到着していたでしょうか。

国際空港となっていますが、国際線は、ラオス航空が、ルアンプラバンから週3便のみ。

非常にこじんまりとしています。

東京までは、同じタイ国際航空だったのでスルーチェックインができるか聞いてみたのですが、

どうやら、バンコクで一度、荷物をピックしなければならないとか。でも荷物は預けたので、あとは出発時間まで、

約2時間半、のんびりです。

両替所があったので、130000キープほど余っていたラオスキープを両替しようと思ったら、

実は、ラオスキープは国外での両替ができなかったようで、

本当は駄目なのですが、両替所の方が、個人的にタイバーツに両替してくれました。

…そっかー、最後に、フレンドリーブリッジのラオス側イミグレーションで、両替するしかなかったようですが、

記憶では、両替所は朝早くて閉っていたような気がするし、レートはここでは、目をつぶるしかありません。

そして、さらに失敗をもう一つ。

コイン式のインターネットマシンがあったので、ここで、ビエンチャンでアドレス交換した日本人旅行客に

無事に空港へ着いたことをメールで連絡しようと思って、コインを入れたら、日本語の使えないマシン。

仕方なく、英語のニュースサイトを閲覧して終わりにしましたが、

交換したアドレスのメモを、テーブルに忘れてきてしまいました。

自分も旅先での楽しい思い出にお礼を言いたかったんだけど、

これは、ちょっと申し訳ないことをしてしまいました。

自分のアドレスは相手に書いて渡したので、もしきっと、縁があれば、いつかメールが届くでしょう。

 

ウドンターニー国際空港を出発して、約1時間ほどでバンコク・スワンナプーム国際空港に到着。

東京行き午後2時50分発まで、だいたい2時間。

まあ、大丈夫だろうと思っていたのですが、まずは、飛行機が駐機場止まりで、到着ゲートまでバス移動。

そして、バスもすごく長い距離を走り、故に、ターンテーブルが回りだし荷物をピックするのに時間がかり、

飛行機到着から、

ここまでで約40分。

すぐに出発ロビーでチェックインをしましたが、出国審査で長い行列。ここでも約20分くらいでしょうか。

搭乗券を見ると、搭乗時刻は2時10分…えー!もうあと15分くらいしかないじゃないか~。

余ったタイバーツで豪遊するつもりでしたが、ツイッターでちょこっとつぶやいて、急いで搭乗口へ。 

こうして、長かったラオス・タイの9日間に、余韻にひたることなく、別れを告げるのでした。

 

---------------------------------

最初から読んでいただいていた方、ありがとうござました。 

バックパッカーっぽい旅行がしたくて、そして一度ラオスに行ってみたくて、

今回の旅行を決めたのですが、周囲の国と少し違い、想像していた通りに、たのしい旅行でした。

ただ、9日間しかない旅行にしては、ちょっと移動が長すぎたかな。

でも、それは、それで、いい体験だと、思っています。

めんどくさい旅行がしたくない方には、飛行機で直接飛んで、

ルアンプラバン・ビエンチャンだけでも、充分楽しめると思いますよ。

もし気になった方は、次の旅行の予定に、ぜひ加えてみてください。


「はじめてのおつかい in Laosその6 ビエンチャンでチャリンコ大爆走の巻。」

2011年02月09日 01時04分34秒 | 旅行

1月中旬から、9日間、ラオスへ行ってきました。

もし興味ある方は、しばらくは、旅行の話にお付き合いください。

今回は、8日目。ビエンチャンでのお話。画像が多いの重たいかもしれません。

---------------------------------

1月22日。午前7時。ラオス・ビエンチャン。

くまぞー「あれ、喉が痛い…」

これまで泊った町、ゲストハウスと違い、昨晩は、初めて蒸し暑さを感じて、

扇風機を回したまま、初めて半袖Tシャツで寝たのですが、どうやら、夜はしっかり冷え込んでしまったようです。

もしくは、ちょっと空気がほこりっぽかったのかもしれません。

あわてて、かぜ薬を飲んで、なんとか、悪化しないように、予防をしっかりします。

支度して向かった先は、タラート・サオ・バスターミナル。

時間を見ながら、ちょっと早足で、向かいます。

お目当てのバスは、まだ出発していなかったようです。

くまぞー「あっ、いたいた」

観光客「見送りに来てくれたんですかー」

昨日、ご飯を一緒に食べた日本人観光客は、8時発のタイ・ウドンターニー行きの国際バスに乗る予定でした。

くまぞー「ひとつお願いがあって、もしバスが時間通りに到着するか、どんな感じか、メール貰ってよい?」

 

