現代今昔物語―自分流儀。伝承。贈ることば、子供たちへ。不変のストーリー

我が息子と娘へ伝承したいメッセージをというのがきっかけで、時代が違っても考えかたは不滅といった内容を新世代達へ残したい。

11月21日、天から声が降りてきた

2014-11-29 | Weblog

11月21日、次のような声が天から降りてきた。『人生というのは尻上がりに楽しくなっていく。そうでないと死ぬ間際になっても、自分の人生を嘆くようになってしまう。そんなことは絶対ないはずだ。あくまでも精神的なことだが、生きていくにしたがって、楽しく、精神的に幸せや楽にになっていかなければおかしい。毎日がそのように思えないのなら、そのようになっていくと信じることだ。そう思いつづけることが大切。このことは、金銭的に恵まれるということとはまた別のことだが、尻上がりに面白く楽しくなっていくものと信じて、これからを生き抜きなさい。』 このような声が天から聞こえた気がした。一時(いっとき)であるが、精神的に、すごく楽になった。また、本当にそうなるような気がしたし、そう思うことにした。尻すぼみでない。右肩上がりでもない。あくまでも尻上がり。末広がりだ。そうなるはずだ。

もちろん毎日、衣食住が十分に満ち足り、それに加えて余興的にプラスアルファがあるに越したことがない。そのことばかり考えたりしていると、非常に苦しくなる。自問自答することばかりで、どうして、どうして、? ? ばかり、頭の中に充満してくる。これの繰り返し。楽しくなんかあるわけない。もがく。誕生→学校→進学→社会人→挫折→別離→就職→労働→挑戦→奮闘→摩擦→尽力→行動→失望→亀裂→嫌悪→独立→勇気→再興→孤高→至高。人生、山あり、谷ありだった。過去形でも、まだ完了でない。これからも、きっとそうだろう。でも、生きるにしたがい、気持ち良くなるはずだ。

この日に決めたことに従い、これからの人生を踏み出そうと思う。なんの確たる根拠もない。それでも何かを感じたのだ。そんな不確かなものに拠りそうのか? それでいいのか? 人生って、そんなものじゃないのか。何かが自分の中にぶつかってきたことは確かで、このことを証明する術もない。しかし、今まで、自分の心の中で念じていたものに対して、導き出されてきたものと信じたいから、それにかけてみる。

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スリーアウト、チェンジ。

2014-11-28 | Weblog

断片的に耳にした情報だが、アメリカの教育学者の言葉に、「批判されるのが嫌なら、何もせず、何も言わなければいい。しかし、それは生きていないということと同じだ」と。

疑心暗鬼の環境に加えて、自己保身的世渡り。コンプライアンスという体のいい責任回避の言い方を変えただけ、別表現を得意とするチーム。 これでは、スリーアウト、チェンジだ。 民主主義の原点とは何だ? 耳を傾けることだ。それが欠落しているなら、どこかの近隣に位置する専制国家の体質と同じだ。

実際の野球でも、表・裏があり、攻撃の打点を上げることだけでは試合とならない。守備の時に味方のエラーをもカバーするような、失点を最小に抑える、自分の守備範囲外だから知らないなどが起きないような、思いやるあるチームプレーがあってこそ、試合の醍醐味となる。プレーヤーも観客も惹き込まれる。監督が試合を見ずして、球団オーナーやフロントだけを見ているようであるならば、ろくな試合にならないだろう。そんなチームを作ってしまった責任は選手にあるの? 監督とコーチだろうに。

生命体はデジタルではない。御嶽山や阿蘇の噴火を見れば、地球自体も生きているのがわかる。土の下には何千度という溶岩が眠っている。それでも地面に立っていても火傷なんてしない。人間という地球、宇宙の、ちっぽけな1生命体にすぎない。一生という、唯一無二の機会だ。一人で大きくなってきたのではない。親がいて、周りの支えがあってのことだ。今でもたくさんの人間に支えられてもらっているから、存在できるのだろう。感謝の思いをもちこそすれ、驕る平家は久しからずだ。

