最近、若手芸人だけでなく、少し悪ぶりたがりの評論家までも、食べたい→食いてぇ、見たい→見てぇ、やりたい→やりてぇ、やたらめったら、この『てぇ』を使うことに腹が立つ。おれは気取ってなんていねぇ、とでも言いたいのだろうが、決して耳障りのよい言葉、響きでないことを、TVなどで、全国に流れることを業としている者たちは、自覚するべきだし、逆に敢えて使わないぐらいの気構えを持ってもらいたいほどだ。ずばり言うが、品がない。その言葉を口にする者の顔までもが品に欠けるように映る。なんとか伊代の旦那さんなど、十分に自覚をもってもらいたいものだ。こういう言い方をするからといって、庶民派だとか、身近な親近感を感じさせるとか、思っているのであれば、そんな気遣いは一切無用で、多少、右翼型ともとれる軍事評論家、経済評論家なども、そういう言い回しをするからといって、俺は単刀直入にモノ申す人間だなどとアピールする必要もありませんから。そんなところで、俺は男だなどと見せつけたところで、なんらイメージはアップしないから。
先の米軍の指揮官、『東洋人の命は、西洋人の命より安い』と言った将軍は、ウェストモーランドという、アメリカ陸軍大将だ。こんな考えの持ち主が全部隊の指揮権を持っていたのだから、あきれてしまう。極論を言えば、心根はヒトラーとなんら変わらないと言ってもさしつかえないのではないか。(もっとも過去の話のひとつにすぎないと言ってしまえば、それまでのことだが。)韓国も、同じ民族が、結局のところ、当時の大国の思惑で身勝手に分断させられたことを、もっと朝鮮民族の中で、国土を取り戻すという方向へ、そろそろかじ取りをすべき時にきているのではないか? 他国へ向けるエネルギーを、もっと同じ言語を話す、国内問題として、大胆に取り組むべきではないのかと懸念する。