明日は、帰国日。タイ・ウドンターニー空港・午前11時50分発のタイ国際航空のバンコク行きに乗らないと、日本に帰れません。

ラオス・ヴィエンチャンからタイ・バンコクまでは、長距離ツアーバスもあるし、

ヴィエンチャンからバンコクまでの飛行機もあるし、

ラオスのタナレンという町から1日1便の寝台列車もあるし、いろんな方法がありますが、

ぎりぎりまでラオス滞在し、かつ安く仕上げたかったので、一旦タイへ陸路で出国してから飛行機でバンコクへ。

では、明日はどうやってラオスを脱出しようか…最終日ゆえに、最大の難関となって、僕の頭の上に横たわっていました。

この国際バスが、ちゃんと時間通りに到着すれば、飛行機の出発時間には、楽勝なのですが…

観光客「いいですよ。夜になってしまいますが…」

くまぞー「無理しなくていいからね。もしパソコンにアクセスできたらでさー」

そんなわけで、メールのお願いと、この先の無事を祈って、バスを見送ります。

 

見送った後に、向かった先は、バスターミナルのすぐ近くにある、タラート・クアディン。

近代的なショッピングセンターのタラート・サオを補完する形の、昔ながらの市場です。

生鮮三品はもちろん、グロサリーや日用品、家電から洋服まで、いろんな商品が所狭しと並んでます。

この日の朝の、もうひとつの目的は、お土産物探し。

サラリーマンなので、職場の土産物は必須。人によっては、ここでセンスを発揮する人もいるのでしょうが、

僕にとって土産物で一番大切なことは、解りやすいことと、めんどくさくないこと。

どこに行ってきたのかが明確だったり、分けやすかったり手を汚さずにすむことだったりです。

市場内で、グルグル探しましたが、実は、ラオスは、産業があまり育ってなく、

ハンドクラフトの織物や民芸品以外では、メイド・イン・ラーオは、

南部で生産されるラオスコーヒー、そしてビア・ラーオ(ビール)くらいでしょうか。

メイド・イン・ラーオは諦めて、会社で配りやすい、メイド・イン・タイランドの菓子を買い込みます。

タラート・サオの旧館でもちょっと買い物をして、この日のミッションは、終了。

ナンプ広場近くにある、ベーカリーカフェで、クロワッサンサンドをオーダーし、Wi-Fiつないで、ウェブを見ながら、朝食です。

 

一度、ゲストハウスに戻って、さあ、市内観光へ出発…の、前に、ゲストハウスで、自転車を借ります。

10000キープと言うので「1hour?  2hours?…」と聞くと、「1day!」との返事。

約95円ですよ、これは安い!ただ気になったのは、兵庫県警の防犯登録シールが貼られているじゃないですか~

盗まれてラオスにやってきたものでなければ、いいのですが、ちょっと気になってしまいました。

ちょっと乗ってみると、後輪のブレーキがまったく利かず、前輪のみ。

仕事でいじったことがあるので、道具さえあれば、ブレーキの調節をしてもよかったのですが、

まあ、とにかく、安全運転で、出発です。

まず向かったのは、ワット・シーサケート。

本堂の周りを取り囲む回廊に多くの仏像が並び、回廊を眺めていると、異空間に誘われるようです。

三十三間堂にもちょっと雰囲気が似ているような錯覚も。

すでに時刻は12時近く。拝観料が必要な寺院はお昼休憩があり、閉ってしまうので、

続いて向かった先は…パトゥーサイ。内戦で戦死した兵士の霊を慰霊するための塔で、

パリの凱旋門をモデルに建てたとか。ランドマーク的な建物で、沢山の観光客がやってきます。

でも、塔の内部は完成していないそうで、中には入場料を払うと入れるのですが、

今回は、門をくぐって、外から眺めるだけにしておきました。

門の下から内部を見上げると、こんな壁画が。

時間は午後1時前。昼休みで門を閉じていた寺院も、そろそろ、午後の拝観時間です。

次に向かったのは、タート・ルアン。仏陀の骨がおさめられているとかで、

16世紀から建設が始まり1930年代には現在の姿となった、ビエンチャンの象徴的な仏塔です。

付近には国会議事堂などもあるのですが、なんとものんびりした雰囲気です。

家族でやってきては、こうして、みんなで手をあわせて拝んでいます。

つづいて、中心部に戻ってきて、向かった、ワット・ホーパケオは、現在、博物館的な位置づけで、僧侶がいません。

もともとエメラルド仏という仏像を納めるために建てられた寺院でしたが、現在は、バンコクのワット・プラケーオに安置されているとか。

ビエンチャンの寺院では、よく見られた光景ですが、

どうやら僧侶の集団が地方からたくさんやってきて、説明を受けながら、見物しているようです。

 