 

 

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よくわからない

2014-11-27 | Weblog

小学校から三権分立ということを勉強する。さらには、犯罪者など裁判にかけられ刑が確定されたとかを報道される。にもかかわらず、再三再四、一票の格差や違憲判決が最高裁で下ったということが報道されても、行政府や内閣、与党、総理大臣が特に何をするわけでもなく、司法が下した判決に従う気配もないし、従わなくてもいいような参考意見程度かと錯覚する。こんなことがまかり通るならば、みんなが裁判所の判決になど、おとなしく従わなくてもいいじゃないの。国民だけに身を切るだけの改革などいらない。よくわからない。

アベノミクスという造語。おそらくだけど、海外でこのことを演説するにあたり、海外では特段、持ち上げていない事柄と思っている。国内だけで、この単語ばかり先行しており、そんなに特別なことでもぶち上げたのかと思ってしまうが、ようは紙幣の流通量を多くして、公共事業を従来通りに増やしてきているだけだ。造幣局の印刷だけ増やしたところで、それが国民に回ってくるわけないし、税金だけを使っての仕事にぶらさがっているところは潤うだけだ。これだけのことを通用しない言葉、アベノミクス、アベノミクスと叫んでいるだけで、世の中、それほど良くなるほど簡単なことじゃない。これだけで良くなるなら、今までの内閣でもトライしただろうに。よくわからない。

選挙。アベノミクスに対する評価ということが争点なら、ほとんどが実感できていないだろうから自ずと答えは、NOとなるのだから、自民に厳しくならないといけない結果でないとおかしいが、実際は、投票率の低さで(60%もいかないだろうが)、同じことの繰り返しとなるのであろう。特にわからないのが、比例復活当選なんていうものがあって、ゾンビのごとく、一度はふるいにかけられ、落選という第1の矢を突き付けられたのに、復活の第2の矢でもって、めでたく再浮上してくる仕組みなんて、おかしいんじゃないの。よくわからない。

消費税8%の時もそうだったが、5%から8%ゆえ、その差は3%なのにあたかも8%そのものが引き上げられるがごとくのたきつけよう。今回も10%というものの、すでに8%だから、その差は2%。そのかわりに、いろいろな形で国民へ還元される明確なものをはっきりと示してくれるのであれば、少なくても現状より、ましになるのであれば、そちらを選択するだろうに。なんかわざわざ、2%を取り下げることで、国民に恩を売るがのごとく、まやかしの政争の具に使われている気がするが、よくわからない。

 

 

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禁止事項ばっかり。

2014-11-26 | Weblog

大阪府?大阪市? いずれかが、公園のボール遊び禁止を見直そうと議論しているとのこと。公園などで、立て看板が必ずあり、ほtんどが、あれをしてはいけない、これをしてはいけないの、禁止することばかり書いてある。一体なんのための公園なのか? 子供にじっとベンチで座っていなさいとでも言うのか? 子供たちのはしゃぐ声が、国の勢いを作るのに、無邪気な行動を抑制ばかりしていても仕方ないではないか。全く面白くない、楽しくない、子供たちの毎日になってしまう。

それも仕方ないかと思うのが、世界の国別人口密度ランキングで、日本は公式というか、たてまえ上は、21位。ただし、これは、人口が127156000人という数字を、国土面積の377915平方キロメートルで割った計算値。実際は、国土の7割が山ゆえ、3割となると、113374平方キロメートル。これで割ると、人口密度の336人が、一気に1125人まで跳ね上がる。もちろん各国の数字も、実際の住める有効面積で計算するべきだろうが、ちなみに、この1125人の人口密度という数値は、第5位のバングラデシュに匹敵することになる。

日本は世界でも圧倒的に、狭い土地に、人口が密集していることになる。そうであれば、みんなが肩を寄せ合って、というか、ひしめき合って暮らしているのだから、禁止事項ばかりが先行する状態であっても致し方なしという側面があるのもの否めない事実であるが。

