現代今昔物語―自分流儀。伝承。贈ることば、子供たちへ。不変のストーリー

我が息子と娘へ伝承したいメッセージをというのがきっかけで、時代が違っても考えかたは不滅といった内容を新世代達へ残したい。

一度は考えたりしたことがある?

2014-08-29 | Weblog

何かユニークな写真をと思い、ひとつ選んでみた。自作で、1円玉、5円玉、10円玉、50円玉、100円玉、500円玉の各コインが、自動的に振り分けられる貯金箱を作れないかと考えていたら、すでに市販されているものもあり、童心に返り入手して、組み立ててみました。3種類の組立て方があって、縦長にしてみたり、横長のタイプがほうが気にいるのなら、アレンジを変えられるようになっている。基本的な構造、振り分けるための概念は、自販機のものとの類似点があるようだ。振り分けていくためには、それなりの間隔を保つスペースも必要で、本来の貯金箱とするには、かなりの大きさが必要となってくる模様だ。何か検知デバイスなどを応用すれば、省スペースも可能かもしれないが、これはあくまでも自然落下の原理で作られている。からくり箱ではないが、原始的な、メカ的な要素があり、見ていて飽きない。

 

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嫌な部分もあるが、見てしまっている。

2014-08-28 | Weblog

「朝まで生テレビ」 当初は夜を徹して熱い討論番組と思っていたが、最近は、なんか、やはり聞く耳を持たれる意見に偏りがあるようにも感じられ、また番組として結論が出ないので消化不良気味に陥る。例えば、右翼の最先鋒かと思しきY氏が、自衛隊の海外活動にはリスクはあるが、現状を看過することのほうが、よりリスクが高いと発言。それはまっとうな言い方ということで、現在の総理大臣が、そのように明確に言うべきとなりかけたが、それについては、そこでチョン。おしまい。一般の消防活動や災害救助においてもリスクがあるのだから、まさに紛争地帯に近い所での活動において全くリスクがないなどと誰も思わない。リスクゼロでないと、何も行動してはだめなどと考える国、国民であるならば、なにもアクションできないだろう。なぜ、1国のリーダーが正々堂々と、リスクはありますと発言、発信できないのか? そのような課題を提起、克服しなければ、それ以上の難しい問題を論じても、全く結論や方向性が出ないままの、「話し合いをしました」 だけになり下がってしまうだろう。深く掘り下げることができない、こんなことでいいのだろうか?

A級戦犯を含め、功があったとする行事に総理大臣がメッセージを送っていたとのこと。大きく報じられない。A級戦犯となった人たちが悪かったのか、そうでなかったのか? いくさに勝った側が、負けた側、負けた領地、領民を、どう処遇するか、古今東西、人間同士のいさかいごとの後始末として、裁かれてきているのだから、東京裁判自体の是非を論じても意味がないと考えている。戦争処理裁判に、そもそも公平さなど元々ないのだろうから。しかしながら、自国民による、自国民のための、自国民の正しい振り返りは、必要なのではないだろうか? その際は、それこそ聖域なき振り返りが大事ではあるが。誰かを守ろうなどと演出してしまうことがないようにすることが大事だが、おそらくそれは叶うまい。この世の中に、やはりフィクサーはいつの時代でも存在し、それらのご意向に反逆することなどすれば、この世から抹殺されるのだろうか? 靖国神社は、そもそも長州藩の守護神社だとか。西郷隆盛などの薩摩藩は、外されるとか。誰も頼んでいないのに、英霊として祭られているため、外してくれと頼んでも認められないとか。根本的に国民の信教の自由との関係はどうなっているのか?(強制に近いものがある。) 国家主義、国粋主義との関わり合いにおいて、いつもきな臭いものが漂い続けるのは、どの国においても、形の違いはあれ、(米国などでは、ユダヤ人との関わりなど、) 人間が同じ場所で息をするかぎり、切れない縁(えにし)みたいなものがあるのだろうか?

心の中に、井上陽水の、「いつの間にか~」 のメロディが浮かびあがる。自分自身、floating状態を示しているだけだ。同ジェネレーションの音楽家は、作詞において、どうやって感性を磨いていたのだろうか? ただ一言、「ませていた」という回答だけでは、10%埋めただけだ。

25日の夜、横浜駅の側にいた。横浜駅の周辺も様変わりしている最中とのこと。元々の横浜駅周辺の状況を知らないから、変化Aから変化Bの具体的な風景までは到達できないが。周辺の建物など、ハード面だけが変わりゆくプロセスにあると感じることができる。慣れないことをすると、帰りの電車に乗車した途端、駅と駅の間で立ち往生。別の電車で非常停止がかけられたらしい。おそらくイタズラのひとつと想像できるが。誰もざわつく人もいない。全員、何もないような風情だ。車内アナウンスも情報がないのか伝えられない。見事に、みんなアキラメを演じている。

 

 

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身体のあっちこっちにガタがくる。

2014-08-27 | Weblog

痛風というのは、こういう痛みのことを言うのか、ということを身をもって体験することとなってしまった。足の親指の根元が、正に骨折したか、骨にひびでも入ったかなという痛みと症状が出て、素人判断で『整形外科』 へ行ったが、結果は自分の思いと異なるものとなった。骨折の時に近い感じで、それなりに強烈な痛みを感じる。ピーク時は、歩けない、足を1歩踏み出したくないくらいの痛みとなった。痛み止めを処方してもらったが、そんなに短時間で効果が出るものでないらしいと感覚的にわかる。根本的な対処も、自分なりにトライしていかないとだめかなとも思う。ビールはよくないとのことだが、とりあえずの1杯だけでもだめなのかな?