こちらは、ワット・シームアン。これは、狛犬という理解でよいでしょうか。

タートダムは、ナンプ広場近くにある、仏塔。昔は黄金に輝いていたとか。

画像はありませんが、続いて向かったのは、ラオス国立博物館は、こじんまりとした、建物。

どちらかというと、近現代史の中で、ラオスのたどってきた歴史が、写真パネルで解説されています。

ベトナム戦争の影に隠れてしまっているのかもしれませんが、ラオスの内戦も相当の犠牲者があったようです。

この日は、この建物の向かい側で、トヨタによる子供向けのイベントが開催されていました。

タイではがっちりシェアがあるらしい日本車メーカーですが、ラオスでは、ヒュンダイや起亜などの

韓国車メーカーはもちろん、BYDなど、中国車のメーカーも走っている様子。

自動車世界生産トップのトヨタも、うかうかしてられないのでしょう。

 

そんなイベント会場の横の建物には、なんと、スウェンセンズが!吸い寄せられるように、まさかの、パフェ休憩です。

…ちょっと調べてみると、今では、アンコールワット観光の拠点・カンボジア・シェムリアップにもあるとか。

もしかしたら、ここ数年で、東南アジア全体が急速に変化しているかもしれません。

時刻は、午後4時半ちかく。今日は、最後のメコンの夕陽を見たいので、ビエンチャンの観光は、ここで終わりにして、

ゲストハウスに一度戻ります。

太陽が沈む時間を待って、ネットカフェで時間調整…つか、ネットサーフィンしてると、時間が過ぎるのが早く、

あれよあれよという間に、日没直前。慌てて、店を出て、メコン川の川岸へ向かいます。

向こう岸に見えるのは、タイ・シーチェンマイ。首都が国境付近にあるというのも不思議ですが、

これもインドシナ半島の歴史の変遷に大きく影響されているようです。

ビエンチャン中心部を流れるメコン川の護岸は、きれいに整備しすぎていて、

フエサイやパクベン、ルアンプラバンで見たそれとは、ちょっと雰囲気が欠けます。

それでも、旅人の旅情を誘うのか、あちこちで、沈む太陽を見つめています。

あっという間の、8日間。もっとのんびりしたかったけど、そろそろタイムアップです。

この日の夕食は、ゲストハウス街の中にある、日本食レストラン。

お好み焼が名物で、とんかつ定食や、ラーメンなど、定番の味が人気だとか。

お客さん「先ほど、博物館でお会いしましたね」

くまぞー「あっ、そうでしたね。やはり日本人の方でしたか」

お客さん「ビエンチャンはいつまで…」

くまぞー「明日、タイに渡ってから、ウドンターニーからバンコク経由で、東京へ帰るんですよ。」

聞けば、バンコク在住の方で、各国への出張で貯まったマイレージで、ビエンチャンにやってきたとか。

海外駐在が10年以上と長く、いろんな話を聞かせてもらったのですが、

嘆いていたのは、日本という国の元気のなさ。

特に中国の経済の勢いと比較し、内向きな日本人の思考や経済、そして少子化を、かなり悲観的に心配されてました。

…うーん。

複雑な思いでした。

なんだかんだと言って、自分も、もう30代後半。

世間から見れば、同性愛者というちょっとゆるい立ち位置にいて、

自分が日本社会に影響を与えるほどの能力があるわけじゃないし、そんな仕事を任されているわけじゃないけど、

その元気がない日本社会の一翼を担う世代に片足突っ込んで、仕事をさせてもらっているのも、事実。

政治が…とか、会社が…とか、言い訳が利かないんじゃないかなと、実は思っています。

じゃ、自分にできることは何だろう?。

こうして、世界へ出て見て、いろんな刺激を受けるのも、その一つかもしれません。

英語が出来なくたって、これだけあちこち回れるのだから。もっといろんな所へ…

…まあ、いいや、旅先で考えることじゃありませんな。

 

