現代今昔物語―自分流儀。伝承。贈ることば、子供たちへ。不変のストーリー

我が息子と娘へ伝承したいメッセージをというのがきっかけで、時代が違っても考えかたは不滅といった内容を新世代達へ残したい。

なんでも品質はやめよう

2015-06-27 | Weblog

以前、シンガポールで、1000円、2000円レベルで買った商品で不具合があったにせよ、そんな安い金額のものの返品など応じず、新しいものを買いなさいと突き放すトークが通用するマーケティングだと教えられたが、その当時は、単にうらやましいなあと思った程度だったが、最近、日本で、お客様だから、顧客だから、消費者だから、買った製品に責任あるだろうとか、すべては品質だとか、とにかくこの国の過剰な品質第一主義に洗脳されていて、とにかく品質といえば、水戸黄門の葵の御紋がごとく、すべての主張を押し通すことがまかり通ると信じ込んでしまっている、日本人の心理が、ほとほと嫌になっている。

100対0、all or nothing, 完全主義、完璧主義、白黒をつけたがる、そんなことはこの世の中にないのだから、少しはクールに、頭を使って考えようし、もう少し人間としての幅、余裕、allowance を 広げないとだめだ。

前にもかいたが、なんでもかんでも24時間。こんなことを敢えてやめていこうよ。

日本では、5000円以下のものなどは、ある程度、あきらめも必要ぐらいの自覚を持つべき。

それとこの国は自己責任をもっともたせなきゃ。

その代わり、役人の数も議員の数も、ドラスティックに削減。

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最近のたかが。。。されど。。。

2015-06-25 | Weblog

B級グルメなどで、たかがラーメン、されどらーめん

などといって、、やたらなんでももちあげるが、この風潮が好きではない。

たかがは、たかがで締めくくって、それで終わりやろ。

あえて使うのなら、たかがフランス料理、されどフランス料理、てな使い方をするべきやろ。

この違い、わかるかな。わかってほしいけど。

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太平洋と大西洋

2015-06-21 | Weblog

学校では、教えてくれなかった。太平洋は英語でパシフィックオーシャン、パシフィックとは穏やかなという意味とのこと。マゼランがここを航海した時に嵐とかに遭遇しなかったことから、このように呼ばれたそうな。それを日本語へ翻訳した時の呼び名が、太平な海(洋)となったそうな。一方、大西洋は、英語でアトランティックオーシャン。その英語とは無関係に、日本で、単に大きな西のほうの海(洋)と命名したそうな。それで、太いと大きいの漢字の差が生まれた。昔はこっちは点が要る、要らないとか確認した子供時代もあったと記憶するが。こんなことは小学校で教えてもらえそうなことと思うが、当時の先生方は、そういった語源とかまで気が回らなかったのだろう。そう決まったことだから、丸暗記させられる時代でもあったから。

好きか嫌いかは別にして、最初は非常に民意を反映したことを次から次へ打ち出した民主党。それでも何も変わらなかった。非常に鋭く批判した大阪の橋下市長。知事でもあった。無駄なことは排除といった期待を打ち出したが、結局は何も変わらずという結果に終わっている。あれだけのことを、あれだけの個性でやろうとしても、何も変えることができない、この国のありよう。すべては既得権者の体制側、大勢側を突破できなくて、何も変わらないということか?

東京の石原だって、なんんだかんだ自分の功績みたいなことを並べあげるが、結局は大したこともやらず、例の自分や身内のためにいっぱい使った詩と不明金の莫大さ。これ以上はやばいということで、本当のところは辞めていったんじゃないの?実際の理由はそんなもんでは?

