現代今昔物語―自分流儀。伝承。贈ることば、子供たちへ。不変のストーリー

我が息子と娘へ伝承したいメッセージをというのがきっかけで、時代が違っても考えかたは不滅といった内容を新世代達へ残したい。

年の瀬

2013-12-27 | Weblog

クリスマスの翌日には、ケーキを売っていた場所が正月飾り売りに変身していた。最近の日本では、ひとつの話題がどこでも盛り上がっているかと思えば、のど元どころか、まるでそんなことはなかったかのごとく忘れ去られる。というか、マスコミも同様に全く取り上げなくなるため、余韻と言った風情がない。こんな日本でいいのだろうか?

このような日本人の傾向は、恐らく、昔からそうなのであろうと思う。最近になって日本人気質が変貌したということではなかろう。社会人になって、会社の中で、手のひらを返したようにうっちゃる人をどれだけ見てきたことか。寄らば大樹の陰というのは、一時的なことでなく、いろいろな場面で現象、事象が大きかろうが小さかろうが無関係に、日本人が取る行動パターンとして典型的と言える。

外国の個人主義が優れているとも一概には言えないが、日本の極端な付和雷同主義も好きではない。一人の時でも、自分を信じる力を強く持ち続けたいものだ。昔から一匹狼と言われることに、あまり不快な念を持たない。

沖縄の基地移転問題も今までずっと県外移設とシュプレヒコールを挙げていたと思っていたのに、毎年の3000億円の予算ということに対して、有史以来の予算ということで、あっさり昔ながらの自民党提唱の辺野古沖の海を埋め立てることに同意した。結局はお金の力?決して沖縄県民全員が賛成しているとは思わないが、予算がつけば基地負担が多くてOKということですか?と問い正したいくらいだ。本当にこれでいいの?

フェイスブックなるものでは、簡単に「いいね」とコメント、クリックが当たり前になっているが、小生から言わせれば、なんでも簡単に「いいね」 なんじゃ、それっ!!!!

 

 

 

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餅つき

2013-12-24 | Weblog

ふと思い出し、情景が浮かんだ。毎年、親父の仕事納めの翌日(12月29日頃)あたりに、必ず餅つきを家で行っていた。長屋住まいで、餅つきを行うのは、お向かいさんと自分の家だけだったと記憶している。もち米をせいろ蒸し上げ、石臼で木づちでつく。せいろの火元は、材木をくべる。その材木の枝に火をつけて、振り回したものだ。ついた後は、のし箱に引き延ばす。鏡モチは2段で、つきたてとともに形を整える。あんころモチは、つきたてに、アンコをつめて丸めていく。白餅以外は、豆もち、エビもち、よもぎもちなどもあった。あまり、大根おろしで、つきたての餅を食べるという習慣はなかった。床の間に鏡餅を飾り、松の内が明けるころに(15日)鏡餅を小さく刻む。かちかちになっており、割るといったほうが正しいかもしれない。元旦、三が日は、ついた餅で、お雑煮に入れることになる。10個ぐらい平気で食べた記憶があるが、今はそんなに食べられないし、子供も食べない。当時と何が違うのか、わからない。このようなことを経験して記憶に残っていることが、何かのプラスになるのだろうか?すくなくとも近所付き合いはあったのは間違いない。

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年齢と収入

2013-12-20 | Weblog

次期NHK会長に就任する方が、外部から招へいされて、70歳とのこと。東京都都知事の辞任に伴い、自民党副総理がコメントしているが、本人の年齢は75歳ぐらい? 世間では、年金の支払い開始年齢が引き上げられており、従来は60歳から一部分ではあるが、支給開始されていたにもかかわらず、現在は、それも引き上げられている様子。かといってネットで、高齢者就職を検索するも、清掃業務、警備業務などのオンパレード。富まない者にとっては、地道に働いてきても、安らかに暮らせるどころか、どうしたら収入を確保していけるのかを、体力の落ちた身体に鞭打って奮起せねばならない社会となっている。

一方で、恐らく、食べていくには困らないであろうと推測できる方々には、さらに年収が何千万円の椅子が用意されていく。高齢の政治家が数千万円以上の国費をもらいながら、月額数万円の年金額を引き下げたりすることの、あれやこれやの理由づけを展開する。