そんな話をしてたら、すでに夜8時過ぎ。挨拶をして店を出て、

少しだけ土産物見たくて、夜店が出ているメコン川沿いへ。

ちょっとだけお土産を買い足して、ゲストハウスに戻りました。

朝、日本人の方にお願いしたメールは、ちょっと無理なお願いだったかな。

でも、明日の予定は、決めました…朝6時にゲストハウスを出て、ローカルバスでフレンドリーブリッジに向かおう。

そして国境を越えて、ノーンカイへ。朝一でタイへ抜ければ、あとは、乗り継いで、なんとか間に合うだろう。

名残惜しさや余韻をかき消しながら、バックパックに片づけをして、明日の出発の準備をするのでした。


「はじめてのおつかい in Laosその5 エクスプレスバスでビエンチャンに向かうの巻」

2011年02月06日 11時58分01秒 | 旅行

1月中旬から、9日間、ラオスへ行ってきました。

もし興味ある方は、しばらくは、旅行の話にお付き合いください。

今回は、6日目と7日目。ルアンプラバン~バンビエン~ビエンチャンでのお話。

画像が多いの重たいかもしれません。

---------------------------------

1月20日。朝8時。ラオス・ルアンプラバン。

今朝は托鉢の様子を早起きして見てきたあと、屋台で、朝食のサンドウィッチを食べていました。

美味しかったので、バンビエンへ向かうバスの中で食べる分で、もうひとつオーダーです。

お客さんが作るのを待っていると、立て続けに、お客さんがやってきて、

こちらのお父さんの屋台は、大忙しでした。

フランスが宗主国だった国には、フランスパンを使ったサンドイッチが広がっていますが、

ラオスでは、チキンもしくはツナなどメインの食材に野菜をはさんだ、シンプルなものが多かったです。

特に、チーズ(たぶんクリームチーズ)とチキンの組み合わせがおいしかったかな。

料理も鶏肉を使ったものが、一番おいしかったように思います。

ゲストハウスに戻って、荷物を背負って、フロントの男の子にお礼を言って、出発です。

さあ、バスターミナルへ。

ラオスのバスターミナルは、町の外れにあったり、また方向別に何か所かにあることが多く、

ルアンプラバンも、南方面行きのバスターミナルまでは、中心街から離れており、トゥクトゥクを使わないと、行くことができません。

バスは、こうした、バスターミナルから出るものもあれば、旅行会社が仕立ててホテルの前から出るツアーバスなどもあり、

また、バスの大きさや設備によって、値段が違ったりします。

バスの時刻表らしきもの。たぶん一部の路線だけだと思われます。

チケットを買って、バンビエン行きのバスに乗りこみます。良く見ると、チケットには座席番号が入っているのですが、

自分の座席のところには、大きな荷物を置いて寝ている女性が…

別の座席にとりあえず、陣取ります。バスの出発時間は9時半。まだ余裕があるので、ちょっと周辺をぶらぶらと。

画像のビエンチャン行きVIPバスは、9時出発ですが、ちょっと遅れて出発。10時間から11時間かかります。

軽食がついたり、中にはトイレの設備があり、ノンストップでビエンチャンに向かうようです。

バンビエン行きのエクスプレスバスも、大きな荷物を抱えて乗り込むお客さん多く、通路にもバックパックの山が。

出発時間を少し過ぎて、出発です。

 

ビエンチャン~バンビエン間は、約7時間。高速道路が整備されていれば、そんなに時間はかからないのでしょうが、

日本で言えば、山間部の国道の旧道のような道路をスピードを上げたりゆっくり走ったりします。

すれ違いには窮屈ではなさそうですが、かなり高いところを走るので、気をつけないと、谷底に落ちてしまいそうです。

それよりも、気になったのは、道路沿いにある、村。

どうやって生活の糧を得ているんだろうというような所にあったりします。

 

 