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成せば成るものだ。

2014-08-25 | Weblog

オーストラリアのゴールドコーストで、パンパシ水泳が開かれていた。1964年の東京オリンピックでは、水泳は、日本陣は世界レベルで歯が立たなかった。前畑さんや、古橋さんが、世界のトビウオと言われて活躍が目ざましかったということの話だけは聞いていたが、実際の活躍は知らないし、自分世代では、せいぜい平泳ぎなどで、一人ぐらいの逸材が出てくるぐらいが関の山で、リレー、メドレーリレーなどは決勝へすら進めなかったり、自由形やバタフライなどのパワー系は、立ち打ちできるレベルでなかった。東京オリンピックで強かった競技では、体操、柔道、重量上げ、女子バレーボールなどで、水泳、陸上などは、ほとんどが予選どまりといっていいぐらいだった。その後も、これらの傾向は同じで、体操なども一時は中国が圧倒する時代が来たし、柔道も最近の傾向の通り、外国勢にとって代わられる部分も出てきている。自分たちの世代からは、金輪際、水泳や陸上では拮抗するような時代は永遠に来ないぐらいの気持ちだったというのが正直なところだ。

先のバドミントンの男子世界大会(トマス杯)でも、70年の大会歴史の中で、初優勝を飾ったし、活躍した担い手が、20歳前後の選手たちの活躍だ。今回のパンパシ水泳でも、自由形やバタフライのパワー系、しかもリレーなどでも、ほとんど金メダルに近い。米国や豪州勢と互角に競り合うのだから、立派の一言に尽きる。(大きな、あっぱれ だ。) こんな時代がくるなんて、と思ってしまった。また選手一人一人のインタビューの受け答えも、水泳選手については、いつもながら、はっきりと思いを伝えてくると、その点も感心している。そのあたりも、伝統として引き継がれているのだろう。それにしても、1日に何種目もエントリーして、しっかりと結果に繋げていく。以前には考えられなかった姿だ。ぜひとも、心技体のいずれもさらに引き継がれていくことを願う。

テニスについても、個人的にはトップランカーを輩出するようになってきたが、総合力という点では今一歩で、国別対抗のデビスカップで結果を残せるところまでは到達していない。

冬季オリンピックでも、若い世代が実績を残すようになってきており、今の10代後半から20歳前後にかけて、大したものだと思う。どうしてこれらの年代が活躍できるように発展してきたのだろうか? 個人個人の切磋琢磨に加えて、指導方法、トレーニング方法の発達が寄与しているのだろうが、それ以外に、周囲の理解度が深まり、拡がりが、情報入手の容易さとともに選手の個性的な考え、態度が尊重せれるようになったことがあるように思う。

自分自身バドミントンのプレーに関しても、従来は教科書的な本からでしか、トップの技術を学べなかったものが、さらにそれらは多分に画一的な事柄に終始している場合が多くあったが、今は、世界のトップレベルの実際のプレーそんものをインターネットを通じて映像で見ることができる。そうすると、教科書本では、高い位置で処理するように書かれているだけの内容から、実際は、床すれすれでの処理が多いこともわかるし、それらをどのように対応するのかがいかに重要かがわかってくる。ワンパターンでない、マニュアル通りには実際のゲームではそうはならないことがわかり、それらの対応について自分が納得できるところで理解できる。変則的なことに対しての理解度も深まるし、周囲も非実践的なことを言わなくなる。改めて“島国根性”では取り残されるだけと再認識させられる。いまどきの若者にエールを送るとともに、少しでも自分に採り入れられるところは、積極的にマネをしてでも活用したいものだ。

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ギャンブル依存症

2014-08-21 | Weblog

最近、日本でカジノ解禁が検討されているが、日本人の参加は、依存症に陥る危険回避のため、だめとするということを厚生労働省主導で討議されているとのこと。正直、なんか笑ってしまう、おかしさを感じるのは自分だけだろうか? なんか「お国」が親で、「国民」は子供というか、幼児といっていいいのか、外人はOKで、自国民の参加はだめ、というなら、そもそもカジノなんて開かなくていいのじゃないか!! 一体、なんのために、誰のために、実施に踏み切るの? なんか日本人は、自立・自制能力に欠けており、国家の庇護の下でないと、日々、暮らしていけないぐらい、バカにされている気がしてならない。まじめに、これらを取り上げられているのであればあるほど、その思いを強くする。

このように偉そうに述べるけれど、自分自身、依存症というか、どちらかというと、やけっぱちになって、ギャンブルのような単純なことに夢中なるしか、頭がいかないという経験はあった。俗なコメンテーターのように、自分のことはさておいて、格好つけたことだけをまくしたてることは決して好きなほうではない。そんなに自分は誇れるような人間でないからだ。