しかしながら、日本という国は、こんなにも狭小というより、最たる人口密集国であることを、もっと強調して国民に知らしめて、どういう風にすれば、より快適になるのかという観点を、もっと大きな視点、というか、根本から見直すことべきだろう。小手先のミクロなことの積み上げだけでは、つぎはぎだらけのパッチワークに終わってしまう。もう一度繰り返すが、恐らく、東京を含め、都市部に限れば、さらに密集度が上がるゆえ、こんなにも、ぎゅうぎゅう詰めの国なのだということを、客観的に示してもらいたいものだ。

イギリスなどは、一番標高が高いところで、数百メートルだったと記憶しているし、オランダに至っては、95%以上が平地となっている。単なる山を含めた、国土面積の絶対値が大きくても、住めない土地が多くては、どうしようもない。生まれかわるとしたら、広大なエリアを有する国に生まれたいと考えている。USAなど、コロラドあたりは、標高2000メートルあたりの、ずっと平地が続いており、高度6000メートルを飛行している航空機が近くに見えるから不思議だ。

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完璧でなくてもかまわない。

2014-11-25 | Weblog

女子プロゴルファー横峰さくらさんがスランプで不調だった。それを、新婚のご主人と一緒に乗り切っった。確か、ご主人もサッカー選手で、欧州でプレーした経歴があったと思っている。自分自身のプレーしている中で、努力とポジティブthinkingの二つだけでは、どうしても乗り越えられない壁があると認識して、自分自ら、OKラインという考え方を編み出すにいたった。その考えを、さくらさんの不調時から採り入れて、再度カムバックに成功したとのこと。また例年からはUSAツアーに専念して挑戦するにまでいたったとのこと。

小生の学生スポーツの頃は、努力に、ポジティブな考え方、それに加えてストイックな環境に身を置くという志向が強かった。努力、ポジティブの、この二つだけでなく、ストイックを加えた三つでも、どうあがいても克服できないものだ。あまりに強く、完璧といったものや、第1位というものにこだわることによって、もうだめだとか、にっちもさっちもいかない所へ追い込んでいきがちだ。なんとなくであるが、欧米でもアジアでも一流選手は、それなりの過酷なトレーニングをしているが、どこかに楽しんでいる風情も併せて感じさせる。日本の場合は、それが悲壮となる。よく目にする光景が、マラソンのゴールで、日本人選手の場合、ゴールと同時に、性も根も疲れ果てた中で、倒れ込むが、その前にゴールしている外国選手は、そんなことがない。

ひたすらストイックな環境に身を置いていても、強い相手には勝てない。そんなことを学生時代に何回も経験してきた。

OKラインという考え方について詳細を知っているわけでない。推測するのは、達成感のハードルを低くするだけでなく、どこかに楽しむというファクターを同時に採り入れているということではないのかな?と、身勝手に解釈しているだけだ。もっとも、生活というか、人生というか、基盤がしっかりとしていないと、どうもこうもない話だが。

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また最後まで見てしまう映画(佳作)があった。

2014-11-22 | Weblog

『1枚のめぐりあい』 という邦題がつけられた映画だ。戦場で拾い上げた1枚の写真のおかげて、奇跡的に命を失わずに済む。帰国後、その写真の女性を探して、恋愛に発展するストーリーだ。米国人曰く、『ハリウッドムービーは、現実の米国での生活と180度異なるので、すべて夢物語だ』 と、言う。そうなると、この映画はあくまでも非現実的な、ファンタジーとなるが、あまり内容を理解せず、始まってから、自然にラストまで見てしまった。そういう意味では、観ているものを惹きこむ魅力をもった映画と言えるだろう。あくまでもストーリーの主題は2人の恋愛ストーリーだろうが、自分は、『男気』 をみてとった。米国人の中にも、こんな高倉健みたいな奴がいたんだ、と思わせた。

その意味だけから考えても、確かにファンタジー、非現実的なのかもしれない。現実に米国で、こんな物静かな、クールな男性などみたことがない。約束は守らず、ケチで、おしゃべりで、それも悪口ばかりときている。わがままだし、悪い意味で、他人のことはおかまいなしといった具合だ。

たまたま、今回の日米野球。試合後の、選手が引き上げた後の、ベンチの写真があったが、日本側は開始前のきれいな状態のように、片づけられている。一方、アメリカ側は、まるで、ゴミ箱状態。空き瓶、空きペットボトル、つばのはきだめ、ゴミの放りぱなしなどなど。足を踏み入れたくない状態だ。

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何かが欠けている?