刈ったススキ(?)を乾していたり、これは何にするんだろう?というような光景もあって、

英語が話せれば、たとえば、バスの車掌さんなどに、もっといろいろ聞けるだろうなと思うこともありました。

さて、トイレのついてないバスは、トイレ休憩があるのですが、アナウンスがあるわけでなく、

突然、道路の脇に停車し、ドアが開きます。

えっ、ここで?というような場所で、女性のお客さんはちょっとかわいそうです。

バスが止めやすいからなのか、用が足しやすいからなのか、どっちなんだろう?…と思っていたら、

日本人っぽい乗客が一人、バスから降りてきました。

くまぞー「日本人の方ですか?」

乗客「はい。」

くまぞー「さっき、バスの屋根に積んだバックパックにこいのぼりのアクセサリがついていたんで…」

聞けば、上海に留学している男性で、中国・昆明まで列車で来て、

バスでラオスに入国して、ビエンチャンを経由してバンコクへ向かうのだとか。

自分も今回の旅行では昆明から景洪を経て、ラオスへ入るルートを一度検討しましたが、

9日間の休みでは、ほとんど移動になってしまうのと、飛行機のチケットが、ちょっと値段が高くなってしまい、断念しました。

旅行客「旅行会社でバスを手配したんですけど、トゥクトゥクのピックが遅れて、9時のバスに乗れなかったんですよ」

どうやら、交渉したら、このバスに乗ればよいと言われたとか。

ドライバーがクラクションを鳴らし、トイレ休憩が終わり、再びバスが出発です。

お昼12時過ぎの休憩は、ちょっとした売店のあるところで、先ほどの日本人観光客の方と、雑談タイムです。

バスは、午前中から、ずっと山間部を上って下っていましたが、午後のトイレ休憩をすぎたら、

だんだんと下って行っているよう。ダイナミックな山のシルエットが、はっきりと見えるということは、

かなり、山から下ってきたのでしょう。

午後4時半。バンビエンのバスターミナルに到着。全員降りるのかと思ったら、どうやら、

そのままビエンチャンに向かう様子。

日本人観光客「これで今日中にビエンチャンに着けますよ」

くまぞー「良かったですね。お気をつけて!」

ここから、ビエンチャンまでは、さらに4時間くらい。長旅を案じて別れを告げて、

僕は、トゥクトゥクの乗合で、町の中心へ向かいます。

バンビエンは、1970年代、王政側と共産勢力側との内戦で、

アメリカ軍が飛行場を作り、爆撃の為の基地があった町。

アメリカ軍の撤退の後は、なぜか、そのまま滑走路跡が残っているのですが、

今では、ナムソン川をゴムタイヤのチューブで下るアトラクションやバルーンで空を飛んだりと、

リゾート地的な場所となっているほか、バーやクラブ的な場所もあり、夜遅くまで観光客で盛り上がるようです。

到着したのが夕方で、すでにゲストハウスは、満室が多く、良い部屋を探すのに一苦労。

うろうろしていたら、ちょっとむっちりした太めの欧米系のおっちゃんに「どこ探してるんだい?」と

声をかけられました。

男「ほら、ここなら、50000キープだよ。」

と言って部屋を見せてくれたので、じゃ、ゲストハウスにしてみようかと、思ったのですが、ここも今日は満室。

くまぞー「ここのゲストハウスも満室なんですよ」

男「どこも空いてなかったらルームシェアしてあげるよ」

と会話しているそばから、実は、上半身裸でビールを飲んでるおっちゃんの胸毛が腕に触れ、

気持ちはグラグラしていました。

実はあとから、iPhoneのゲイアプリを立ち上げたら、このゲストハウスに、外国人が泊っている様子。

妙に親切だったし、もしかしたら…まあ、そんな淡い感じのまま、この日は、ちょっと高めの別のゲストハウスを確保しました。

夕方、飯を食うところを探していたら、スローボートで会った、日本人の男の子と再会。

どうやら、今日バスで一緒だった日本人と同じく、やはりトゥクトゥクのピックが遅れて、バスターミナルまで一緒だったようです。

みんな同じようなルートを移動するので、タイミングが良ければ、所々でこうして、顔を会わせることになります。

 

翌朝、町を一周し、メインストリートの食堂で、朝ご飯。

韓国か中国の団体旅行客が先ほどまで大勢で食事をしていたので、近づいてみたら、

おいしそうなお粥だったので、即、オーダー。

揚げたニンニクとねぎのトッピングがおいしくて、2杯食べてしまいました。

さてさて、ゲストハウスに戻って、荷物をまとめ、さて、今日も、出発です。

 

ラオスでは、ぼったくりをする人がいなかったのですが、バスターミナルに向かうトゥクトゥクの料金の支払いで、

初めて、ぼったくられそうになりました。昨晩泊ったゲストハウスでも、チェックインしただけで、チップを求めらたり、

当たり前かもしれませんが、町によって、少し気質が違うのかもしれません。

10時のバスだったので、9時には、昨日到着したバスターミナルに向かったのですが、10時を過ぎても一向にバスが来ません。

同じバスに乗る外国人も、ちょっと暇持て余し気味。

バスターミナルからは、五月雨に、いろんな乗物が出発していきます。

やってきたバスからお客さんが沢山降りて、ルアンプラバン行きのバスに、乗り込みました。

どうやら、その乗客たちが降りたバスに、乗り込むようです。さあ、出発…と思ったら、あれれ、町の中心で乗り換え??

しばらくしたら、空き地に停車し、降ろされ、違うバスに。

乗り換えたバスには、すでに乗客がたくさん待っていました。

 

…「地球の歩き方」のほうには、1か所しか載ってないバスターミナルでしたが、

英語のガイドブックには、もひとつ町の中心から歩ける場所にバスターミナルが載っていて、それを見落としていた!

これなら、わざわざ、あのトゥクトゥクに乗る必要もなかったなあと後悔。

ガイドブックを良く読むと、バスターミナルが、方面別でしっかり別れているようではなかったので、

どちらのバスターミナルからでも、乗れたのかもしれません。

 

そんなわけで、結局、午前10時半ごろ、バンビエンを出発。

最初は少し山間部を走りましたが、そのうち、両サイドには、民家があまり途切れず続くようになり、

そして、それまでは見ることができなかった水田も。

写真にはうまく撮れてないですが、一面に稲の鮮やかな緑色が広がる風景は、

田んぼの匂いが漂ってきそうなくらい、美しいです。

次第に、市街地に近づくと、外資系の飲料メーカーの看板や、ガソリンスタンド、

そして中国の車のメーカーのディーラーなど、首都に近づいている雰囲気が伝わってきます。

バンビエンを出て、約4時間。T2バスターミナルに到着。

町の中心のゲストハウス街まで、ローカルバスで向かいます。

 