パチンコ、マージャンの類は知っているが、競輪、競馬、競艇の部類は、競馬でよほどの重賞レース以外、試したことがない。最近は、ケータイひとつで、かけられるようで、毎週のめり込んでいた人との交流はあった。その時、1枚100円からかけているとのことで、その程度の金額ならば、全然OKじゃないのと思った。ギャンブルというから、大きな額が動くのかと思ったら、結構、少額でやっている人が多いようだ。それに比べたら、パチンコやパチスロのほうが、はるかに大きな額をバンバン放り込むことになっている気がする。

話を戻すと、依存症の手前の段階というのは、自分勝手な分析では、「身の置き所が無い」 ということだと思う。それゆえ、その段階で、「置き場所」 が出来たならば、脱出も困難ではなかろう。このような事は、ギャンブルに限らず、「不良化」 という現象も同じ構造なのではないかと思う。でも、「言うは易し、行うは難し」 なのも事実だ。今の時代、スマホ依存症についても議論白熱しているが、どう上手く、消極的にではなくて、積極的に取り扱っていくかを、ポジティブに考えないと、まちがった対応策へと向かいかねないと考えている。

スマホに限らず、タブレットやPCについても、多くの人が多少、依存症気味と言えるのではないか? 自分も、その中の一人であることにな違いないと思うが、年齢層が低ければ低いほど、その傾向は毎日、見ての通り、強いと考えられる。WINDOWS 95の登場以来、飛躍的に侵食が始まった。95というから、1995年で、わずか10年、20年で劇的な状況だ。今思い返せば、その手前で、社内LANめいた、ローカルなネットの出始めの気来があり、今でいうところのメールの発信・受信の簡単なことも、目にはしていたが、さほどの重きも置かず、見過ごしていたといのが実感だ。当時は、それよりも電話のほうが早いなどとほざいていたような気がする。いちいちの文字入力でさえ、面倒だなどとも言っていたようにも思う。まったく、ノーテンキなことを、ほざいていたものだ。ハードよりもソフトが重要だなどの声を聞いていても、目に見えるハードの魅力が大きいとさえ思った。ニンテンドーのゲーム機などが、このようなネット社会と絡み合ってくるなんて、思考の視野の中に入っていなかった。ニンテンドーのゲーム機でさえ、ハードの部分はあくまでもソフトを売るための手段とよく聞かされたものだ。ほんのわずかだが、初歩の初歩の段階のプログラム作りの通信講座を取った時に、たとえば、COLOR:GREEN などと打ち込み、画面が何故、背景が緑色になるのかもよく理解できていなかった。あくまでも例題としての、コマンドのひとつ程度の理解にすぎなかった。

WINDOWS98の頃からか、徐々に仕事の中での、関わりめいたものに接触しはじめたのは? それでも、当時の名刺などを見てみると、住所、電話番号、FAX番号しか印刷されていないものが、ほとんだ。ケータイを保有するも、限られた人にしか番号を知らせず、「非通知」 派だった。今とは真逆の状態だ。「なんで電話番号を教えなきゃならないの!」 のごとく語ったとしても、それほど馬鹿にされることもなかった。今、こんなことを言う人はほとんど存在しないし、電話番号からアドレスに変化しているし、接続方法も多岐になってきてしまった。世の中、特に日本などは保守的で何十年経っても進歩、変化しない気質部分がある一方で、この分野においては、次から次へと新システムが登場している。格安スマホが、不動産会社から発売され、賃貸契約からインフラ連絡先までのアプリが最初からセットされているとのこと。いつも考えているのだが、コンビニの数は、たかだか5万店舗、6万店舗程度であり、日本の場合、美容室は35万店舗を超える。どうしてこのネット網を利用しないかがわからない。ソフト全盛とは言え、ノーベル賞(経済分野)にビルゲイツがノミネートされるようなこともあるのかな。  

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日常、睡眠

2014-08-20 | Weblog

約40年前、かぐや姫時代の伊勢正三の作詞作曲に、「置手紙」の歌がある。「君はまだたくさんの紙袋をかかえたままで、この手紙読んでいるだろう。」 アメリカ映画では食料品の買い出し時の、紙袋はよく見られるシーンだが、当時の日本でも、ポリ袋でなく、紙袋だったか定かでない。

小生のほうは、「たくさんのゴミ袋をかかえたままで」、ドアノブや、傘立ての柄の部分に、必ずといっていいほど、引っかかりながら、これぐらい、かかりが良ければ、魚釣りの時なら百発百中だ。時には、スーツの上着の裏地がひっかかり、嫌な音を聞いた後、ほとんど気づかないぐらいであっても、ほつれてしまっている。同じ事を2度3度くりかえした時には、裏地の縫い目はぼろぼろに。

ゴミを分別させられているが、いかにプラと表記されているものが多いかに気づかされる。こんなことはどうでもいいのだろうけれど。不燃ごみの定義がいまひとつわからない。布物、くつ、瀬戸物、ガラス、有料袋に入る大きさであれば、電気製品でもOKらしい。それゆえ、分別の判断ができぬものは不燃と考えるようにしている。ドイツのように、ペット容器などの回収機から、硬貨やクーポンなどが返金されるようなしくみだと、もっと楽しくなるだろうに。