2014-11-20 | Weblog

もう40年近く前のことになるが、働いていた会社のオフィスは、カーペットが敷きつめられ、デスクとデスクの間には、1mから1.5mの丈の観葉植物が配置され、すべて社員のデスクは間隔を開けて置かれているので、隣と肩を並べるということはなかった。タイムカードもなく、自分自身で手書きする。仕事で日系の一般の会社へ訪問するが、ほとんどが灰色のスチールのデスクが所狭しとぎゅうぎゅう詰めに並べられている。フロアは無機質な素材。おそらくだが、オフィス内の人口密度は、4,5倍程度は少なく見積もっても違っていたと思う。外出先を書き込む、雰囲気となじまないボードなどもない。当時から会議と言えば、OHPプロジェクターを使って、少し薄暗いぐらいの照明の中で、進められる。良い環境だったと思う。こうも日本の会社と違うものかを実感していた。

友人のほとんどが、日本でいうところの大手の有名企業だ。長年にわたり、頑張ってきたゆえに、なんとなくの情報だが、どこも面倒見がいいらしい。まさにその点が、さすがと思えるところだが、それまでは徹底的に会社人間を貫いてきたのだろう。

改めて、働く意味合いとか、人生とか、生き方とか考えさせられる。考えたところで、何も生まれるものはないとわかっていても、それでも考えてしまう。

幸福に思う度合いって、どんな風に実感しているのだろうか? 大学時代の仲間と、ほんの数回だが、会った時、なんか話がかみ合わない。なんでだろう? 話しをしても、はずまない。面白くない。例えとしてはおかしいが、専業主婦とワーキングウーマンぐらいの違いを、男性同士ではあるが、感じてしまう。自分の方がおかしいとは思うが、どうしてこんな風に変わってしまったのだろうか? 目標の置き方が違ってしまったのだろうか? 

今からできることはなんだろうか? 可能性は限られているだろうが、その中で、やはり自分の力で荒波の中を突き進むしかない。 正解はわからない。 一生、悟りなど来ないのだろうが。

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一体、全体?????

2014-11-19 | Weblog

これは自分の個人的見解だが、プロ野球、日本ハム・大谷選手の2刀流の起用に反対するものである。例えば、今回の日米野球では投手としての出場で100マイルの球が飛び出すかどうかの1点に話題が集中するのを見ても、彼に何を期待しているのかは明白だと思うが、いかがなものか?

突然の衆議院の解散。理屈はいくらでも並べられるし、それが一応の大義になってしまうが、無用の選挙には変わりなし。話題になった議員たちの不始末も、再当選することで信任を得ましたということになってしまうのだろう。はたまた80議席落としても過半数を維持できるので、国民の信を得たとなるのなら、なんとハードルの低い、都合のよい理屈なのか? 80議席も落とすことはないのだから、もう結果までわかりきっていることになってしまう。解散についてなんら決めていないから、帰国翌日には解散となるのだから、即決即断で、全ての事柄、例えば議員削減についても、同じように即決してもらいたいものだ。消費税も8%から10%へ、その差は2%だけなのだから、そんなに大騒ぎする必要もなかろうに。18か月後ろへずらすという後回しも、五十歩百歩としか言いようがない。その裏返しの国民へのプラスに働く施策については、なんら具体的に示されない。本当にどうなっているのと問いたい。自民以外に魅力的な党がないから、しかたなく自民へということは止めてもらいたいし、はっきりNOの意思表示を国民に求めたいが、それも叶わぬ妄想となろう。73歳の一応の定年設定に異議を唱える議員もいる。自分たちだけ都合よく、高給で、1等車で、何百万の経費付きで、政治家という商売になると、お金持ちになれるという制度自体が間違っているだろう。デフレ脱却の出口まで来たというが、周りを見渡しても、誰一人として良くなったという輩にでくわさないのは何故? まるで、見たこともない視聴率調査と同じレベルでコメントしているみたいだ。キツネにつままれたというか。