さてさて、中心街で、最後の手持ちの現金100ドルをラオスキープに両替。

今日の宿泊先をさがしてうろうろしていると、昨日バスで会った、上海からやってきた日本人観光客と遭遇。

くまぞー「あー!こんにちは!」

観光客「今着いたところですか??」

まちかどで、バンビエンの雰囲気の話や、ゲストハウスの相場の話など情報交換をしたのですが、

もっとゆっくり話したくなって、夕飯を一緒に食いに行くことを約束。

夕方6時に、同じ場所で待ち合わせの約束をして、お別れです。

ゲストハウスも、お手頃なお値段の場所が見つかり、これで残り3日になったラオス滞在も、ゆっくり楽しめそうです。

 

ビエンチャンは、ラオスの首都ですが、人口は70万人ほどしかありません。

さすがに車やバイクは多いですが、タイやベトナムほどではなく、

ルアンプラバンでは見なかった信号機が、ビエンチャンで初めて見れました。

日本の交差点の信号機とはちょっと違い、交わる道路の上り下りごとに4回に分けた青信号で車が交差点に進入してきます。

また、ラオスに来て初めて高い建物を見ましたが、それほど高い建物はなく、多くが4階から5階建て。

自分が泊ったゲストハウスは4階建てですが、エレベータはありませんでした。

それでも町の中心にあるショッピングセンターは、エスカレータやエレベータがあり、少し都会の雰囲気。

ルアンプラバンにはリゾートホテルこそありましたが、ビエンチャンには国際会議で要人が宿泊できるようなシティホテルもあり、

もちろん首都の役割を果たす、官庁街や、各国大使館、迎賓館などもあり、

そんな街並みに、寺院が点在し、町の品格が漂ってきます。

コンビニエンスストアのような店も、何件かあり、もちろん飲食店も、格式ある日本料理店もあれば、

ベーカリーカフェに、インド料理店、また屋台でも食べれることができ、バラエティ豊かです。

 

ぐるっと一回りして、ゲストハウスに戻り、先ほどの日本人観光客と待ち合わせです。

くまぞー「夕陽の時間…間に合わなかったかな」

観光客「夕陽、沈んじゃいましたよ」

くまぞー「でも行ってみましょうかー」

久しぶりの東南アジアであること、ここ数年は、沖縄本島や重山の島々が好きで回っていること、

仕事の話など、いろんな話をして盛り上がりました。聞けば、彼が沖縄出身だとか。

メコン川沿いの屋外レストランでビアラーオ飲みながら食事して、夜は更けて行きます。

夜9時近くまで話したでしょうか。最後にメールアドレスを交換して、お別れです。

明日は、ラオス滞在最終日。

ビエンチャンの街歩きを楽しみに、ベッドで眠りにつくのでした。

 


「はじめてのおつかい in Laosその4 ルアンプラバン大捜索の巻 後編」

2011年02月03日 23時15分14秒 | 旅行

1月中旬から、9日間、ラオスへ行ってきました。

もし興味ある方は、しばらくは、旅行の話にお付き合いください。

今回は、5日目。ルアンプラバンでのお話。画像が多いの重たいかもしれません。

---------------------------------

1月19日。朝6時前。ラオス・ルアンプラバン。

ルアンプラバンの朝の名物、托鉢シーンを見物するために、少し早起き。

まだ町は薄暗いのですが、夜明け前に出発です。

ゲストハウスの玄関には、フロントの男の子が蚊帳の中で寝ています。

6時にはドアを開けると聞いていましたが、まだ施錠されていて、寝ているところを起こしてしまったようです。

ラオスのゲストハウスでは、用心の為なのか、こうして玄関先に寝ていることが多かったようです。

 

寺院が集まるエリアへ向かい、通りを歩いていると、托鉢セットの売り子さんが寄ってきます。

ごはんと、竹の皮に包まれたおかず(?)をセットで売っていて、

それを手元に置いて、歩いてくる僧侶の前で、正座しながら待ち、僧侶が持って歩く入れ物(?)の中に、手で渡し入れるのが、作法。

どこからやってくるのか、人が集まっている方向を、探しながら歩いていると、

あっ、托鉢の列がやってきたようです。

 

