ゲイバーって、一体、何だろう?
……
初めて上野傑作劇場や上野大番に行った時のことや、
初めて文通欄で出会った人のことをおぼろげながらにもちゃんと覚えているのに、
なぜか、初めてゲイバーに行った時のことは、不思議なくらい覚えていません。
でもおそらく初めて行ったのは、19歳か20歳の時。
たぶん、文通欄で出会った友達の仲間と新宿にあった、
とあるデブ専バーに行ったのが、おそらく初めてでした。
酒が苦手だったというのもあったのですが、
いま一つなじめなかったのは、
自分が「空気を読む」ことだとか、対人の間合いの取り方が苦手で、
緊張してしまって、全然楽しめなかったのだと思います。
しかも「若い」ってだけで、おしゃれでもないし、可愛くもない。
黙っていても、可愛ければ、そこそこ需要はあるのでしょうが、
そんな需要も自分には、なし。
要は、全然喋れないし、売れもしなかったということ。
今考えれば、ゲイバーなんて面白くなくて当然だったでしょう。
ところが、そんなゲイバー観がちょっと変わったのは、去年。
泡盛飲みながら、宿泊者みんなで「ゆんたく」と呼ばれる宴会をするような、
沖縄の離島にある、とある民宿に、二年ぶりに行きました。
いろんな地方から、いろんなバックグラウンドを持っている人たちが
旅するためにやってきた、その離島の民宿で、
食事しながら酒飲んで、語り合ったり、騒いだりするわけです。
もちろん次の日は旅立つ人もいれば、やってくる人がいるわけで、
その日にたまたま集ったメンバーによる、その日限りの、特別な宴会なわけです。
その時に、ふと思ったんですね。
「ゲイの人でも、見知らぬ人とこんな風に飲めたら楽しいだろうな。」
みんなは、自己紹介しながら、自分をさらけ出してしゃべっているのに、
自分は、自分のセクシャリティが自分を大きく構成している要素であるのにもかかわらず、
セクシャリティを隠して飲んでいることが、どこか心に引っかかったのでしょう。
もちろん、自分のセクシャリティを明らかにすることで、
不快に思う人もいるかもしれません。
隠すことだって必要だし、明らかにすることがどんな場合も正解だとは思っていないのですが、
どちらが自分に正直かと言えば…、答えは薄日の差す雲の向こうにぼんやりしています。
そんな気持ちを心に抱いていたところ、
昨年の暮れに、自分と同じ会社に勤めるゲイの先輩に、
「連れて行きたい飲み屋があるんだ。」
と言って、とあるゲイバーを紹介してくれました。
ちょうど、人事異動があったばかりで、とても緊張した日々を送っていました。
自分の自信のなさや、仕事の不安の払拭を息抜きの場が欲しかったのでしょう。
「ママが勝手にしゃべってくれるから、緊張しなくてもいいわよ」
と言って連れて行ってくれたゲイバーは、
お通しも結構本格的で、ご飯も出るため、次第に馴染んで通い始めるようになりました。
行けば、誰かいるし、いないときは、ママと話し、
適当な話で盛り上がる時もあれば、
ディープな話で盛り上がる時もあれば、
ひとりで勝手に悦に入っているときも。
自分なりのゲイバーの楽しみ方が、ようやくわかったようです。
それは、インターネット全盛で出会うだけなら本当に簡単な今だからこそ、
自分が求めているゲイバー像と重なってきているのかな。
自分にとっての、ゲイバーって、もうひとつの「居場所」なのかもしれません。
実は、そんな僕にとって貴重な「居場所」のひとつが、
先週、盛大にクローズしました。
画像は、上野「ファン太」で、ドンペリ。そしてオムレツに、シーフードカレー。
オードブルは、撮り忘れてしまましたが、キャビア風(あくまでも「風」!)の何かが載った
カナッペが出てました。
オムレツはスペイン風で具だくさん、シーフードカレーは海老にほたてがゴロゴロ!
