戦争が終わって、不利なことをも飲み込んで、講和条約を締結して時点で、戦後のすべての処理について、双方が納得したということだ。
欧米諸国は、条約に署名した以後については謝罪などしない。それが世界の常識。
ごちゃごちゃ言い続けているのは、東アジアの二国だけ。ええかげんにしたら。
ソ連、ロシアは、永遠に信じられない。
戦争が終わって、不利なことをも飲み込んで、講和条約を締結して時点で、戦後のすべての処理について、双方が納得したということだ。
欧米諸国は、条約に署名した以後については謝罪などしない。それが世界の常識。
ごちゃごちゃ言い続けているのは、東アジアの二国だけ。ええかげんにしたら。
ソ連、ロシアは、永遠に信じられない。
日本の大企業というのは、以前にも書いているが、どの役職レベルをとっても、なんだかんだ言って、給料の水準は高いし、厚生なども充実しているというのが一般的だ。たいした仕事をしてもいなにのに、もらえるものはもらえるといった具合だ。
業界をリードする立場であれば、社員の給与水準も通常高い水準にあればこそ、多少の無理難題にも我慢もしかたないかと思うものだが、社員より会社のメンツやトップの一部だけを優遇するよう会社は、給与水準を落として、その分からいろいろな投資などに回してしまう。会社にとっては、それでいいPRになるかもしれないが、それがあるからといって仕事がどんどん舞い込むというようなことはない。トップの自己満足感だけだ。
給与水準を高いレベルに維持しつつの、会社の内部留保からさまざまな投資に振り向ける企業努力をしている経営者は知恵を使っていると言えるが、社員の抑え込んだ人件費の流用でいろいろなことに使うということなんぞ、凡人でも、単なる経理屋にでもできることであり、経営でもなんでもないし、まして真の経営者でもなんでもない、逆に欲まみれの自己中の偽善者以外の何物でもない。
一般社員にとって、なんだかんだと言っても、多少の優先順位の差はあれ、支給される給与が高ければ、会社満足度や忠誠心めいたものを持つようにはなるだろうというのが、本音の本音であり、空気っだけでは、オマンマ食っていけないし、相田みつをが言っているように、きれいな玄関と床の間だけじゃ生きていけんだけれど。
宇宙ではステーションに10メートルまで接近した、日本から打ち上げられた物資を積んだロケット。17メートルのアームを使って、無事、取り込みに成功した。人間の叡知は無限だ。そんなことが、繰り広げられていることが、当たり前のごとく、大きく騒ぎ立てられることもない。
学校の試験で、解答として、銅鏡、銅鐸、剣などを空欄に埋め込んだり、はたまた、蒔絵で名をなしたとかの解答欄に記入して丸しるしをもらって点数を取っていたが、その実、銅鐸って何? 蒔絵って? 漆って一体どうなっているの?
その昔、松ヤニに触れて、かぶれたことが1回あるが、それ以来、松ヤニや漆と聞くだけで、多少引くところがある。
学校の時分に、言葉だけを知識として詰め込み、その実、本当のところを知らず、正直に知らないとしているならともかく、知ったかぶりをしている自分がいる。
テレビのクイズ番組で正答するも、やはり実体を知らず、突っ込まれると知らんと突っぱねる。それでも、どや顔。嫌な奴やな、ほんまに。 と、くる。
最澄、空海、詳しくは?
お城の石垣、昔の人たちは、どうやって積み上げたのか?