おきまりの専権事項という言葉。出処進退は自らの判断というコメント。はたまた、いつもテロップを確認しなければ、何を言っているのか、そんな単語があったのかと思ってしまうような、2度と使わないだろうという難しい言葉までが出てくる。政治家さんたちは、ゴマカシのプロ集団だ。

沖縄の知事が変わろうが、平気で問題なしと言いきる、国民の意思を無視していて、信を問うもあったものじゃない。一体、どっちを向いて仕事しているの?

己自身も一体全体どうなっているのだろう? 大学の頃に漠然と想像していた生き方と、かなり違う人生となっているが、自分というエンジンが、どういうシャフトを伝わり、どんなギアが切り替わり、クランクで90度向きを変え、ホイールの回転をもたらしてきたのか? トランクに荷物を積んだ状態で、さらに旅を続けなければ。まだまだ高速を降りたり、パーキングで止まったりはできないことを覚悟して、引返すことがない一方通行の走行を続けていこう。

 

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想定内のことばかり

2014-11-18 | Weblog

あるサッカー関係者の言葉だが、日本のサッカーの戦い方が面白くないとの事。なぜか? 想定内のプレーばかりで、想定外のプレーが少ないからだとも言えるのではと思っているとのことだった。確かに、サッカーに限らず、日本の指導者は、自分の学生時代の経験からでも、そういうことをやってはいけないと言ったことばかりを教える一面があり、意外性がなくなってしまう。おそらく、指導者が、ありとあらゆるプレーを見てきていなかったからでないかと自分は思っているが。テニスの錦織選手のドロップショットにしても、彼がやるから認められるのであって、学生時代にあんなスタイルをやろうものなら、もっと基本に戻れと言われるに違いない。

70歳の工場長に80歳の営業部長で元気のある会社、残業ゼロの会社、女性を多数活躍する会社など、あくまでもマイナーで、想定外に位置付けられる。想定内のことしかできない会社など、くさるほどあり、それが大勢を占めるようでは活気も活力もロイヤリティも育たないだろう。

想定外のことが起こるのが普通なのだ。想定外をどんどん作って、採用するような深い度量が欲しいものだ。会社経営に限らず、政治に関しても、同じようなことが必要だと思うが。

意図的なサプライズはサプライズでなく、想定内の事象だ。インターネットを通じて、世界中の一流選手のプレーを見続けると、自分が今まで教わってきたこととは違う、想定外のプレーの連続だ。もちろん基本というものは存在する。しかし、想定外のところへプレースメントしていかないと勝てないし、そのための通常とは異なる練習なども必要だと気づかされる。

普通の事だけを行う、出ようとしない杭ばかり。こんな世の中じゃ、サッカーのひとつの試合未満で、ワクワクすることが誕生することなど期待できない。

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このことを言いてぇ。

2014-11-14 | Weblog

最近、若手芸人だけでなく、少し悪ぶりたがりの評論家までも、食べたい→食いてぇ、見たい→見てぇ、やりたい→やりてぇ、やたらめったら、この『てぇ』を使うことに腹が立つ。おれは気取ってなんていねぇ、とでも言いたいのだろうが、決して耳障りのよい言葉、響きでないことを、TVなどで、全国に流れることを業としている者たちは、自覚するべきだし、逆に敢えて使わないぐらいの気構えを持ってもらいたいほどだ。ずばり言うが、品がない。その言葉を口にする者の顔までもが品に欠けるように映る。なんとか伊代の旦那さんなど、十分に自覚をもってもらいたいものだ。こういう言い方をするからといって、庶民派だとか、身近な親近感を感じさせるとか、思っているのであれば、そんな気遣いは一切無用で、多少、右翼型ともとれる軍事評論家、経済評論家なども、そういう言い回しをするからといって、俺は単刀直入にモノ申す人間だなどとアピールする必要もありませんから。そんなところで、俺は男だなどと見せつけたところで、なんらイメージはアップしないから。