世界で1番、2番、3番、日本の地位にふさわしい順位はわからないが、少なくとも先進国と呼ばれて非常に長い年月が過ぎてきたかと思うが、決して庶民が平安に暮らせる国かどうか疑問に思わざるを得ない。

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生きる

2013-12-19 | Weblog

29歳でこの世を去らざるを得なかった車イスの青年が紹介されていた。少し前までは、自分が過ごした日々を思い起こせば、18歳や20歳ぐらいまでは、横並びというか、赤ん坊→幼稚園、保育園→小学校→中学校→高校と、もちろん10人いれば、10人の違う生き方があると思うが、総じて、きわだって他人と大きく異なる環境、頭の中の程度(何をすることが楽しいかを考えていること)なども、社会人や大人になってからの人生が分かれていくことと比べると、個人差が目立たない、生まれて最初の12年間、18年間ではないかと思っている。勤労から金を稼ぐことが主体の時期でもなく、それよりもまだまだ学ぶことを強いられ、勉学に励めよ、という時期でなないかと思う。純粋に友達という関係も築く時期でもある。そうように考えると、自分の現在の年齢から、ざっくりだが18や20を差し引いてみると、それが、いわゆる大人としてすごしてきた年数(年齢)ということになる。29歳の場合は、9年となる。50歳の人は30年となる。50歳と29歳を比べた場合と、9年間と30年間を比べた場合では、何かその差が非常におおきくなるような気がする。単に実年齢だけを比較すると、2倍も生きていないのに、20歳以降の年数差は、3倍以上に及ぶ。

29歳の青年に比べ、3倍以上、しっかりとしなきゃだめな大人の年数を生きてきているのだから、漫然と生きるのでなく、本当に一期一会の気持を強く持ち、いつ自分の寿命が尽きようとも、後悔しないぞという強く、明るい気持ちをしっかりと自分の胸の中に刻み込んでいきたいものだ。

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お弁当

2013-12-10 | Weblog

働いている人たちは、以前は、ランチ時に、外へ食べに出るか、家からの弁当持参か、いわゆる仕出し弁当かの3パターンが大勢を占めていた。今は、コンビニでもお弁当類があり、移動販売ありで、本当に競争激化の一途をたどっているように見える。便利になったことは紛れもない事実と思うが、同じ業種に販売合戦を繰り広げる習性は、どの業種、分野でも日本では多々見られ、価格消耗戦に突入していく。皆さん、まじめに、真剣に弁当を売ろうと努力されている、これだけやっても、なんか幸福感、充実感、満足感、豊かさを獲得できない、この日本のしくみの欠点はどこにあるのだろうか?東京などに暮らすと、中途半端な年収入では、温泉旅行、海外旅行なども、そんなにままならない。ほとんどが毎日の生活維持にもっていかれる。息子が中学の時は、弁当で、毎日、朝早くから準備したものだ。よかれと思って、入れたイチゴが、汁が溶けだし、台無しになったと文句を言われたことを思いだす。冷凍食品すべてで賄うと、それでも構わないけれどと、なんとなくもう少し手を加えろと言われている気がした。毎日、弁当を作ることはそれはそれで大変だったが、何か息子との間に、残ったものがあればいいなと思う。

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KNOWING

2013-12-09 | Weblog

劇場では見たことがないが、TVでは数度見た映画です。そうかといって最初から最後まで完全にいつも見たわけでなく、なんとなく途中から途中からを繰り返して見てしまってきている気がします。最愛の子供と分かれ、人類が一瞬で滅亡してしまうスト―リーですが、恐らく瞬間死ゆえ、苦痛も何もかも一瞬のことと想像するが、その手前では、人間ってどんな行動をとるのだろう?映画では略奪や破壊、喧嘩の場面も入っていたと思うが、心静かに、その時を迎えられるものだろうか?

Know と言えば、「知る」という動詞だが、学校では理由をたずねる疑問文で、当然のごとく Why? から始まる構文ばかりを教えられるが、実際には、How do you know? と 聞く場面が多いように思える。

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