 ブレブレの画像ですが、ちょっと雰囲気ある感じ。

どういうルートで歩くのかわかりませんが、寺院によって、縄張りが決まっているようで、被っている部分もあるようです。

海外の宗教団体のツアーなのか、おそろいの服を着て托鉢を待っている集団もいました。

ただ、托鉢の様子を見ていると、ごはん以外のものでもいいみたいだし、

反対に、ごはんなどは、恵まれない子供たちに分けているようです。

ラオス全体を旅していて、不思議だったのは、たまたまだったかもしれませんが、

貧しい子供たちの物乞いや物売りがほとんどなかったこと。

子供たちに僧侶が恵んでいるように、寺院から、貧困層にたいしての、施しがあるのかもしれませんし、

それは別にして、国民の、仏教への敬虔な姿勢が、心の豊かさとなっているのかもしれません。

朝の托鉢の見学から一度ゲストハウスに戻って、向かったのは、ルアンプラバン国立博物館。

こちらは、ルアンプラバン王国の流れを汲み、1975年まで存在した王家の宮殿を利用した博物館です。

宮殿自体はラオスを植民地化していたフランスの支援によって1909年に作られたのですが、

ラオスを保護しているという印象を植え付けるための、方策だったようです。

居住していた部屋の様子や、各国からの貢物、祭事に使うアクセサリー、

またガレージには、王家が使っていたキャデラックなどの、超でかい車も展示してあったのですが、

なによりもビックリしたのは、敷地内を走ってきた、現役バリバリに動く、こちらのトヨタ車。

ツイッターでつぶやいたら、どうやら1970年代のコロナだとか。ビックリです。

寄り道して、寺院を見ながら、今日は、昨日のリベンジへ向かいました。

この日、僕は、昨日、道に迷った村に、もう一度行ってみたくて、再び、ナムカーン川にかかる、

バンブーブリッジを渡って、対岸へ。

昨日は意味なく道を曲がったのですが、実はまっすぐ行けば、ラオス織りを集めた土産物屋が、

ちょこちょこ並んでいます。トゥクトゥクに乗ってきている観光客もいるようなので、有名な場所だったのかもしれません。

 

土産物屋の他にも、簡単な食堂もちらほら。

写真のお父さんと子供がいた食堂で、簡単な食事を済ませます。昨日同様、再び、中心街へ。

今度は、トゥウトゥクを使って、市街地を横断して、西側へ。

↓ワット・マノーロム。壁画が、鮮やかです。

↓ワット・タートルアン。ランサーン王国の最後の国王が眠っているそうです。

↓名前はとにかくわかりませんが、とにかく寺院。

寺院から出てきたら、通りの向こう側に、観光客がぞくぞく入っていくベーカリーカフェがありました。

ガイドブックにも、載っているし、これは、もしかしたら、いいかもーと思って寄ってみました。

「ツナメルト」と書かれたメニューはチーズたっぷり、ツナたっぷり。でもって、サラダとセットで34000キープだったかな。

こんなメニューも食べれちゃう幸せ。乾季ということもあるけど、エアコンの効いたレストランは、ここがラオスで初めてでした。

また町中をぶらぶらして、一旦、ゲストハウスに戻ります。

そして、再び向かったのは、昨日の午前中に行った、プーシー。

ルアンプラバンの町中を見下ろせる、丘の上から、今度は、夕陽を眺めます。

山頂自体は、狭いところですが、やはり沈む夕日見たさに、観光客がぞくぞく登っていきます。

みんな、太陽が沈む方向を眺めています。写真を撮る人、音楽を聴く人、歓談している人達…

そして、すこしずつ、沈んでいく夕陽。

太陽の輪郭が欠け始め、放たれていた光の矢が、完全に山の向こう側に沈み勢いを失うと、自然と、拍手が沸き起こりました。

なんだろうな、ただ太陽が沈むだけなんだけど、ありがとう、という言葉がぴったりと気持ちに当てはまります。

ルアンプラバン最後の夜。夜市で、少しだけ自分の欲しかったものを買って、夕食は屋台で。

毎晩、同じ場所で飯食ったり串焼き食ったりしていたので、写真の男の子とは、顔なじみです。

 

明日は、またバスで長時間の移動。

心残りを感じながら、荷作りをするために、早めに部屋に、戻りました。

ルアンプラバン…いい街でした。いつかまた訪れることが、できるかな。


「はじめてのおつかい in Laosその3 ルアンプラバン大捜索の巻 前編」

2011年02月02日 22時20分27秒 | 旅行

1月中旬から、9日間、ラオスへ行ってきました。

もし興味ある方は、しばらくは、旅行の話にお付き合いください。

今回は、4日目。ルアンプラバンでのお話。画像が多いの重たいかもしれません。

---------------------------------

1月18日。朝7時。ラオス・ルアンプラバン。

朝の冷え込みに耐えかねず、目が覚めたルアンプラバンの朝。

昨晩は、部屋の窓には、内側に開く、網戸しかないと思いこんで、網戸のまま、カーテンを引いて寝ていましたが、

朝、窓辺から外の景色を見たら、外側に開く木製の雨戸に気付き、ほっとするのでした。

 

ルアンプラバンは、その街並みと、建物の歴史的価値や文化的価値が認められ、町全体が世界遺産となっています。

廊下のバルコニーからの、こんな眺めからだけでも、雰囲気をつかんで頂けるでしょうか?

