現代今昔物語―自分流儀。伝承。贈ることば、子供たちへ。不変のストーリー

我が息子と娘へ伝承したいメッセージをというのがきっかけで、時代が違っても考えかたは不滅といった内容を新世代達へ残したい。

こりゃアカン

2019-10-28 | Weblog

スーツをしっかりと着た、分別ありそうな中年男性。

スマホで一生懸命のぞいている。

なんか検索でもしているのかな?

隣に来たので、覗いたら、ゴルフゲーム。

こりゃ、だめだ。


今回の豪雨などで思うこと

2019-10-25 | Weblog

今は、SNSを介して、あらゆる情報が瞬く間に広がっているのに、

今回の災害に関するマスコミの報道は、限られた情報のもとでの、限定的な面しかとらえておらず、

もっといろんな地域で、様々なことが実際は起こっており、その情報がSNSで発信されているはずだ。

各地域の行政において、それらの情報をリアルタイムで吸い上げて、常にupdateされた、今、

起こっている事象に関して、情報をまずは把握することが、イの一番にやるべきことであり、

行政府にそういったSNSへの見識がなく、対応できないなら、それこそ税金を使ってでも

民間でも、なんでも専門家を雇い、分析力をつける対応をしなければ、いつまでたっても

後手後手の対応だけしかできず、想定外とか、経験したことがなかっただとかの、

くその役にも立たない、言葉遊びばかりに終わってしまう。

つまらない芸能情報などは拡散と同時にキャッチするのに、なんで現場の災害情報が

本当は拡散しているはずだ。なのに、それが捕まえられないのは行政の甘いところだ。

これも当事者意識の欠如に他ならない。

こういった具体的な指示をアベは、出せているのか?

出せないなら、トップを去れ。


今、国内を走っている車は、

2019-10-16 | Weblog

排気量関係なく、90年前の、アメリカのアルカポネ時代の、

後にトランクがない、ライトバンというか、ワンボックスというか、そんな形の

車ばかりになってしまった。

実用的といえば、そうに違いないが、車へのドリームみたいなものが全く感じられず、

乗用車というより、すべてが、商用車といった感じだ。


まずまずと言った政治家は

2019-10-16 | Weblog

死者の数が増えて、二けたの後半、もしかしたら100人近くになるかもしれない。

そんな状況を、まずまずと言った政治家は、本来は議員辞職に追い込まれなくてはならない。

いくら老練の、役職についているからといって、この問題に蓋をするかのごとく、

大したことない、何もなかったのごとく、収束させようとする、自民党の腐りきった

おごった体質は断罪だ。

もしこれが、若い一般議員だったら、辞職だ。

ベテランだからといって、到底許されるものでない。

この問題も、このまま何も起こらないとしたら、この国は一体、どうなっているのか?

民度も疑う、政治家の良心、崇高さ、尊厳もあったものでない。


北風と太陽の話を思い出す

2019-10-15 | Weblog

以前も同じ思いを伝えたが、暴風雨には人工物は抗えないということが

最近、改めて痛感させられる事象が次々に発生しているということだ。

自然の前には、いかに頑丈に見える鉄筋やコンクリートも、一夜にして崩れ去る。

 

爆弾やミサイルといった瞬間の破壊力に匹敵する、もしくはそれ以上の根元から崩壊させてしまう

自然力の破壊力を再認識させられる。

 

北風と太陽の話は、平和な中で展開するが、特に人工物や、直接のコンタクトがなくても

十分に力を見せつけられるという点においては本質は同じである。

 


全く自分とは無関係とおもっていたことが、

2019-10-09 | Weblog

今、ノーベル賞が次々と発表されていっている。

ノーベル賞などは、そもそもそれらを狙っている人たちだけの事柄と思っていた。

例えば、町医者は身近な存在に思えても、ノーベル医学賞を取る人は別物と考えていた。

しかしながら年を経ていくごとに、ノーベル賞を取る人たちの研究が、最終的には町医者の

薬の処方や、病院での治療とつながっていると思うと、全く日常生活と無縁のものでないんだ

という気がしてくる。

すべてが、自分たちが小学校、中学校、高校で習うことが基礎になって発展していっている

ということに気づかされる。

政治家なども、最初から政治が好きなものが集まって、やっているものと縁遠いことと

考えていたが、決してそうではなくて、自分たちの暮らしに本来は結び付いているはず。

だけれども、今の政治家がそういう目線、考えを持たずに、ただ己個人の出世にばかり

目的としており、すべてを良くしていこうとせず、事なかれ主義ばかり横行して、

国民から遠ざけているだけのことと思う。本来はすべて、日常と密接にリンクしいていないと

おかしいはず。

昔は、なんでもかんでも、何もかも自分と無縁と勝手に考えていただけで、すべてが

自分たちの生活、人生と関わりがあるとわかってきた。決して格調の高い、無縁の事柄でない

ということだ。