昔、ジャイアンツのチームで、脱税疑惑が起こったが、その時、何名かは年齢や体力を理由にあっさり辞めている。その中に宮本もいたが、彼も実際は、そんなところじゃないの?今はテレビの司会者に収まっているけれど。

この世の中、何かを変えていくって、相当の壁をこわさいと実現しないということか。とくにこの超保守的、特殊社会主義国では。

自分も今までいっぱい経験させられた。そこまでは深く思っていなかったのでという理由で、結局は大勢派へくっついて離れない奴など、世の中、そういう者ばかりと思ったほうがいいぐらいとわかるのに、長い年数、時間を費やしてしまった。

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どうにかならないのか

2015-06-13 | Weblog

県営住宅を強制退去に追い込まれ、母親がまだ12歳の娘の命を奪ったとのニュース。母は、給食センターのパートとして生活費を工面していたが、最終的には家賃滞納の事態で、

強制退去の執行日に、このようなことになったという。発見者は、その強制執行にきた役所の人間とのこと。

事前に相談に行っていた模様だが、受け取り側が真剣にならなかった。当事者意識の欠如だ。

児童相談所がからむ事件などでも、もう少し、突っ込んできいていればよかっただの、この種の、あとからグダグダ言っていることばかりだ。

この国の貧困問題や対策は、決して先進国の状況でなく、途上国のものに近いらしい。

無念という言葉しか浮かばない。

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どうかしてると思うけれど

2015-06-09 | Weblog

いろいろな思いが浮き上がるが、なんか一向に自分の中で盛り上がらな気分が続いている。

よく政治家は国会の場で論議を尽くすとか最初は言うけれど、いざ国会の答弁を聞くと、とくに与党サイドの回答の内容は、どんな質問が来ようが、法律で文書化した以外にほとんど目新しい回答の答弁は出てこない。それを論戦だとか、議論を尽くすだとか言うのだろうか?

武器の使用はあ、武力行使でない。武力の武という漢字の意味は、武器類を使ってのという総称じゃないの? 武器は使用するが、相手にも当たらないように傷を負わさないよう、もちろんこちらは上手く交わして、双方被害がでないようなことができるかのような、まるでスーパーマン自衛隊でないと応戦できない。応戦はしても、交戦ではない。戦闘状態でもない。平たく言うと、戦いではないという。相手も同じ気持ちを持ってくれていれば、それでいいのだろうが。スポーツの格闘技でも、けがは付き物。まして飛び道具を使えば、命を落とすこともあり得るだろう。米国で、犠牲者は出ないようになんて言ったら、逆に『おまえはアホか』となるであろう。危険な状態にあり、死者がでるという事態も覚悟しなければならないぐらいのことを、はっきりと言いたところで、誰もそれを否定することなどできやしないだろう。

はたまた、まだ言ってる。周辺とは近くとは限らないと。子供たちに東京の周辺として、北海度も沖縄も九州もと教える大人はいないだろう。周辺と言えば、せいぜい関東程度に収まるだろう。日本に影響を及ぼすであろう、せべての地域といえばいいものを、地理的概念でない周辺なるものを、わざわざ新しく創りだす必要もなかろうに。

こんな思いを抱きつつも、なんか、ほんまにええかげんにせんかい、というものが湧いてきて、それが自身の心を折れさせるぐらいに呆れかえっているのが実状だ。

ラジオの放送大学で、大阪のある小学校で、子供に協力の力を養成したり、問題解決能力を5年6年では、養う取り組みが行われて、ホットなんとかという、大学の先生と協力をしてカリキュラムをこさえたらしいが、確かに、今は放課後の遊び場もなく、みんな塾や習い事で、また例のメールやラインで、人間関係づくりがへたくそになっていることはわかるけれど、確かに先生がた熱心に、一生懸命取り組まれていることは認めますが、なんか面倒くさいというか、子供の喧嘩やいじめに対して、話をきいてあげることは大切なのだが、そんなきれいごとではアカンやろと思う反面もある。ようは、もっとぶつかりあって、そのまさに擦れによって、実際は力がいくのとちゃうんかいと、言いたいぐらいだった。その先生はすごく一生懸命な先生なんだろうけれど、なんか理屈くさいところを感じてしまったのも事実だ。

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