約30年ぐらい前だろうか、「笑っていいいとも」の司会者が、「自分は眠れようが、眠れまいが、全く気にしない。何時間寝なきゃとか、考えるから逆に寝付けないのであって、人間は自然と睡眠できるようになっているので、起きたい時は、ずっと起きてて大丈夫」 と言っていた。当時は、そんなものかと思ったが、暫くの間、熟睡したと思われず、ようは睡眠があさいなと感じながら、さらに、そのあさい睡眠時間も4時間程度といった時が続いていた。なんとなくではあるが、ここのところ、「眠いと感じたら、そのまま寝よう」 ということを続けていたら、以前よりは、逆に睡眠の深さを多少、とりもどすことができてきたような気がする。眠る、寝るということに、意識を向けないというか、多少、このことに無頓着になるというぐらいでいいのかなと気づきはじめた。

若い時分は、当然のことながら、睡眠がどうのこうの神経質になることはほとんどなかろう。おそらく40代ぐらいから、なんとなくこだわりを持つのかなとも思うが。人生において、おそらく煩悩に悩まされるぐらいから、神経質な領域に足をつっこんでいくのだろう。 

19歳の終わりごろから、歌の歌詞にもあるような、3畳1間のアパートでの一人暮らしを始めた。引き戸1枚を開けると、くつぬぎ場が、50cm程度あるだけで、すぐに畳。それも3畳ぶんだけ。布団を収める押し入れがあり、あとは小さな流しと、ガスコンロがひとつだけ。アパートのトイレがどこに位置していたか、全く思い出せない。風呂は近くの銭湯に行っていた。50ccのDAX HONDAの原付をアパート前の狭い路上に晴れの日も雨の日も停めていた。神戸市灘区篠原本町?、中町? 住所を忘れた。水道筋?という商店街があったと思う。商店街には場末の映画館的な映画館があり、3本立てなど見に行った。スピルバーグの「激突」も、この時に観た。アランドロン、マルチェロマストロヤンニ、チャールズブロンソン、ポールニューマン、フェイダナウェイ、スティーブマックゥイーン、アリ-マックグロウ、ライアンオニールなどなど。エアコンなどない。扇風機があったかどうか覚えていない。洗濯はコインランドリーに行っていたように思う。2年弱のことだが、よくもこんな暮らしをしたものだ。夏の暑いときは、どう凌いだのだろう。はっきりとした記憶がないのだ。おそらく、部屋の中には居なくて、どこか外へ出ていたのだろう。窓は、流し台の所にあるだけで、窓を開けると、すぐ壁が迫っている状態で、日当たりは悪かったから、直射日光の影響はなかったのだろう。外の廊下からドアの下のすき間を通って、ゴキブリが来ることもあった。3畳分のスペースを回られてしまうから、完全にやっつけてしまうまでは安眠などできるわけがない。約2年間の実家を離れての、一人暮らし。意味があったのか、なかったのか。なぜ、そんなところに身を置くことになっていったのか? (単純には、家を飛び出したかっただけではあるが、一気に決断していった思考回路が自分でもわからない。)

かぐや姫の歌詞の通り、「何もこわくなかった」 のか、「何も深く考えてなかった」 のか、わからない。

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日本国のガラパゴスな環境

2014-08-19 | Weblog

海外の車の番組などを見ていて、ほとんどが車は左ハンドルで、右側通行の国が多い。道路総延長距離にして、世界の9割にあたる道路が右側通行ということだ。日本だけではないが、何故、そのような大勢と逆なのか?

日本では、車というものがない時代から左側通行をしていたとのこと。武士が刀を左わきにさしているため、体の左側へ、刀の鞘が少し幅をとる形で外へはみ出る。そのため、お互いに右側を歩行すると、刀の鞘同士が、こっつんこっつん当って、面倒だったようだ。実際、それで小競り合いになっていた模様だ。これは道理にかなっていると思う。また、右ききにとって、右側へスペースを作るほうが、争いごとには対処しやすいとの面もあったようだ。そうしたことは、日本以外の諸外国でも同じ状況にて、大昔は同じような理屈で左側通行だったようだ。ナポレオンがあえてそれを右側へ変えたという説などもあるが、事実は確認されていない。ナポレオンに占領されていない、英国と、英国の植民地(オーストラリア、インドなど)については、そういえば日本と同じ左側通行で、一見、なるほどと思える説ではあるが。

しかし、世界の大勢が、クルマについては右側通行が多く、ハンドルの位置も左側となっている。これは、航空機の機長の座席も左側で、右側はサブ。右側通行が世界での取り決め。船舶の航行についても、右側通行でそれぞれすり抜けるのが世界のルールとなっている。現時点での世界での共通のルールから言えば、日本は少数派に属すると言わざるを得ない。

その昔、日本では、「車は左、人は右」 といった標語めいた言葉もあったが、人の往来について右側と決めたのは、アメリカのGHQ(日本占領軍司令部)が、自国では右側ですれ違うので、日本で歩いていると頻繁にぶつかるので、無理矢理、右側へ変えるように通達が出たのが始まりだ。それゆえ、これはそんなに古い話の出来事ではない。

鉄道は英国のものを輸入したため、左側での交差となっている。他国は反対の状況だ。

 

( その昔、輸入してくる電気製品の販売事業にも関わっていたが、自分が見聞きしたかぎりで、電力がジャスト100ボルトという国に出会ったためしがない。アメリカは、110-120ボルト。韓国は220-240.欧州も、ほとんど200-240だったと思う。