スカイツリーと見てすごいと思うが、近くの川に架かっている、なんてことない普通の橋を見ても、すごいと感心する。
なぜこのトピックスがクローズアップされているのか? 政府が確か今後、高校で今まで歴史というと江戸時代、明治維新ぐらいまでで、そのあとがなんとなく力点入れられていなかったことを反省して、これからは必須にすることを発表したとのこと。確かに、大正デモクラシーとかただ言葉だけを記憶しただけで、正直、明治以降、大正、昭和初期、軍部の台頭など、学校で話題となることはなかったと思っている。アメリカなどは建国200年程度ゆえ、歴史と言えば自然と現代史となるような気がするが、第1次世界大戦のかかわりや、第2次世界大戦へつっこまざるを得なかったいきさつなど、さほど基本的な認識、教育が徹底されているとは思えないから、もし、今後、この分野に力をそそぐことはいいことだと思う。
ところで、大阪の寝屋川や高槻で、またもや悲惨な事件が発生したが、これに対しても、春までは小学生で、中学校に入学したばかりで、夜9時からの外出を許可する、それぞれの家で滞在するのではなく、夜中に街中をうろちょろさせる、こういった点については、ズバリ言って、理解に苦しむ。それさえなければ、巻きこまれることはなかったと言えるのではないのか。
やはり最近、過去のことを思い返す。その時に、いままでは嫌だったことが先に頭をよぎっていた。そんな思考を繰り返しているうちに、ふとそれぞれの同じ時期に、楽しいこともあったなあと気付くようになった。どの時期、どの時代でも、楽しいことと、嫌なこと苦しいことが混じっている。
そうだとすれば、同じ過去を振り変えるのでも、ええことや、楽しかったことを振りかえるほうが、自分の人生として、この世に生れてきた意義があるのではと思えることにも気付いた。
生きてきたことを実感できる気がする。
こうした思考を、できるだけ続けていこう。
企業でも経営理念ばかり唱える。理念だけでは何も得られない。コンプライアンス宣言。ばかじゃないの?私たちは何もしませんと言っているのと同じこと。こういったことが好きな連中が、とくにこの国には多勢いる。
ドイツ、イタリアの事情はまったく知らない。枢軸国側、敗戦国側として、今も謝罪ばかりしてきているの?どうもそうは思えないけど。
喧嘩両成敗という、良い言葉がある。引用するならこの言葉を引用すべきなんじゃないの?敗戦国だけが責任あるの?たまたま勝った側についた国々は、何も悪いことをしていないのか?
結局、あべ本人だけが、70年談話を出したとして、今後、名前が残ることに意義を設けたんじゃないのか! 国民、国家は不在の様相だ。
太平洋をはさんで、オバマ君よ、核を持って、核をなくす談話で、ノーベル賞もらって、その後、さっぱり。おいおい。演説一本で、実際、何も平和貢献しとらんよ。ヒラリーさんのほうが、まだ正直。これから何十年もかかっても、核についてはどうなっているのでしょうかね?それぐらい時間がかかるとおっしゃっているとのこと。
チェルノブイリの原発事故。日本じゃこんなことは起きない、レベルが違うと思ったはず。
二度あることは三度ある。この国のことわざ。原爆投下。原発事故。次は?
久しぶりに映画館で、当たり前だが映画を観た。『ミッションインポッシブル』。今まで映画を観るときに、これが非日常の空間時間などと考えたり思ったりもしなかったが、その時間に身を置くことがメインで、映画は手段と、思えた。
時間の大切さ、貴重さ、それだけバタバタしている裏返しなのか?
かけがえのない一瞬だ。
3.11の地震の直後、会社のオフィスは照明をつけないで、薄暗い中での仕事。エアコンの設定温度も夏は高く、冬は低く。計画停電だとというものまで始まった。それも中途半端に。どこで、いつ、やるのか、やったのか全くわからない。
ここにきて、熱中症が頻発。年寄りもエアコンを意識して使うように。猛暑。どこもかしこもエアコンはフルパワー。
新しい発電や、発電量が大幅に増強されたなどと聞かない。それどころか、原発はすべてストップとなった。それでも、あのときの騒いだ電気供給について、昨年も今年も不足するなどと誰も騒ぎたてない。
今も真っ暗なオフィスで仕事をやっているの?
一体、どうなっているの?
原発を再開するなら、電気料金は下がるのでしょうね?
戦争は絶対だめだと頭でわかっているが、映画では戦争ものや、アクションものを見てしまう自分がいる。ほとんどの場合、米軍の勝利ものだ。ドイツ軍がやらても、さもありなん的になっている。ドイツでは、日本軍が米軍にやられるのが、普通になっているのだろうか? アクションものや、刑事ものでも、殺人がつきまとう。これって本質的に許されるものなのか?