先の米軍の指揮官、『東洋人の命は、西洋人の命より安い』と言った将軍は、ウェストモーランドという、アメリカ陸軍大将だ。こんな考えの持ち主が全部隊の指揮権を持っていたのだから、あきれてしまう。極論を言えば、心根はヒトラーとなんら変わらないと言ってもさしつかえないのではないか。(もっとも過去の話のひとつにすぎないと言ってしまえば、それまでのことだが。)韓国も、同じ民族が、結局のところ、当時の大国の思惑で身勝手に分断させられたことを、もっと朝鮮民族の中で、国土を取り戻すという方向へ、そろそろかじ取りをすべき時にきているのではないか? 他国へ向けるエネルギーを、もっと同じ言語を話す、国内問題として、大胆に取り組むべきではないのかと懸念する。

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怒りを抱く気力さえ失った??

2014-11-13 | Weblog

ベトナム戦争時の米軍の指揮をとった元将軍(大将)が、こともあろうに、「東洋人の命の尊さは西洋人より軽く、東洋人自体が命を大切に考えない」 と堂々と表明していた。その人物の名前は改めて紹介するとして。まるで東洋人という人種は、勝手に増殖を繰り返すが如くの発言までしている。別の米国人は、ナパーム弾やクラスター爆弾で、無差別爆撃することにより、どのような被害をもたらすかを予想はできたがゆえに、逆に結果を詩う、見ることから逃げていた、あえて結果に近づこうとはしなかったと反省している。共産主義自体やイスラム教そのものに罪はないのだろうが、そうかといって全てがアングロサクソン系の欧米流の考え方が正義ではないことは確かだ。冒頭のように考える白人が指揮を執っているのだから、東洋人の命をなんとも思っていないだろうから、良識どころか、一体だれに、何を教えてもらってきたのか、人間そのものを疑ってしまう。ベトナム戦争で家族を失ったり、負傷したりした者たちは、何のために、誰のための戦いだったかを訴えるが、現地のベトナムのことと無関係に米国にとどまっている人々達は、日和見を決め込んでいる。ベトナムで他国の地で戦うことの無意味さを知ったにもかかわらず、湾岸へも突き進む。ベトナムの前は、朝鮮戦争にも首を突っ込んでいる。たてまえは共産主義、社会主義からの防衛であったにせよ、朝鮮半島も結局は分断のままだ。ソ連の空軍パイロットが北朝鮮の軍服を着て戦っていたことをひた隠しにしていたが、それもついに当事者が証拠品とともに白状する結果となっている。サダムフセインを個人的にやっつけたことは、もしかして独裁ということをなくすという意味だけからはよかった側面があるのかもしれぬが、それでもって何もかも破壊しまう理屈にはならない。ビンラディン強襲で、結着をみたわけでない。ニクソン大統領が、B-52爆撃機での北爆に踏み切った当日の夜に決断の時だったとして乾杯しているシーンがある。ベトナムからの撤退の決断にあたっては、「何人の増員派遣すれば、いつ終わらせることができる?」 という質問に対して、誰からも答えが出なくなったから、撤退となったとのこと。誤りを認めるまでに、一体どれだけの犠牲が必要だったのか。第2次世界大戦の時は、戦争犯罪者と裁かれたのに、ベトナム戦争では、大義があるから、責任者はいないというのか? 西洋社会だから、いつまでも間違った判断がなかったと言い張るのだろうか?

最近では、白人ナンパ講師まで登場してきた。そこまで馬鹿にされていいものか? 怒りを持たなくて大丈夫なの?