日本語ではコンセントとなるが、英語表現ではプラグ。その形状も違うし、日本の100ボルトというのは、まさにガラパゴスだ。それに加えて、西日本は60ヘルツ、東日本は50ヘルツと周波数も2分する状態にて、昔は、個人の引越しにもサイクル変換という手間が加わる不便があったものだ。引越しの見積もりの中にも、周波数変換費用という項目もあった。現在は、電化製品のほうで、50-60ヘルツ共用ということで対応しているため、そのようなことは必要なくなったが、2分している状況に変化はない。

電圧、周波数について、昔から結局のところ、国として本気で対応に取り組まなかったことが根本の原因だ。事情はいろいろあった。

下水道のインフラ整備や、電柱の地下埋設化など、ようはその場しのぎ、場当たり的、近視眼的な対応策しか取ってこなかったために、余計に対応が難しい環境になってきて、電圧や周波数については、もう策が講じられないくらいまで、世の中が進んでしまったというわけだ。狭い日本ゆえ、何か策を講じる、そのいっとき、暫定避難する場所を確保することすら困難な状況でもあり、良いとわかっていても対応できなかったということもあろう。はたまた、先を見越して、今のうちに実施する予算を確保して、思い切った決断の下、計画的な街づくりなどを常に念頭に置けばよかったところを、パッチワーク的な対応しかとれなかった面も多かろう。 )

車の右ハンドル、左ハンドルに対して、駐車場の精算機など、両方に対応できるなど、「お・も・て・な・し」 が、日本ほど行きとどいている国もない。それだけ、日本では左ハンドル車も、それなりの数があるということだろうが、そういった他国(お客さま)に対する配慮には頭が下がるぐらいだ。それに比して、海外で、そういった配慮しているところは、ついぞ見たことがない。

 

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(国家)制限資本主義

2014-08-18 | Weblog

いまさら、ああだこうだと考えても言っても仕方ない、どうしようもないことだととわかっているが、最近だけではないが、ずっと気持ちのどこかで、「この国、日本でよかったのか? 面白く生きてこられたのか?」 と自問自答をくりかえしてきていた。なんとなく 「こういう国」 ではないのかと自分で答えを導き出しつつある。

日本は決して、自由資本主義などではない国だ。それなりの年配の、特に男性なら少しは興味をもって知識もおありと思うが、第2次世界大戦の日本のゼロ戦。それ以外でもたくさんの戦闘機があった。隼、飛燕、雷電、紫電、紫電改、2式戦闘機、五式戦闘機、などなど。1式、2式とつくのは、日本陸軍、それ以外は海軍所属だ。当初、ゼロ戦の空戦性能は優れていると評価されたと聞くが、軽量に製作されているのだから、小回りがきいて当然だ。それよりも重視したいのが、全くパイロットのことを考えていないことだ。生命をまもっている唯一の部材がキャノピー(風防ガラス)だけだ。また燃料タンクも薄い装甲にて、銃弾を受ければ、ひとたまりもない。それに対抗しようとして誕生してくるのが、グラマンF6Fヘルキャット。パイロットの生命をいかに守るかの配慮に苦心している。厚い装甲板で、背後から機銃掃射されても、少々の銃弾では怪我しないように。燃料タンクはたとえ重量が増えようが、機体がすぐに爆発炎上することのないよう、防弾仕様が強化されている。一人のパイロットの育成に少なくとも2年はかかるとのことで、いかにパイロットのひとりひとりの生命をできるかぎり守ってやろうとの気落ちが込められている。

アメリカでの大砲での命中精度もさほどでもないので、それを向上させるにどうのような工夫を行うか? そこに科学技術が持ち込まれて、相手の飛行機の近くにいくと、感知して爆発。細かな散弾が飛び散るようにして、相手に損傷を与える。これにより、精度が10倍アップした。いかに早く敵の動きを察知するか? そのため、レーダーの開発に力を投入し、どの方角から、どの高度で、どんな速度で、何機ぐらいの編隊が近づいてきているのかが、手に取るようにわかるようになった。これもいかに防御ということに力点を置いているかどうかということだ。

これに比して、日本側は、戦闘機、爆撃機による特攻、回天の人間魚雷での特攻、桜花という特攻を目的とした飛行機まで作った。命中精度は上ったのか? いわゆる普通の爆撃攻撃とほとんど変わらない。ただの無駄死にを求められたにすぎない。それに加えて、航空機自体も行ったきりで失うことになる。誰がこんなことを決めることができるのか。沖縄上陸以降、本土決戦の際は、女子供にも竹やりをもたせて、戦車に突入死させる計画も実際になされていたとのこと。それで、戦車は破壊できぬが、多少なりとも進軍をくいとめさせる。こんなばかなことを、お国が命ずる権利があるのか?? 東条英機は、公に、戦争に軍備の充実とともに、もうひとつ必要なものが精神力だと堂々と言ってのける。さらに精神力は限りがないとものたまう。こんな指導者では、たまったものでない。