隣のお客さんがカレーにそそぐ視線が痛いほどです。
ドンペリは、ミレニアムうんちゃらかんちゃらで、
品物は貴重なものらしいのですが、
人生でドンペリなんてあけたことなんてないし、味なんて、ろくにわかりません。
でも、豪華なお通しと、テーブルクロスにキャンドルで、店内は、いつもと雰囲気が様変わり。
この日は、ここを紹介してくれた先輩と一緒に、
「ファン太」らしいお別れに納得しつつ、
さすがにドンペリはきついぞ、ということで、「二人で一本」で、最後の営業にお別れです。
でも、自分と同世代とはとても思えないほどタフなママは、
そのキャラクターと人柄で、二日間の営業で
46本のドンペリの空きボトルをカウンターの上に並べたとか。
自分はバブルの頃のゲイバーを知らないのですが、
不景気だとかどうだとか言われている中、
奇跡のような出来事だと思わずにはいられません。
通った時期は短いですが、自分にとっては、後になって振り返ったら、
人生のターニングポイントになった店になるかもしれません。
実は店の名前と場所はそのままに、6月の初めには、別のママによって
「ファン太」がオープンするとか、しないとか。
個性的で不思議な魅力にあふれるママでした。
新しい旅立ちを心から応援したいのと、
自分も新しい居場所を作っていく、はじまりです。
……
初めて上野傑作劇場や上野大番に行った時のことや、
初めて文通欄で出会った人のことをおぼろげながらにもちゃんと覚えているのに、
なぜか、初めてゲイバーに行った時のことは、不思議なくらい覚えていません。
でもおそらく初めて行ったのは、19歳か20歳の時。
たぶん、文通欄で出会った友達の仲間と新宿にあった、
とあるデブ専バーに行ったのが、おそらく初めてでした。
酒が苦手だったというのもあったのですが、
いま一つなじめなかったのは、
自分が「空気を読む」ことだとか、対人の間合いの取り方が苦手で、
緊張してしまって、全然楽しめなかったのだと思います。
しかも「若い」ってだけで、おしゃれでもないし、可愛くもない。
黙っていても、可愛ければ、そこそこ需要はあるのでしょうが、
そんな需要も自分には、なし。
要は、全然喋れないし、売れもしなかったということ。
今考えれば、ゲイバーなんて面白くなくて当然だったでしょう。
ところが、そんなゲイバー観がちょっと変わったのは、去年。
泡盛飲みながら、宿泊者みんなで「ゆんたく」と呼ばれる宴会をするような、
沖縄の離島にある、とある民宿に、二年ぶりに行きました。
いろんな地方から、いろんなバックグラウンドを持っている人たちが
旅するためにやってきた、その離島の民宿で、
食事しながら酒飲んで、語り合ったり、騒いだりするわけです。
もちろん次の日は旅立つ人もいれば、やってくる人がいるわけで、
その日にたまたま集ったメンバーによる、その日限りの、特別な宴会なわけです。
その時に、ふと思ったんですね。
「ゲイの人でも、見知らぬ人とこんな風に飲めたら楽しいだろうな。」
みんなは、自己紹介しながら、自分をさらけ出してしゃべっているのに、
自分は、自分のセクシャリティが自分を大きく構成している要素であるのにもかかわらず、
セクシャリティを隠して飲んでいることが、どこか心に引っかかったのでしょう。
もちろん、自分のセクシャリティを明らかにすることで、
不快に思う人もいるかもしれません。
隠すことだって必要だし、明らかにすることがどんな場合も正解だとは思っていないのですが、
どちらが自分に正直かと言えば…、答えは薄日の差す雲の向こうにぼんやりしています。
そんな気持ちを心に抱いていたところ、
昨年の暮れに、自分と同じ会社に勤めるゲイの先輩に、
「連れて行きたい飲み屋があるんだ。」
と言って、とあるゲイバーを紹介してくれました。
ちょうど、人事異動があったばかりで、とても緊張した日々を送っていました。
自分の自信のなさや、仕事の不安の払拭を息抜きの場が欲しかったのでしょう。
「ママが勝手にしゃべってくれるから、緊張しなくてもいいわよ」
と言って連れて行ってくれたゲイバーは、
お通しも結構本格的で、ご飯も出るため、次第に馴染んで通い始めるようになりました。
行けば、誰かいるし、いないときは、ママと話し、
適当な話で盛り上がる時もあれば、
ディープな話で盛り上がる時もあれば、
ひとりで勝手に悦に入っているときも。
自分なりのゲイバーの楽しみ方が、ようやくわかったようです。
それは、インターネット全盛で出会うだけなら本当に簡単な今だからこそ、
自分が求めているゲイバー像と重なってきているのかな。
自分にとっての、ゲイバーって、もうひとつの「居場所」なのかもしれません。
実は、そんな僕にとって貴重な「居場所」のひとつが、
先週、盛大にクローズしました。
画像は、上野「ファン太」で、ドンペリ。そしてオムレツに、シーフードカレー。
オードブルは、撮り忘れてしまましたが、キャビア風(あくまでも「風」!)の何かが載った
カナッペが出てました。
オムレツはスペイン風で具だくさん、シーフードカレーは海老にほたてがゴロゴロ!
隣のお客さんがカレーにそそぐ視線が痛いほどです。
ドンペリは、ミレニアムうんちゃらかんちゃらで、
品物は貴重なものらしいのですが、
人生でドンペリなんてあけたことなんてないし、味なんて、ろくにわかりません。
でも、豪華なお通しと、テーブルクロスにキャンドルで、店内は、いつもと雰囲気が様変わり。
この日は、ここを紹介してくれた先輩と一緒に、
「ファン太」らしいお別れに納得しつつ、
さすがにドンペリはきついぞ、ということで、「二人で一本」で、最後の営業にお別れです。
でも、自分と同世代とはとても思えないほどタフなママは、
そのキャラクターと人柄で、二日間の営業で
46本のドンペリの空きボトルをカウンターの上に並べたとか。
自分はバブルの頃のゲイバーを知らないのですが、
不景気だとかどうだとか言われている中、
奇跡のような出来事だと思わずにはいられません。
通った時期は短いですが、自分にとっては、後になって振り返ったら、
人生のターニングポイントになった店になるかもしれません。
実は店の名前と場所はそのままに、6月の初めには、別のママによって
「ファン太」がオープンするとか、しないとか。
個性的で不思議な魅力にあふれるママでした。
新しい旅立ちを心から応援したいのと、
自分も新しい居場所を作っていく、はじまりです。