戦闘機や軍艦、兵器には魅せられる美があることは否定できないだろう。日本刀の美があるからこそ、価値がつくのだろう。一種の陶酔できる世界があるように思う。
今の国連、United Nations 言いかえれば連合国軍の集まりで、戦勝国だ。戦勝国が行ったことはすべて是とされるのか? 敗戦国がやったことはすべて悪なのか?
米軍の原爆投下、それをしなくても勝敗は決まっていたはずだ。原爆前のじゅうたん爆撃。軍隊と無縁の都市部への焼夷弾攻撃。それらも是とされるのか?
答えはノーだろう。日本も反省をするにしても、原爆投下やじゅうたん爆撃の事実があり、そこまでやる必要があったのかについても日本は疑問に思っているということも、勇気を出して明言して世界にメッセージを発信する。これぐらいの思い切ったことをやってもらいたい。
沖縄から全く米軍がいなくなったら、本当に中国はわがままし放題になるのか?
一度、一回、実際に撤退してもらったら。ぐうたらこうたら言っていないで。
せみ、という漢字は、虫へんに、単と書く。単はうちわの意味。昔の人が、羽を震わせて、鳴いていると考え、羽をうちわに、たとえたものだ。実際は、鳴き声は違う方法なのだが。さらにせみの鳴き声は、オスの求愛行動ゆえ、漢字の蝉は、せみのオスのことになってしまう。
そんなことはどうでもいいのだが、夏の盛りとなると、あぶらぜみが短い一生を終えて、木に止まるどころか道端にさかさまになって横たわっている。それを目にするたびに、なんとなく、あっという間の生涯に、せつなさを感じる。夏休みの宿題の昆虫採集に、なぜか、あえてすでに息絶えた虫を採集することはなかったんでないかと記憶している。昔は、注射器に液剤を入れて、腹から刺していたものだ。今でもできなくはないが、やろうという気はおきないだろう。いまでは、このようなキットは販売されていないとのこと。昔は当たり前のように、夏休み前になると、文房具やおもちゃ屋や、デパートにと、どこにでも売っていたものだが。
相田みつをの言葉に、体験してはじめて身につくものなんだなあ、という文言があったが、最近になって、ああそうなんだと納得している。そう考えないことには、あまり両親から具体的に忠告されてこなかった、ということを、自分なりに人生とは一代限りで、人生の途中途中で、経験すること自体が人生で、教えられたからといって、それは人生でもないという自分なりの納得に繋げないと、なんか感情がおさまらない部分があるので、無理やりであっても、そう思うようにしている。
それにしても、今はインターネットが出現したことで、こんなことまでと思える事柄でも、入力するとなんかしらヒットしてくる。こんな時代がくるなんて、親の代だけでなく、自分自身も想像していなかったと気付く。現代の子供たちは、インターネットという手段が当たり前の中で誕生してくる。この先、想像を越えた何が出現してくるのだろう。
しかし、昔でも、末は博士か大臣か? と、親の世代から言っていたが、今になって、その意味がようやくわかってきた気がする。自分の高校のクラスメートで、京大の当時、新設された人間科学部へ入って、大学の教授になっている者がいるが、そいつは、当時から普通に労働することなんてつまらないと言っていたので、大したものだと正直、感心する。
ビットコインの怪しい風体の外人が逮捕された。一言でいえば、業務上横領。最初に登場した時から、どこか怪しいし、結構贅沢三昧しているとのことだし、
ビジネスマンには似つかわしくない、だらしのなさと、メタボ体型。
なんか、こいつ怪しいと疑っていたご仁もたくさんいたはず。
福島原発1号機。じゃまなクレーンのがれきを撤去。そもそもクレーンがじゃましていたことすら知らない。
おこなって上手くいったことだけ報告されているのでは、真実、実態が見えてこない。
例の汚染水は単純に考えれば、増えているはずだが、減っているとの報道もない。
地味なニュースかもしれないが、視聴率に関係なく、東電は毎日の進捗をたとえ、5分でも流すべきだろう。