これで、日本という国家は、「個」 というものを、本当に大切にしていると言い切ることができるのか? 自分には、「個」 というものを、「その他多勢」 としか考えておらず、あくまでも、個人たるものよりも、法人格や組織の維持に腐心しており、「個」 は、優先順位を下げられているように映る。肩書きのほうが、重要視され、肩書きのない者は、後回しにされたり、相手にもされなかったり。北欧の税金を高く取られても、大学まで学費が無料だとか医療費無料だとか、働きすぎはダメということで、オーバータイム就労分は、ほとんど収入につながらないから、当然のことながら働く人間などいない結果につながり、ワークライフバランスが保たれる仕組みだ。日本では、いま正に大学生向けの奨学金の取り立てにやっきとなり始めた。指示された部署では、上から目線でこれから対応を続けるのだろう。完全に無償貸与ぐらいすべきものと検討を始めるのならば別だが、と思うが、まるで学生ローン扱いに等しい。選挙で選ばれる公人や、公職の者への厚遇自体、本末転倒の話と思うが、既得権ゆえ、改善などされようもない。

スポーツ界でも、どうして人材が流出していくのだろう。まるで、この国は後進国で、海外での活躍がはるかにグレードが高いとなる。どうして自国でのレベルを高くしようと努力しないのか? (報酬や賞金総額など諸々) 魅力に欠けるから、流出するのであり、人材を低く評価するからこその結果であろう。自由民主主義とは決して呼べるシステムではない。タイトルには、制限資本主義などと造語を掲げたが、もっと露骨に言えば、独裁者こそいないから、責任もおっかぶせることもできないが、その実、共産的集団資本主義とも言えなくもない実態ですら、あるのではないだろうか? 別の表現をするならば、(国家)統制資本主義とっも言えなくもないし、それに加えて、集団行動文化の民族性が、その秩序を維持することに、多大に貢献しているから、むしろ変化させようがない。このような傾向はますます強まるというか、誰もあまり何も、面倒くさいことは考えたくないものの習性ばかりが強まってきていて、隠れてツイートするぐらいが、せいぜいか。自分自身として、「個」 を大切にしない国だということは、ひとつの決定的な事実であると確信めいたところまで思考できてきた。それを大前提に据えることで、この国で起こる事象のつじつまが合っていくような気がしてならないのだが、どんなものだろうか?

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2014年8月15日付、朝日新聞・天声人語

2014-08-17 | Weblog

若者への街頭インタビューにて、8月15日は何の日か? 知りません。わかりません。戦後生まれが、5人に4人の現在でのこと。同日付の朝日・天声人語より。

「 毎晩ウイスキーをボトル3分の1も飲んで、アル中ハイマーと自称していた。『人間臨終図鑑』などで知られる作家の山田風太郎は飄逸の人だ。(ひょうひつ) 医学生だった敗戦の年を克明に描いた『戦中派不戦日記』はいまも読み継がれる。山田青年は1945年8月14日の日記に、『個』を潰しに潰してきた日本の社会に対する痛恨の念を記している。出る杭を打ち、変り者を追い払う。日本人は『全く独立独特の筋金の入らないドングリの大群』のようになったと嘆いた。全体主義が支配した戦時中のこととして読み流すことができない。あなた方もドングリになりなさい。そんなささやきが、昨今のこの社会そこかしこでも執拗に繰り返されているのではないかと危ぶむ。『梅雨空に≪九条守れ≫の女性デモ』。この俳句を刊行物に載せることを、さいたま市の公民館が拒否した。世論を二分する問題だからという。当初は、市の意見と誤解されないよう配慮したとの説明もあった。作者の名前も出るのに、である。憲法や原発の問題で講演をやめようとしたり、展示を拒んだり。時の政権を刺激しそうなことは極力しない。公職者の上目遣いが相次ぐ。意見がわかれ、議論をかわす。民主主義の面倒臭さをすっ飛ばすなら時代は逆流する。あの夏の8月16日、風太郎は敗因を分析し、記した。日本人は、『なぜか?』という問いを持たなかった、と。いま、ドングリになれという声には、なぜかと問い返そう。『個』であるために。 」

15年間、フランスに移り住んだ、元アナウンサーA宮さんが、フランスでは『個』が最も尊重され、どれだけ他と違いのある『個性』を形成できるかということに切磋琢磨するとのことと、語られている。

神風特攻隊の搭乗者の鉢巻きに書かれた、『報国』の文字。お国に報いる、お国って? 国って? 国家って? と考えた。報いるに値する国なのか? そもそも報いるということの前に、国が何か 『個』に対して、良いことを施してきたことがあってこその、『報いる』ということに繋がるのであって、『良い施し』自体があったのか? このことに対して改めて記していきたい。

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人と人の間に、死後の世界でしかないような冷たさを感じる。

2014-08-06 | Weblog

2014年1月の世紀の大発見か?から、状況変化してきた事象に関して、とうとう尊い人命にかかわる事態に。そのことをめぐる関係者一人一人の言葉を聞いていて、誰一人として、故人に対する暖かい心をもっていたんだなと感じない。むしろ、ここまでの冷たさがあるかというぐらいの、自己保身に凝り固まった人たちが、順に出てくるぐらいにしか思えない。逆に、自分はむしろ部外者、仲間はもちろん同僚でもないぐらいに感じる。組織において、上に立つ者が、「泥をかぶる」 ぐらいの気迫がなくてどうする。隣で仕事していても、同じ空気すら吸っていないの? 人々の間に位置するから人間、その人の中へ入りこもうとするから仲間、さらにその人の精神的な支えとなろうとする忠心。