 

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無理が通れば道理が引っ込む。

2014-11-12 | Weblog

セウォール号の船長が懲役36年? 実質、終身刑のようなものか? それでも亡くなった高校生達の親、家族からすれば許し難いだろう。

日本の政治家、衆議院解散うんぬんが、突然出てきた。なんなのか? 正直なところ。 消費税アップも構わないが、歳出削減はしないの? 人数は減らさないの? 消費税と一緒に実行する約束ではなかったの? 公務員たちは、景気が悪くても良くても関係ないし、為替レートの変動も関係ないし、既得権をじっと抱きしめて、深く静かに潜航しているの?

無理が通れば道理が引っ込む、とは、小生が子供の頃、よく親父に言われたものだ。何度も言われたから、しみついている言葉のひとつだ。日本の流儀がわかっていない時など、無理を無理と考えていないから余計に厄介なこともある。無理も通れば道理になる、なんてことは、ありませんから。

 

 

 

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さじ加減

2014-11-11 | Weblog

テニス錦織選手の活躍はめざましいものがある。是非はともかく、スケートの羽生選手のガッツにも驚かさせられる。錦織圭選手の場合、テニスについて何を知っているというわけでないが、画面を通じてフットワークを見ていると、今回のコートの状況が性に合っているのではないかと思っている。自分自身の足をスムースに運べるし、ボールの勢いもマッチしているのではないかと。そうであれば、決勝まで進み、一気に頂点へ立ってしまうこともあり得る。

バドミントンや卓球の場合も、体育館の大きさによって、自分の打球感に違いを覚える。こういった時に、やはりいろいろな所での場数を踏んでいると、感触が違っても、違ったなりに対応していける。目の前の勝ち負けだけにこだわらず、ある程度の時間の長さをもって考えた場合は、負けることも次につながっていくと考えれば、少しは気楽に臨めるものだ。

さじ加減という言葉。日本語として、日本風土として、非常に良い響きと意味のある言葉と思う。別の言い方に変えるならば、遊びがあるということにも通じると思う。人間はデジタルでないのだ。いいことも、わるいことも、その中間のことも、途切れなく、境目なくあるものだ。川の流れも決して、直線、直角ではないのだ。そこにこそ、人間味、人情が存在するのだ。

中国が抗日を表現するような施設を作ったり、韓国と連携を模索したり。さっくりで言えば、古今東西、戦争というものには、非情なことがつきもので、自分の足元で世論弾圧を行っていることをさしおいて他国の非難を繰り返すことには辟易してしまう。原爆投下に対する欧米人の大義や理屈も決して納得できるものでない。大量殺りくには違いないのだ。外国にはさじ加減というような風流なことはないのか?Reasonableも行き過ぎると、単なる、へ理屈、こじつけ、自己主張だけのためのものになり下がる。あくまでも人の為は偽りで、どこまでいっても自分の為だけしか残らぬというのが、世の中の真理などと信じたくはないが。

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不可解、解せない。

2014-11-07 | Weblog

アジア大会、水泳会場での事件。妙な具合だ。心理面から考えると理解できなくはないが、平静時であれば、どういう状況であれ、そのまま持ち帰るということはしないのではないかと思うが、真実解明に向けて、引きずりそうな雰囲気も漂う。

自分自身のことで、本当に小さな時のことであるが、いまだにトラウマ的な出来事、自分の中では事件のことがある。「これは3人の共有物。しかも秘密だ。」と約束していたことを、自分だけ裏切ったのだ。それを独り占めしたくて仕方なかった。水道工事屋かどうかわからぬが、珍しい工具を置き忘れていったみたいで、それを3人で隠していたものだ。いまだに忘れられない。