この日はガイドブックを参考に、街歩き&お寺巡りです。

まずは、ゲストハウスから、歩いて1分ほどの通りで開催されている、朝市から。

このエリアには市場がないからか、魚から肉・野菜・惣菜・日用品と、さまざまな商品があり、

まだ日の出前の朝6時から、準備が始まっています。

続いて向かったのが、ラオス北部の伝統的な民族の風習や暮らしを展示しているTAECという博物館。

展示自体はこじんまりとしていますが、儀式の様子をVTRで流していたり、興味深い展示も。

この建物の場所から、丘の上にあるお寺を目指すのですが、鳥を狙っているのか、銃を持った、こんな住人たちと遭遇。

銃を目の前にして、ちとビビりました。

緩やかな坂道を登っていき、到着したのは、プーシー。

市内を一望できる山の頂点には、黄金に輝くタートチョムシーという仏塔があります。

ベンチで一休みしていれば、そこに日本人の人影が。

くまぞー「日本人の方ですか?」

観光客「そうですよ。昨日、夜市歩いていませんでした?そのTシャツ…」

くまぞー「『いちゃりばちょーでー』ですね。沖縄の言葉ですよ。」

観光客「昨日、冷えましたよねー」

今回の旅行では、意識して、日本語の書かれたTシャツを何枚か持って行きました。

聞けば、バンコク在住の会社員の方で、連休がもらえたので、ルアンプラバンへ遊びに来たのだとか。

ラオスの感想や、情報交換しながら、途中まで一緒に下ります。

くまぞー「それじゃ、お気をつけて!」

別方向に別れ、向かった、ルアンプラバン国立博物館は…休館日。でも、もう一日滞在するので、明日再チャレンジです。

では、ここで遅めの朝ご飯。昨日の夜から気になっていたベーカリーカフェで、ハンバーガーです。

多くのレストランでWi-Fiがつながるので、パスワード教えてもらって、日本のニュース読みながらの、朝食です。

町中をぶらぶらしながら続いて向かった先は、ワット・シェントーン。1560年建立の由緒あるお寺です。

なんつーかですね、佇まいを味わう感じです。

ガイドブックの地図に、「バンブーブリッジ(ドライシーズンオンリー)」と書いてあったので、渡ってみます。

ナムカーン川の川岸で、しばらく、のんびりと。僧侶の方々の姿は、絵になります。

さらに「ビレッジ→」などと、書いてあったので、ちょっと行ってみることに。

未舗装のデコボコ道路が続き、小学校があったり、民家で子供たちが遊んでいたりと、

戦場カメラマンばりのモチベーションで、写真をとっていていました。

さあ、帰ろうと思ったら、帰り道で、迷ってしまいました。行けども戻れども、見覚えのある場所にたどりつけません。

ガイドブックに地図があればまだいいのですが、そこは、もう地図にない場所。

これは、焦りに焦りましたが、最初に写真に撮った小学校になんとかたどり着いて、バンブーブリッジに無事、生還。

ただ、あとで冷静になって考えると、場所で言えば、空港に近いところなので、

少し大きな通りで、トゥクトゥクを捕まえて乗れば、そんなに焦ることはなかったはずですが、

とにかく、ビビりました。

ふたたび、中心街に戻ってきて、お寺巡りです。こちらは、ワット・セーン。

 

南側のほうへ回って、ワット・ビスンナラートの近くには、日本人に人気のゲストハウスもあるとか。

日本語の看板もちらほら見かけました。サブロー店とは???

ぐるっと町中を回ったら、さすがに疲れました。

一度ゲストハウスに戻ってベッドでぐてっとしていたら、あっという間に、夕暮れ時を迎えてしまってました。

やはり、メコン川に沈む夕日を撮りたくて、今日もスローボート乗り場へ。

ちょっと遅すぎてしまったようです。紫紺に染まった川辺は、いろんなことを忘れてしまいそうです。

この日の夕ご飯は、ピザレストランで、ピザとビール。

画像は、どれもブレブレで、ちょっと載せられないのですが、これも旨かったなあ。

もちろん、ラオス料理の店もあれば、こうした、欧米人向けのお店もあるし、食べ物には困りません。

屋台街では、総菜の屋台や、炭焼きで魚や鶏肉、豚肉を串焼きにして焼いたり、

ワンプレートで盛り放題のビュッフェも。外国人観光客で盛り上がってます。

山岳地帯ということだとか、乾季ということもあるのでしょうが、

町中の屋台でも、あまり虫がブンブン寄ってこないのがうれしいです。

楽しいルアンプラバンの街歩き。やはり到着初日に3泊にしておいてよかった!

ゲストハウスに戻って、そして今日は、雨戸を閉め、防寒対策もちゃんとして、眠りに就くのでした。