桜の開花予想、天気予報、普通のNHKニュースなんぞに、若かりし頃は全く興味を持たなかった。遠足や運動会の前日ぐらいだけだった。最近、大学の卒業式で、袴姿の女子大生がたくさんいる。自分の大学生の卒業式は、神戸の六甲台には、法学部、経済学部、経営学部の3学部が集まり、卒業式となるが、文学部や教育学部は別ゆえ、女子大生が圧倒的に少ない。いたとしても、袴姿ではなく、普通の振袖か、洋服が多かったように思うが。いずれにせよ、六甲台の講堂には、3学部の学生全員は入りきれないので、スーツ姿で、外でブラブラしているだけ。そのうち、学生掛へ行って卒業証書をもらってこいとなって、それをもらいに行くだけだった。学生の親御さんも来ているところもあったろうが、少なくとも、小生の友達には、親が来ている者はいなかった。
高校の卒業式は、なぜかわからぬが、荒れていて、卒業式という名前がどうとかこうとか。結局、卒業証書授与式となり、それに沿って、単に証書を受け取るだけ。仰げば尊しの歌も歌うことは反対され、そのような楽曲は一切なし。無味乾燥なものだった。それ以外に全く覚えていない。
中学校の卒業式も小学校の卒業式も、どんな情景だったか全くもって、その情景が浮かんでこない。頭が、次の進学先のことだけだったのか、全く蘇ってこない。
大学卒業後の企業研修合宿先で、風疹にかかり、何日間かそこで一人で高熱にうなされている時間を過ごさなければならないことになったのだが、その時に、一部の記憶が消去されたようなことがあったように思えてしかたない。まあ、それがあろうとなかろうと、卒業式の記憶が極めて、頭からけされているというのはなぜだろうか?
自分にとっては、感動も感慨も、色気や思い入れがまったくない、無味乾燥でしかなかったようで、なんかむなしい、さびしい、というか、今の情報社会で流れてくるような、一つの区切り、新たな旅立ちめいた、イベント的なものがまったく蘇らない。本当にそんなものはなかったんだと思うしかない。
今年は、ある大学の歩道を歩いている、よくアメリカの卒業式で見かける、黒い平たい帽子の端になんか紐のようなもの、ひっぱったら蛍光灯でもつくのかと思われる紐のようなものがぶら下がっている帽子に黒いマントといういでたちの男子学生を二人見かけた。どちらも両親らしき人も同伴していたが、なんか日本には似つかわしくないし、学校の外でも、そのような格好をひけらかせていrのが信じがたいというのが、正直な思いだった。まして男やろという、古い思いがよぎっただけだ。