発している言葉だけは、その場を繕う内容であるが、一緒になって話を聞くとか、全く自分自身が、その人のことを思って行動した軌跡が全くない。すべてが、そんな風な報告は断片的に届けられておりましたということだけに終始している。遠巻きに眺めているどころか、むしろ損場から去っている、背中を向けてきた人たちが、いまさらよく言うよ、と思ってしまうし、さらに自己保身の殻を一層強く両手でつかんで離さないといった風でもある。山梨方面からのコメントは、郵政省の電報のひな型以外の何物でもない。それらは接頭語であって、コメントでもなんでもないはずだ。自分の気持ちを、自分の言葉で表現するのが、せめてもの、たむける言葉でないのか。

内部の真実は知りようがない。ただ、困っているから、お互い様という精神が全くない。幼稚園ですら、次のようなことを教わるようである。

・みんなで分け合うこと。・ずるをしないこと ・人をぶたないこと ・使ったものはもどすこと ・人を傷つけたらあやまること ・不思議だなという気持ちをもつこと ・車に気をつけること ・トイレの後は手を洗うこと ・生きているものは必ず死ぬこと 等々。 (ロバート・フルガム著、All Really Need to Know I Learned in Kindergarten. )

このような人間関係は、現在、大なり小なり、身近でも感じられる。従来から日本人はどちらかというと受け身であり、能動的に行動することを毛嫌いというか、その他大勢の中で、こっそりするのが好きな習性がある。悪いことではないが、誇れることでもない。良い事の反対は? と尋ねられて、「悪い事」 でなくて、「何もしないこと」 が正解ということもある。このように変化してきた世の中、あえて、このタイミングから、やじうまを卒業してみませんか?

 

 

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密告(ちくり)、嫌な世の中だ。

2014-08-05 | Weblog

オリンピックのメダリストが、大学の新入生の飲酒を見過ごしたとかどうかで、監督のポジションを辞職。18歳、19歳が、大人としての入り口で多少の味を慣らし運転するぐらいのレベルだったかどうか知らないが、20歳という線引きも今となりては、建前に過ぎず、そんなに目くじらたてることだろうか? そうしたら成人式で暴れている輩は、一体、どう処罰するのだ。年齢的には法律範囲ということでOKなのか? たしなもうとする者と、暴れる者とどちらが程度が悪いの?

公職にある者が、全面禁煙の職場外で、喫煙をとがめられた。おそらくだが、恒常化していたのではなかろうかと推測はするが、これも恐らく密告という報告や、噂から煙となっていったことと思う。街中で、交番の近くで、中学生や高校生の喫煙はどうなんだ? これだけ喫煙制限をかけるぐらいなら、また健康に害と明白なら、いっそのことドラッグ同様、販売を取りやめたら。

大事、小事の区別もつかないの?

川の中州でのキャンプ。運営業者をここぞとばかり、たたく。事故者本人が言っているように、自分個人の判断だった。自己責任と自認している。上級者であれば、リスク判っていたと思うが、なんで判断ミスをしてしまったのだろう? 少し不可解。

神奈川県の逗子海岸の海水浴場。規制が厳しくなった。小生は良いことだと思う。おそらくだが、あまりにも若者(バカ者)達の傍若無人ぶりがひどいものだから、厳しく踏み切ったものだと思う。事件、事故、喧嘩、人災が起こる前の対応策だろう。これに対して、さきほどの運営業者を叩くコメンテーターが、少し行き過ぎと仰る。若者はエネルギーを発散したいだろうと仰る。広い心をお持ちのようだ。北海道の海岸での飲酒から事故となったばかりだと言うのに。片手落ちのコメントは取り下げてもらいたいものだ。

暴走族はもちろん、それに近いマナーなしのドライバーもいるだろう。一般人の軽微なことばかり取り締まり、長々と講釈をたれるより、もっと劣悪な者に対して厳しく対応してもらいたいものだ。

かっての東ベルリンや、現在の北朝鮮じゃあるまいし、市民が小事を監視し合って、チクッていてどうするの? 報道機関も、もっと本質をギュッとつかんでもらいたいものだ。事件、事故の経過をなぞっているだけのコメンテーターだと気づいているだろう。そういった連中はずしのほうが、いいんじゃないの。

ゴルフ離れが進んでいるとのこと。おじさんのスポーツだとか。根本は手軽にできないことが本質の問題だ。USAには、日本の練習場のようなカゴの鳥のようなものはない。ドライビングレンジと呼ぶが、ゴルフ場の周りに、誰でもタダでできるようになっている。ゴルフのプレーフィーも、ボーリング数ゲームと変わらない。だから流行り、すたりがなく、ずっと愛されていく。ゴルフもテニも、ステータスでもなんでもないのだ。誰でもが手軽にできる環境があるということだ。ゴルフへ出かけるとなると、明け方から車で渋滞のなか、行く。そもそもがだめなのだ。野球、ソフトボール、サッカー、卓球、バドミントン、などなど、お金がかからず、地元の有志で集まるサークルでは、流行り、すたれ関係なく、楽しんでいる人は楽しんでいる。以前はゴルフもびっくりするぐらいコースに出ていたが、カゴの鳥で練習したことなど、ほとんどない。熱心なアマチュアは、バッグ提げて行かれるが、なぜかその気になれなかった。当然、腕前は上達しないが。日本では、ゴルフをすることが、大仰すぎることが一番のネックということに気づきなさい。気づいているんですよね。親子ともども、子供のプロ入り目指して、自前の練習場まで作って、人生目標となす。とても無理だ。