昔、F井総研の、人材紹介セミナーへ出席したことがある。その時、講師が言っていたのが、「人材紹介業者のコンサルタントは、ほぼ100%といっていいぐらい、雇う側の企業にほうばかり向いており、必死に求職をしている側のことは頭にない。」と言い切っておられた。その講師の方は、せめて50%ぐらいは振り向いてもらいたいと思うが、おそらくだめだろうとも言われていた。実際、小生の経験からも、全くその通りと実感する。コンサルタント段階でブレーキをかけられてしまうことが、ほとんどだ。その先の企業へ、ダメ元での紹介すらしてもらえない。そう考えた場合、雇う企業と前職で同業にいないと、言い方を変えるなら、ライバル会社の経験がないと、おいそれとは次の段階へ進めてもらえないということになる。そんな、どんぴしゃな紹介であれば、これも素人だって間に入ることができる。プロフェッショナルコンサルタントなど、おこがましくて名乗れないだろう。こういったところにも、この国の閉鎖性というか、拡がりのなさ、創造性の欠落を感じ取ってしまう。こういうケースでは、求めている企業名をつかむチャンスがあれば、自分の力で売り込みをかけるぐらいの積極さも必要だ。間に入る人間が、何もアクションしないのだから、それもありと割り切ることだ。しかもコンサルが若いと見受けられる時は、「一体、人生の何がわかっっているのか」 と、胸ぐらをつかみかかりたくなるよ、本当に。

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税金で成り立っているのに。

2014-11-06 | Weblog

国道沿いを歩いていると、数名の警察官が、ひとりは大きなフラッグを持って、時折、車に停車を命じて、なんやら販促切符を切っている模様。なんの違反か定かでないが、恐らく携帯を使っていたとかの類だろう。

そうかと思えば、裏の路地的なところで、朝方は9時までは進入禁止の所で、わざわざ入ってきた車を、やはり5名ぐらい寄ってたかって止めている。

数十年前のことだが、高速道路の真ん中で、旗を振って、本線車道進入違反で切符をきられた。そうなることが予想されているから、そこで網を張っていたのだろう。

同じく夕方の西陽で、車線が良く見えないところで、あわてて右折するので、右車線に入ったら、そこでも同じく待ち構えていた。そんな特殊な時間帯に張っているのだから、やはり、その時間帯の特赦な事情まで、予想してのことと思う。

軽微な違反をどうのこうのというわけでないが、こんなケーズは、どれをとっても釈然としない。もっと迷惑をかけている違反をどうして取り締まらないのかと比較してしまう。

ある若者が警官になりたい。その理由は? 権威をもって、堂々と人をたしなめることができるからと言った者がいた。

やはり数十年前のこと。日本刀を持ってこれから人が訪ねてくるのだが、と、相談に行ったところ、事件の発生前には、何もできないとけんもほろろに断られた。何十年も前であれば、今よりは多少、人情があった時代と思うが、その頃であってさえも、こんな調子だから、今ならなおさらだろう。報道される事件でも、相談に出向いていることが事前防止策になったとついぞ聞いたことがない。

違反者を検挙することが目的なのか、違反が出ないようにするには、なんか手はないものかと工夫するほうが大事なのか。本末転倒のところがあるようにも思うが。

もっと地元や、その町、地域で暮らす住民と、殻を脱いで、悪徳保安官とは正反対の善良庶民警官さんのような人はいないものか?連日のように、行方不明者や傷害、殺人事件が報道され、現場にレポーターとともにプロファイルするべくコメントを聞くが、素人でも、それぐらいは考えるけれど以外の、シャープな予測をほとんど耳にすることがない。航空機事故の際も、評論家が多数、出てくるが、その結果、分析が見事的中ということにも出くわさない。あのマレーシア航空機はいったい忽然と、どこに消えてしまったのか? 燃料満タンだったら、ここまで飛べるとか、そんなことはTV局スタッフでも計算できることだろうに。

フランスの子供の数が増えている。スウェーデンでは原子力発電撤退を決定。米国は人口が驚異的に増加傾向。銃容認なども問題もあるが、安楽死や、多様な価値観を容認する地方自治を認めている。圧倒的な数をノーベル賞でもスポーツでも誇る。人口比以上の実力差を見せつける。

1円円安になるだけで、某企業は4百億円利益が出るとのこと。企業や既得権益者だけを優遇、保護して、借金漬けから脱却できないやり方が歓迎される、おかしな国がある。

 

 

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