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記憶

2014-08-04 | Weblog

いつのころからだろうか? 振り返ることが多くなってきたのは。若い時分は、振り返ったとしても、何か失敗した時などに、「後悔先に立たず」 とは言いながらも、自然と前向きに変わっている。それは、これから先に挑んでいかなくてはならない世界が、それまでの人生の大きさより、はるかに大きく感じられるから、港を出港したばかりで、これからの大海原を期待と希望で膨らませているからだろう。

それが、いつのまにやら、過去の出来事が次から次へ、何かにつけてフラッシュバックのように出現する。場面は様々だ。順不同。鮮明なこともあれば、酔っ払って、飛んでしまっている記憶のように、全く思い出せない時期もたくさんある。お酒をたしなまない人たちは、記憶が飛んでしまうということが、少なくとも酔っ払いよりは少ないだろうから、記憶領域も広いのだろうか? 人間の脳みそは、おそらく自分自身の心の均衡をできるかぎり、自分で最良な状態を保つように、覚えておきたくない記憶も自動的に消去するように制御できる構造になっているのであろう、などと都合よく勝手に決め込んでいるのだが。なにもかも全て記憶があると仮定したら、どんな精神構造になってしまうのだろうか? 脳みそが爆発でも起こすのだろうか? 

あせるな、と言われても、早々時間があるわけでもない。Let it be. でいいのだ、だけでは納得がいかない。 かといって、何ができる? 政治、経済、法律、宗教、いろいろあるだろうが、出発点は、どうも教育というところに帰着する気がする。日本流画一教育は、大企業依存型社会構造に最適なシステムなのだ。

以前少し取り上げた、消費税の軽減税率問題だが、その中身をどうのこうのと、どうあがこうが、誰ものが納得できるものに仕上がらないのだから、そんなくだらない議論に時間を浪費するのは即刻止めて、10%への引き上げを止めて、8%維持するか、それとも中をとって、9%にするといったほうが、すっきりとしそうなんじゃないのと、思ってしまうが、いかがなものか? 消費税そのもの自体が、低所得者には負担感が大きい性質を持っているものなのだから、そこの問題を小手先の手法を採り入れたところで、政府は十分に国民のことを考慮してくれているなんて誰も考えないだろう。

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あべこべ? ごく普通の扱いなんだろう。

2014-08-01 | Weblog

自分はその分野の専門家でもないので、それが普通のことなんだろうとしか考えていないが、少し 「何かおかしいのでは?」 と思っていることがある。それは刑事事件において、被害者の情報(顔写真などを含めて)は、比較的オープンにされるのに、加害者側については非常に気をつかっていると感じてしまう。もちろん成人、未成年といった制約を設けている部分もあり、特に若年の者への将来への配慮ということもあるのだろう。裁判、公判、受刑中、出所後、などについても、被害者側にもほとんど情報が渡らないと、特集として被害者側の心情が伝えられている様子を目にすることがある。一方の当事者にも伝えられないのだから、公然とは流れないだろう。事故発生のときなども、その方面の専門家が原因予測などコメントしているが、小生の偏見かもしれぬが、あまりそれらの想定を超えているケースのほうが多いように思える。犯罪についてもプロファイラー的に人物像を描くが、土地勘があるとか、もともと土地勘なくして、そこにいないでしょと言いたいぐらいだ。被害者にとっては、直接、謝罪されることも一切なく、真の理由も知るすべもなく、少しも気が晴れぬ状態が一生続くのであろう。

小生の恥だが、約30年前のゴルフ場開発にからむ、いわゆる詐欺事件にひっかかった被害者の一人だ。そのことで450万円がパーになった。民事事件についても、詐欺師に関しては、それなりの罰はあった模様だが、普通に生きた様子だ。場合によっては、海外でそれなりの贅沢を送った気来がなきにしもあらずだ。今のように情報社会でなかったために、あまり多くのことがわからない。

OJシンプソン事件といったか、記憶が不鮮明だが、USAでは裁判の様子がそのまま法制されていて話題を呼んだ。Trialといったタイトルとともに連日騒がれていたと記憶している。日本ではほとんどボカシが入るので、紛争現場の実態も何がどうなっているのかもよく理解できない。この国は、別ジャンルの読み物、ビデオなどは、無頓着に、無造作に、放置しているのに、別の過激描写についてはオブラートで包み、その事実をわかりにくくさせる。そういった片手落ちと思える、モラル設定に首をかしげざるを得ない。ギャンブル、カジノ問題についても、公営ギャンブルは存在するのだから、すっきりと認めればいいものを。40年前、関西のパチンコ屋では、「どこで交換やの?」 と聞いたら、すっと店員が教えてくれたもんだが、関東に来て、同じことを尋ねたら、渋い顔をされたり、無言で指さしで教えてくれたり、最初はマジに関東では、みんな食べ物なんかに交換するだけで満足してるんやと思ったもんだ。

視点の置き方が、あべこべなのではと思ってしまう。これらも、すべて 「建前と本音」 で片づけられてしまうのであれば、その一言ですべて処理できることになる。

あべこべって、漢字では、「彼辺此辺」 と書くそうな。あっちこっちといった具合。彼を、アと読み、此を、コと読む。

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